4-4



「ぜんぶ……たきくんがわるいっ」


「先に言えよ」


「言ったら意味ないでしょー」


夏川なつかわ曰く、あーんとは、成功しない事こそ様式美。らしい。


寸前でひょいっと躱し、ぱくっとする、あれだ。コイツは、あれがやりたかったのだそうだ。それが特訓だったのだそうだ。どこのどいつの入れ知恵なのかは、もはや言うまでもない。


要は、ありがちなシチュエーションや、色香への耐性を身に付けること。というのがここでの趣旨だったようで、タイミングよく片側のみとなったソファは、都合にマッチしていたというわけだ。けれどそれは、あくまで偶然の産物。いざ座ってみれば、当の夏川さえも距離の近さに思いのほか気が動転。


「――あえて食べれないように大きく切ったケーキも一口で食べちゃうし」


策士は策に溺れ困り眉。まくし立てられる言葉が弱々しくしぼんでいく。


「どうなるかくらい……いろいろ考えなかったのかな? 想像を超える生徒の大胆さに、先生はもうたじたじだよ」


抽象的な文句をぶらさげ、俺の口から引っこ抜いたフォークとにらめっこし、処理に迷ったそれをとりあえず遠くへ安置。赤く耳を染めたまま、新たなカトラリーで残りのパンケーキつつく。


こちらとて、有無を言わさぬプレッシャーに成す術が無く、もろもろ押し殺して仕方なく頬張ったはずなのに、食い違いもいいとこである。


呆れて頭を抱える隙に、量を減らすふわしゅわ食感がやっと気分を落ち着けたのか、しばし細長くうなり、夏川は再び語りだす。


「予定にないものまで挟んでみたものの……だいぶ時間余っちゃったね?」


「……悪かったよ。じゃ、もっかい服でもみにいくか?」


「だいじょうぶ。荷物になるし」


「そ、そうか……。そうだな。じゃあ後は――」


彼女の手元で拡大されている手書きプランには、製作元のバカを感じさせない見やすさと同等に、ある意外な点が存在した。


朝集まり、買い物がてら昼を食べ、適当に遊びおやつ。そして暗くなる前に解散。


昨夜からうつうつと眺めていたタイムテーブルは、いざ実践してみると薄味で、自称華の女子高生が画策したにしては、やけに控えめ。いや、堅実とか健全と呼ぶべきかもしれない。


アイツの発想にしては、当たり障りがなさすぎるのだ。インパクトがないというか、特有の規格外な感じがしないというか、もっと別ベクトルにぶっ飛んでいてもおかしくはないはず。


「もしもーし、聞いてた? はなし」


「え、いや――わりい。けど、荷物増やしたくないなら、もう帰るだけだろ?」


「それはそうなんだけどさー……あっ、ちなみに今のセリフは減点ね。明日は絶対言っちゃだめなやつ」


本当に制約の多いことで。実際のカップルはそんな雁字搦がんじがらめなものなのか?


「ん~、でもやっぱりなんか、物足りなさない?」


そりゃあ、厳しい補習がなければラーメン啜る元気くらいあったんだろうがな。

いい意味でも悪い意味でも、お陰様で疲労困――


「わ!」


逡巡を切り裂いた小うるさいバイブレーションは、ふけっていた俺だけでなく、

ついでに夏川まで心底驚かし、綺麗に纏めて意識を攫う。


ディスプレイに浮かぶ名前は、emi。


わたわたと狼狽えながら震えるスマホを支え、丸くなった瞳で、なんの話だろ? と、こちらを一瞥。そのまま口元の微かなクリームをペロッと舐めとり、白くか細い指で画面を耳元へ。しばらく続く相槌から鑑みるに、どうやら主導権を握ったのは電波の向こう。内容は翌日の事だろうか。


……なんか、こう、省かれてる感あるな俺。当事者なのに。


長期戦の気配にコーヒーを含むも、のんきに舌鼓など打たせてくれる二人ではない。


「え、明日までなの? かぶ」


まてまてまて、なんの話してんだコイツら。


「いま? もってないもってない。パンケーキ食べてたー」


持ち歩けるのか!? 株って。


「うん。さすがに一人じゃないけど……」


相変わらず丁寧な目配せだな――って、ここで俺に託すのか!?


別に隠す必要などなく、素直に練習中だと言った方がなにかとスムーズだったはず。

しかし、否定の出来ない気恥ずかしさが、勝手にバツ印を作らせるのである。


「絶対ややこしいことになるから黙っとけ」


しーっとお決まりのポーズをおまけで添え、本心を隠した体の良いでまかせを呟く。

数拍。中継を担う彼女のぎこちない間に、背筋がぞくり。


「――そ。おかーさんと!」


おお、なんだよビビらせやがって。

あー、いやいや信じてた。信じてたぞ――なつ、か……わ?


パッと向けられた曇りのない笑顔に潜む死兆星。


俺にはわかる。直感も経験則も叫んでいる。


「うん、いいよー。はいはーい、じゃ、また夜にね」


デートの練習は、まだ終わらないと。


「ねね、滝くん。延長戦、いってみようか!」



―― ―― ――



天候に気分が左右されないというのは、それだけで美徳である。


「んー、雨の匂いがするねー」


お世辞にも澄んでるとは言い難い淀んだ空気を、まるで大好物のように吸い込み、吐き出す。厚く重みを増した雲が光を遮り、映る景色を塗り替えていく中、夏川の周りが鮮やかに感じるのは何故だろう。


「ほら、滝くん。路面電車! いやー趣がありますねえ。実はこっち側、来たかったんだ―」


それはたぶん、俺も若干機嫌が良いからだ。


パンケーキの店を出るや否や、散歩と称しコンクリートジャングルを歩かされ続けてしばらく。フォトジェニックな猫だらけの公園も、速足の老若男女でごった返す駅前も、今や遥か遠方へと過ぎ去った。


少し外れれば、けっこう落ち着くもんだな。


外観の美しいスーパー、小学校を超えた先には、昔ながらの商店街。

安全な暮らしを思わせる生活感に、騒然と入り混じっていた雑音は数を減らす。


いい感じ静かだ。けど……こういう場所でこそ犯罪がおこったりしてな。角から怖いあんちゃんがでてきたり、ギャングが根城にするバーがあったり、やはり大都会はすべからく非日常であるべきなのだ!


危険、事件、冒険。ロマン膨らむ理想は、現実に対し、儚く脆い。


えみちゃんさ、イケイケって感じでしょ? でもねでもね、実は意外なことが趣味なの。はてさて、それはなんでしょー」


ちょっとした空気を読まない一言で、いともたやすく塵と化してしまう。


「意外……意外ねぇ……。釣り、とか?」


ため息交じりは、せめてもの抵抗である。


「おしい!」


軽快な指パッチン。は、鳴らない。


「釣りできる」 


寸前の不器用を無かったものとし、わかりやすいアクセントを乗せて回答を誘う。


「も? も、か。」 


釣りがメインじゃ、ない。普通、釣ったら……どうする?

食べる、か、放す……どこで? 河原? あ、キャン――


「街も造れる」


「街?」


「街というか、森かな? どうぶつも可愛くて、あ、もちろん猫もいます!」


頭隠して尻隠さず。かくれんぼとかしたら、どうせコイツはどんくさいだろうな。

なんて想像を巡らせられるほどの長い絶句から、なんとか咳払いで立ち直る。


「お前……もっと出題の仕方とか、ヒントの出し方とかあったろ」


初めから分の悪い問題で、イメージしたキャンプやグランピングとかとも違っていたわけだが、これではあまりに不完全燃焼。当てたとて、達成感など有りはしない。


「いや、滝くんはこういうのやらないか。じゃあ大ヒントは、最初の作戦で私――」


「ゲ、エ、ム! とかするんだな、アイツ」


ちなみにそれだけじゃないんだよ? なんとあのアイフレもやってるらしいのです! ゲーマーだよゲーマー!」


憎たらしく正解をねじ込み黙らせに掛かるも、夏川は屈するどころか、新たに余計な情報を追加。


アイフレ? ゲーマー?


突き出された画面を埋める二次元美少年は、どことなく見覚えがあり、隅に書かれた煌びやかなタイトルロゴは、SNSの広告で稀に目撃する。


最初の作戦――あぁ、あのイケメン育てるやつか。アイツこういうのもやるんだな。じゃ、今度他にどんなゲームやるのか聞いてみるかぁ――なんて繋がるわけがない。


ネットニュースに上がるコンシューマー作品からソシャゲまで。如何に幅広な守備範囲を誇ろうとも、安易に女性ゲーマーへ近寄るのは危険。そもそもちゃんとゲームをする女子なんて、ツベとTwitterにしか生息しない空想上の生き物。仮にコンタクトに成功したとしても、概ねはライトユーザーで、早々に飽きていく。もちろん全てが悪でその限りとは言わないが、意気揚々と話しかけたゲーマーが痛い目をみる話など、ネット漁ればごまんと転がっている。つまり、鵜呑みにするのは愚の骨頂なのだ。


というか、コイツ……あの時のゲームまだやって――


「あっ、日課やらないと!」


どっぷり浸かってんじゃねえか!


携帯アプリの中毒性は合法ドラッグさながら。

習慣として結び付きつつあるこの反応は、もう手遅れかもしれない。


「そういうのは、起きた時か寝る時にベッド中で済ませるといいって。なんかでみた気がするな」


「ほへー。時間限定のヤツはどうするの?」


「しらん。なんでもいいけど、歩きスマホとかすんなよ? 慣れ親しんだ地元とか、無人でだったぴろい道ならともかく――」


ぺちゃくちゃ喋りながらであろうと、散々指摘されたエスコートのポジション取りは既にお手のもの。そう高を括っていたが、肩の荷を下ろし、自由に羽を伸ばす夏川を隣へ置いておくには少々役者不足。


「歩てなければいいの?」


いたずらな屁理屈でちょこちょこ先を駆けて行き、振り返って微笑む。大手を振ってこちらを急かすなんてことはせず、あくまで清楚に。レトロな街並みをバックに大人しく待つ。その姿がまた、なんとなく絵になる。


――デイリーミッションさえこなしてなければ。


「没収」


軽く手を挙げるだけで奪取不可能になるあたり、力の差は歴然。しかし情けは無用。

目には目を歯には歯を。俺のスマホを封印指定にしたのはコイツなのだ。


「ああ~、フラグがたたなくなっちゃう」


まぬけな声に負けそうになりながら、電源を切って渡した時、夏川の瞳からはハイライトが消えていた。暗くなったディスプレイを眺めたまま、攻略対象であろう男への別れを呟き、彼への思いを振り切るように、スマホをポケットへ収納。非常に居たたまれない気分になった。


「でもさ、休みを満喫するって、楽しいね!」


二次元彼氏の通夜帰りにしては、あまりにあっけらかんとした様子でにこり。


「……いつも満喫してないような口ぶりはよせ。というか用がないなら――」


「だーめ。隙あらば帰ろうとしないの! 今この瞬間も先生はチェック中だよ?」


咲には細かな貸しがある。が、それに関しては清算の目途があるのでヨシとしよう。対して、夏川に握られている弱みは、何故か日に日に増えている気がする。


友達というのはもっとこう、フラットにあるべきだと思うのだが。利用し利用され、みたいなのは胃もたれするぞ。


自分を棚に上げた無言の圧力は一切効き目を見せず、妙に鼻の利いた気遣いを生む。


「もしかして、具合悪い? 疲れた?」


「……だいじょーぶだ」


「ほんと?」


咲ならどう考えるか、どう動くかを計算しながら俺を鍛えるマルチタスクは、いかに夏川と言えどそれなりに堪えたらしい。故に、延長戦の目的は、本日学んだあれこれの復習。中でも、臨機応変な気配りに目を光らせているのだそうだ。


いやだったらお前が心配してどうするよ。って――あぁ、はいはい、なるほど。


「いや、やっぱりひと休みするか」


自分がトイレに行きたい時など、言い出し辛い時は相手を心配する体で話題を振る。

おそらくこれはその応用。俺を心配する体で、自分の疲労を訴えているのだろう。


「あの辺りなら……ゆっくりできる、だろ」


そこまで休憩したいのであればやぶさかではないと、適当に視線を移す。


「うん!」


満足げに先を歩く影を追うこちらの脚は、着実に重くなってきていた。



―― ―― ――



けやき彩る参道に吹く風は、石畳の先を境に姿を変える。生ぬるさは目に見えぬ神聖な壁にされ、少し冷たく心地よい。茂る緑に点在する赤。夜叉神の娘を祀る静謐せいひつな空気が、境内を包み歴史を促す。


「お、お邪魔します」


「そんな気合いれんでも――」


別に神社くらいどこにでもあるだろ、と思わず口走りそうになり、呑み込む。田舎の常識は非常識。そう弄られている者をクラスで見たことがあるのだ。ここは黙っておくのが賢い選択ではなかろうか。


鳥居を、イチョウを眺め、物珍しく声を上げる夏川は今日一楽しそうに見える。


「好きなのか? こういうとこ」


「うん! 詳しくはないんだけどね」


予想通りの返答をくれる夏川の雰囲気を和洋で分けるとするならば、間違いなく和。

散歩参拝が趣味なんて年齢を疑いたくなるが、まぁ様になってるのでいいだろう。


「ねね、私ちょっと見てきてい?」


隠しきれない高鳴りが、表情や動きの細かい箇所へ滲み、こちらの合図を待つ。

了承なんて得ず好き勝手してかまわないのだが、言い換えが大事なのも本日の学び。


「いってら。ほどほどにな」


適当に手を翻す。


おごそかな雰囲気に気圧される事無く、時々こちらを伺いながら、行ったり来たり。

公園で子供を遊ばせる保護者は、こんな気分なのかもしれない。


いや、どちらかと言えば犬の方が近いか? 飼ったことないけど。


「あそこの駄菓子屋は日本で一番古いんだって! あ、でも先にお参りする?」


さすがに俺を放置し過ぎたと感じたのか、仕入れたての知識を片手に返ってきた。


たいした食事をしたわけでもないのに、不思議と空腹はない。であるなら、駄菓子は

ここらをぶらぶらしてからでいいだろうと、鞄、ポケット、順番に財布を探す。


五円とかあったっけな。


立て看板から得たであろう蘊蓄うんちくを流し聞し、導かれるままお堂の階段を登る。そして……首を傾げた。賽銭箱がないのだ。一応、床と一体化したそれっぽい隙間はあるが、無作法をするのもいかがなものか。田舎に寺社が多いからと言って、参拝マナーが完璧かと言われればそんな訳もなく、逆に無知の部類かもしれない。


これ、どこにどう落とすんだ?


そう俺が視線を送るのと同時、既にお手本を見せてくれている夏川はエスパーか?


「さっきやってた人はね、こうやってたよ」


「変わってんな」


手前に設置された策に触れぬよう、ぎりぎりまで下へ手を伸ばし、得意げに小銭を落すのを確認し、だいたい同じ場所に向け普通に小銭を投げた。


「二礼二拍ちゅ一礼……ね」


ぴたりとしたり顔が固まり赤くなるのを無視し、二礼二拍手一礼。コイツにウザ絡みされませんようにと、しっかり心で三回唱え、階段を下り――れない。


「ぜったいてきとーなお願いしたでしょ! やり直し!」


ぎゅっとショルダーバッグを掴まれ、うるうるとした視線でリトライを命じられた。


いや、願い事っていってもなぁ……。現実味がないと効果も感じられなさそうだし、そもそもコイツに友達ができないことには、何を願っても俺に平穏なんて訪れないわけで、そんな所帯じみた注文を神や仏がどうにかしてくれるとも思えんのだが――


せっかくの機会だ。やってみるか。


夏川が日向と仲良くなれますよーに。


あからさまな棒読みで天に託し、隣へ視線を滑らせると、瞬間、目を奪われた。


赤みの残る頬や湿った長いまつ毛、整った横顔すら霞ませる、深い祈りに。まるで、本当にどうにもできない事を願うようであり、適当に済ませてしまった自分が恥ずかしくなるほどの真剣な表情に、何故か見惚れてしまう。彼女の瞼が動く気配にハッと我に返れたのは奇跡だ。悟られたくない一心で、俺は慌てて先に階段を下りる。


「滝くん!」


呼び止められてより焦った。こっそり盗み見た後ろめたさがあったのだろうか。

脚は止まらず、適当な木陰へ。背後にはその差を埋める軽快な足音が響く。


「まってまって、どうしたの?」


こちらの台詞でもあった。さっきのお前もどうしただし、俺もどうしただ。


「べ、別に。何でもないぞ」


夏川が鋭いことさえ失念して平静を装うも、案の定ばれる。


「先生がやさしいうちに白状する方が、身のためだよ?」


冗談めかして揶揄からかう彼女が普段通りで、なおさら振り返りづらい。


落ち着け、分析するのだ。何に心を乱す。とりあえず、とりあえず不格好でもいい。純粋に気になったことで場を繋ごう。不自然な間が、躊躇ためらいが、可能性を摘むのである。


「いや、お前はなに祈ったんだろうなっ……て――え?」


空笑いを巧みに織り交ぜ、小声に振り返ったが最後。


「これ、滝くんのでしょ? 落としたよ」


彼女の手中に収まる可愛らしいマリンカラーの包装と、俺の視界の隅で大きく口を開けるショルダーバッグの激しい主張。


「あ、もしかしてこれ、私に? サプライズとかだった?」


呼び止められた理由はこちらの思っていたものとは違ったが、赤っ恥という意味では大差なく、すっかり忘れていた小さなプレゼントは、俺の思考を完全に破壊した。

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