episode2

2-1



「ご注文を繰り返させていただきます」


クリップボードに注文用紙という前時代的な装備を携えた目の前の女性は、二人分の長ったらしい注文を噛みもせず流暢に唱え切りると、一輪の笑顔をその場に添えて踵を返す。きっと幾度となくこの作業を反復した賜物なのだろうが、自分には少し上品すぎる。


……俺は券売機とかのある定食屋の方が幸せだな。


そう心で呟きつつも、こなれ感を一切見せる事無く一仕事こなした相手を見送った、その視界の端。ハードカバーに製本されたメニュー表で顔の下半分を隠し、こちらの様子を伺っていた夏川なつかわは、覗かせて大きな両目を細め、どこか冷やかすように囁く。


「顔、こわいよ?」


「……いきなりこんなところ連れてこられれば――」


「こんなところだなんて、失礼だなー」


すぐさま言葉尻を捕らえるように、会話の主導権を剥奪される。


いや、拾って欲しかったのは、こんなところではなく、いきなりの方だったんだが。


「ほんっと雰囲気良いねー、これがインスタ映えってやつ!?」


こちらの憂いなど微塵も意に介さず、蘭々と瞳を輝かせながら店内を見回す彼女の、都合の良い鈍感力の前では、淡い期待も水泡に帰してしまう。


――インスタ映え……ねぇ。


僅かな後悔を抱きつつ、一人反省会に区切りをつけて視線を上げた先。クラシックな店内を行きかうのは、大正浪漫溢れる装いに身を凝らしたこの店のスタッフ達。優雅に右往左往する彼女らを視線で追ってみれば、接客はもちろん、清掃やカトラリーを繕う姿からさえも、各々が店の看板を背負い秩序を守っている、そんな高い意識が感じ取れる。


cafe&cake~ふらんどをる~。


お気に入りの通学路で存在感を放っていた、小洒落たカフェとケーキ屋さん。今まで俺が別々の店だと捉えていた二つは互いが内装で繋がっており、お茶の帰りにケーキを購入することも、購入したケーキをカフェへ持ち込んで紅茶を頂くことも可能なようだった。


遠巻きに登下校してるだけじゃわからない、相利共生な面白い造りだ――が……。


双方の経営不振による苦肉の策で手を取り合ったのかとか、元からこうする予定でこの場所を借りたのかとか、普段ならあれこれ考えそうな経緯に全く興味が湧かぬ程、俺はシンプルに困っていた。


理由は明白、辺りの男女比とその関係性である。


そりゃ甘味処といえば乙女の聖地で、男が一歩踏みとどまるのも分からなくはない。だから数自体が少ないのは許容するとしよう、だが数少ない男達がみんな女連れなのはどういうことだ? 俺がツイてないだけなのか? なんでこんなことに……。


頬杖を突きながら、過去の自分を俯瞰ふかんするように記憶を辿る――


「誰かぁ、残ってんのかー」


夕日指す教室での幕切れは、校舎を徘徊する木庭の、あくび交じりな一言だった。


が、夏川に思考をバグらされていた俺にとって、そこで掛けれらた声は地獄に垂れる蜘蛛の糸。髭眼鏡がお釈迦様に感じられる程度には奇跡的なものだったのだ。


「と、戸締り、今からするんで。終わったら職員室に――」


焼け焦げた回路で窮地の試みる。


この浅はかな一言が詰みへの初手だったのかもしれないが、並行世界を探索する術がない以上、真偽は誰にも分らない。


「あー、先生がやっとくから、お前たちは帰っていいぞ」


人気のないこの空間に、一組の男女。その王道方程式から導かれるイコールを崩してしまった贖罪しょくざいのつもりなのだろうか、いやー、水を差して申し訳ない、とでも言いたげに鍵を催促してくる。


「あぁ……えーと、ですね」


爪を立てたくなる親切心に、こちらの思考が妨げられた隙。


「では、お言葉に甘えてさせて頂きます」


一切の食い下がる余地を残さず、彼女は希望の芽を摘んだ。


なんでこうなるってしまうのか。


拭えぬやるせなさをあえて溜息に乗せてみるも、そういった類の嫌味はやはり効果が薄く、今、昇降口をこいつと一緒に抜けてる時点で、俺の平穏は崩れていると再認識できる。


そんな自分とは対照的に、先を歩く夏川の足取りは軽やかだった。


「私さ、なにか悪いことしちゃったのかなって思ってたんだ」


無言で白を切るも、そんなことでやり過ごせるほど夏川は甘くない。


「でも、違ってたみたいでよかった」


何を示唆した言葉なのかは火を見るよりも明らかで、見えない表情は、朗らかな声音から容易に想像できる。どうやら、友達の早とちりを咎めるつもりはないみたいだ。


「で、これからお茶でもどうかな」


くるっと振り返り投げられた脈絡のない誘いに、肺の空気が勢いをつけて飛び出す。


「な、なんでそうなるんだ」


「一人じゃ行きづらくて……」


そう彼女が指さす先は、見慣れた景観の一部。


「だったら、他の友――」


言葉を紡ぎきる寸前、反射的にその過ちに気付くが、


「そう、私には滝君しか友達がいないのです」


何故か自慢げに笑う夏川が一枚上手。


「なら親とでも――」


「お母さんはまるたんの予防接種です」


あの手この手で掘削した退路は着実に断たれ、


「それとも、また急いで帰っちゃうの?」


思っていたより根に持つタイプの一言がとどめ。投了せざるを得なかった。


――やっぱりなりふり構わず、走しってでも逃げればよかったのか? 


記憶の回廊を抜けた、後にも先にも明確な回答はなく、今この眼に映るのは童心を抑えきれない夏川の姿。


しばらくは早とちりをダシにゆすられるのだろうか? ならばこれは、乗りかかった船なのか? 素直に協力すれば、現状の居辛さもいくらかマシになるのだろうか?


店内の装飾やインテリアに夢中になる彼女の意識を、大きな咳払いで引き付ける。


「……目標は?」


「目標?」


俺の突飛な質問に小首を傾げ、オウム返し。


「友達作りだよ。具体的な目標がないと、いまいち進捗がわかりづらいだろ? 親友をつくるとか、友達100人とか、そういうのだ」


「え、あぁ。んー、そうだなあ」


語尾を伸ばすように言葉を溜めると、眉間に皴を寄せまま探偵さながらに顎を摘む。


「親友とかズッ友とか、そういうのって言葉にするとなんだか陳腐に聞こえない?」


まあ、言わんとすることはわかる。


「ガキ大将が叫ぶ心の友よー、みたいな感じか」


「もちろんどっかの誰かさんみたいに、ちゃんと言葉にしないとわかってくれない人もいるけどね。あと、たくさん友達を作ることは悪いことじゃない。けど……浅く広くってなっちゃいそうで、なんかね――」


夏川は生傷にベタベタ塩を塗りながら、計画の指針をほのめかす。


「……つまり?」


こちらが刺をむき出しにして訊くと数拍の間を挟み、


「思い出した時に、楽しかったって笑える一年にしたい。かな」


手持ち無沙汰を解消する為に持ったメニュー表で、恥ずかしそうに口元を隠し、弱々しく呟く彼女の顔は、心なしか紅い。しばし大きな瞳を泳がせるしおらしい様子に目を奪われるも、その表情が、日向ひなたに大敗北する直前のものとぴったり重なり、そこから連想されるように疑問が浮かぶ。


「そういや、どうして日向に声かけたんだ?」


「……どうしてって、んー、たいした理由はないんだけど。でも強いていうなら……一人で寂しそう、だったからかな? あと――」


メニュー表を胸に下げた夏川との距離が、テーブル越しに少しだけ詰まる。


「素っ気ない子猫みたいだったから!」


的外れの回答で頭を抱えていたところに「お待たせしました」と提供された、程よい酸味を漂わせる彩りの良いオムライスと、季節のケーキの盛り合わせが、俺達を小休止へ導いた。



―― ―― ――



「よく言えばマイペース、悪く言えば協調性がない。下手に踏み込もうものなら躊躇なく噛みつかれる」


ただ、と付け加え、食後のコーヒーをすする。


「あくまで、又聞きだからな。鵜呑みにするなよ」


他人に透明人間の烙印を押すクラスメイトの与太話。これくらいの情報は寝たふりをしてればいくらでも流れてくるが、どこまで信用していいものかはわからない。


「ん~~」


カップを丁寧にティーソーサーへ収め視線を上げると、口をつぐんだまま、多幸感溢れる笑顔をまき散らす夏川に、網膜を占領される。同時に配膳されたはずのケーキの盛り合わせは、余程大切に食べられていたのだろう、未だに半分程度しかその数を減らしていなかった。


こりゃ後で追加注文しないと、居づらい空気に――


「協調性がない……。そう、かなぁ?」


皿に注意が逸れた隙を見計らったように呟く。


「なんか我慢してるように見えたんだよね、私には。」


「……我慢、ねぇ」


二人きりの放課後をなぞる煮え切らない声に、適当な相槌で次の言葉を待つ。

夏川は皿に着いたクリームを一か所に集め、器用にすくい上げつつ言う。


「その後にきた子とは、普通に話してたでしょ?」


たしかに言われてみれば……。あの妙に明るいバカみたいな奴とは――


それに、と止まることなく続ける彼女は、こちらが情報整理する時間を与えるつもりはないようだ。


「猫っぽい人に悪い人はいない!」


人差し指を立てた拳を胸に掲げ、着地点を見失う暴論を唱え、フォークを咥える。


てっきりショックで固まっていたのだと思っていたが、意外と周り見えてたんだな、コイツ。まぁ、猫云々は抽象的で賛同しかねるが。


「ん?」


俺からぼーっと伸びた視線に気づいた夏川が、無言のまま首を傾げ、怪訝な面持ちでこちらの胸中を問い質してくる。


「……大したことじゃない。面白いことでもないから、さっさと次の作戦考えるぞ」


話を進展させようにも、蔑ろにされたことが不服なのだろうか、少し口元を尖らせ、テーブルに身を寄せたまま、じっとこちらを見つめ続ける無言の圧力は収まる気配がない。


「……ちょっと感心してただけだ」


辛抱堪らず本音を零すと、テーブルの周りが若干明るくなったように感じた。


「感心って? あ、どんな人もだいたい猫に当てはまる理論のこと? でもあれお母さんの受け売りだから――」


「違う」


「えーっとね、じゃあ――」


「あー、いいだろ、なんでも。さっさと食え」


素直に褒めるのも馬鹿らしくなり強引に話を終わらせるも、夏川は少しムっとした表情でケーキをパクり。こちらも負けじと再びコーヒーを啜り、ソーサーに収めた事の切れ間、短く嘆息した折に、首筋を気持ち涼しめの空調が撫で、寒気が走る。


「わるい、ちょっと――」


気分を一新させる為、トイレに立った瞬間。死角から背中へ伝わる衝撃に間髪入れず、素っとん狂な悲鳴が二度響く。


条件反射で身を翻し、一転した景色の中央には、見慣れた制服をまとい、尻もちをつきながら俯く小柄な少女の姿。


「すいません、不注意で」


個性的な悲鳴は弾き飛ばしてしまった時と、尻もちをついた時だろう。騒ぎが広がる前に事態を収束させようと、とりあえず手を伸ばすも――


「お怪我はございませんでしたか?」


爽やかイケメン店員の、絵に描いたように洗練された労りが、僅かに早く少女の身を起こす。


「ご丁寧にありがとうございますっ。怪我とかはないので」


スカートの裾を正しながら感謝を述べる姿は、甘酸っぱい青春漫画そのもの。素敵なシチュエーションがに注目の的なっているのを他所に、俺は虚しく差し出されたままの手を隠した。


「では私はこれで」


助けた少女のみならず、辺りの視線を釘付けにし持ち場へ消えてゆく若い男性店員の華々しさたるや。


同レベルの者同士でしか争いは起こらないって言うけど、真理だな。そもそも戦っていたつもりなんてないのに、この敗北感はなんだろう。だいたい男のくせに一人称が私の時点で、人間格差を感じざるを得ないぞ。というかいたんだな、男の店員も。


「おーいっ」


やり場のない気持ちに打ちひしがれ魂の抜け落ちた身では、妙に明るい特徴的な声を処理するのにもそれなりの時間を要する。


「おーい。おーーい。おーーーーいっ」


「……滝くん」


どこかで聞き覚えのある声音が脳内を侵略する中、夏川の心配そうな呟きを引き金に意識は覚醒。ぼやけた色彩と輪郭が、幾度かの瞬きを超え、その在り様を取り戻す。


「……おまえ、は――」


息をするのも忘れていた反動から、酸素がたらず呼吸を挟む。


「こんなところで会うなんて――」


音符が付きそうな口調に合わせ、ふわふわと舞う胸まで伸びた栗色の長髪。

放課後。教室での出来事が蘇り、記憶の淵に穿たれた点と点が、線に変わる。

彼女の人懐こい笑みが、辺りを自分色に染め上げていく中――


「――わるい、トイレ!」


生理現象には逆らえず、紙一重でその場を後にした。

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