2-3
日没の濃い橙色は、空気分子や大気中の微粒子による日光の散乱が原因らしい。
そんな夕焼けはここ数日の面倒事と密接しており、赤く染め上げられる綺麗な街並みや、夏の終わり特有の風情よりも、より強い悪印象が芽生えかけていた。
結局、またこうなるのか……。
現実逃避に状況を整理すると――
暮れなずむ鮮やかな色合いを、快適な屋内から眺められることは、この店がもたらした幸せの一つ。それに、cafe&cakeと銘打っておきながら、昼食をとれず、空腹に悩まされていた男子高校生を満足させるメニューが存在していたことも、その一つ。
いい意味で予想を裏切ってくれた。
つまるところ、夕焼けや、ふらんどをるは悪くない。
「お、きたきた~」
――しれっとスイーツまで頼んでいたこの茶髪チビ女と、少し前に比べ、目に見えて表情が明るくなった
テーブルの食事状況に合わせ提供速度を調整する、コース料理店よろしくな気配りは、誤解を解き終わった瞬間を狙いすまして、甘味の盛り合わせを到着させた。
「いただきまーす――っと、その前に」
少女はスマホを取り出し、いくつか角度を変えながらシャッター音を響かせ、カトラリーに手を伸ばす。
「で、二人は付き合い長いの?」
聞きながら、ぱくっと抹茶アイスを咥え、表情をとろけさせる。
どう、だろう。一昨日? いや、一応同じクラスなわけだし、もっと前か?
そう口を開く前に、夏川が動きを見せた。
「……ついさっき」
「さっき?」
怪訝に重なる二つの声。
「ちゃんと友達って認めてくれたのは――ついさっき、かな」
控えめだが確かな輝きを見せるその笑顔は、体制を持たない少女の心を射貫き、はにかませる。
ちゃんとって、どんだけ根に持ってんだよコイツ。彼女と勘違いされるよりはマシだと思ったが、これもしばらくダシにされるな……。
そんな思考を見透かしたのか、夏川はいたずらにささやく。
「ね?」
別に間違ったことを言ったわけではないのだから、変に訂正するのもまた違う誤解を生む気がし、泣く泣く受け流す。
「可愛い! 今の顔もう一回っ」
夏川の初見殺しスマイルからいつ息を吹き返したのか、おかわりをねだり、スマホを握りしめる手には悔しさが滲む。
「やっぱりこういう一瞬の可愛さってなかなか形に残せないんだよね~」
「ま、大事なものは目には見えないっていうしな」
視界の端では、直球で褒められた気恥ずかしさを紛らわすように、夏川が少し離れた場所から食べかけの皿を手繰り寄せる。
「その照れてる感じもいいんだけどぉ――」
「食べるか、撮るか、どっちかにしろよ」
大袈裟な悩み顔を作るカメラマン気取りの少女。そんな一行の死角で自分のスマホに明かりを点すと、待ち受け画面に浮かぶ数字に驚かされた。
……結構時間経ってるな。ぱっと見、激混みで待ちが絶えないってわけじゃなそうだけど、こういう店ってどれだけ長居していいんだ? ピークタイムだのアイドルタイムだのに寄るんだろうけど、店員ってわりと客の顔憶えるしなあ。
「よいではないか~よいではないか~」
夏川は少女に向けられるレンズに掌で壁を張りながら、ハムスターさながらに頬を膨らませ租借を繰り返す。
記憶に残る前にさっさと帰りたいが……こいつらを放置してていくわけにも――
そんなイタチごっこが続くテーブルに打つべき終止符は、唐突に降ってきた。
――いや、待て。
この脳内ゆるふわ女から漂うヒエラルキー上位の香り、使えるのでは……。
なあ、と口火を切り、耳目を集める。
「友達作りに協力してくれないか?」
話し辛さを感じさせず、自然と会話を生み出す力は、間違いなく人気者のそれ。
突き抜けた明るさも、露骨に足りてなさそうな頭も、俺達にはなかった新たな風。
デジャヴに目を見開かせる夏川は、たぶん、こいつの事があまり得意ではない。なぜ得意ではないのかはいまいちピンと来ないが、二人の時より大人しいということは、そういうことなのだろう。なんなら俺も得意じゃない。だが夏川よ、この手のやつはそこを押し通してまで釣る勝ちのある魚。芋づる式に所属グループまで巻き込めば、お前の今後は保証されたも同然。そんな可能性を秘めた卵持ちなんだ。わかって――
「え、やだよ?」
あまりに軽い拒否の後、ゆっくりと瞬きを二度挟み、少女は、だって、と続ける。
「どーせ女の子紹介してほしいとか、そうゆうやましいやつでしょ?」
友達作りに協力してくれないか? 心で繰り返し唱えると、見えてくる失敗の正体。
……俺の、友達作りだと思ったのかァ!?
ここ一番の局面で現れた伏兵は、欠落した主語。描いていた未来を覆す、痛恨のケアレスミス。現実は非情で、名前の書き忘れた答案は、一律に0点なのだ。
天啓はちりあくたと化し、賽は最悪の出目を弾き出す。
冷静に考えれば、話しやすかろうが相手は格上。引き込むにしても、もっと時間を掛けて然るべき。……なんでもう少し真面目に考えなかったんだ。すまん夏川、あした学校で変な噂が流布されてたら俺は早退――
「夏川ちゃんの友達作りとかなら、喜んでなんだけど……」
止まったはずの賽が再び動き出し、
「あ、夏川ちゃん、わたしとお友達になろうよ!」
出目を変えた。
「それだ!」
間髪入れずの便乗に、ピンチはチャンスへと早着替え。
「え、なに、なになに」
「どうだ、夏川!?」
突然の賛同に若干警戒の色を示す少女を無視し、誘われた張本人へ問いかけたが、ネット際のラリーを彷彿とさせる攻守の切り替え速度について来れず、混乱した様子の夏川は俺と少女の顔を見比べ、着地点を見失ったなんともマヌケな悲鳴を上げる。
「ま、待って――」
「大丈夫、怖くないぞ? 距離が近いのだって要は慣れだ。ほら、動物も妙に人懐っこい個体いるだろ、それだ!」
「……人懐っこい……猫……」
錯乱しながらも、動物というざっくりした例えを自ら猫に置換し落とし込むあたり、謎の猫理論を提唱するだけあるな。
「……ねこ……ねこ……名前は――」
「おい、名前はッ!?」
頭を抱える夏川の零した声を中継するように、少女へ問う。
「え、えみ、
流されるままの返事を受け取り、今度はその逆。
「咲だ、夏川。咲!」
「……えみ、ちゃん」
少女の名前を呟くと、糸を切られた人形の様に俯く夏川。
咄嗟に視線で不安を共有する俺と咲。
数秒後。
「ちょ、ちょっとお手洗い行ってくる」
依然呆けたまま、フラフラと席を立つ夏川は誰にも止められなかった。
―― ―― ――
「だ、大丈夫なの……? なんか虚ろって、千鳥足だったけど」
「どう、だろう、な」
事態は一旦の収束を迎え、ポーチを手に小さくなっていく夏川を思い返す。
おちょくられてばかりな分、取り乱す姿は新鮮だったが、あの様子だと負荷をかけすぎたかもしれない。
「そ、そういえば、まだ名前聞いてなかったね」
どことなく湿った空気を換気しようと、少女も気を使ったのであろう。
「
と、簡潔に答える。
「うんうん。滝くん、滝くんねっ! それで……滝くんはどんな友達がほしいの?」
思い出したように溶けかけのアイスを一口で平らげ、空いたスプーンがマイク代わりにこちらへ向く。
ん? 友達を欲しがっているのが俺だと、まだ思ってるのか? バカ……なのか?
……しかし、作れるとすれば、どんなヤツがいいだろう。ゲームとか本のくだらない話ができて、飯も作れる奴のが遊んでる時とか便利でいいな。連絡頻度は、そうだなん? わざわざ聞いてくるってことは、俺と友達になりたい? いやいやいや――
自問自答が生む不自然な間に、咲が首を傾げる。
と、とりあえず、ここは無難に。
「や、やっぱ、話しやすいやつ、とかじゃないか?」
「話し、やすい。……ちなみに、ご趣味はっ?」
「趣味……? 読書とか、ゲーム?」
「じゃ、じゃあ、友達に大切なものって何だと思う? 量より質とか、なんでもいいんだけど、その辺はいかがお考えでございますか!?」
要求されるイマイチ掴み所のない答弁。
「……は? りょ、量より質は……同意だが、あいにく友達は多くない現状で、比較しかねる」
多くない現状どころか、友達は夏川ただ一人。咄嗟に見栄を張ってしまった。しかし咲はそんな後ろめたさには目もくれず、一人勝手に腑に落ちていたようで、小難しい顔でいくつか頷き、そっか、うん、やっぱり、などと謎の分析を繰り返す。
「夏川ちゃんとは、ただの友達なんだよね?」
協調された、ただの、に答えが詰まる。
滝慎吾くん。私の初めての友達。鮮明に思い返せる記憶に間違いはない。
「さっき、言った通りだ」
噛みしめるように告げると、彼女は再び顔をしかめ、しばし考え込んだ後。
「じゃ――」
飛び出しかけた言葉は、バイブレーションが起こす異音にジャックされた。
反射的にポケットに触れるも、どうやら自分のものではない。
「ごめんごめん、わたしだわたし」
慌てて呟き画面をタップした直後、え? と小さく言葉をもらし、指が止まる。
「急用、か?」
申し訳程度に気を遣うも、うん。大丈夫。と言い残し、無言で操作に没頭していく。
うんなのか、大丈夫なのか、どっちなんだ?
ちょっとぐらいならと待つ覚悟を決めた途端、咲は大きな溜息を零す。
「なんでこう、上手くいかないのかなぁー」
誰が見ても分かる、空元気に飾られた笑顔。
咄嗟に後ろを振り返るも、夏川の姿はない。
やばい、やばいぞ。なんでこういう時に一人なんだ。こんな面倒臭さマシマシの女、俺にどうしろっていうんだ。どうする? とりあえず時間を稼いで――
横目に捉えた咲の表情は、虚飾のメッキが剥がれかけ、各所に淀みが浮かび始める。
「えっとー……どうか、したか?」
優柔不断を振り切り、なんとか踏み出した一歩。呼応するように咲も強く握っていたスマホを二人を結ぶ対角線の中ほどへ置き、ぎこちなく笑う。
「見られて困るものじゃないからへーき」
頼む、助けてくれ夏川。
カースト上位で友達が多い。明るいお調子者。
想像していたステータスに走る、痛烈な違和感。
光源よりも何よりも咲の顔色が気になるところだが、言われるがまま恐る恐るアプリの詰まった待ち受けを覗く。
これはごく普通の女子高生のスマートフォン、なの……か? いや、ごく普通の女子高生のスマートフォンってなんだよ!
ケースもシンプル。度たび現れるポップアップが煩わしいことを除けば、不審な箇所は見受けられない。
いまいち基準がわからず俺が反応に困っている間も、数秒毎に流れる通知は止む気配がなく、見覚えのある緑のアイコンから浮き出るバッジは、躊躇うことなく4ケタの大台を踏んだ。
「それ、放課後からの通知で、だいたい毎日そんな感じ」
異常性を示唆するように、笑顔を引きつらせる。二日に1回連絡が来ればいい方。
そんな自分のlineと比べれると、その差は歴然。女子高生の捌くチャット量のおぞましさに、肝が冷えた。
「通知オフにする手も試したんだけど、必要なものと不必要なものが同時に流れるもんだから、結局確認する手間は変わらないんだよねー……」
物憂げに頬杖を突き、鼻を鳴らす。
「しかも、その大半は彼氏だの彼女だのそんな話ばっか。見せられる写真も美味そうなものじゃなくて、美味そうなものを食べてる自分達ばっか。いい加減別の話しもしたいのに――」
頬を支える掌からずり下がった頭が、腕を伝って肘へと滑り落ちる。
ひとたび洩れた始めた愚痴は止まることをしらず、どことなく声も涙ぐんでいく。
「ゲームの話を男の子としてれば抜け駆けってやっかまれるし、好きな服の話をすれば、咲だから似合うんだよって謎の僻みにあうし、インスタでみた話lineでもリアルでも何回もするんだよ? IQどうなってるの……」
最後のはただの悪口じゃないか?
「私には、無理なのかなー……」
潤んだ瞳から、長いまつ毛を押しのけ静かに溢れた涙は、頬を伝い、顎からテーブルへ流れ落ちる。
あれ、どうしてこうなった? いつからやらかしてた?
己の人選ミスに行き着きかけた瞬間と、時を同じくして背後から伸びる誰かの気配。
まて、まて。今じゃない、今返ってこられたら――
「なに、やってるの?」
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