3-4
開けっ放しにされていた窓の淵に体を預け、生ぬるい風に煽られながら考えていたのは、夏川と
液晶上部から垂れるメッセージに触れば、考える間もなく、なぎさとのトーク画面へ移る。
適当に既読をつけたはいいものの、はて、なんと返したらいいもか。
本来であるなら悩む必要もない業務連絡。だが、ヤツは勘がいい、妥協は禁物。
どこから盗み聞きがばれてもおかしくはないのだ。
そうしばらく返事待たせていると、続けざまに二件。
元第二歴史資料室だよ!
わかる?
デジャヴを感じるやり取りに、つい溜息をもらす。
幸いなことに、今、目と鼻の先にいるとは毛ほども思ってもいないようで、ダメ押しに可愛らしいスタンプまで送られてきた。
のんきだな――
明滅する手元のスマホをよく見れば、デフォルメされた猫から浮かぶ吹き出しが現れては消えを繰り返し、何やら喋っている。
む、か、え、に、い、こ、っ、か、?
「迎えにいこっか?」
小さく声に出してみてぎょっとした。
まてまてまて。
今俺がいるのは、資料室を出てすぐの廊下。
あれだけどう文句をつけてやろうか考えていたのに、想定外の出来事で顔が合わせづらくなったものだから、ちょっと風通しの良いところで気分を落ち着けてー、なんてちゃちな考えで黄昏ていたのだ。
が、そんな場合ではなくなった。
わかる。
大丈夫だ。
慌てて二件。単純明快に返すと、
わかった! まってるね。
すぐさま届いたメッセージが、脳で彼女の声に変換させる。
たまらずもれる安堵の息。
相手はエスパーを疑う程鋭い少女。ひょこっと出てこられでもしたら、ひとたまりもなかっただろう。あれ? なんで滝くんそんなところにいるの? 資料室、エアコンついてるから涼しいのに。みたいな流れで始まり、ころころ話が転がって、いじられるネタが増えるまでがテンプレート。簡単に予想がつく。木庭と入れ替わるように俺が入室していたとしても同様。いかに自然に繕おうとも、質問攻めは避けられないと目に見えている。
さすがに……もうすこししたら行くか。
しかし、その前に考えをまとめておく必要があると思った。
ぼーっと天井を見つめ呼び起こすのは、記憶の欠片。
――誰だって、人に言いたくないことないことの一つや二つはある。
偶然とはいえ俺が聞いてしまったものは、間違いなく夏川のそれ。
俺を呼び出した木庭は、いったい何を伝えたかったのだろうか。
ふと思い返せば、前に呼び出された時も彼女の事を聞かれた。去り際には、あいつをよろしくな、と同じ言葉を口にしていた気がする。プリントを渡しに行けと命じられマンションに上がり込んでしまった時、彼女は言った。木庭がアイドルのイベントで届けられないから、俺になったと。
んな馬鹿な。
髭がアイドル趣味なんて聞いたこともないのに、当時それで納得出来ていたのは、まださほど興味がなかったからだろう。木庭にも、夏川にも。
そして、その前日。俺は夏川を夏川として認識した、と。
茜色の坂で彼女に、なんで俺なんだと聞いた時、変われる気がした、そう答えたのをよく覚えている。
木庭のした余計な事、というのはそこに関係してくるのだろうか? 夏川の言った、もう自分でなんとかできる、とは、いったい何のことなのだろうか?
変わろうとした夏川は、木庭の余計な事に腹を立て、もう自分でなんとかできる、
と釘を刺した。
時系列的に、これを基本の公式としよう。
だが肝心の、なぜ変わろうとしたのか、なぜ余計な事をされたのか、なぜ釘を刺したのか、二人の関係に関わる部分がさっぱりわからない。
いや、休みがちであることを除けば品行方正の彼女が、教師にあんな口の利き方をするのはおかしい。髭も髭で心配してるとかなんとか言っていた気もする。なら――
実は二人はただならぬ仲。しかし、その時は喧嘩中かなにかで、休んだ夏川に木庭はプリントが届けらない。深い関係であるなら、夏川にプリントの内容を知る術がないことも知っているはず。心配した木庭は、帰宅部で予定もなさそうな俺を運び屋に仕立て上げ、情報収集ついでにクリアファイルを届けさせた。特に機嫌が悪い様子もないと、満を持して今日、和解を試みたが、予想外にその交渉が長引き、運び屋にその一端を知られてしまった。
これなら変わりたい理由も、もう自分で何とかできるの意味も、愛しの木庭に迷惑や心配を掛けたくないからで片が付く。あいつをよろしくなってのも、機嫌を探る諜報員として……か? でも、これだと俺、お前は知りすぎたって消されないか?
穿たれた点はいまいち要領を得ず、思考は散らかったまま、ある一言に行きついた。
楽しかったって笑える一年にしたい。
ハニカミながら掲げれらたこの目標に向かい、俺はこれからも夏川の計画を手伝うことになる。少なくとも来年の春までは。
入学当初、幼馴染を安心させる為に目指したカースト上位は開幕で頓挫。
たいした思い出もなく惰性で過ごしていた日々。それを壊した夏川。
結局、二人がどんな関係なのであれ、気にしないようにするのが一番なのかもな。
落ち着きのないあの声には、無理やり触れれば崩れてしまいそうな儚さを感じた。
――既に破局寸前とかだったりしてな?
力も抜け、一区切り。そんな折、急に震えだすスマホを慌てて落としそうになる。
液晶を確認すれば、夏川からのライン通話。
出来る限り大きく、そして静かに資料室から距離を取り、画面をタップし耳元へ。
「ミルクティーが飲みたくなっちゃって」
流れる彼女の声音。それがいつも通りで、なんだか安心した。
そういえば確か、来る途中に丁度いい自販機があったな。
ラインナップを覚えていた自分を褒めてやりたい。
「小さい紙パックのヤツでいいのか?」
「うん! お願いします」
はいよ。短く答え、通話を切る。
俺がこの糞暑い中、夏川の使いっ走りになるのは、弱みを握られているからでも、
盗み聞きをしてしまった罪悪感からでもない。
それはひとえに――彼女が友達だからなのだ。
―― ―― ――
「
言い終わるなり、夏川はミルクティーのストローを咥え、静かに中身を吸い上げる。
幸福に包まれている彼女の顔とは反対に、俺は開いた口がふさがらない。これは比喩ではなく実際にそうで、顎関節症だからではない。ぽかんと開いた口。これは比喩だが、今の自分を写実的に描いたとすれば、それ通りになるだろう。
そんな俺の顔がツボに入ったのか、夏川は口元を手で隠し、鼻で笑いながらも、器用に飲み物とスマホを持ち替え画面をスクロール。
「やっぱり
みせられた狸のような猫の写真は、餌の中にゴミを見つけてしまい、餌鉢ごと取り上げた時のものらしく、情けなく開けられた口からは哀愁が漂っている。
「違う種類の餌に買い替えた時にね、食いつきを動画に残してあげようと思って回してしてわけですよ」
なるほど。動画の切り抜きか。まぁ百歩譲って表情は似てなくもない。それに、この一枚に限っては、まるたんの気持ちもわかる。というより、彼女に振り回された者は種族無関係にこの顔に行き着くのだ。
「って、そんなことはいいんだ」
無駄な考察を蹴飛ばし、
「
話を振り出しに戻すと、夏川はどこか得意げなご様子。
「だからおじさん。誠ちゃんて言うのは……私が昔から使ってた愛称みたい。学校で呼ぶとちょっと怒ります」
「おじさんって、あの伯父さんか? Mr.やmanではなく?」
「そそ、Mr.やmanではなくuncle! あの伯父さん、だね」
そう。俺が口をぽかんとさせていた理由はこれ。
自分の精神衛生上の為にも、夏川との円滑な友好関係の為にも、知らぬが仏と割り切った木庭と彼女の関係。
ただならぬ仲だの、教師と生徒の禁断の愛やらだの、散々膨らませた馬鹿な妄想をぶった切った刃は、三親等の血縁。
「戸籍上、私のお母さんの兄にあたります。だから正真正銘、伯父さんだね!」
そして、特筆すべきはあっけない内容だけでなく、その速度。
俺が元第二歴史資料室の出入口を跨いだ時、既に簡易テーブルとパイプ椅子でリラックス状態だった夏川に、どんな腑抜けでも取れる絶妙なコントロールでミルクティーを放り、とりあえず訊いた。
「なんでこんな遠い場所を選んだんだよ」
鎌をかけたつもりはない。道中の暑さを憂う、純粋な心な叫びに従ったまで。
1-A所属の生徒であれば、皆そう思うといって過言ではないだろう。
まるでドッヂボールの捕球のように、体全体でミルクティーを受け止めた夏川は、ジュースを投げないの、と正面に腰掛けたこちらを一喝し、すぐさま件の話しを切り出した。
「木庭先生、いるでしょ? 担任の。おじさんだから融通利くかなって! よくここにいるんだよ」
ここで一度、俺の思考力は著しく低下。どこにあるのかは知らないが、口を閉じる為の筋肉にメスを入れられた気分だ。
「エアコンもあるし、テーブルも椅子もある。冷蔵庫もあれば言うことなしなんだけど……流石にそれはね。誠ちゃんもしばらく使っていいっていってたし――あっ、誠っていいうのは木庭先生の下の名前でー」
喉が渇いたのだろう、一旦言葉を切り、取り出したストローを口と手で引き伸ばし、ぷすっと飲み口にそれを差し込み、彼女は続ける。
「つまりっ、木庭誠先生こと、誠ちゃんは、私のおじさん!」
つい先ほどまで追っていた解との正面衝突に、たまらず口がぽかんだったのだ。
「それにしても、少し見ない間に滝くんはワイルドになったね」
頬杖突き、数分前の熟考を後悔していた時である。
夏川がじろじろと舐めるような視線を向けてきた。
第二ボタンまで外れたワイシャツ。捲り上げられた学生ズボン。無造作に掻き立てられた髪型。俺の急なイメチェンは彼女の興味をそそったらしく、今から揶揄います、といった気配が表情から読み取れた。
「俺は昔からワイルドで、休みの日は新宿渋谷でパーリーナイトだ」
誰でもわかる嘘八百を並べ、裾を直そうと椅子に座ったまま腰折る。
「こっちみちゃだめだよ?」
は?
反射で振り向いた先にあったのは、夏川なぎさの白すぎる太腿。慌てて背筋を伸ばそうと勢いよく上げた頭の先には、堅いテーブル。痛烈なお仕置きに、のたうち回る、わけにはいかないので、声を殺して患部を必死に摩るしかない。
「しっかり押さえてるなら変なこと言うな。ちなみに声に反応しただけで、覗こうとしたわけじゃないぞ。断じて違うからな!」
「滝くんは油断ならないからねー」
まったく信用されていないのは不服だが、構っていたら日が暮れる。
ひと先ずワイシャツだけでも、とボタンに指を伸ばし、思い出す。
……あー、
「夏川すまない」
「謝ったって罪は消えません」
「そんなことはどうでもいい」
え、そんなこと!? そう目を丸くする夏川を我に返す為、
「日向の話だ!」
気持ち声を張り緊迫感を煽ると、数度の瞬きの後、瞳を見開く彼女。
しっかりと互いの準備が整う間を取り、俺は口を開いた。
教室が訳の分からない状況になっていたこと。日向を追い再び怒らせてしまったこと。作戦が失敗してしまったこと。途中で送った救難信号も含め、伝えるのは可能な限り仔細まで。話を聞き終えた夏川は、何故かなんとも申し訳なさそうにのの字を書き続けている。
「どうした?」
たまらず訊くと、なにやら彼女も謝りたいことがあるらしい。
俺はわかりやすく首を傾げ言葉を誘う。
「怒らない?」
「怒ってる暇なんてないだろ」
少し前の自分に聞かせてやりたい。
おずおずと差し出された夏川のスマホ。
その画面に映るのは、emiとかかれたラインの相手。
「これは少し前に見た。
三時限目休みに確認したやりとりから無言でスワイプを繰り返し、表示された日付は昨日。それも夜中。
いや、何時にやり取りしてんだよ――
液晶を叩く夏川の綺麗な爪先に誘導され、再びメッセージに視線を落とす。
滝くんのこと、ちょっと借りていい?
え、大丈夫だと思うけど。
「おい――」
「いいから」
しおらしい様子は何処へやら。文句もぴしゃりだ。
少し前からの彼氏作れ作れムードに、どうにも困ってて……。
だからその、滝くんに付き合ってるふりをして欲しいんだけど、大丈夫かな?
可愛いOKのスタンプ。
「おい――」
「いいから!」
じゃあ、それとなく明日、噂流すね! 玲はまだご機嫌斜めって感じだったけど、
ちゃんと伝えておくから。説得もしとく!
ありがとー。
そういや……確かにあいつも、なんか困った感じだったな。
ふらんどをるでの出来事を思い出し、経緯は腑に落ちた。しかしそれとこれとは別。
「つまり、お前は俺を売ったんだな?」
「彼氏のフリ自体は人助けであり、友達の頼みでしょ? 問題はそこじゃなくて、さっき滝くん、クラスでなんて言われたって言ってた?」
主題そっちのけで睨みつける俺を、夏川は冷静に窘める。
「クラスで? ……えーっと、彼女行っちゃったけどいいの? 追わなくて、か?」
「そう! それで彼氏の反対は?」
「彼、女……?」
察しの悪さには慣れてます、そう言わんばかりに流暢な彼女の説明は続く。
「咲ちゃんの流した噂はたぶん、二人が実は付き合ってました的なものだと思う。
でも、クラスの山田さんは、日向ちゃんのことを彼女と言っていた」
「待て待て、それはアレか? 彼女役が入れ替わってるってことか? だが、どこをどう聞き間違えれば咲から日向にかわるんだ? ありえない。だいたいお前――」
ついかっとなり語気が強くなるのを感じたが抑える必要はない。元々こちらは被害者なのだ。
「怒らないっていったのにぃ」
「怒りたくもなるだろ」
呆れて頭を抱え、わざとらしくつく大きなため息。
「だって二人は――」
しゅんとした夏川の紡ぐ言葉の先は、ものすごい勢いで開いた出入口扉の音にかき消される。
「双子だからだよっ!!」
ふわふわと長い栗色の髪を躍らせ、そこに立つ少女の鋭いツッコミが、元第二歴史資料室に反響した。
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