追悼 絶界寺龍牙夢斗の落選 最終章[The END]

「お疲れさまでした」

「続けたい人は続けてください」


 ――そう言い遺して、彼は自らの命を絶った。



0.


 絶界寺龍牙夢斗は≪宮殻核≫に続く回廊で、≪邪悪なる混沌≫に言い放った言葉を思い出していた。

<言うなれば集合的意識として、神は存在すると言える>

 その言葉を受けて≪邪悪なる混沌≫は激昂した。そして、絶界寺はその思想には、今も間違いはないと思っている。

 自身の境遇を――これから受ける運命を想い、失笑が零れた。

「皮肉だな」

 神学講義とそれにまつわる絶争で得た回答は、神の不在だった。

 七界次期当主争奪戦において、別世界と共闘して神殺しも行った。

 祈りの対象としてでない、絶対的存在としての神を否定してきたはずだった。

「いや――因果応報か」

 今や、自身が神になろうとしている。

 絶界寺がひとりごちても、護衛者は一言も発しない。

 木々の揺れる音と、絶界寺を含む四人の靴音だけが響いている。

 森の中にある回廊は冷ややかで、空気が美味いのが分かる。爽やかだ。

 木は高くそびえ、空を遮っている。午前中だが光はわずかしか差し込まない。

 ――最期に、青い空を見たかったな、と絶界寺は思った。



2.名無しの少女の独白


“お前は生まれてくるべきではなかったと、

 生まれてくるべきでなかった者だけが言った。”


 彼だけが、私のことを名前で呼んでくれた。

 その彼が、死んだ。

 まだ信じられない。密葬で送り出すから会うことはできないと言われた。

 最後に顔を見たのは次期当主争奪戦だ。言葉を交わしたのは二回戦にまで遡る。もう、最後にした会話も、そのときどんな顔をしていたのかも思い出せない。

 私は、私の名前のそれぞれを頭文字とした七編の詩を持つ。


“久方の来客 顔を忘れ名前も忘れ 温もりだけがそこにある”

“遠望す 嶺に積もる雪 霧がかり 望むことは許されない”

“坂の上の邸宅 忘れ去られた人形たち 四肢を欠けても 痛みはない”

“言うべきでない名を 見せるべきでない肉体を 覆い隠し目を瞑れ”

“葉が落ちる冷たい季節 命が失われる窓 笑みを殺せ”

“七度叩かれる扉 蝶番が外れる 来客を迎え入れない壊れた家”

“詩うな 喋るな 喉を掻っ切り 望むな 奪うな”


 言葉七詩ことのはななし――彼だけが、その名前を呼んでくれた。

 名前を呼ぶことは存在証明だ。私が、この世界にいてもいいと、そう言ってくれた。救われた気がした。

 数学者アレクサンドル・グロタンディークは「57」を誤って素数だと言った。

 私の名前、「言(5)」と「七(7)」はこれに対応し、グロタンディーク素数――即ち、まがいものであるという、忌み名として付けられた。

 だから私は名乗らなかった。彼以外の誰も私の名を知らなかったし、知っても呼ぶことはなかった。

<どんな思いで付けられたとしても関係ない。俺はその名前、いいと思う。だから――>

 彼の言葉を思い出し、口ずさむ。

「だから、これからその名前にいい思い出を作っていこう」

 そう、言ってくれたのに――

 私はもう、彼と思い出を作っていけない。



3.リューガムトVSブルーム


“最大の絶望は、最大の希望の瞬間に訪れる。

 深い大穴は、人ひとりの重さでは開かない。”


 リューガムト・ゼッカージが操縦する機装兵≪アルテミス≫の右腕が、ガルダ・ルウェイン帝国の量産型機装兵≪サイレン≫のコックピットを捉えた。

 メインカメラの左右にガロドのノーズアートを施したそれは、王立機兵隊隊長、ブルーム・フォン・ウニベルサルの専用機≪サイレン:ブルーム≫だった。

 ブルームは、リューガムトの士官学校時代の同期で、首席で卒業した。二人はよきライバルであり友人でもあったが、リューガムトがガルダ帝国への入隊を拒否し、袂を別ったまま五年が過ぎていた。

 戦場で互いが生き残っていたならば、いつかこの日が来るのではないかと思っていた。しかし、来ないでほしいとも思っていた。

主人マスター、よろしいのですか?>

 インターフェース【リーン・イルミナル】が聞く。

「ああ、始めてくれ」

 リューガムトは、努めて感情を押し殺して言った。情をかける前に、この戦闘を速く終わらせたかった。

 ≪アルテミス≫が≪内烈砲≫を撃ち込めば、≪サイレン≫の内側から“存在核アストラス”ごと破壊され、ブルームも一瞬のうちに消滅する。

 起動準備にかかる直前、無線通信が入った。モニタには敵機装兵からの通信であることを示すコーションマークが浮かんでいた。

「……繋いでくれ」

 通信は、ブルームからだった。

『久しぶりだな、リューガムト』

「命乞いか? 俺が情けをかける人間でないと、一番よく知っているだろう」

 通信を繋いだことが反証になっていることにリューガムト自身気付いている。

『いや。それよりも、最期に教えてほしい。どうしてお前が帝国に付かなかった? お前の腕があれば俺を抜かして隊長になることさえ容易だったはずだ』

「それは買い被りすぎだ。俺はお前ほど賢くはないよ」

『そういうことにしておくよ。――で、何故だ? お前が考えなしに行動する奴だとは思えない』

 ブルームが本体へ通信を繋いでないことも、通信記録を停止していることも分かっていた。しかし、それでもリューガムトは言えなかった。

「……答えられない。一つだけ言えることは――帝国が絶対ではない」

『分かった。お前にも目的があるということだな』ブルームはシートにもたれ、目を閉じた。『よかったよ、大国へのカウンターとして小国に肩入れした、なんて言わなくて』

 リューガムトは無言を貫いた。数瞬の後、無線通信が切れた。

「【リーン】、カウントだ」

<はい、主人。5――、4――、3――>

 カウントと共に、【リーン】が歌い始めた。


<風が吹き 頬を叩く

 繋いだ手が 別れて舞う

 花の香りが 鼻腔を衝く

 思い出をひそめ 目を閉じる>


 接触回線で≪サイレン:ブルーム≫のコックピットにも聴こえているだろう。

 後は、リューガムトが発動を指示すれば、全てが終わる。

 ――だが、リューガムトは沈黙している。

 【リーン】は不審に思うが、決定権を持たない。

 一分が経った。【リーン】が声を上げた。

<主人? リューガムト様……?>

 先ほどまで≪アルテミス≫を操縦し、敵の機兵操手とも会話していた。疾患もなく、搭乗時のバイタルは正常だった。戦闘時に敵の汚染攻撃を受けたわけでもない。

 異常が起こることはあり得なかった。

 【リーン】には異常が理解できなかった。

 ――リューガムト・ゼッカージは、絶命していた。


 【リーン】には――否、この世界の誰にも理解できないことだが、、平行世界のリューガムト・ゼッカージの《転生真体リンカネイト》である絶界寺龍牙夢斗が、絶命した。

 通常であれば、こちらの世界とあちらの世界が交わることは決してない。そもそも三次元的な時間の流れの上で繋がってすらおらず、一致することがない。

 しかし、《転生真体》の死という決定的な楔が外れたことにより、時間と因果を超越して、その一瞬を基点に同期してしまった。

 こちらの世界――青銅暦1608年と、あちらの世界――西暦2020年が繋がった。

 絶界寺龍牙夢斗が再び目を覚ますのは5678億年後である。リューガムト・ゼッカージについても同様だ。

 あちらの世界では絶界寺は≪真核匣アーク≫によって保護され、肉体が朽ち、大地が消え失せてもその魂は保存される。

 しかし、こちらの世界ではそうはいかない。肉体は言うまでもなく、5678億年のうちに精神も消えてなくなる。絶界寺は封印されたことが結果として「死」にしか見えないが、リューガムトの場合、それによって起こる何事もなく、ただ死に至るだけだ。


 【リーン】が呆然と立ち尽くす中、戦闘経験の差か、天性の才能か、ブルームが動いた。

 勝機――これを逃せば死ぬ。情けをかけたわけではないことは分かっていた。汚い手だろうが使うしかない。

「【イデア】、精神侵食だ!」

<あら、いいの? お友達のインターフェースよ?>

「構わない。やれ!」

 妖艶な笑みを浮かべた【イデア】と呼ばれたインターフェースが、≪サイレン:ブルーム≫のコックピットに接触した右腕から、≪アルテミス≫に侵入した。

 リューガムトの死を受け入れられない【リーン】は、防御術式すら展開しない。ダイレクトに精神汚染を受けることとなった。

<ああああああああっ!!>

 脳髄に直接電気信号が送られてくる。全身の血管に廃油を注がれる感覚。

<うああああああああ!!>

 ≪アルテミス≫が制御を失い、倒れる。膝立ちになり、メインカメラが≪サイレン:ブルーム≫の腰に引っ掛かった。フレームでカメラが傷付き、モニタの映像が途切れ、コックピット内は真っ暗になった。

 ギイ、ギイ、ギイ、と≪アルテミス≫の両腕が揺れる。

 衝撃がコックピットに響いた。リューガムトの遺体がシートから投げ出され、肘の関節が逆方向に曲がった。

<まあっ、主人……! ああああああっ!! リューガムト様っ!>

 刹那、意識が途切れた。

 【リーン】はインターフェースとしての機能を失った――リーンになった。

 機装兵を操れない、機兵操手もいない、ただ脳だけの存在となった、

<ねえ、もう寝ちゃったの? つまらないでしょ。目を覚ましなさいよ!!>

 肉体の奥深くに衝撃。内臓を直接握られ、潰されたような痛み。

「――――!!」

 枯れ果てて、もはや声も出ない。

<鳴けよ! 喚けよ! ねえ、面白くないじゃない!!>

 【イデア】の顔が目の前――否、すでに視界ユニットとの接続が剥がれている。脳内に現れた、と言うべきだろう。

 【イデア】がリーンの顎を掴み、睨んだ。

<もう壊れたの? 私はまだ満足できてないのに? あなたに勝手に眠る権利があるの?>

 電流。脳が焼かれる。感情を持ちことすら許されない苦痛だけがそこにあった。

 【イデア】がまた何かを言っている。もはや聞き取ることすら叶わない。

 高笑いだけが聞こえる。反射で、相手を喜ばせる動作をしたのだろう、とリーンは思った。

 断片的に、リューガムトとの記憶が蘇る。凍結されたはずの、人間だったころの記憶も片手で数えるほどだけだが思い出される。

 もう感覚がない。責め苦を受け続けていることだけを認識している。

 意識を失うことが許されない。

 リーンは思った。

(どうしてなんですか、リューガムト様――)



5.三千世界家護衛任務


“元凶に辿り着くころには、元凶はなくなっている。

 恨む者のいない余生を恨みながら過ごすしかない。”


 三千世界別世界は、絶界寺龍牙夢斗の訃報を聞いて、あの日のことを思い出していた。

 絶界寺家の嫡男は、15歳になると三千世界家の護衛を命じられる。その際、二人だけ付き添いを選ぶことができる。

 三千世界別世界の護衛に当たり絶界寺龍牙夢斗が選んだのは、学友の王冠堂烏帽子と七界の金剛界瑠璃瑪瑙だった。

 護衛とは名ばかりで、絶界寺家が三千世界家に力を示すための界内政治の場でもある。刺客が現れるまで泊まり込み、実力を見せる手はずとなっている。

 一日目の深夜、刺客が現れた。《破界連合》第8将、神奈しんな煙々羅えんえんらだ。

 正直、《破界連合》の将の到来は三千世界家の予期するところではなかった。敵があまりに強すぎる。

 別天地の許しは下りていないが、手助けするつもりでいた。

 しかし、敵の目的は自身ではなく絶界寺にあった。目論見に気付いたときには遅かった――絶界寺が攫われていた。

 王冠堂に胸ぐらを掴まれた感触と金剛界のすすり泣く声を今でも鮮明に思い出せる。

 神奈家は、七界が誕生する前、神奈界しんなかいという家名を持っていた。その名が示すとおり、神への信仰を探求しており、深層と無意識、真理のためならどんな非道な実験も行った。

 七界から追放させたのは、絶界寺家の提案だった。“断絶機構バスター・マシン”の製造のためには、神奈界家は邪魔だったのだ。

 数ヶ月後、絶界寺は解放された。はた目には何も変わりはない。本人も、その数ヶ月の記憶を失っている以外、何の異常も感じられなかった。

 ただ――別世界は、煙々羅に細工を施されたことを疑っていた。

 確証が持てないでいた。騒ぎ立てて何もなければ、むしろ絶界寺の七界での立場を崩すことにも繋がる。解除術式を引き出すことなく、煙々羅は三千世界守護院の手によって殺された。

 もしも何らかの呪詛を仕込まれていたのだとすれば、それを解除する手段はない。

 死に至る今となっては関係のないことではあるが、――もしも、その呪いこそが死の原因となっていたのならば。

 絶界寺が龍牙夢斗を殺したのは自分だと、そう責める気持ちを消すことはできなかった。



7.編集者の作法


“待ち人が来ないのはあなたにしか原因がない。”


「もう……絶界寺先生遅いな」

 おとこだぞはフェアリルだ。

 妖精フェアリー人狼フェンリルの混血――とはいえ、人間は魔力を持たないため、だぞにフェンリルの血が混じっていることを知ることはない。

 身長約30センチメートルで、手のひらサイズのランドセルでも作ってやれば似合いそうな見た目――10歳前後の容姿をしているが、年齢は200歳だ。

 人間界でいえば第一次世界大戦のころに生まれている。――ただしそのころ異界門は開かれておらず、妖精界はその存在を知られていなかったが。

 打ち合わせの時間からも30分は経っている。資料を確認し、『絶界寺龍牙夢斗の冒険』1巻を1章まで読み終えてしまった。

 メッセージを送ったが返事はきていない。

 だぞは礼儀として、担当する作家が来るまで飲み物に手は付けないようにしている。

 人入りがまばらな喫茶店で、氷が融ける音が店内に響く。

 店にも失礼だ。あと5分待って来なければ、先に飲んでしまおう、と思った。

 ――結局その日、絶界寺が現れることはなかった。



拾壱、絶界寺龍牙夢斗五十人斬りのこと


“ライトノベルより剣豪小説向きなんだよな。”


 さて、荒れ地を歩くこの者こそ、初代絶界寺龍牙夢斗。

 とはいえこの男、現代日本にて東京都内及び京都洛中に居を構える絶界寺家とは関係がない。

 剣術に没頭して親父殿から勘当され、姓はなく、新たに名乗るは剣十郎けんじゅろう

 剣十郎の前には武士の大群。来る戦のため土佐から呼ばれたもののふたちだ。

「あんたら、邪魔だな。退いてくれねえか」

 不敵にも剣十郎、笑みを浮かべながら云う。

 わっぱであっても己が引くべきだと道理の分かるものだというのに、不遜にも居座ろうとしている。

 武士の間に音の波紋が広がっていく。さざ波はやがてしんがりの武将へと届く。

 軍勢率いる将の名は金剛界こんごうかい金剛杵こんごうしょ

 こちらは剣十郎と違い、現代日本の四国に本家を置く金剛界家の、歴とした祖先である。

「不敬である。かかれ、者共!」

 金剛杵が吼えるや、三千の軍勢が応えた。大山を動かさんとすその雄叫び、さしもの剣十郎もたじろがざるを得ぬ。

 似合わぬ冷や汗拭いて、やはり笑みを浮かべた剣十郎。勘当されるほどに磨いた剣術を、ようやっと披露するときが訪れた、その感動に興奮している。

「剣十流――“荒波”!」

 奇妙な歩法であった。左右に三、四歩ずつ飛び跳ね、一歩前進する。再度、何歩か左右に揺れ、また一歩進んでゆく。――やがて、剣十郎と軍勢が鉢合わせた。

 横に十人並ぶ陣形を取る金剛界軍。しかしそれこそ命取り。剣十郎が跳ねるに合わせ、横一列の侍たちが倒れていく。

 “荒波”とは名のごとく、己が体を波に見立て、陣形を崩す技。金剛界軍は文字どおり、波に呑まれた形となった。

「ええい、退け! 後退して立て直せ!!」金剛杵は命じながら先頭へ躍り出る。剣十郎を難敵と認め、自身で刀を振るうべきと考えた。「御大将自ら貴様の首級を獲ってやると云ったのだ! 感謝せよ、小僧!!」

 金剛杵を名乗るこの男、その昔は瑠璃男ルリヲの名で暮らしていた。ある日、かの織田信長公が舶来品の貿易の末に手にしたという印度国の秘宝である金剛杵を譲り受けたことから、名をそのもの金剛杵に改めた。

 この金剛杵、持ち主の気によって大小さまざまの形に変化する代物。普段は拳ほどの大きさとしているが、戦備えのため今は槍の大きさとなっている。摩訶不思議なのは形状の変化だけではない。

「避けい! 放つぞ――雷霆!!」

 印度国の名ある神の力が宿るとのことで、金剛杵から雷撃が放たれる仕組みとなっている。

 中央の刃から剣十郎目がけて雷が放出さる。されど、雷の通り道に自軍の武士が幾人も――雷は構わず進んでゆく。

「おおっと、使い慣れておらぬ故殺してしもうた、御免!」

 薙ぎ倒される敵兵を見て、剣十郎、何ぞ起きたことを感知し、光速の雷撃を躱してみせる。

「おう大将、あんた、味方を殺すのが趣味なのかい?」

 剣十郎がそう啖呵を切ると、崖の上より何やら人影が降ってくる。

 羽織りをはためかせ一回転、紙のようにふわりと、危なげなく着地する。金剛界軍、感嘆の声漏らしたり。

 さては現れ出たる義経公。

「さしたる用もなかりせば」

 そう云うと義経公、地平の彼方へ走り去っていった。

 毒気を抜かれたかのように立ち尽くす剣十郎と三千人の侍。

「何を臆す、奴の妖術ぞ!」

 金剛杵の鶴の一声で我に返り、軍勢、剣十郎に襲い掛かる。

 ――剣十郎、右の鞘よりもう一本、獲物を抜刀す。左右の刀を逆手に持ち、胸の前で一文字に結ぶ。

 敵より早く、脱兎のごとく駆け、軍勢とすれ違う刹那、両の腕を右に回転させ、右の剣を左方へ、左の剣を右方へ遣り、小さく、呟いた。

「剣十流――“一閃”」

 歩く速度を落とした剣十郎。捉えたり、そう思いすれ違った武士たちが振り向くと――。腰より下は地面から動かず、胴より上だけが剣十郎を向き直り、その衝撃で地面に落ちた。

「…………!!」

 金剛杵、声も出ない。

 五十の数を減らした軍勢が、戦意を失い道を開ける。

 剣十郎は散歩でもするかのように金剛杵に近付いた。

「なあ、大将よ。俺を雇ってみねえか。今しがた切り伏せた何十人よりかは力になれると思うがね」

 ――此度の戦で名を上げ、その一年後、剣十郎は絶界寺龍牙夢斗を名乗り始めることとなる。



13.悲喜こもごも(キス・アンド・クライ)


“求めることは失うということ。

 明かすことは翳らせるということ。”


 金剛界瑠璃瑪瑙は、絶界寺龍牙夢斗が死んだことを認められなかった。

「遺体を見せろって言ってんのよ! 一目見たら帰るって言ってるでしょ!」

 瑠璃瑪瑙は護衛者に詰め寄る。カツ、カツ、と鋼鉄の義足が石畳を叩く。

「それもできません。先ほども申し上げましたが、何人の接触も禁じられています。絶界寺龍牙夢斗様の遺体に触れることができるのは御屋形様と≪選別者ノア≫だけです」

「意味分かんないのよ! 何で会えないの? あいつが自分から死ぬことを選ぶわけないでしょ!?」

「全て絶界寺龍牙夢斗様がご自身で決められたことです」

 そんなわけないだろ、という言葉が喉まで出かかる。

「あー、もう!」

 口より先に、足が出た。

 右足を上げ、護衛者の鎖骨目がけて振り下ろす。

「アラベスク――!」

 義足が地面に衝突し、石畳にひびが入る。

 護衛者は左の鎖骨が砕け、左胸から血を吹き出して倒れた。

「この先にあるんでしょ、龍牙夢斗が入った匣ってのが」

 瑠璃瑪瑙は回廊を踊るかのように進んでいく。額に汗が浮かぶ。

「もう、木陰だってのに暑いわね!」

 汗を拭いながらも走っていると、壁にぶつかった。

 何も見えない――透明の壁だ。

「止まれよ、瑠璃瑪瑙」

「誰よ、気安く私の名前――」

 目の前に――見えない壁の向こう側にいたのは本家序列6位の男だった。

「気安く名前を、何だって? 僕には君の名前を呼ぶ権利があるよね」

「っ……!」

 何も言い返せず、壁を殴る。怒りに任せて何度も殴る。右の拳の皮が剥ける。

「おいおい、やめろって。物理攻撃では壊せないよ」人を小馬鹿にしたようなにやけ面で言う。「僕はお前の知りたいことを教えてやるためにここにいるんだぜ」

「何を――」

「さすがのお前でも、四方界と裏七界がセフィロトの生命樹に、三離界が地獄、辺獄、煉獄に対応してるって話くらい知ってるよな」

 無言で頷く。

「おかしいとは思わなかったか? 何で四方界と三離界じゃなく、わざわざ存在の秘匿された裏七界を持ち出すと思う」

「その話と龍牙夢斗に何の関係があるのよ」

「まあまあ、話は最後まで聞けって。ピイピイうるせえな。だからよ――本当は、

「何が言いたいの」

 我慢できなくなり、石畳を義足で叩く。こちらは壁と違い、すぐに崩れていく。

「七界のそれぞれの家は、七つの大罪に対応してるんだよ。例えば蒼貴界家は『傲慢』、金剛界家は『嫉妬』――というふうにな。そして絶界寺家は『淫蕩』」

「それがどうしたのよ」

「七つの大罪とは本来、八つの想念と呼ばれていた。『虚栄心』が削られて七つの大罪と呼ばれるようになったんだ。虚栄心――自惚れがあるから傲慢があり、憤怒があり、嫉妬があるってことでな。つまり、七つの罪の全てが『虚栄心』一つに収められているということだ」

 本家序列6位の男は壁を解いて、瑠璃瑪瑙に近付いた。肩に手を置き、話を続ける。

「七界が生まれる前、『虚栄心』を司っていたのが絶界寺家なんだよ。要するにさ、絶界寺龍牙夢斗がここで死ぬってのは、七界が設立する前から決まってた運命ってわけ――あがッ!!」

 言い終わる前に、瑠璃瑪瑙が動いた。一歩距離を取り、本家序列6位の男の口元を狙って後ろ回し蹴りを入れる。「アチチュード!」

 気絶した本家序列6位の男の頭の上に足を置く。追撃して頭蓋を割ってやろうかと思うが、冷静になり、やめた。

 急ぐことなく回廊を進む。

 ≪宮殻核≫に着けば何かできるだろう――そう思って。

 瑠璃瑪瑙は祈りながら歩く。



XXXX.

 ともかく。この学校には隙間が多い。生徒数が少なくなったのなら教員数も削減されるのは道理で、それに比べて広いままの敷地に、ほとんど使用されていないが文化財級に古いのでおいそれと取り壊すわけにもいかない旧校舎やら講堂やら格技棟やらわけのわからない建物がぼこぼこと建っているために、人の目の行き届かない場所——つまり隙間が多い。それはある種の若者にとって都合がいいはずで、じっさい何か良からぬことに使っている生徒もいるんだろうが、幸か不幸か俺はその手の連中とは今のところ付き合いがない。とはいえ、風通しがいいのは人畜無害な俺のような一般生徒にも悪いことじゃない。購買の焼きそばパンは人熱れのする狭い教室よりカラカラに乾いた屋上で食うほうが旨いに決まっている。誰かにもらった青い春に熨斗をつけて返上した人間にとっては、隙間のストックは多ければ多いほうがいいのだ。



a.

 賢明なる読者諸君はお気付きであろうか。

 これまでの章題は全て素数となっている。素数は自身以外の数と関わりを持つことができない孤独な数だ。

 つまり、彼らは自分自身の受け持つ章以外への移動が許されていない。

 それどころか、絶界寺がいる章は0――存在していない。0で割ることはできない。何人たりとも介入することができないというわけだ。

 これより絶界寺龍牙夢斗は5678億年の眠りにつく。再度目覚めた彼は、もはや人知を超えた存在となっているであろう。彼自身、自分が絶界寺龍牙夢斗であったことを思い出せないだろう。

 ノアは方舟を作り、生命を洪水から救った。

 アルジュナは荒れ狂うインドラの雷の力を従わせ、モヘンジョダロを焼くに終わった。

 孫悟空は贔風を自らの肉体で受け止め、塵となるはずだった人類を守った。

 絶界寺龍牙夢斗は、地球の全てを焼き尽くす炎に立ち向かうため、自らを神格化しようとしている。

 56億7千万年後に救世する弥勒菩薩よりもさらに5600億年も後に、地球も生命もいないかもしれないこの宇宙のために、絶界寺は自死を選んだ。

 ――絶界寺龍牙夢斗は死んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絶界寺龍牙夢斗の落選 絶界寺龍牙夢斗 @Liugumt_Zekhard

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ