3-2
四限終了が近づくと、クラスの体力自慢達は各々アップを開始する。
椅子に座ったまま入念に行われる、教師から注意されない範囲の絶妙なストレッチ。手を組み目を閉じているのは、彼らなりの精神統一だろう。授業終了間際の一問に、指名され無い確信がどこにあるのか?
疑問を他所に備え付けられたスピーカーから響く鐘。それを合図に空気が変わった。
ここ、1-Aの教室は一般棟四階最奥。一階にある購買部へは一番遠いクラスなのだ。
その為、そこで昼飯を買い求める生徒にとっては、毎日が奪い合い、戦争である。
いやいや、コンビニで買えばいいだろう。そう思うかもしれないが、最寄駅から学校までの道のりには、コンビニが一軒しか存在しない。そして、そこに加わる運動部の朝練という要素。目ぼしい獲物は狩りつくされ、残ったブツはおおよそ高校生の昼食としてはふさわしくない物だろう。
号令の先を行くように頭を下げ、財布を片手に脱兎の如く飛び出していく戦士達を、やれやれといった表情で見送る教師と、弁当を持参の賢者達。
……昼飯一つでよくあそこまで熱くなれるよな。
夜は少しづつ温度が下がって来た気もするが、未だに日中はエアコン無しで生き延びれる環境ではない。
自ら人込みに汗をかきにいくなんて、物好きな奴らだ。
徒歩で学校に通う俺は、電車通学者とは登校ルートが異なる。故に、コンビニで総菜パンを買うこともさほど難しくない。逆にお気に入りがほぼ確定で買えるので、昼食戦争に高みの見物を決め込み、冷房の効いた教室でカロリーを摂取。それがいつもの昼休み。だが――
「どうしてまたここなんだ」
一般棟四階から屋上へと続く、階段の踊り場。その最上段に腰を下ろし、弁当の包みを広げる
「他にいい場所がなかったとしか――」
「だったら教室でいいだろ?」
「教室は、その……ほら、ちょっと都合が悪くない?」
頬をかきながら整った眉をへの字にする夏川の表情に、とある少女を思い出す。
三限休みに見せられた
確かに日向の事を話すなら、教室って訳にもいかないな。
階段に腰かける彼女の後ろ。そこに広がる踊り場で適当に座り込みつつ、総菜パンのビニールを開け、大きく一口。
「そこ、日差し平気?」
広げた包みの上で、二段構成の弁当箱を分離させた夏川がつぶやく。
言われてみれば、たしかに背中が熱い。
人にアドバイスするだけあって、彼女はしっかり日陰に収まっている。
これが色白の秘訣だろうか?
もごもごパンを咥えたまま、紙パック紅茶とビニール袋をまとめ、のそのそ日陰に座り直し、感謝の代わりに背もたれにした扉を叩く。
階下から響く喧騒をBGMに数秒。
「なにかいい案浮かんだ?」
こちらが咀嚼を終えた頃合いを見計らった、丁寧なパス。
「授業中は授業を受けてる」
相手が悪かったと反省してもらおう。
自分で言うのもなんだが、比較的まじめなのだ、俺は。
紅茶で総菜パンの油分を流し込み続ける。
「友達作りは手伝う。それでも学生の本分は――」
「時間、そんなにないよー?」
「わかってる。……けどな、勉強しながら考えたってどっちつかずになるだろ?」
ため息交じりにいなし、二口目。
無言で食べ続ける俺のペースを合わせるように、夏川も女の子らしい小さな弁当箱から、綺麗な卵焼きを持ち上げる。
「今日はないのか? まるたん占い」
手詰まりとはいえこんなものに頼るなんて俺らしくない。自分でそう思うのだから、他者にはより大きな衝撃を与えるはず。
「あれ信じてたの!?」
夏川が慌てた拍子に、箸から卵焼きが脱走するも、ご飯の詰まった弁当箱が奇跡的にそれを受け止め、なんとか一命を取り留める。つられてこちらもパンを落としたが、包みのおかげで致命傷は避けた。
「信じてるわけじゃない。が、実際ふらんどをるで事件は起きた。と、ゆーことは、お前の家の狸が超能力を持ってる可能性も捨てきれないって訳だ」
「狸じゃなくて猫。ちなみにその占いだけどー」
藁にもすがりたい気持ちできいたんだ、無駄に勿体付けずに早く答えろ。
「昨日は予防接種明けだったので、たまるたんは絶望の最高潮。近づこうにも、また病院に連れていかれるんじゃないかって、逃げる逃げるで大変だったの」
……所詮は藁、猫型ロボットみたいな利便性はない。あてにした俺が馬鹿だった。
残りのパンを無理やり口につめこみ、ゴミをビニール袋に詰めて口を縛る。
さて、どうしたものか。
風船のようなになった袋を
「押してダメなら引いてみな作戦!」
箸を天井に向けて掲げポーズを決めると、一度持ち物を包みの上に置いた。そして、こちらに向き合うように体を捻るが、体制的に楽なものではなかったのだろう、自分の横の空いたスペースを叩き、俺に移動を促す。
「……お前がこっちに来ればいいだろ」
「女の子をむやみに立ったり座ったりさせるのは、いかがなものかと」
夏川は太腿を覆い隠しているスカートの裾を持ち上げ、渋る理由をわかりやすく教えて見せる。
下に人がいたら丸見えだったのでは?
「今、誰かこっち見てたぞ」
試しに通行人を創造してみるも、こちらに向けられた視線は非常に懐疑的なもで、
滝君のところから下みえないでしょ、と一蹴された。
いつも通り俺に主導権ははないのだ。
重たい腰を上げ彼女の座る階段と同じ列に、彼女から十分な距離を取り腰を下ろす。
「今日の掃除当番表を弄っておきました」
至って真面目な顔に騙されてはいけない。これはクラスで決めたルールを犯した犯罪の自白。
「あれは、お前の仕業か?」
おかしいと思っていたのである。三限休みに教室後方の黒板を確認した時、いつもの備品補充にエントリーした俺のマグネットが消え、夏川と書かれたマグネットが鎮座していた。今朝から続くクラスメイトの謎な態度を踏まえ、悪戯の一環としてどこかへ隠され、たまたまそこへ夏川がエントリーしたのだと思い込んでいたが――
「何の為だ」
したり顔の彼女に重ねて問うも、
「まぁまぁ、まずは作戦の説明からするね。焦らない、焦らない」
ひらりひらりと躱される。
「好きの反対って、何だと思う?」
「は? なんだ急に。嫌い――いや、よく言われるのは無関心とかそういうやつか」
「正解! するどいねぇ滝くん」
そんな子供を褒めるようにされたところで、嬉しくとも何ともない。
「つーまーりっ、日向ちゃんに嫌われているであろう滝くんでも、関心だけは持たれていると思うんだよね! もちろん、悪い意味で」
確かに。
消しゴムを落としたアイツは、そんな必要ないのにわざわざこちらを睨みつけきた。
俺が日向と反対の立場なら、まずそんなことはしない。関わらないように全力を尽くすだろう。
「付かず離れず距離を維持して、相手に意識させるの!」
思考を巡らす最中、作戦の概要が発表される。
こういう時の夏川は、待ってくれない。
わざわざ距離を離して座ったのに、その距離も心なしか縮まっているように思えた。
意識させてどうするんだ? 皆目見当もつかない。
「意識させて意識させて――」
言いながら少しづつ、着実に、じりじりと距離を詰めてくる夏川。
――だから何度言えばわかるんだコイツは。
俺だって一介の男子高校生。そんな風に近づかれれば、視線は泳ぐし脚だって見る。
ブラウスから微かに透けるキャミソールが気にならないと言えば、間違いなく嘘だ。だが、そのての類を表立たせるのは、社会的に危険と履修済み。インターネット世界には、その分岐を間違えたが故に、取り返しがつかなくなった事例と屍の山がいくつも転がっていた。
そう、世の中には思わせぶりに男をオモチャにする奴らが一定数存在する。
意識的にちょろそうな男をカモにし、財布として扱う輩をタイプA。
無意識的にグループ内で男女の輪を乱し、崩壊させる輩がタイプB。
それ以外は人畜無害なタイプCとかにしておこう。
別にそいつらを否定したいわけじゃない。
友情の形も恋愛の形も自由。だが、面倒臭いので俺のいないところでやってくれ。
と、簡単に住み分けることができる。ただのクラスメイトなら。
しかし夏川はただのクラスメイトではない。
友達なのだ、それもいくつか弱みを握られた。
つまり、タイプBに片足を突っ込んでいる可能性のある彼女を、タイプCへと矯正するのは、今後の友達作りを円滑にする為にも必要なこと。
あの茶髪チビ女がやってくれるに越したことはないが、期待はできない。
で、あるならば――
近づいてくる彼女の肩を掌でしっかりと受け止め言う。
「仕方ないから、俺がBからCにしてやる」
引っ叩かれた。
―― ―― ――
「滝くんてさ、たまに話聞いてないよね」
「違うんだ。せめて言い訳をさせてくれ」
頬に残る痺れと熱は、夏川の非力が幸いし大したものではなかったが、階段端まで取られた俺との距離は、その醜態を物語っている。
このままでは遺恨を残すぞ。何とかしないと。そもそも冤罪だろうに――
幾つかの咳ばらいで表情を作り、どうにか講釈垂れようとした、その時。
胸を隠すよう猫背に丸まっていた夏川が、大きなため息と共に姿勢を正す。
「滝くんも……男の子だもんね」
まて。変な納得の仕方をするな。
「今回は許してあげるけど、他の女の子に言ったら大変なことになるから気を付けた方がいいよ?」
ビンタは大変なことに含まれないのか、そう頬を摩り訴えると、
「それは、滝くんが急に肩掴むから……びっくりして」
恥ずかしそうとも申し訳なさそうともいえる表情で視線を落とす夏川。
……わかった。
昼休みも限られているんだ、不服ではあるが教訓として受け入れよう。
今の最重要課題は、日向攻略の糸口。
「で、なに作戦つったっけ?」
「押してダメなら、引いてみな作戦!」
「そう、それだ。日向に俺を意識させてどうすんだ」
過ぎた話題に引っ張られ、少し照れた様子の夏川に構うことなく訊く。
無駄な緊張と昼の暑さで汗もかき始めてるし、さっさと終わらせようじゃないか。
「意識させて、意識させて――」
「意識させて?」
徐々に普段の様子を取りもどす語気合わせて復唱すると、
「――何もしないの!」
余程自信があるのか、ご機嫌に話の出鼻を挫いた。
「なにも、しない?」
は? 意味が解らないぞ?
「ってなるでしょ?」
心の声を見透かす夏川は、超能力者かもしれない。
……いや、もしそうなら無駄な冤罪は生まれないな。
自分で自分にツッコミ、黙ったまま言葉の続きを待つ。
「日向ちゃんの部活終わり。その決戦までに、滝くんへの興味関心を最大限までに引き上げるの。風船を膨らませるみたいにちょっとずつ。そうすれば痺れを切らして向こうから話しかけてくるはず! そこが和解のチャンス」
コンビニのビニール袋で作られた風船をひょいと摘み、続ける。
「そのためには兎にも角にも、同じ空間を共有する。それが空気の入れ方だよ」
だったら丁度良かったかもしれない、と偶然にも一限で日向を無視してしまったことを簡潔に伝えた。
「だったらあと少しだね! きっと狙い通りにイベントが発生するはずだよ! 失敗したって言ってたけど、もしかしたら咲ちゃんも膨らませてくれてたのかもねー」
口実で始めたはずのイケメン育成ゲーム、その悪影響だろうか。現実世界でイベントだのと口走る夏川は、案外ハマり症なのかもしれない。
「あいつが、ねぇ……」
なぜだろう、嫌な予感がする。
「そんなわけで、私の掃除当番と滝くんの当番を入れ替えて置きました」
言葉と一緒に投げられたビニール袋風船を片手で掴み、シュっと空気ぬける。
「日向ちゃんとのゴミ捨てツアー。楽しんでね!」
……こうなるわな。
「まぁ、やれるだけやってみるさ。もしもの時は、助け船くらい出してくれよ」
憂鬱にスマホを揺らして見せた。するとなにを思い出したのか、そうだそうだと夏川はスマホを操作し、その画面をつつく。
「届いた?」
彼女の行動に釣られ自分のスマホを確認すれば、タイミングよく画面に浮んでいた見慣れない文字。
なぎさからトークに招待されました。
「なぎさ?」
「はい」
おもむろに表示された名前を呟くと、おしとやかに夏川が笑って見せる。
スマホと彼女とを見比べ、
「なぎさ」
「はい」
念のためもう一度呟くと、同じように夏川が答える。
「なるほど」
「何がなるほど!?」
なぎさという名前は俺もそれなりに馴染みがあり、それに、彼女の雰囲気にもよく合っていると思った。が、今は不可抗力とはいえ距離感にとやかく言っていた俺が、馴れ馴れしく急に下の名前を連呼してしまったことの方が問題だ。
「作戦内容、もっと早く言えよ」
気恥ずかしさを噛みしめつつ、適当に話を変える。
「え、だって滝くん、自分でなんとかしようとしてたでしょ」
混乱醒めやまぬ夏川の言う通り、一限目と二限目の休み時間は日向攻略に費やしてみたものの、クラスメイトからの癇に障る視線以外、結局なんの成果も無し。きっと、彼女は全て遠目に見ていたのだ。見かねて、三限休みに声を掛けただろう。
「ここからは二人で、ね!」
胸の前で両手を握り、頼もし気に笑うと、思い出したかのように弁当に箸をつける。
嵐の前の静けさ。そんな昼休みに、俺はそこはかとない不安を覚えたのだった。
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