3-5

静寂の中、校舎周りを駆ける運動部の声出しが、愕然とする俺の意識を呼び覚ました。


――ふ、双子? こいつと、あいつが?


しんとさせる予定などなかったのか、真っ赤な顔で取り繕うように腕をくねくねさせ謎のポージングを決めるえみと、善良な男子高校生の第二ボタンをはち切り、寸前で凄む日向ひなた。最新の視覚情報を基に、二人の影を丁寧に重ね合わせる。


くっきりとした目鼻立ちに、守ってあげたくなるような小柄で華奢な体躯たいく

化粧や服装から生まれる誤差をなんとか脳内で微調整し、トライ&エラー繰り返す。


その工程を三度のまばたきの内にやってのけるのだから、人というのは恐ろしい。


いやこの場合、自分の努力も褒めるべきだろう。

それなりに勉強してきた甲斐あって、記憶力には自信がある。

印象深いものであれば、そう簡単に忘れはしない。つまり、日々のたまものなのだ。


交差させた腕の隙間から、引きつった表情でこちらを覗く咲を他所に、鑑識は終了。結果を心で呟く。


「確かに似てるな――」


俺は気付いた。授業中考え事をしながらノートを取れない男に、高度な脳内演算を熟しながら心で呟くことなんてできるわけない、と。更に車が急に止まれないように、俺の口も急には止まれないのだ。


「――髪型と胸の大きさ以外」


思考にリソースを割き切った今の状態で、咲の投げた渾身の学生鞄を凌ぐことができたのは、条件反射の起こした奇跡。その後、数秒遅れのラグを乗り越え、言葉は音になる。


「危ねぇだろうがっ――」


文句を言い終わる寸前に、突如体を包む謎の浮遊感。


あれ? こけた……のか?


天を仰ぐ最中、がっ、がっ、がっ、と多角からバラエティー番組みたく、複数のカメラが俺のすっころぶ様を録画してくれていたなら、まだ救われたなぁ。なんてことを思う余裕があるのだから、人というのは恐ろしい。


コマ送りで流転する景色の終わり。


俺の椅子を小突いたであろう、犯人夏川なつかわの白すぎる脚と、ふわっと捲れたスカートの中身。想像の斜め上を行く惨事に青ざめた表情。順番に目撃したそれらは、後頭部で炸裂した衝撃によって、意識ごと遥か彼方へ飛んで行った。



――― ――― ―――



――古い紙の香りを運ぶ冷風。


どこかかび臭い、郷愁感を煽るそれが嫌いじゃなかった。


両親が共働きな事は、今日日特段珍しいことではなく、よくあること。


カギをお守りに入れて首から釣る下げるのも、周りに思われているほど悪くない。


ただ、たまたま同じ境遇の子供がいなかっただけ。


別にネグレクトを受けていた訳ではない。両親は仕事が忙しく、大事だったのだ。


そう、息子の誕生日よりも。


俺は独りで過ごした9歳の誕生日を、忘れることは無いだろう。


小学校の授業を終え、駆け足で家に帰り、早く帰ってくると約束した両親を驚かせてやりたくて、玄関から続く廊下の影に身を潜めた。


誕生日ケーキを携えた母の帰りを、プレゼントを携えた父の帰りを待っていたのだ。


だが目が覚めた時、俺は暗い自室でベッドの上。


慌てて飛び起き両親の姿を探したが、あったのは誕生日ケーキと、流行りのゲームソフト。その二つと一緒に、小さなメモ書きがテーブルに残されていた。


ごめんね、明日は早く帰ってくるから。


そこから俺のプチ反抗期が始まることになる。


遅くまで図書室に居座ったり、学校で喧嘩をしてみたり、用意してもらった夕ご飯を残したり。


迷惑を掛ければ構って貰えると勘違いし、好き放題。

それは多岐に渡り、少しづつ趣旨がすり替わっていく。


今日は誰に何をしてやろう。


そう画策する朝の会の待機時間。

腹痛に負け引き籠るトイレの個室にまで、朗報は届いた。


都会からの転校生。


田舎の小さな小学校では、その肩書だけで人気者。非の打ち所のない容姿と、明るい性格も相まって、休み時間にできる人だかり。


当日から格好の獲物と見定め、下校時間に後をつけた。


砂利道を超え、あぜ道を超え、行き着いたのは茂みと衝立に囲われた大きな平屋。


「ずいぶんぼろい家だな」


今後入りびたるとも思わず、ずいぶんな失礼である。


難しい漢字の表札は当然読めない。朝の会にも参加できていない。


初対面と呼べる目標が玄関に姿を消すのを確認し、広い中庭に忍び込んだ。


――そうして、俺はじいちゃんに捕まった。


「はなせっ!」


強く握られた手を無理やり引き戻した時、勢い余って自分の胸を強打。衝撃でたまらず咳き込むと、パッと開けた視界に飛び込んでくる、靄のかかった量産型の天井に、

肘から下、膝から下と、むき出しになった皮膚から伝わる床の冷たさが続く。


「……ここ、は?」


薄くぼやける視界は、まぶたを下ろすたびに更新され、鮮明さを取り戻す。


せわしなく鼻をすする音が騒々しい。振りほどいたはずの手は、いつのまにかまた、温かい何かに包まれた。


「――よかった、目が覚めたっ!」


しぼりだすような声と共に、瞳に映るすべてを占領した夏川。


大粒の涙が、絡まった掌に染みる不思議な感覚。


「……はなせ。あと、泣くな」


あー、そうか。こけたんだ。なんで、だっけ……? えっと、なんか急に椅子のネジが外れて、体制を整えようと地に脚を付けた先に、転がっていた咲の鞄を踏んづけて派手に転倒した、とかだったか?


「別に、お前のせいじゃないだろ」


上半身を起こそうと、床に手付き力を籠めれば、背中に走る鈍い痛み。

ふっと一瞬重力に負けた俺を、夏川が慌てて肩に手を回し、支えてくれた。

てて、と倦怠感の残る後頭部をさすると、あからさまにそこが膨らんでいる。


たんこぶなんて何年ぶりだ? あいつが転校してったのが中一の終わり――


「わかる? 自分のこと。わすれてない? みんなのこと」


相も変わらず、ひどく湿った声と瞳でこちらに訴える夏川。

その心を支配しているのは、得も言われぬ不安。


「滝慎吾。菖蒲に通う高一16歳。家族構成とか、言った方がいいか?」


おしとやかや、大和撫子。そんな言葉の似合う彼女の繕わぬ姿は、昔を振り返ってる場合ではないと、刹那的に理解させた。


「じゃ、じゃあ私は?」


「夏川なぎさ。なぎさがどんな字を使うのかは元から知らん。何歳かも知らんけど、どうせ15か16だろ?」


一年からダブってるやつが同じクラスにいれば、さすがの俺でも知っているはず。


「なんの因果か、お前の友達作りを手伝っている。笑える一年にするんだろ」


こいつの話もするか? そういわんばかりに放置されたままの鞄を手繰り寄せ、彼女に見せつける。


「よかった……っ」


感極まって飛びつこうとする夏川を、咲の学生鞄を盾に寸前で受け止め、


「だから、近いんだ」


あくまで優しく、なるだけ遠くに押し返す。


「そういや、咲はどうした?」


「あ、そうだ、連絡しないとっ」


慌ててスマホを取り出して、素早く操作し耳元に持っていく。数秒もかけず夏川の口を開かせたレスポンスの良さをみるに、たぶん彼女も気にしてくれていたのだろう。


「もしもし、咲ちゃん――うん。滝くん死んでない!」


「おい」


「うん、意識も記憶もはっきりしてる。病院? ちょっとまって、聞いてみる」


ちらっと俺に目配せした後、画面をいじる夏川に、


「大丈夫だからさっさとあのバカを呼び戻せ」


投げやりに一言。


「だ、そうです」


気まずそうにスピーカーランプが点灯したそれをこちらに掲げる。すると、すぐさま珍妙な怒号が轟く。


「バカって言ったな、変態! スケベ! すけこましぃ!」


こいつ……意味わかって使ってんのか?


「すぐ戻るから首洗ってまってなさいっ」


その無駄なエネルギーはどこからくるのやら。暑さに負ける様子のない咲に、


「それより、日向の部活が終わるのは何時なんだ?」


誰もが忘れているこの集まりの本質を問い質す。


壁に掛けられた時計を確認すれば、俺が資料室に来てから若干の時が過ぎていることが分かった。すっかり引いた汗もその証拠だろうか。


「――あ、そういえばそろそろだ。今日のバイトはれいだし」


「よし、ならどっかで合流するぞ」


赤く浮かんだ切断ボタンに指を伸ばし、二人の了承を待たず通話を切る。


重たい腰を上げ、ぺたんと座り込んだまま鼻をすする夏川に言う。


「さ、めんどくさいのはここからだ」



―― ―― ――



「だーかーらー、盗み聞きしてたわけじゃないってぇ」


「されて困るものじゃなかったし、気にしないで。むしろ――」


咲を擁護する夏川を遮り、


「あのタイミングにあのセリフ、中の話を聞いていなければ不可能だ。どうせ、入りづらくなってタイミングを見計らってたとか、そんなとこだろ? でもな、それならもっと静かに――」


と、言った後に気付く。


人のことを言えた義理か。


校門を始まりに敷地をぐるりと囲む鉄柵。

その始まりの一角で、皆で端に纏まり時を待つ。


鉄柵を背もたれにぶつくさしゃがみ込む咲と、傍の木陰にちょこっと佇む夏川。一見すれば両手に花と呼べるこの状況は、決して羨ましがられるものではなく、面倒ごとへの片道切符。


「そもそもお前、なんでジャージなんだ?」


たいした意図もなく気分転換に咲に訊いた。


「部活、抜け出して来たからに決まってるでしょっ」


それは……許されることなのか?


リボンを外しラフに着こなしたブラウス。細く柔らかそうな栗色の長髪。記憶の中ではどちらかと言えば派手寄りで遊んでいそう。そんな印象を持っていた彼女も、学校指定のジャージと短パンを纏い、高い位置で髪を一括りにすれば運動部さながら。


結局、似合うやつは何を着ても似合うのかもしれないな。


眼下で揺蕩うポニーテールから、時計代わりに取り出したスマホへ視線を移す。

そんな機微を敏感に察した夏川が口を開く。


「ごめん。私がもたもたしてたから」


途中でトイレに寄り、顔を洗わせられたことを言っているのだろう。


「時間ならまだなんの問題もない。それより場所だ、本当にこっちなんだろうな?」


菖蒲の出入り口は大まかに分けて二つ。生徒利用が主の正門と職員利用が主の裏門。


電車を使用する生徒の概ねは、最寄り駅に近い正門を潜ることになる。

俺たちはそこで日向を待ち伏せすることにしたのだ。


聞く話によれば、二人は電車通学。余程の何かがない限り裏門は使わないとのこと。


「どんだけ確認するの? 信用無さすぎだね私!」


「既に大戦犯だからな。お前がちゃんと噂を流していれば、俺のワイシャツもこんなことにはならなかった」


見せつけるように第二ボタンの欠けた胸元を引っ張り、空気を循環させる。


「私と玲を間違える方が悪いよ。ちゃんと言ったもんっ」


「夏川、お前は今から気弱な男子生徒だ。俺がこのバカをやる」


ええええ、とうろたえる彼女と演じる即興劇。題目は、咲の噂の流し方。低燃費に打った柏手一つが開幕の合図。


「それとなく各クラスに流して欲しいことがあるんだけど、いいかな?」


「……え、なんですか」


「私、1-Aの滝くんと、付き合ってるの!」


「日向さんが、滝くんと!? ……ちなみに滝くんて誰ですか?」


「おい」


俺の大根芝居に比べ、どことなく様になっている夏川は、冷たいツッコミを気にする素振りもなく、当てられた役割に一生懸命。


「滝くんっていうのは、こう、もさっとした髪で、以外に背の高い――」


見ていられなくなったのか、咲役を奪い去る咲本人。

すかさず夏川もそれに乗っかった。


「あー、なんとなく猫っぽいあの人ですね」


「それわかるかもっ! じゃ、なくて、いい感じにこのこと流しておいてね!」


きっと現場もこんな感じだったのだろう。呆れて打った柏手二回が閉幕の合図で二人の注意を引く。苦笑いの夏川は、途中で気付いていたようだ。


「分かってないの、お前だけだぞ」


「え……私悪いとこあった!?」


素早くこちらを振り返る咲でも呑み込めるように、情報をかみ砕く。


「あのな、お前が噂の拡声器に選んだ、気弱な男子とか日陰者達ってのは、そもそも女子のファーストネームを積極的に呼ばない。その理由は多々あるが今は割愛する。まぁ、なんだ、つまり、日向は滝と付き合ってる、その情報だけが流れるわけだ」


「で、でも、滝くんは私の名前普通に呼ん――」


「俺はさっきまで苗字を知らなかった。咲とかお前とか呼ぶしかないだろ」


自然に日陰者へとカテゴライズされたことには触れず続ける。


「お前は学年で中々の知名度かもしれない。だが、少なくともうちのクラスで日向といえばあっちだ」


彼女はしゃがんだまま、左右のこめかみに人差し指を突き立て、しばし考えた後、


「れ、玲になんて言うか決めたの?」


盛大に話をすり替えた。


皮肉めいた渾身の溜息を意にも介さぬのだから、こちらも話を進めるしかない。


「巻き込んですまない、とりあえず噂はこっちで払拭する。とかなんとか言う以外あるか?」


答えを聞くなり、ハイっと片手を空に掲げ、胸を張るように背筋を正す咲。


「私、噂を何とかする方法ありまーす」


自分の為に用意された間に満足したのか、よいしょっ、と立ち上がり彼女は告げた。


「滝くん。今週の日曜日、デートしよっ!」


呆気にとられた俺と夏川の間抜けな声は重なり合い、見事なハーモニーを奏でたが、咲からすれば些末なこと。止まるわけもない。


「土曜日は私がバイトだから――」


「だぁ―、まてまて。ゆっくり、わかるように説明を――」


強引に割り込んだ言葉に、さらに割り込む、自信に満ち満ちた言葉。


「噂は所詮、噂! 百聞は一見に如かずとか、事実は小説よりも生成りとかあるでしょ? 偽物を淘汰するのは常に本物なの!」


「偽物を、淘汰……。ええっと、既成事実を作るってこと?」


やや混乱味のある夏川。それ自体は普段の範疇。至っていつもなその表情は、何故か陰って見えた。しかし、ここでつついたとしても藪蛇。腰を折るより、やるべきことは他にある。


「却下だ。俺の休みを奪うな」


「ふらんどをるでも同じこと頼もうとしてたの。いろいろあって流れちゃったけど」


「無視するな」


「いいんじゃない?」


「よくない」


「じゃあ、時間と場所はあとで送るね!」


瞬く間に咲は三人用のライングループをこしらえ、それ見せびらかす。


すると、その画面上部から、玲と書かれたメッセージが姿を現した。


店混んでるから早く帰って来て。


「日向からか? なんか連絡きてるぞ」


え? と、にへら顔の咲は、画面をタップする度、目に見えて青ざめていく。


「と、とりあえず、私はこのへんでぇ~……」


弱々しく呟き、忍び足でそっと距離を稼ぐと、こちらを振り返る。


「玲は裏門から遠回りして家に帰ってました。私は呼ばれているので失礼します」


唖然とする俺と夏川にぺこりと頭を下げ、最寄り駅へ駆け出す。


その姿が完全に消えるまで待ち、俺は口を開いた。


「おい。どーするんだ? デートなんてしたことないぞ」


感情が追い付かず、八つ当たりにも覇気がでない。ならば残された土曜をどう満喫しようかと、思考を切り替えようとした矢先。


「じゃあ、私と練習する?」


夏川は至って真面目な顔で、どんでもないことを告げたのだった。

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