2-2

自分のテーブルへ帰る道すがら、俺は必死に思考を巡らせていた。

いや、トイレに籠っている間も考えてはいたのだ。だが如何せん情報が少なすぎて、個室で悩んでいるだけでは埒が明かなかったのである。


なんなんだ? あいつは。教室で日向の注意を反してくれた恩はあれど、なぜ我が物顔で俺たちのテーブルに居座っているのだろうか? わけがわからない。


今も遠方からいち早くこちらに気付き、大手で着席を誘導しているその姿に、当然、歩幅は小さくなる。


時間を稼げば状況が好転するわけじゃない、そんなことくらい分かってはいるのだ。が、席から立ちあがってまで露骨な笑顔を振りまく栗毛少女の佇まいは、歩行速度を鈍らるのには十分だった。


「こんなところで会うなんて、奇遇だねっ!」


まだ席までたっぷり5歩はあるのに、少女はお構いなしに両手を腰の後ろで組むと、これ以上は待てないといった様子で、辺りを自分に都合のいい世界へと塗り替えてしまう。


「ほらほら、早く座って」


既にイニシアチブも奪われているようだ。


どうしてこうなった?


留守にしていた間の成り行きを問うべく、困ったふうの夏川に視線を移す。も、


私にわかるわけないでしょー……。


とでも言いたげな、紅潮した頬と潤んだ眼差しが、知らぬ存ぜぬを物語る。


「き……奇遇、だな?」


観念して先ほどまで腰掛けていた席を引くと、


「あっ、もしかしてデート中だった? だったら私――」


行き交う以心伝心から省かれた少女は、自分勝手な誤解を加速させていく。


「あのな――」


「く、クラスのみんなにはナイショだよ的なやつ? それなら大丈夫、私、口の堅さには定評あるから! 安心して」


撤回を求め差し込んだ苦言は速やかに押し潰され、いつの間にか用意されていたティーポットを傾ける少女は、全く聞く耳を持たない。


「いやいや、安心できるか。子供じゃないんだから、まずは人の話を最後まで――」


「こ、子供!? な、なにを言う、レディーに向かって失礼だな……」


自信に泥を塗られた事が気に障ったのか、眉間にしわを寄せた少女が前のめりに体制を変えたことが開戦の合図。


「じゃあ問題です。私、実は田中君の事が好きなの。でもね、絶対、ぜったい誰にも言わないでね! って友達が相談してきたらどうするっ!?」


「は? なんの問題――……言うなって言われてんだから、黙ってりゃいいだろ」


「まったく、なんにもわかってないねぇ。女心は逆張りってご存じないっ?」


少女は安直な答えを鼻で笑い飛ばすと、話を勿体付けるように言葉を溜め、

勝ち誇った顔で紅茶をすする。


「ダメはいいよ、いいよはダメ。こんなの常識よ? つ、ま、り、この場合の正解は、さりげなくその友達の好意を田中君にだけ伝えること。そして田中君にその友達を意識させ、上手いこと興味を向けさせること」


想定より濃く煮だされてしまったのか、口を付けていたカップを渋い顔でソーサーへ納めながらも、言葉は続く。


「でも、気を付けなくちゃいけないこともあります、あくまで依頼者には内密に! もしも告白が失敗した場合、貴方のせいで失敗した、と濡れ衣を着せられてしまう可能性があるので、深入りは禁物です」


「……おい。口の堅さを測る問題じゃなくて、人付き合いと女心を測る問題になってないか? しかも、小学生が読むような恋愛How-to本に載ってそうな感じの」


必死に覚えたのだろう、最後は口調まで変わっていた。


言われて気付いたのか、紅茶に角砂糖を入れる手を静かに震わせ、ぎりぎり聞き取れない何かを呟き、伸びていた背筋が丸まる。


「――n・anだし……」


「なんだって?」


「an・an! 大人が読むやつ!」


異議ありと言わんばかりに頬を膨らませ、背もたれにふんぞり返るブラウスに刺繍された、見慣れた校章。その色が示すのは、学校という小さな社会での序列。


――青。一応、同学年か。なんでリボンしてないか――は、どうでもいいか。


青、赤、緑。学年ごとで分けられた三色は、誰から見ても分かりやすいように、校章のみならず、学校指定のネクタイやリボン、生徒手帳のカバーに至るまで反映されており、遠目からでもある程度の分別を可能にしているのだ。


適当に喋っておいて先輩でした、とかだとなにかと気まずかったが――


軽口を叩いたあとで収穫した情報に安堵するも、そこで生まれる新たな違和感。


――適当に喋って……おいて?


確かにここ数日、人と話す機会は多かった。だが、それだけの理由でたいして面識もない相手に、フランクに接する事ができるだろうか? あしらって、けん制して、逃げるよう仕向けるのが透明人間のやり方のはず。となればやはり、そうさせられた、と考えるのが妥当。


――誰に? 

 

おもむろに上げた視線の先。


可能性の一つであるはずの夏川は、一連のやり取りを小さくなって眺めていた。肉食獣を警戒する草食獣さながらの身の強張らせようは、なんというか、いつもの余裕がない。


「ねえねえ、私そんなに子供っぽい? ほんとに口は堅いんだよ?」


俺の視線を辿ったのか、少女の標的が夏川に移る。


「ぇ……!? えーと、年上っぽい? た、頼れるおねえさん、みたいだよ?」


泣き出しそうな表情でずいずい詰め寄る少女に対して、相手の望んでそうな答えを片言で呟き、最後にこっそり、見た目は……と付け足した。


たしかに。見た目は垢ぬけて見える。


小柄で華奢な割に窮屈そうなブラウスの胸元は、第一ボタンを開け僅かに着崩され、ゆるやかにカールした栗色の長髪は、濃い黒髪の隣にあるせいかより拍車がかかり、派手というか目立つというか、大人びて見える反面、あからさまな背伸びが、所謂、遊んでそうとも捉えられた。


「やっとまともに喋ってくれた~」


カップから漂う、上品なローズヒップとは似ても似つかない声に引っ張られ、彼女らの表情に意識を戻せば、大袈裟な嬉し泣きを演じる少女と、半ば達観しどこか遠くをみる夏川。


どういう絵面だよこの状況?


湧いた疑問を解消するように少女は説明を開始。


「君がお手洗いに行ってる間ね、なに聞いてもウンともスンともだったのね? それが返ってくる姿が見えた途端、急に空気が明るくなったかもんだから、チャンスかなーって思ってたんだけど、さすが私」


そう胸を張りながらこちらに向けられたブイサインを尻目に、夏川はスッと席を立ち、硬い足取りで少女の対面、もとい俺の右隣に座りなおす。


「ん? な、夏か――」


行動の意図を求め振り返った横っ面は、小さな掌に受け止められ動かない。

頬に触れる慣れない感触。その冷たさからは、どことなく緊張が滲み出ていた。


「滝くん」


外耳の一寸先で囁かれた声が、添えられた手によって鼓膜へ収束。背筋へ走る悪寒に連動して立つ鳥肌を悟られぬよう心を諭すも、夏川はお構いなし。


「どうしよう、この子ちょっと馴れ馴れしいよ!? 距離も近いし――」


追い打ちの空気砲を乱れ撃つ。


お前も一緒だろ……。よく人のこと言えたな。


可能な限り自然に身を引き、改めて夏川を見据えるも、距離の近さ云々は自身には当てはまらないのだろう、不思議な顔でにこちらを見つめたまま。まだ話は終わっていない、そう距離を詰めようとする夏川との間に腕で壁を作ると、耳打ちは諦めたのか、不自然に口をパクつかせる。


何かを訴える瑞々しい唇を注視すれば――


へ、る、ぷ。あー……、ヘルプ。ヘルプね……。助けてほしいのはこっちだ。


体の奥からもれる泣き言を諫め、一息で呼吸を整えると、やり取りをぽかんと眺めていた少女と向き合うよう、椅子の位置を直した。


さて、どこから切り込めばいいものか。


夏川に立てられた鳥肌は一旦無視し、空気の転換目的でひとつ咳払いを置く。


「でー、なんの用だ?」


放たれた直球の轍をなぞるように、な、なんのようだー、と小声で夏川が復唱する。

少女は背筋を伸ばし腕を組むと、唸るようにしばらく考え込み、


「んー、えーっとー……」


ちらちらと夏川を見遣りながら、二の句を間延びさせていた。


ん? 目的は、こいつか?


「……夏川?」


適当に立てた仮説に従い、試しに名前を呟き、続きを誘う。


「夏川ちゃんて言うんだぁ。あ、よく考えたら最初に名前を聞くべきだったよね! ごめん、夏川ちゃん」


呼ばれる度、返答に困ったように揺れる隣の席。


「……まずは質問に答えろ。その後でなら夏川を好きにしていい」


ええ!? と悲鳴を上げる少女を担保に脱線しかけた話を戻し、乾いた喉をサーブされていた冷水で潤す。口内に含むと、程よくに香る柑橘が鼻に抜け、気分を落ち着かせてくれる。


「えっとー……デートに誘おうと――」


へぇ~、百合とか現実であるんだな。夏川も女友達欲しいって言ってたし、よかったんじゃないか――


部外者面で水をすする中、こちらを見つめ続ける目の前の少女と視線がかち合う。

その少し照れた視線の意味を理解した途端、喉を下る寸前の水が鼻からデトックスされた。


「きたなっ!」


「もう、なにしてるの……」


身を捻る少女と、手近な台拭きで掃除にかかる夏川。


完全に手遅れだが、形だけでもおしぼりを口元にあて、散布を防ぐ気概だけはあったことを示しつつ鼻を拭う。そして、逆流の違和感が残る鼻の頭を押さえながら自分を指さし少女に再び問い返すと、気まずさと恥ずかしさを混ぜた頷きが返ってきた。


は?


突然のナンパであっけにとられていた俺の背中に、テーブルを綺麗にし終えた夏川の恨みの籠った一撃が炸裂し、強引に目を覚まさせる。


「ど、どうして俺なんだよ?」


入学数か月で膨れ上がった猜疑心が、しばらく疎遠だったデートという甘酸っぱい響きに牙をむく。


そうか、わかったぞ。こいつ、貯金が目当てだ。夏休みの激務を経てたどり着いた20万が目当てなんだ。いや、だとしても、俺がこんな露骨な美人局に引っかかると思ってるのか? いや、まてまて。もしかしたら奇跡的に一目惚れという説も――


「友達が少なそうだったからかな? あんな量の荷物一人で持ち歩いてたし」


一瞬でも自惚れた自分を殴りたい。というか、掃除一つで友達が少ないことが透けるのかよ。


素性を言い当てられた事実に反論の勢いを失う。


「あーでも友達が少ないことはわるいことじゃないから! きっとなにか理由があるんだよね!? ほらほら苦労人のオーラがでてるよ。それに私の良い人センサーが反応してるからさ」


謎のフォローを入れ、掛けてもいないメガネの弦を押し上げる仕草は、彼女の中でのインテリジェンスの象徴なのか、顎をクイっと上げ、自分の審美眼を誇っていた。


「早とちりしやすいのが玉に瑕です」


うんうん、と隣で首を縦に振りながら無駄な情報を添えて賛同する夏川。


「まてまて! 俺が選ばれた理由はもういい。なんだ、いきなりデートって?」


突然の結託に、少し声を強め釘を刺す。


「あー、ふりでいいんだ、デートするふり。こっちもちょっとワケありで――」


「……だったらなおさら俺である必要がないだろ? もっとこう、そうゆうのが得意そうな奴――それこそさっきのイケメン店員とか」


「いやいや、あんまりかっこよすぎたり、かっこわるすぎたりは対象外。話題にならないくらいがいいのっ」


こいつ絶対あれだ。遊びに誘う時、詳細を説明してから日程を尋ねずに、日程を訪ねてから詳細を説明するタイプだ。こっちはなにして遊ぶか、誰がいるかで、その日の予定と天秤にかけようとしてるのに、こういった自己中な人の誘い方は、周りを不幸にする。しかも、さりげなく格好良くはないって現実まで突き付けて来やがった。ちょっと自分がイケてるからって、パワハラもいいとこだぞ。


余程、穏やかでない表情をしていたのだろうか、あーでも、大丈夫だいじょーぶ、と言葉を挟み、


「いろいろ丁度良くて手伝ってもらおうかなーって思ってたんけど、これだけ仲良さそうだと、フリでもさすがに悪いというか……ね?」


視線をこちらから夏川へと変え、片目を弾く所作に、少女の認識が、そもそも始まりから捻じれていた事実を思い出した。


「言っておくが――」


見切り発車で出発した事を後悔しながら、先へと続く二人の関係に適切なものを模索する。曲解されぬよう配慮し、念入りに語彙を漁るも、妥当なものは一つだけ。その言葉に躊躇したごくわずかな時間が、偶然、効果的な間を生んだ。


「夏川は、友達だ」

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