第5話 暗闇

 首だけが落ちたのは真っ暗な闇の中であった。

 自我さえもげてしまいそうな静寂と思考さえ許さない闇は俺の精神を確かに疲弊させていく。――どれほどの時間がたったのか見当もつかない。

 それでも考えてしまう。俺はなぜ、一人だけこんな目に遭っているのだろう、それも恨まれることをした十数年もあとに。

 俺にだって生活はある。養わなければいけない家族もいるのだ。父親が職を失って夜逃げした以上、俺が働かないと家族が飢える。俺には妹もいて……七歳で? ん?


 俺に妹なんていたっけ?


 俺はもう二十三歳だぞ? 七歳の妹なんてあり得る・・・・のか?

 ついさっきまで理由なく信じていた「俺自身」が、揺らぐ。

 自分のことにあり得るもあり得ないもないだろうに、俺はなにを言っているんだろう。そう呟いて眼球だけ回す。そう、この暗闇が俺をおかしくさせたんだ――

「痛っ」

 目に異物が差し込まれた気分だった。周りが一気に明るくなり、思わず眉をひそめてしまう。

 「彼」に誘われて家にお邪魔したときの風景が、プロジェクターに映し出されるプレゼンのように空間を撫でた。

 小学校に入ったばかりだという、ランドセルが大きくみえる妹。もうすぐお兄ちゃんと同じ高校に入れると新品のランドセルを背負って

 俺に

 誇らしげに見せてくれた


 そのとき俺はなんて答えたんだったか

『そうだな、お前も勉強頑張れよ』

 おかしい、何かがおかしい。

 視点? 会話? いや、違う。何か根底にある、俺が当然と信じて疑わないものの前提条件が狂っている。

 俺が思い出した七歳の妹というのは、「彼の」妹であった。

 俺は真っ白にまぶしくなった空間を見渡した。

「そう……俺は、こんな変な空間にいたせいで、十年前のことを今と思い違えてしまったんだ」

 そうだよな……? 不安に飲み込まれそうになる。それを、俺は正しいとなんども思って消化することで自我を保つ。

 だが、身の裡に出現した小さな矛盾が俺を壊すまでに、そう時間はかからなかった。

 俺はまた、知らぬ間に胴体を取り戻し、導かれるようにどこかに歩き出していた。

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