2-4


「違う――」


俺が泣かしたわけじゃ!


投げられた問に、狼狽しながら振り返った先。そこに佇んでいた人物は、こちらの想定とは異なっていた。


大きな黒縁眼鏡を掛けた、小柄で華奢な短髪の少女。


だ――誰だ……?


互いに驚き、目が見開いたのがわかる。眼鏡が大きいのか、顔が小さいのかはわからないが、どこかアンバランスに感じるレンズの向こう側に既視感をくすぐられ、思考は別の方向へ走り出した。


ん、あれ、コイツどっかで――


「何が違うんですか?」


淡々とした少女が、事を正しい方向へ導こうとするも、適当な相槌でそれを躱して、思考時間を稼ぐ。


……制服は、うちの。……学年も、一緒か。ショートカットで、あと目に付くのはやっぱり……眼鏡。


改めて得た視覚情報をまとめ上げ、自分の中に登録されたデータに検索を掛けるが、登録されているデータが少なすぎてさほど意味をなさい。


えぇ? 何だこの見覚え。眼鏡だろ、眼鏡で――


結果、残るのはモヤモヤとしたむずがゆさ。けれど、見覚えがあるということは、会ったことがあるということ。もちろん全てがその限りではないが、今回は何故か根拠のない確信があった。


暗記は苦手じゃないはずなんだが――


「……あの、もういいですか?」


ひどく不機嫌に告げらる時間切れ。座ったまま振りむいてしまったが故、少女の目線はこちらを見下し、それがまた虫の居所を悪く感じさせた。


「れ、れい……、写真は? もう撮り終わったの?」


時間に比例して徐々に重さを増す空気を、えみのバツの悪そうな声が払う。


――れい? れい……玲。 あぁー、日向玲ひなたれい


少女は大きく溜息をつき、すこぶる煩わしそうに口火を切る。


「とっくにね。なかなか帰ってこないから探しに来てみれば……。なに知らない人に迷惑かけてるの?」


軽い会釈で視界を横切って行く日向。歩く度、ブラウスの上から斜めがけにされたカメラが、僅かに跳ねる。


「べ、別に、迷惑かけてないよっ!」


「ほんと? この人振り返った時すごい顔してたけど」


日向は一瞬こちらに視線を振るも、すぐに咲へと向き直り、揚げ足取りを再開。そのやり取りの最中、俺は思い返していた。


1学期の僅かな接点から今日の放課後に至るまで、少なくとも自分の知りうるは日向は裸眼。となれば、既視感の正体は一対のガラスの奥。放課後に身を竦まされた吸い込まれそうな瞳と、くっきりとした顔つき。そりゃ眼鏡で思い返してもでてこない。


――というか、まて。


しれっと知らない人って言われていたが、透明人間って比喩じゃないのか?

そこまで無いのか存在感。さすがに俺だって、顔見ればクラス全員苗字くらい――


「ほら、戻るよ」


咲に向かって伸びた日向の腕は、途中で何かに気付いたように軌道を変え、テーブルに置かれたままのスマホを広い上げる。


「あー待ったっ!」


引き留める珍妙な声を気にすることなく日向は、素早く画面をタップし表示された内容を読み取っていく。隠れた直近のやり取りを把握しているのだろう、上下する人差し指に合わせて瞳が同じ動きを見せる。そこからおおよその事態を掴み終えたのか、日向は視線を咲へと移し、


「なにこれ?」


答え合わせにかかった。


声音から察するに怒っているわけではない。呆れているといったところか。


「えーと、その……」


「この鈴木って人、誰?」


咲はぐらかすネタすら出せず、容赦のない追従に、明らかな劣勢。


「二年の先輩で、イケメン……」


「へぇ、イケメンならよかったね」


「……よく、ない」


詰みかけているのか、みるみるうちに小さくなっていく。


会話から概要を把握できないこちらとしては、ただ傍観する事しかできない。

いたずらに声を掛ければ話がややこしくなる。そんな気配がそこにはあった。


「だからあのての人たちには関わるなって言ったでしょ――ほら、戻るよ」


再度伸ばされた日向の腕を、咲は両手でわし掴み、無理やり身近に引き寄せる。


よろけた日向が咲の隣に着席する様子は猫さながらで、運動神経の良さが伺えた。

本人としては特別なことをしたつもりはないのだろう、手元のカメラの無事を確認すると困惑した表情を浮かべ、もう少し自分がここ居座っていて良いのか、こちらへ視線で訴える。


「わたしだってなんとかしようとしてたんだよ。丁度よく人も見つかって、ほんとに、あとちょっとだったんから……」


だが、俺と日向のアイコンタクトを気にする素振りも見せず、自分勝手に話を進める咲こそが、このテーブルの支配者で、もろもろの権限は自分にはない。


もう、どうにでもなれ。諦めてうなずく。


合図を捉えた日向は大事そうに抱いていたカメラをテーブルに置き、ため息を一つ。


「でも、もう決まっちゃったわけでしょ? どうしようもないじゃん」


身も蓋もない一言に、咲の涙腺が刺激されたのがわかった。日向も一瞬、それに動揺の色を見せるも、泣いたって解決しないよ、と冷静にたしなめる。


何とも早い政権交代。教室では咲が日向を煙に巻いていたが今回はその逆。しかし、きっとこれが本来あるべき彼女たちの日常なのだろう。呆れた日向も、口を尖らせた咲も、本心では互いを気にし合っているのがひしひしと伝わってくる。目の前の二人が同じグループで和気あいあいと談笑する姿は想像できないが、所属グループ自体がない俺には、到底計り知れない何かがあるのかもしれない。


「それで咲、こちらは?」


「――たきくん」


「滝さん、ご迷惑をおかけしました。では私たちはこれで失礼し――」


隙あらば脱出を試みる日向を、横から伸びた咲の腕が席へと捕らえ縛り付けている。やがて上半身を押さえつけていた腕はスッと机の下へ消えていき、水面下でのせめぎ合いを匂わせつつも、やり取りは続く。


「滝くんは、わたしのの友達」


依然へそを曲げた咲の中では、どうやら既に夏川とは友達になっているようだった。


「咲の友達の友達だと、私からすれば完全に他人だね」


その通りだな。


「なら、滝くんも友達!」


は?


よくわからない意地の張り合いに巻き込まれ、友達ができた。


政略結婚に巻き込まれた複雑なヒロイン気分を味わえた気がしたが、目の前で大きく溜息をつく日向もまた、こいつに振り回される被害者なのだろう。こちらを一瞥した表情は億劫そのもの。更に、拗ねて机に突っ伏せる咲に連れ出すことを諦めたのか、日向は小さく手を上げ、手近な店員を呼び止めると、元居たテーブルからの移動を申し出る。


……店員と話す姿は普通に明るいんだな。クラスでその顔を見せていれば、今頃引く手あまたの人気者だろうに。


「カップとかは自分で持ってくるので大丈夫です」


日向はニコッとそう言い残し席を立った。


噂とはずいぶんズレがあるが、猫を被っていたようには見えない。そもそも咲と仲がいいということにも違和感が残る。刑事ドラマの凸凹バディを彷彿とさせる二人は、言わば対局。


ん~、同じ中学だったとか、幼馴染だとか、そんな感じか?


大まかな予想を付けている間に、日向に呼び止められた店員は、ごゆっくりどうぞ、と言い残し、ついでに使用済みの食器を回収して行く。


ごゆっくりどうぞ……ね。


乗りかかった船は、泥船まで成り下がっていた。


背もたれに自重を預け、テーブルに項垂れる咲へと視線を移す。


どうして日向がここに現れたかは概ね予想できる。

つまり、速やかな帰宅のためには――


「あー……、で、そのイケメン先輩がどうしたんだ?」


腹をくくり、大きく泥船のかいを漕ぐ。


数拍の沈黙の末、振り出しへ戻された現実を拒むように呻いた咲は、上目遣いに口を開いた。


「……次のお見合い相手」


「は? 見合い……って結婚するのか?」


「け、けっこん!? な、なに言ってるの、流行りのやつだよ、知らないの!?」


結婚に特別な思い入れがあると感じさせる勢いで飛び起き、頬を染めて見せる。


「初耳だな」


照れ顔が呆れ顔へあっという間に諧調し、


「彼氏欲しー、とか、彼女欲しーって言ってる人たちをね、友達同士で紹介し合うんだよ」


思い出すのも億劫そうに咲は渋々説明を始めた。


「一学期のいつ頃だったかなぁ……。友達同士の紹介で、たまたま成立したカップルがいてね。そのカップルが、今の自分たちがあるのは紹介してくれた友達達のおかげだーって、自分たちがしてもらったみたいに、友達同士をくっ付けようといたのが事の始まりだったみたい。で、それがまたうまく行っちゃったらしくて、あとはその繰り返し。夏休み辺りからはもう、理想のカップルを作るゲーム感覚」


言い終わり、再び苦悩の溜息をもらす。


合点はいったが――


「その話しの通りなら、自業自得じゃないか? 彼氏欲しーって言ったんだろ?」


無造作に正論を突き付けると、咲は視線を落として唇を噛み、下まぶたに涙を蓄積させていく。


「……い、言いましたよ、言いましたとも。そりゃ、わたしだって華の女子高生なんだから、彼氏とか欲しくない? って聞かれれば、まァいい人がいれば……。って答えるのが世の常でしょ。でも、言ったのは夏休み前。女心は秋の空だし、そもそも私は――」


「だ、だったら、断りゃいいだろ?」


同じ過ちは繰り返すまいと、情緒が崩れる前に慌ててせき止めにかかる。


「……三回目なの」


はい? 理解できない旨を表情で返す。


「三回目の紹介なのっ!」


察しの悪い俺に咲は少しだけ語気を荒げたが、怒ってもしょうがないと悟ったのだろう、深呼吸を挟み続ける。


「紹介されたら、絶対デートして付き合わなくちゃいけないって訳じゃなくて――」


ま、それだったら赤紙もいいとこだしな。


「前情報でなんか違うかもって思ったら、そこで断ってもいいわけなんだけど、それも三回目となるとどんどん断り辛くなってきて……。仕方がないから、もし次があったら一回だけ適当にデートして断ろうって思ってたの。そしたら、相手はやたら人気の先輩で……」


「なら適当に付き合ってみるのは――」


「 滝くんはバカなの? 最初の彼氏っていうのは特別なんだよ!? 適当に遊びで消費していいものじゃないの」


「相手だってイケメンなんだろ? 手ごろな王子様じゃ――」


「イケメンなのも問題! イケメンっていうのはね、それだけでモテるし、人気者なの! そんな人、デートしただけで嫉妬もされるし、付き合いましたが断る前提でしたーなんて……もしバレたら友達が減る程度で済めばいい方、最悪また――」


後ろめたそうな何かを飲み込み、それに、と言葉を溜め、


「王子様は自分で選びたいのっ!」


テーブルに身を乗り出し、そう言い切った。



―― ―― ――



自分の想像より、声が大きくなってしまったのだろう、時間差で恥ずかくなった咲は赤くなった表情を隠すように俯いた。


頭ん中お花畑だ……。


どことなく遊んでそうな見た目とのギャップに呆れ、身も心も引いた俺の代わりに、


「そ、そうだよ」


背後から聞き覚えのある声が響く。


釣られて振り返れば、


「私もそう思う。王子様も友達も、自分で選ばなきゃ」


テイクアウトしたであろう店のロゴ入り小箱を抱いた夏川が、全面的に同意を示していた。


すると今度はその反対方向。


「なんでもいいんですけど、そこに立ってると危ないですよ」


ポットとカップを携えた日向の、緊迫感のない注意勧告。


「あ、ごめんなさい」


反射的に夏川がこちらへ一歩近寄り通路を空けると、紙一重のタイミングで小さな子供が駆け抜けていく。


「ありが、とう……ご、ざい……ます」


未然に衝突事故を防いだ立役者への感謝は、出だしこそ調子が良かったものの、夏川が声の主を視認した途端に小さくなっていき、最終的には俺の耳にしか届いていなかっただろう。そしてそのままこちらへ近づき、


「な、なんでここに日向さんがいるの、なんか眼鏡かけてるし」


慌てた口調で夏川が耳打ち、ふたたび鳥肌を呼ぶ。


近い。ほんと懲りないなこいつも。というか、日向って気付くの速いかよ。

そういえば、女子は見た目の変化に鋭いって聞いたことがある。


「……最初から二人で来てたみたいだぞ」


身を引きながら、わざとらしい説明口調でやや大きめに答える。教室を二人で出て、今もここで二人ということは、偶然ふらんどおるで鉢合わせた訳ではないだろう。


細かいところや間違っているところがあれば、勝手に向こうが訂正するはず。


ところが対岸の日向と咲は情報整理に勤しみ、俺の話など聞いてはいない。


「こちらは夏川ちゃん。 滝くんと、わたしの友達」


わたしに強くアクセント置いた咲の意味深な紹介へ便乗するように、、そう小さく頭を下げる日向。


「はじめまして?」


反射的に口をついてでた言葉は、自分が思っていたよりも冷たく、その温度に動揺したのは俺を含め皆一緒だった。


一度深く呼吸を取り、


「あ……いや――さすがに、はじめましては、ないだろ?」


出来る限り二の句の温度を上げる。


こちらを見つめ返す二人はなぜ突っかかられているのか、本当にわからない表情。

咲に至ってはクラスも別で、あの告白を見ていたわけでもないのだから当然も当然。

その視線に押し負け、つい顔をそむけてしまう。


自分自身、なぜ突っかかってしまったのか、いまいち理由がわからなかった。


……少なくともあの時の夏川は真剣だっだろうし。それをなにもなかったみたいにされるのは、なんというか、まぁ……気の毒っちゃ気の毒だ。


それらしい理由を見繕い、言葉を出来るだけ選びながら続ける。


「別に俺にはなにを言ったっていいさ。透明扱いされようが、初めましてでもいい。

適当に流せる」


ただこいつは、バカみたいな作戦考えたり、やっていることも的外れで意味分からないけど――


「けど夏川は――」


「……滝くん」 


風に消えてしまいそうな声に、慌てて理性がブレーキを掛ける。


いやいや、なに熱くなってんだ俺は? 自分の事でもないのに。

とりあえず落ちつけ。冷静に、冷静にな――


「いらないと思いますよ。友達とか、無駄なので。勉強でもしてたほうがマシです」


テーブルの下で握られた拳に強く力が籠った。


雲行きの怪しさを敏感に察した咲が、まぁまぁ一旦ここはさ、と立ったままの二人を席へ手招くも、


「いらないじゃなくて、作れないだけだろ」


日向の言葉に行き場を失った何かが、明らかに余計な一言へ姿を変えた。


「……気が変わった。咲、支払いよろしく」


テーブルにポットとカップを置き、荒々しくカメラのストラップへ腕を通す。


「帰る」


震えるように冷たい日向の声。クラスの噂とそん色ない凍てつくような鋭い眼光。

その目じりに浮んだ、微かな涙。上がっていた熱が急速に引いていき、相手の地雷を踏みぬいた事を直感したが、なにをするにも、彼女の背中は遠すぎた。

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