1-4
ゲームやテレビ、ネットや読書といった娯楽は好きだ。だがそれ以上に、睡眠時間は日中を有効に過ごす為の不可欠な要素。
そう、学校には遊びに行ってるわけではない。
授業中の惰眠は、家に帰ってからの余分な勉強時間が増えるだけ。どうせ拘束されたも同然なのだから、授業中に必要な分を養ってしまう方が効率的。寝るときに寝て、学ぶときに学び、遊ぶときに遊ぶ。そんな一学期に最適化されたルーティンは、影も形もなく瓦解していた。
なし崩しに巻き込まれた厄介事から解放され、俺の憂いは絶たれたはずなのに……。
胸に居座り続けるわだかまりは昨夜の睡眠を阻害し、連鎖的に今朝の寝坊を生んだ。やはり、慣れないことはするもんじゃない。心底そう思う。
……ま、言いたいことは言えたわけだし。
小走りに教室へ向かうも、足取りは重い。
開け放たれたままの扉を時間ギリギリで抜け、開けた視界の先には、各所でいくつかのグループをつくり談笑する生徒たちと、その狭間に一人、机の上に置かれたスマホを操作する
半ば無理やり彼女の家を出た手前、罪悪感に足は止まり、自分の席までの距離がいつもより遠く感じる。
「何そんなところで突っ立ってんだぁ」
予鈴と同時に掛けられた声で我に返るも、背後の影は俺を振り向かせるつもりだどないのだろう。
「はよ席につけぃ」
割と強めにこちらの背中を叩き、移動を促がす。
「――っと」
たまたまついた勢いに乗り危険地帯をやり過ごす最中。視界の端でとらえた夏川は、昨日話題に上がっていた女性向けイケメン育成ゲームをプレイしていた。
自分の席まであと数歩。そんなところで始まるいつものHR。
適当に点呼が始まり、無駄話をしながらプリント配布へ移ろう。配布中、プリントに付随した話はほぼ無く、読めばわかるように作ってある、とだけ。
……提出期限とか、もっと口に出すべきことがいろいろあんだろーが。
「せんせー話の続きしてよー」
「そんなに聞きたかったのかぁ」
出涸らしの満更でもないキャッチボールを皮切りに、雑談が開始されること、数分。
中身のない話に比例して重くなる瞼との死闘は、唐突に終わりを告げる。
「滝ぃ、昼休み職員室な」
「――は……い?」
剃り忘れた無精髭が昨日より厳つさを増させる担任の一言で、教室が若干ざわつく。
二日続けての呼び出しなんて、そうあることじゃない。大方の気持ちもわかる。
だが、今日は欠席者もなく、昨日みたいに呼び出される言われなんてない。
心当たりを遡るよりもはやく声の主は、んじゃな、と教室を出て行ってしまった。
――んじゃな、じゃねえよ……!
徒党を組んで押し寄せる不幸が、脳を漂白する。
結局、どうにもならないことは行き当たりばったりになってしまう。
人生経験がどうにもならないことを減らしてくれるのだろうが、少なくとも今の自分に抗う術はない。
なら、なるだけ気にしないように。これを今日という日のモットーにしよう。目標を作ることは大事だからな。クールダウンだクールダウン。
パンクした思考は達観した答えを弾き出し、条件反射で用意していた一限目の教科書を開くと、それを狙いすましたように現れる教科担任。
「はい号令」
凛とした声はすぐに教室を統治した。
―― ―― ――
ふぅ。
一種の現実逃避の甲斐もあり、一時限目の没入感は上々だった。
教科担任が真面目な新米教師ということも相まってか、授業内容は脱線の少ない堅実なもの。まったく、どこかの髭眼鏡にも見習ってほしいものだ。
「先生、ここちょっとわからないんですけど教えてくれますか?」
授業が終わるや否や、教壇に立っていた女性に詰め寄り、質問攻めを敢行する生徒が数人。手際よく要点を解説してもらえているのだろう、その表情は皆一様に明るい。
だが、明るい表情の理由は他にもある。
才色兼備の
下の名前までは憶えていないが、歳が近く容姿の優れた教員は、きっとどの時代、
どの国の生徒からも注目の的。授業の度に、今日もlineきけなかったぜー、と男子生徒が代わる代わる引き返してくるこの光景は、一学期から幾度となくみたものであり、それを物語っていた。
しかし、世の中というのは残酷なもので、男子生徒人気に反比例する様に、一部の女子生徒からしょーもない
「見た目じゃわからなくても、れっきとした年増なんだよ」
蚊の鳴くような心無い罵倒を、運悪く耳が捉えてしまう。
大方、意中の人が結崎ファンなんだろう。
6つ、いや7つ差? あれでオバサン扱いとは先生も先生で大変だな。
同情もほどほどに、次の授業の準備へ。
えー、美術だから移動か、教科書、スケッチブック、筆記具。
心で呟きながら持ち物を確認し席を立つと、左前方の席で、また周りから見えやすいようにスマホをいじる夏川が視界に飛び込んできた。
――逆効果だって言っただろうが……。
案の定、誰にも構われることなく休み時間を浪費している。
次、移動教室ってわかってるよな?
まだ焦るような時間じゃない。俺が言わないでもそのうち誰かが言う。そう自分に言い聞かせて辺りを見回すも、点在するグループは個々で談笑に花を咲かせ、完全に彼女は蚊帳の外。
ゆ、結崎ファンに賭けよう。
先生さえこの場からいなくなれば、教壇周りの男子が一人くらい声をかけてもおかしくないはず。
そもそもこれは主観だが、夏川だって十分容姿は整っているし、俺に対してあれだけ陽気に言葉を交わすことができるのならば、友達が少ないこと自体がおかしいんだ。
どうせ挨拶くらいじゃ友達に含まれないとか、理想が先行し勝手にハードルが上がっているとかが関の山。放っておけば、目にとめるやつの一人や二人いるだろ。
教室前方の教壇周りに人が
素知らぬ顔で勉強道具を小脇に抱え、出入り口を引くと背後から呼び止められる。
「滝君――」
結崎の凛とした声は、取り囲む障害物を貫通し、俺の足を止めた。
「
クラス各所で咲いていた笑いの花は一斉に枯れ、辺りはツンドラと化す。
「……わかりました」
憶えてたよ髭眼鏡!
誰にも拾われる事のない叫びは、虚無に飲まれ、建前の返事を生む。
そんなか、そんなに大事な用なのか? 何をやらかしたんだ俺は。
焦燥感にほだされながらも、背後がざわめきだす前に美術室へ避難することにした。
―― ―― ――
昼休み。職員室に向かう途中の開けた通路で、待ち伏せを受けた。
続く蒸し暑さを少しでも軽減させようと、解放された窓の淵に軽く体重をかける担任教師こと
「場所を変えるぞ」
深みのある声音で囁き、後ろをついてくるように促してきた。
「どこまでいくんですか?」
限られた昼休みは刻一刻と減り、更に呼び出し理由が定かでないことが、より不安に拍車をかける。
「ここだ」
鍵を開けた髭眼鏡が先行、電源タップを弾く音からしばらく遅れて明かりが灯った。
カーテンを締め切られた10畳ほどの部屋。古い紙の香りが冷気に乗り、入口に佇む者を懐かしさが誘う。
この香り、どっかで――ああ、じいちゃん家。
「元第二歴史資料室だ」
聞く話によると、夏休み前にこの部屋の空調が一時機嫌を損ねたこと、そして日当たりのさほど良くない現状を考慮し、保管されていた資料は第一歴史資料室に移動されたようだ。
「そもそもなんでこんな部屋を資料室にしたのか、というのは俺が赴任する前のはなしなので知らん」
適当な調子で自らの説明を補足する。
いや、聞いてねえし。だいたいなんなんだ? こんな人気のないところで。まさか、恐喝でもされるのだろうか? そんな……あり得るのか? イマドキ いや、まて。心なしか小銭のぶつかり合う音がするような――屑か? コイツ。高校生の懐なんてたかが知れてるだろ。俺だって――
「いくらだったか?」
「口座合わせても20万そこそこ……」
「何言ってんだお前。つーか結構もってんな、おい。ガキのくせに」
初手の駆け引きは敗北。無駄に資産が露呈してしまった。
「そうゆうことは大っぴらに言うなよ。たかられっから」
呆れたように言いながら電気ケトルのスイッチを入れると、壁に立てかけられたパイプ椅子二つを変形させ、概ね向かい合うように適当な距離をとって配置し、その間にパイプテーブルを立てる髭眼鏡。
「コーヒーは、砂糖? ミルク?」
電気ケトルがあるということは、淹れてくれるということなのだろうか。
冷房の効いたこの空間であるなら、ホットでもアイスでも問題なく頂けそうだ。
一拍思考の間を挟み、無糖のブラックで、と簡素に返す。
「いやー、すまんかったな。こんなところまで。ちなみにミルクは無かったわ」
顔に皴を作りながら呟き、ポケットを弄ると、こぶしをこちらに突き出してきた。
怪訝な視線で答えると、溜め息まじりに百円硬貨を三枚テーブルに置き、借りたろ、とでも言いたげな仕草が返ってくる。
「あ―……」
昨日今日と妙に濃い体験をしたせいで、完全に失念していた。
「金持ち高校生にははした金かー?」
「いいえ、一日凌げる大金ですよ」
軽口を経由し、小銭を回収。本題が切り出されるのを待つ。
……なにやらかしたんだろ俺。
ケトル内の温度が高まり、本体が暴れ始める音が間を埋める。
髭眼鏡が紙コップに被さったオリガミの封を切ると、芳しい香りが充満した。
うむ、いい匂いだ。
大袈裟な鼻呼吸で同じ香りを気に掛けるあちらさんも、きっと同じ心持だろう。
お湯が沸くまで、あと少し。
「―――本題はッ!?」
たまらず突っ込むも、その当事者は中身のない声で相槌を打ち、ケトルで細長くお湯を注ぐ。
「返金とその礼だろ。結構いいやつなんだぞ、これ」
「は? なら……職員室でよくないですか」
「生徒から金借りてるとか印象よくないだろ。ただでさえ一部の先生たちから敬遠されてんだ。これ以上はめんどくさいことになる」
器用に淹れながら続ける。
「ま、なんやかんやで空き時間はここで仕事してることもあるんだ。言わば秘密基地だな秘密基地」
パイプテーブルに肘を突き頭を抱えると、程よい位置に淹れたてのコーヒーが置かれた。
「だったら放課後でいいじゃないですか……」
「夏川はどうだった」
一息入れようとを紙コップに手を伸ばすも、すり替わった話題はそれを許さない。
下を向いていた幸運に感謝し、静かに深呼吸を挟む。
「――別に元気そうでしたけど。頼まれた物もちゃんと届けました」
嘘ではない。本当のことだ。
ただ、面倒くさそうなことは省略する。
クラスで透明人間と揶揄されようが、もうそれでいい。
多少外野が騒ごうが、自分が平穏だと思えればそれでいい。
そうやって乗り切っていればすぐに次のクラス替え、卒業だって時間の問題。
ありふれた青春に捕らわれる必要なんてない訳だ。
紙コップに口をつけコーヒーを啜るも、気が動転し、味を感じる余裕は無い。
「そうか。なら、いいんだ。ただ――」
言葉を溜めると、予鈴が続きを遮った。
「お、もうそんな時間か。あー、それは持って帰れ。んで、また遊びに来い」
退室を促され、従うように席を立つ。
あれ……ちょっとまて。俺、昼飯食べて――
「あいつをよろしくな」
去り際に投げられたその言葉の意味を、この時はまだ解っていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます