episode3
3-1
金曜日のHRは長い。
理由は至って簡単なもので、その後に続く一限が、現在進行形で無駄話を続ける我がクラスの担任教師、
授業を平然と私物化するこの状況には甚だ疑問は残るものの、それが黙認されている理由もまた、至って簡単もの。慕われているのだ、木庭は。
ぎりぎり進学校に分類される我が校では、少しでも実績を上げようと、1年生の段階から受験を意識させる言葉を吐く教師も珍しくない。
そんな中、口を開けば無駄話。シャツやスーツを適当に着崩し、体育教師でもないのにジャージを着て教壇に立つことさえある髭面眼鏡は、1年生だけでなく生徒全体の清涼剤として機能していた。
授業時間が短くなれば、その分中身が駆け足になるのは必然。当然テストに影響が、と思いきや、そうではなく、木庭の担当する世界史の平均点は、他の教科に比べ少し高い。もちろん、テストが簡単な訳でも露骨に範囲を絞っているわけでもない。皆、生徒の成績が悪ければ、教師の授業スタイルが変わってしまうと理解しているのだ。
結果、数少ない清涼剤を失いたくない一心で、各々予習復習を駆使し、健気に勉強に勤しんでいるわけだ。
……俺以外。
「じゃ、来週のロングホームルームまでにやりたいことをまとめておくこと。他所と被ることもあるから、第三希望くらいまでたのむわ」
授業開始の鐘が鳴ったにも関わず、平然と話し続ける木庭に呼応するように、教室各所から、メイド喫茶! いやいや、執事だよ! タピオカ! 等々の私利私欲が飛び交い合う。
「個人的にはぁ……飲食は申請が面倒くさそうなんで、別の何かがいいが――」
ぐるっと教室を見回し、ま、なんでもいいわ、そう言葉を切る髭眼鏡。
どうやら、文化祭が迫っているらしい。
迫っているといっても、期間的にはまだ余裕があようで、企画被りの珍しくないことを考慮し、先んじておきたいのだという。ここは素直に木庭の年の功を認めよう。
しかし、こういった所でしっかり余裕を作れるのに、なぜ授業はこうなのかを考え、ばかばかしいのでやめた。
授業時間に貫通して話し続ける木庭への最適解は、机に頬杖を突き、眠らないことに心血を注ぐこと。そうしてさえいれば、他の生徒たちが木庭の無駄話の中から益を抽出し、補足を織り交ぜ情報を完成させてくれる。
一学年5クラス編成の我が校は特段大きい学校ではないのだが、文化部に力を入れた校風は、創立から長い時間を掛け、そのあやめ祭を地域に誇れる一大イベントまで押し上げていた。
何年か前、吹奏楽部と演劇部の出し物に入場規制がかかり、チケット制が導入された話は、情報に疎い俺の耳にも届くほど。周り曰く、文化部所属の生徒は所属する部活での参加と、クラスでの参加とで選べるみたいなのだが、帰宅部の俺には関係ない。
問答無用でクラス参加になるだろうし、雲隠れの方法でも――そういえば、
勝手に結論付けておきながらも、退屈しのぎに視線を左斜め前の夏川の背中へ。
すると、その後ろの生徒と目が合った。
ん?
小首を傾げなにか用でもあるのかと尋ねて見せるが、すぐにその生徒は明後日の方向を向いてしまう。
……なんなんだ、これは。
HRが始まる前からこんな様子だった。
昨日の今日。軋轢の残る
思考に伴い、自然と日向の方向へ顔が向く。夏川と同じ、左斜め前方向。同じといっても夏川は教壇に近く、後ろから二列目の俺とは少し距離がある。反対に日向は言葉通りの左斜め前。将棋の感覚で言えば、ひと升動けばとれる位置。頑張って手を伸ばせば、背中にふれる事さえ可能だろう。
まぁ、一生そんなことするわけないが。
そう鼻で笑った矢先。日向が髪を耳に掛けた拍子に、何かが床に転がった。
ん?
それを注視すると、カメラを模して造られた消しゴムであることがわかる。
アイツのか? 意外と子供みたいなもんつかってんな。そういやカフェでもカメラ持ってたし、よっぽど好きなのか。でも絶対消しにくいだろ、それ。
「なに?」
何故かこちらに振り向いた日向と視線が衝突。瞬間、悪寒が背筋を駆け抜ける。
は? まさか、今声に出してた? いやいや、そんなことあるはずはない。
いや、でも、だったらなんで日向はこっち向いたんだよ。
これがゲームならば、彼女の謎の挙動について小一時間考える事ができるが、現実は自問自答の猶予など与えてはくれない。
今日も今日とて眼鏡の日向は、俺を捉えた途端、瞳の半分ほどを
そしてその圧力に秒で屈した俺は、つい無言で目を反らしてしまうのであった。
――無言は、ないだろ……俺。
仲直りだのなんだのと夏川に言われた事を思い出し、体の端々が力む。
すまん、やっぱり無理だ。あいつのどこが優しそうなんだよ……。
間接視野でうごめく気配は、すでに消しゴムを拾い終えたようで、日向が正す姿勢に合わせて視線を戻し、助けを求めるように夏川の背中へ視線を送れば、今度は夏川の一つ右の生徒と目が合い、同じように明後日の方向に逃げられる。
――だから、なんなんだよ!
からかわれているようで、少しづつ心の言葉に熱が籠ってきた。
そんなときに限って、
「
いつのまにか授業を開始した、髭眼鏡の出題が飛んでくるわけだ。
溜飲を下げる為、まずは大きく深呼吸。神妙な面持ちを作り、準備完了。
そもそも問題が何かすら、
「わかりません」
「じゃ、放課後職員室な」
既に満身創痍の俺の脳みそには、世界史を学ぶ余裕はおろか、危機回避に割くリソースすら、残されていなかった。
―― ―― ――
響く三限終了を告げる鐘。
確定された掃除割り当てを確認し着席しようとしたところ、教室出入口にて、こちらを見つめ続ける夏川を目撃してしまった。
「災難だったね」
「それはいつ、なんのことだ? 俺はここ数日ずっと災難だが」
そんなツンツンしないの、そう宥めながら夏川は、屋上へ続く階段を先行する。
スカートで先に階段を登るな。
膝より少し上で揺れるボックスプリーツと、そこから伸びる色白で細めの脚が、
男子高校生の健全な心を掴んで離さない。
誘惑を振り切るように階段を二つ飛ばしで登り、踊り場で待つ彼女の隣に並び立つ。
「……やっぱり屋上、しまってる」
逆にどうして開いていると思ったのか。不思議で仕方ない。
昨今の事情を考えれば当然の措置だろう、そう口にする前に夏川が再び口を開く。
「漫画とかアニメみたいにはいかないね。ちょっと残念」
自分と屋上とを分かつ扉に触れながら、小さく呟いた。
「そりゃあそうだろ」
彼女に背を向け、階段の最上段に腰を下ろす。それを話が聞く準備が整っていると判断した夏川は流石といえよう。
「仲直りは……できてないよね」
「わからないぞ? もしかしたら日向の気が変わって、一方的に許されているかもしれない」
実際そんなことはあるわけないのだが、希望的観測も時には重要なのである。
「朝忙しくて伝えられなかったんだけど、
馬の走る先にニンジンを吊るすよう、俺の視界へ自分のスマホをぶら下げる夏川。
少し小さめの文字サイズに目を細めながら画面を確認すると、ラインのトーク画面に浮かぶ不吉な文字とイラスト群。
ごめん、失敗した!
謝る二次元イケメンスタンプ。
そっかぁ……。
じゃあこっちもこっちで適当になんとかしてみる!
頼もしくも可愛らしい猫スタンプ。
けど本当にいいの?
首をかしげる二次元イケメンスタンプ。
親指を立てる可愛い猫スタンプ。
……こいつら完全に他人事じゃねえか。危機感の欠片もないぞ。
「ツッコミ待ち、ってことでいいのか?」
露骨なフラストレーションを乗せ振り返ると、画面を確認し直した夏川が、おっと、ここじゃなかった、と、やや申し訳なさそうに画面をスライドさせた。
明日、玲は部活だからその終わりを狙うといいよー。
ありがと、情報感謝です!
やり取りはそこで途切れている。
「日向の部活終わり。そこがラストチャンスってことか?」
「なんとかなりそ?」
「なったらいいんだけどな……。こっちは朝から散々なんだ。日向に睨まれるのはいいとして、ほかの奴らにまでよくわからない態度とられてるのは、いったい何がどうなった?」
ダメもとで尋ねてみるも、返ってくるのは何とも言えない苦笑い。続いて、それはさておき、と夏川が話を変える。
「滝くんてさ、スマホ持ってないの?」
現代日本を生きる高校生が、スマートフォンを持っていない訳ないだろう。と、偏見の混じった御託を並べるより、見せた方が早い。
捻っていた姿勢を正し、ポケットからとりだしたそれを目に付きやすいように掲げるれば、夏川は満足げに笑い、人一人分の間隔を空け、同じ列の階段に腰を下ろす。
「じゃ、ラインひらいて」
普段からスマホに暗証番号を設ける習慣のない俺のスマホは、ホームボタン二度押すだけで目当てのアプリへたどり着く。
「ロックとか掛けないと、落とした時とか危ないよ? ここ押して、その次はここ」
「だぁーまてまて。落とさないように心がけてるから平気だ。だいたいな、情報漏洩なんかより、俺は液晶バキバキのスマホと仲良く過ごせるヤツの方が信じられない。クラスでちょこちょこ見かけるんだ、そういう輩」
ちなみに持論だが、一人暮らしに画面ロックは必要ない。学校でも肌身離さず身に着けていればいいのだから。仮に落としたとしても悪意ある人間に拾われれば、ロックなんて張りぼて同然。一応、顔認証や指紋認証も試すには試したが、見られて困るものがない事に途中で気づき、設定を解除したのだ。
「なにかあってもしらないよ? あーそこじゃなくて、右上のマーク」
いつの間にか、人一人分の隙間に腕を突き、距離を詰めていた夏川の指示に従いながら操作を繰り返すと、画面に表示される俺の個人情報の詰まったQRコード。さらに夏川との距離が近づき、かざされるスマホと共に、爽やかな香りが鼻を掠める。
「まてまてまて」
間一髪で自我を取り戻し後ずさるも、手すりに阻まれこれ以上後はない。
「ダメなの?」
「ダメとかじゃなくてだな……」
昨日の今日。人に何かを伝える際には脊髄反射は危険。
クールダウンだ、クールダウン。もう地雷踏んで泣かれるのは勘弁なんだ。
言い渋り落ちた視線をのぞき込むように、髪を抑えた夏川が視界に現れ、上目遣いに呟く。
「だめ、なの?」
「だから……だめ、とかじゃ……なくて、だな――」
こちらに向けられた小さな頭を正面から鷲掴み、
「近いんだよ、距離がぁ!」
結局、ちから技でプライベートゾーンから追いやった。
「あたたたたたた……」
そんなに患部をさするほど強く握ったつもりはない。
「私のお化粧が濃かったら、今頃その手は大惨事だよ?」
夏川の言う通り、指や掌にはほとんど化粧の付着した気配なく、疑問は形を成す前に解消されることになる。
「さらさらのやつとか、夏でもべたつかないクリームとか、便利だよね!」
自分の頬をつつきながら不思議そうに言う夏川は、どこかを弄り、
「でも一応ね」
そうポケットティッシュをこちらに差し出してきた。それを受け取り、代わりにQRコードの表示されたスマホを彼女との間に置くと、
「あれ、いいの?」
夏川は小首を傾げる。
「初めから駄目なんて言ってないだろ。ただ……暑いからあんまり近づくな。あと、これから先にどんなに友達ができたとしても、男を簡単に家に上げるな。変な勘違いされるぞ」
「なるほど。勉強になります」
「友達には友達の距離ってのがるんだ。肝に銘じておけ」
「はい!」
何かで読んだ小説の受け売りに、真面目な返事を繰り返すこいつは、やはりどこか抜けている気がした。
「勘違いの名人が言うんだから、間違いないね!」
意表を突かれむせる俺を他所に、QRコードを読み取り終えた夏川が笑う。そして、そのまま立ち上がるとゆっくり階段を下っていく。
「やっぱり10分休みじゃダメだね。戻ろ、滝くん」
なんとも自由な奴だ。
「……人の休み時間を無駄にしておいて――」
「無駄じゃない。私のラインは希少なんだよ?」
「収穫がそれだけなら天秤は無駄に傾く」
夏川はわざとらしく数秒胸を押さえ、凹んだふりを披露した後、恥ずかしそうな表情でこちらをにらみ、
「ずっと脚ばっかみてたくせに」
先に階段を駆けて行く。
……無駄じゃなかった、ということにしておくか。
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