1-5
我がクラスでは、名前の順で記された名簿を四等分し、その分けられた班で、一週間毎に清掃を受け持つ制度が導入されている。
クラス後方に備え付けれらた小さな黒板。そこに書かれた掃除用具名と、それに付随した作業人数。その隣の空白に、自分の名前の書かれたマグネットを貼り付けることで、希望の作業を選択する。三限終了時点で希望が被り、定員を超えた場合は公平にじゃんけん。
俺がおたふく風邪で休んでいる間に制定されていたルールだ。
もちろん、この作業難度には優劣がある。誰も進んで雑巾は握りたがらないし、なるべくなら汚れない作業、早く終わるものを是とし選んでいく。もしくは、仲の良い友達同士で、複数人を必要とする作業を占拠するか。
「――とと」
放課後。部活動や委員会、はたまた素直に帰宅する生徒とすれ違いながら、自分の教室を目指す。
教室内の備品補充。
件の黒板には、足りなくなった備品を記すための余白も設けられており、そこに書かれた備品を調達してくるこの作業は、歩き回る距離が長い上、三限終了時点で補充備品が少なくとも、その後に増える可能性を孕む博打的な存在として敬遠されている。
チョークやティッシュ、掃除用具にその他もろもろ。
見落としがないか、心で繰り返し確かめる。
必要人数枠が一人なこともあり、俺は好んでこの作業を選んでいたが、長期休暇明けと先週の掃除班の怠慢によるしわ寄せが重なり、腕の中の備品たちは大きな山を形成していた。
いや、だとしても、この量は……。
両の腕と顎で荷物の重心を操作し、絶妙な均衡を保ちつつ、最低限の視野を確保しながら崩れないように進む。すれ違う生徒たちは既に掃除を終わらせているのだろう、物珍しい視線を一瞬向けるも、すぐに己が優先順位に従い消えていく。
別に手伝って欲しい訳じゃないが、自分が逆の立場なら形だけでも声をかけるはず。
「手伝おーかっ?」
そう、こんな風に。
独り言を見透かしたような声に驚きが遅れて訪れ、たちまち崩れる体制。
あぁ――っぶな。なんなんだコイツ。
姿など確認せずとも、声音からして相手は女子。位置は左後ろだろう。
「ぎ……ぎりぎり、なんとかなる」
重さに腕や指が耐えられない程ではなかったが故、反射的に強がって答えると、
「そっか、そっか。あと、これ落ちてたよっ!」
最低限の視野が塞がれたのだった。
「ちょ、おい――」
慌てて振り返ろうにも、今それをしたらどうなるか、概ね同じ答えに行き着くはず。
「じゃ、がんばって!」
語尾に音符の乗りそうな言葉を残し、正体不明のテロリストの気配は、あっという間に薄れていく。
バチか? バチが当たったのか? 手伝ってくださいって言えばよかったのか!?
声にならない声を漏らしながら、少しずつ顎で荷物をずらし視野を捻出するも、湧き上がる雑念は、山を揺らがせ、歩行速度を鈍らせた。
――もうすぐゴールだったのに。
おいおい……あと二つは階段あるぞ。どうすんだこれ。
十数センチの段差の羅列に、ここまで恐怖したことはない。
一度親切を蹴ってしまった以上、自分から助けえ乞えるほど精神面は優れておらず、荷物を置いて救援を呼ぼうにも、視界の端で不安定に揺れるチョークの束が、無理に屈もうものなら飛び降りますけど、と圧力を掛けていた。
し、しかし、諦めるにはまだ早い。物資の届け先である1-Aは、四階の最奥。そこまでの道のり、すれ違う生徒がこの状況を見てどう思うか。
終わり方はどうあれ、世の中まだ捨てたものじゃないと、先ほどの女子生徒に学べたばかり。まともに面識がない、B組からE組の生徒たちにも希望はあるのだ。
つ、次、声をかけられたら、変に強がらず手伝ってもらおう!
ただ、それまでは気を抜くな。備品の命運は今この腕に授けらている。
そんな戯れに耽る中、難所である階段を通過、1-Aの入り口が小さく姿を現す。
で、結局ここまで誰ともすれ違わないあたり、見捨てられてる気がするな、世界に。
なんのかんのと運搬に要した時間は、想像の倍。
……さすがに腹減ったな。
クラスの出入口が開いたままであった奇跡に安堵し、踏み込む。
手近な机の主がいないことを確認した後、一度荷物を机に移動させ、心と体の休息を図る。謎の達成感に身を潤わせ、凝り固まった体を伸ばそうとした、時だった。
「――わ、私と友達になってください」
引き合う磁石の様に、聞き憶えのある声の方角へ頭は動く。
教室後方、窓際の席に姿勢良く座る少女。その席から机数個を挟んだ距離に立つ
二人を照らす斜陽。風に
そこはかとなく身に覚えのある状況に感じるデジャヴは――
「え、無理です」
見事に断ち切られた。
―― ―― ――
仏教では、
人は解脱に至り悟りを開くまで、輪廻転生を繰り返し、得を積み続ける。
宗教や占いの類は、別に悪いものだと思っていない。が、信じてもいない。しかし、自分の前世の行いが、今この状況を招いているのだと考えれば、宗教を信じる事ができるかもしれない。そんな神にも仏にもすがりたい気分。
ほら、熱心な信者獲得のチャンスだぞ。なに教の方でもいいから、誰か助けてくれ。
一難去ってまた一難。状況は切迫していた。
渾身の告白を一刀両断され、道端に落ちたセミの抜け殻みたく哀愁を漂わせる夏川。と、そうなった彼女には微塵も興味を示さず、帰り支度を始める少女。そのシンプルながらも女の子らしさをしっかり兼ね備えた短髪が、動きに合わせて小さく揺れる。
仮にどこかで道に迷ったとして、誰かに声を掛けなければならない時、慌ただしく構内を駆ける者を選ぶだろうか? 執拗に時計を気にする者を選ぶだろうか?
否。耳の塞がっていない、なるべく穏やかそうな者を探すだろう。
誰だってそうするはず。相手選びとは、とても重要なことのだ。
夏川が友達を欲してることはわかっている。次は、女の子がいいということも。
誰と友達になろうと、俺には関係ない。が……なんであいつなんだ。
興味がなくても耳に入る知名度は、名前を記憶に刷り込んでいた。
同性にも異性にも好まれそうなくっきりとした目鼻立ち。守ってあげたくなるような小柄で華奢な体躯。それらを有する彼女が人目に着くのは当たり前、当然の如く掛かる数多の勧誘。しかし、そのすべてを断り一人を選んだ彼女は、入学当初から浮いた存在としてクラスで認知されていた。
遠巻きに俺が彼女らを傍観している間も、不機嫌そうに帰り支度を続ける日向。
やがて一段落ついたのか、何処からともなく無骨で重そうなヘッドホンを取り出し装着。頬杖を突き、静かに瞳を閉じた。
やるなら――今しかないか。
一度大きく深呼吸を挟み、息を整る。
平穏な帰路への最低条件は、手元の備品を何事もなく指定の収納場所へ捌き切る事。
箒と雑巾を掃除用具箱へ。五つ1パックに纏まったティッシュ箱を後方の棚の上へ。
アルコール消毒液をボトルに継ぎ足し、芳香剤の蓋を開け、古いものと入れ替える。
作業は順調に進み、新品の黒板消しとこのチョークを粉受けに分ければ、長引いた掃除の時間から解放される。終わりの見えたその一瞬に、悪魔は顔を覗かせた。
「玲ぃ~、おまたせーっ!」
どこかで聞き覚えのある声が、教室に木霊する。
突然の大音量に弾ける心臓。鞭のようにしなる右腕。消えたチョーク。
消えたチョーク!?
「あ」
開き切った出入口前。突如現れた少女と奏でるハーモニー。
ハッと自我を取り戻し放物線へ振り向いた瞬間と、チョークが日向に着弾する瞬間。
その二つが重なった。
「あ」
心臓を冷たい掌に握られたような悪寒が、全身を駆け巡る。
頬杖を突きうたた寝ていた日向は、かったる気にヘッドホンを摺り下げながら、ゆっくりと上体を反らし、凝りをほぐす。そして、場の空気に拍車をかける重たい溜息とともに姿勢を正すと、閉ざされていた瞳が静かに開かれた。
――やばい、やばいやばい。目が合っちまった。とりあえず何か言わないと。
押し寄せる焦燥が警鐘を掻き鳴らすも、醸し出される威圧感は、既に一介の女子高生のそれを凌駕していた。
彼女は首を左右に伸ばしつつ、真っ直ぐにどこかを見据えたまま、ひどく不機嫌そうに呟く。
「遅い」
遅い!? 痛いじゃなくて!? いや、謝るのが遅い、ってことか!?
もたついている隙に放たれた先制口撃に出鼻を挫かれ、完全に言葉を失っていると、
「私じゃなかったらもっと時間かかってたって~」
先ほどまで入り口で佇んでいた少女は、ふくよかな胸まで伸びた栗色の長髪をふわふわとなびかせ教室に侵入、小走りで俺の視界を通り過ぎていく。へらへら頭の悪そうな半面、不思議な安寧を感じさせる表情には、形容しがたい頼もしさが宿る。
更に擦れ違う最中。何故かこちらへ片目を瞬かせていた。
なんだ? なんの合図だ?
心当たりのないサインに戸惑う俺をスルーして、栗毛少女はスタスタ目標に接近。
並んだ二人のシルエットは胸囲を除きほぼ等しく、朝礼で言えば前から1、2番目。
いや、つーか誰だ? どっかでみたことあるような気がしなくもないってことは……
「寝てた? ほっぺに変な跡ついてる!」
「誰かさんのおかげでね」
「まーまー、いつものやつで勘弁してくださいよっ」
日向の怒りの分水嶺を熟知しているのか、揚げ足をとられようが選択する言葉に迷いは見られない。
「いいよ別に」
席を立ちながら一人ごちる日向からは、先ほどまでの威圧感は損なわれ、飼い慣らされた子猫が如く、構って欲しさが滲み出ていた。
それを瞬時に汲み取ったのだろう、スマホを前後に揺らめかせ、ダメ押し。
「今日はバイト休みって連絡はいってたから、ゆっくりできるよ」
「じゃ――あ、でも、一回家帰りたい」
「おけー。日直って言ってたよね、鍵は?」
ある、そう胸ポケットから取り出された鍵を彼女から受け取るや否や、腕を後方に振り勢いをつけ、
「そーれっ」
そのまま放り投げた。
は――おい!?
軌跡は歪な弧を描くも、コントロールは思いのほか良く、宙を舞う鍵はつつがなくこちらの手中に収まった。
「じゃあ、戸締りよろしくねーっ!」
あ!?
突然の奇行で固まる日向の背を押す栗毛少女は、最短距離で出入口へたどり着くと、
姿を消す間際、首から上だけ俺を振り返り、己の仕事ぶりを誇る笑顔で、再度片目を瞬かせる。
……なん、だったんだ。わけがわからない。ま……まぁ、狐につままれた気分だが、一命は取り留めたのか?
嵐の過ぎ去った教室で、砕けたチョークを拾いながら辺りを見回せば、そこにはオブジェクトと化した夏川を除き、誰の姿もない。
「……いつまでそうしてるつもりだ」
床に散らばる細かな破片を片しつつ尋ねるも返事はなく、使用した塵取りを音の立つようゴミ箱に打ち付け、様子見を図ってみたが、こちらも効果はなかった。
「おい」
一度短く息を吐き、自分の机に放置されたままのcampusノートで軽く頭を叩きつけてみる。
「って」
昔のテレビは映りが悪い時、衝撃を加えることが治療法としてポピュラーだったらしいけど、殴って治るあたり、コイツも実は人に良く似せられたアンドロイドで、断られたショックでフリーズ――
「なにもぶたなくったっていいのに」
あっけらかんとしたぼやきが、SFゲームに影響された妄想に終止符を打つ。
叩かれたことに関しては、発言ほど咎めるつもりはないのだろう。机に自重を任せ、落ち着いた様子だ。
「だったら返事ぐらいしろ」
背中越しに吐き捨て、帰り支度を開始した矢先。
「いきなり帰っちゃったけど、フツーに話してくれるんだね」
呟かれた言葉は、安堵の色が濃く嫌味に聞こえない分、良心の呵責に苛まれる。
筆記用具を片しつつ、横目に盗み見た彼女の姿は、鞄を両腕に抱えどこか物憂げ。
自分の荷物は玉砕する前にまとめ終えていたようで、ぼーっと宙を見つめていた。
「……帰らないのか?」
「え、あぁ――うん。もう少しかかりそうだから」
帰宅タイミングをずらそうと試しに促してみるも、物腰柔らかく躱されてしまう。
「……んじゃ、これ――」
適当に差し出した鍵を確認するなり、夏川はこちらを見つめ首を傾げる。
「えっと……私は滝くんを待ってるんだよ?」
「は?」
呆ける俺を置き去りに、平行線だったはずの世界が、急速に交わった。
「滝慎吾くん。私の初めての友達」
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