2-5


日向ひなたが店を飛び出しほどなくして、ふらんどをるを後にした俺たち。

えみとは店先で別れた。どうやら彼女の自宅はすぐ近くらしい。

しかし、その別れ際。


れいはわたしが何とかしとくから、とりあえず、はい」


咲はこちらに向かってQRコードの表示されたスマホを掲げた。


「なんかの儀式か?」


人と連絡先を交換するような気分ではなく、適当にあしらう。


そもそも、コイツとぶつかりさえしなければ、こんなことには……。

だいたいその髪色もカールも、校則的にセーフなのか?


考えれば考えるほど気分は沈み、もれた言葉も非常にそっけなかった。


「ら・い・ん!」


そんな態度にめげる気配など微塵もない咲は、


「は・や・く! ここに溜まってるの、迷惑でしょーっ」


眉間にしわを寄せたまま、独自のリズムに合わせスマホを押し付けてくる。


勢いにたじろぎ躊躇していると、後ろから強く腕を引かれ、俺と入れ替わるように夏川なつかわが咲の前に立ちはだかった。


「……えっと、じゃあとりあえず、私でもいいかな?」


思いがけない申し出に呆気にとられのは俺だけでなく、同じ様に咲も動きを止める。それを傍目に、表示されたQRコードを妙に慣れた手つきで読み取った夏川は、スマホをスカートのポケットへしまい、再度俺の腕を強く引き移動を促す。


「……ま、また連絡するね。……咲ちゃん!」


何か一つ壁を越えたように、彼女の名を呼んだ。


しばらく呆けていた咲も、名前を呼ばれたことを引き金に、


「う、うん! 待ってる、あと――」


と、言葉を溜め、大きく呼吸を挟み、


「滝くんは、貸し三つだからね!」


迷惑だのなんだの言っていたくせに、人通りを気にすることなく叫ぶと、踵を返し小さくなっていった。



―― ―― ――

 


見上げた空は、いつのまにか黄昏を超え、禍時を迎えていた。

生暖かい夜風が頬を撫で、早咲きのキンモクセイの香りを運んでくる。

割とお喋りのはずの夏川は三歩下がった距離を保ち、あれから口を開いていない。


アスファルトを叩くローファーの靴音が、閑散とした道路に響く。


なんとなく寄り道がしたい、そんな気分でいつもの帰路を逸れ、不思議なモニュメントの飾られた門をくぐる。


清水総合公園。


近所に住む子供たちや、その保護者。ウォーキングやランニング、サイクリングに勤しむ老若男女が溢れ、地域コミュニティの交流や発展はもちろん、憩いの場としても、汗を流す場としても利用されているこの場所は、19時を超えた辺りから目に見えて人が減る。


目当て場所は、レンガ造りの並木道を抜けた先にある噴水広場。

更に言うなら噴水を中心として、一定の間隔で設置された三人掛けのベンチ。


その端に腰を下ろすと、一つ間をあけた反対側に同じように夏川が腰を下ろす。


しばしの静寂。


気分転換に足を運んでみたものの、水の音や木々のざわめきも、この鬱屈とした気持ちを晴らしてはくれない。


「わかるよ、そのもやもやの正体」


見透かしたように突如口を開いた夏川は、外灯を仰ぎながら続ける。


「私は気にしてなかったのに」


「別にお前の為じゃ――」


つい顔を逸らしてしまったが、これでは逆効果かもしれない。


「わかってるわかってる。滝くんは意地っ張りだからね」


ベンチで足をぱたぱたさせているのか、独特のリズムで伝わる振動と、靴底の擦れる音が間を埋める。


「……なんだよ、もやもやの正体って」


自分で考えることを諦めたわけではない。

わかると言われたなら聞いた方が早い、それだけだ。


「意地っ張りには教えてあげません」


からかうような笑いをにらみつけると、彼女は勢いをつけてベンチから立ち上がり、噴水をバックにふらふら目の前を歩き回る。


「こんなでっかい公園があるんだね~。全然憶えてなかった」


「ここはけっこう有名だろ、目立つし」


辺りを見回しながら話をすり替え、その新鮮さを噛みしめる夏川を外灯が照らす。


「たしかに。入り口に変な置物もあったしね。私も昔は来てたのかなぁ」


「かもな。憶えてないだけで」


総合公園は用途別に設備が分かれ、砂場や滑り台の設置されている場所もある。

とりあえず子供を遊ばせるにはもってこいな以上、ここ一帯に住んでいれば一度は足を運んだことがあるだろう。


当たり前すぎて忘れてるなんてこともよくある。それが子供の頃ならばなおさら。


自分の最も古い記憶は、幼稚園の頃。給食をきっちり食べ終わるまで昼休みを迎えられず、外で遊ぶ他の園児を眺めていたものだが、正直これは自分で憶えていたものなのか、先生や幼馴染の話によって捏造されたものなのかは定かでない。


つまり、子供の頃の思い出なんて、その程度の強度。昔の記憶に固執したところで、たいした意味はない。そもそも今は昔話などに付き合うための時間ではないのだ。


「思いつめてそうだったからさ。ちょっと心配で」


夏川の蹴った小石が不規則に転がる。


人の顔色や、空気の機微を感じ取る力。たぶんコイツはそれが優れている。ここ数日で彼女と一緒にいる事に慣れてしまった節があるのも、自然に気を使い、話しやすく接し続けた夏川の功績だろう。ふらんどをるで俺が咲と普通に会話できたことさえ、その副産物かもしれない。


「家と逆方向でもついてきたか?」


「ん~、たぶん!」


慣れただけで彼女の多くを知っているわけではないのだが、一人になりたいからついてくるな、と言っても、なにかと理由を付けてついてくる、はず。そういうやつだ。


なんで友達がいないのか、改めて不思議に思う。


お節介なところがクラスではウケなかったのだろうか? ウザがられて浮いたのか?


友達作りは奥が深い。


「そういえばケーキかなんか買ったんだろ? いいのか? こんなところで道草食ってて。悪くなってもしらねーぞ」


「残念、それは焼き菓子だから数日は大丈夫なやつです!」


断言した後で不安になったのか、俺の隣に置かれた箱へ駆け寄り、側面に張られた賞味期限を確認する夏川。


ずいぶん洒落た箱に入ってるんだな――……あぁ、箱、といえば。


バッグに入れたまま数日、記憶の彼方へ消えていたブツを適当に弄り、取り出す。


綺麗に包装された小箱。


「え、それ、vacherinヴァシュランだよね?」


「ヴぁ――……いや、知らないけど。もしかして一般教養か?」


妙な見栄は通じない。いい加減学んだのは良い兆候である。


ヴぁなんたらの小奇麗な包み紙を破くと、これまた小奇麗な小箱が姿を現す。


マトリョーシカか。


「どうだろ? 駅ビルとかには入ってたりするよね。チョコレートといえばvacherinヴァシュラン! みたいな」


夏川の言う通りマトリョーシカの中身は高級そうなチョコレートが二粒。


「詳しいな」


「好きだったらしいからね。味とか憶えてないけど」


食べたいってことか? 見かけによらず卑しいな。


「やるよ」


飯代の利子でたまたま手に入れただけで、特に拘りもない。

どうせなら好きな奴に食べられる方が、こいつも本望ってもんだ。


「ええええ、いいよ! そういうつもりで言った訳じゃないし」


大袈裟に手を振り遠慮する夏川。


嘘つけ。流石に二粒しか入ってないと食べづらいか?


一つを自分の口に放り込み、残った一粒を箱ごと彼女へ伸ばすと、しばらく本当に困った顔で悩み抜いた末、諦めてチョコを手に取り、まるで嫌いなものでも食べる時の様に、勢いよく口に放り込んだ。


ふらんどをるでケーキを食べていたのだから当然甘党だと思っていたが、生クリームやカスタードが嫌いな甘党もいる、とSNSでみたことがある。まさかその類だったのだろうか。


無言で租借を繰り返す俺と夏川。


お高いチョコレートの繊細さは積極的に甘味を摂らない自分からすれば、


「甘いな」


程度の感想しか出てこない。


「……うん、甘いね」


遅れて全く同じ感想をこぼし、小さく微笑みながら繰り返す。


「甘くて美味しいだけだった」


「だけ? だけって、他に何か必要なのか?」


「え、んーん。ごちそうさま。でもどうしてvacherinヴァシュランのチョコなんて持ってたの?」


ここ数日で見たことのない複雑な表情をみせるも、またも綺麗に話をすり替えられる。


「あぁ、髭――や、木庭からもらったんだよ。お前に届けるプリント渡される時に一緒にな」


「……あーなるほど。そういう事――」


珍しく暗い語気で納得した彼女の言葉を、ライン! という人をおちょくった様なアラーム音が遮った。誰よりもその音に驚きながらスマホを確認する夏川は届いたメッセージに返信を終えると、明るい表情で呟く。


「そろそろ私は帰ろっかな。お母さんとまるたんも待ってるみたいだし」


「じゃ、俺も帰るか」


気が付けば、目的の気分転換は十分に果たされていた。


「気、使わせちゃった?」


「いや、ここから帰るにも近道があるんだよ。それに……一応夜だからな。そんなに遠くないから送ってやる」



―― ―― ――



総合公園を抜け、住宅街を歩く最中。少し後ろを歩いていた夏川が唐突に足を止めたのか、靴音が止んだ。怪訝に振り返ると、待ってましたと言わんばかりに言い放つ。


「次は、日向ちゃんに決めた!」


……は? 決めたってまさか――


「友達作り! やっぱり日向ちゃんだよ!」


「まてまてまて!」


人通りのない住宅街に響く自分の声に我に返り、声を潜めて続ける。


「自分が何言ってるか分かってるのか?」


これ以上ない呆れた声で言い聞かせながら思い返すと、夏川も同じ回想を辿っていた。


「いやぁ、まぁ……ね?」


「何が、ね? だ。お前は一回断られて――」


「滝くんは泣かしちゃったからね。……でも、咲ちゃんもなんとかしてくれるって言ってたし」


言ってたような、言ってなかったような。

だいたい誰のせいでああなったと思ってるんだ……。

咲は日向の友達だろうし、日向の学校生活の為、仲裁に入るのはわかる。

だが俺たちの目標は、楽しい時間を過ごすこと。その為の友達作りだろ。

ああいう輩と関われば、絶対ろくなことにならない気がするのだ。


「そのためにまず、仲直りしなきゃね?」


こちら勇気づけているつもりなのか、小さくガッツポーズをとる夏川。


「夏川、冷静に考えろ。俺とあいつは馬が合わない。それこそ、お前が咲に苦手意識があったように、俺はああいう角の立つ面倒くさそうなやつが苦手なんだ」


「滝くんなら、大丈夫だよ」


「答えになってない……」


「やー、でも、気付いてたんだね!」


あっけらかんと笑い彼女は続ける。


「咲ちゃんぐいぐい来るし鋭そうだしで、ちょっとだけ苦手かもって思ってたんだ。けど、滝くんがいたらなんとかなったよ! 仲良くなれそうな気もした!」


なんとかなったか。俺が何とかしてほしい時に前はお手洗いだったわけだが――


言いかけて、前のめりになった夏川を説き伏せることは、自分には難しいと悟った。


「そうと決まれば、明日のうちになんとかしたいね!」


畳みかけられた言葉に、驚く気力すら湧いてこない。


「明日を逃せば土日。休みを挟んだら、なあなあになって取り返しがつかなくなっちゃうかもだし」


頭と肩を落とすことを返事とした俺をたしなめるように、再び歩き出す夏川。

擦れ違いざまに、まぁまぁ、と肩を叩きずいずい先行していく。


もうこの辺りまでくればお互いのマンションは目と鼻の先。


「本気か? 何とかなる気配がしないんだが……」


追いかける背中が、なぜ自信に満ちているのか理解できなかった。


「滝くんも意地っ張りだけど、日向ちゃんも意地っ張りなんだよ」


「S極にS極向けるとどうなるか知ってるか?」


茶々を無視して夏川は続ける。


「意地っ張りだけど、なんだかんだ優しそうなところも一緒だね」


日向を褒める材料にしてるだけで俺を褒めているわけではない。

自分に言い聞かせ次を待つ。


「類は友を呼ぶって言うでしょ。がんばれ滝くん」


いや、お前の友達作りだろうが。


片手を夜空に掲げ、見覚えのある堅牢なエントランスに吸い込まれていく夏川。

そして、彼女を迎える自動ドアを開かせたまま振り返ると、季節外れ夜桜のように可憐に微笑む。


「送ってくれてありがと」


この笑顔には、ある程度の疲労を吹き飛ばす効果があるかもしれない。


「次回、押してダメなら引いてみな作戦!」


夏川はバシッと一発ポーズを決め、エレベーターへ消えた。


前言撤回。


あれは――悪魔の笑顔だ。

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