1-3

9月とはいえ、今の日本に四季は在って無いようなもの。未だうだるような暑さは継続中で、肌に張り付いたワイシャツや、汗で束を作る前髪は、外気の凶悪さを物語っていた。


「電話が来てから片づけたから、あんまり細かい所みないでね?」


言いながら廊下を先行する夏川なつかわを他所に、自分も脱いだ靴を丁寧に揃える。


……エントランスでは出鼻を挫かれたが、まだ修正は効く。


早期帰宅に心を奮起させ辺りへ目を滑らせれば、先ほどまで彼女が履いていたサンダルや学校指定のローファーは、タイルの隅に纏まって並び、壁に沿って置かれている開放型のシューズラックにも幾つか女性用の靴が収納されていたが、それらは女子高生が履くには若干大人向けに見えた。


おいおい、ほんとに上がっていいのかよ。


「適当でいいからねー」


能天気な声に釣られ振り返ると、背後に続く廊下の奥。開け放たれた扉の向こうで、半身を覗かせ移動を促すにんまり顔。致し方なく進めば、待っていたのは女子高生が個人で住むには広すぎるリビングダイニング。


「いらっしゃい。そのへんに座って」


キッチンに隣接して設置されたダイニングテーブルへ俺を誘導しながら、二人分のグラスを手際よく用意し、麦茶を注ぎ入れてくれる夏川。


まぁ、ここで一人暮らしは考えづらいし、家族は出かけてるってことでいいのか?

だったら多少は気苦労も――って、それはそれでまずくないか? こう常識的に。

既に施されてしまった親切を無下にするのも心が痛むし、どうしたもんか……。


しばしの葛藤の末、卓上にクリアファイルを置き、席に着いた。

こちらがあれやそれやな物思いに耽っている間に、彼女はキッチンへ移動したのか、ガスコンロの着火音が響く。


「あー、おかまいなく」


「おかまいしてないよ? これは私とお母さんの晩御飯。一緒に食べてく?」


気まずい沈黙で答えると、それは想像の範疇だったのか、


「冗談なのに」


と、さほど表情を変えることなく夏川は調理を続ける。

静寂の中、グラスに手を伸ばし、乾いた喉を潤す。


気を紛らわすため視線を泳がせれば、ソファにテレビ、夏らしい色合いをした薄手のカーテン。テレビ台や多機能そうな棚の上には、花瓶や可愛らしいぬいぐるみとフォトスタンドがいくつか。どれもシンプルさの中にデザイン性を感じるインテリアが、圧迫感なくコーディネートされていた。


会話の代わりに間を埋める優しい鼻歌は、何の曲かはわからないけれど不思議と緊張の和らぐ心地よいメロディーで、その旋律にこちらが否応なく耳を奪われる中。部屋に漂い始めたクミンの香りが鼻孔を刺激し、俺はまた余計な言葉を口走ってしまう。


「……カレー、か」


「正解! 夏野菜たっぷりでルーもオリジナルだよ。食べてく?」


いつのまにかのエプロン姿。したり顔の甘い誘惑に、一瞬首を縦に振りそうになる。


「ほら、これ」


話題を変えるように、ダイニング越しの彼女へクリアファイルを手に取り、ひるがえしてみせた。


「あーそれ! ありがと、まこ――先生から話は聞いてるよ。大変だったね」


「いや……」


ほぼほぼ帰り道だったから気にするな。


そう切り出すより速く、担任との通話内容が耳に届く。


「アイドルのイベントだっけ? 職員会議の後にうちに寄ってからじゃ間に合わないんだってねー」


あの馬鹿髭、いつ言ってたんだよそんな事。


片肘を突き頭を抱える俺に、夏川は同情を孕んだ笑いでワンクッション。


「でも、来てくれたのが君でよかったよー」


上機嫌を誤魔化すように味見用の小皿へ口をつけ、満足気に頷くと、使用済みの調理器具を洗い始めた。


……なんなんだ、いったい。


スポンジが泡を膨らませる音に、流水がシンクを打つ音。

終わの見え始めた作業に、長居は禁物と俺の第六感が訴えていた。


「偶然だろ」


大した抑揚も付けずに呟き、わずかに残っていた麦茶を飲み干す。


「頼まれてたものは渡したし、そろそろ御暇おいとまする」


グラスを持ち、いそいそ席を立つ。


熱に支配されていた思考と体温は、既に行き届いた空調と、気の利いた一杯によって正常さを取り戻していた。


今なら。


「ご馳走様。それと――」


意を決した直後。グラスを運ぶ最中に、小さな悲鳴が響く。


ん!?


慌ててキッチンとダイニングを仕切るカフェカーテンを捲った先。

宙を舞うおたまを見事に掴んだ彼女は、勢い余って棚へ激突し、静かに崩れ落ちた。



―― ―― ――



「なに御暇おいとましようとしてるのー、今日からでしょ作戦」


対面のダイニングチェアに腰を掛け、なんとも言えない不満そうな声。

大した打撲でもなかろうに、色白な肌より更に白い湿布が、事を重大に見せかける。


「あー……」


歯切れの悪い相槌でお茶を濁すも、もちろん忘れていたわけでは無い。それどころか昨夜は、友達のいない自分がどう友達作りに協力するのかと割と真面目に頭を捻り、ゲームに勤しむ時間を棒に振ったのだ。


ま、たいした案なんて思い浮かばなかったわけだが。


そこで、今朝一番の疑問を思い出す。


なのにコイツときたら――


「どうして休んだんだ?」


無粋に切り込むなり、彼女は急所を突かれたようにうめき声をもらし、


「……ち、知恵熱?」


赤らんだ顔で視線を逸らしながらも弁明に励む。


「ほら、遠足の前の日寝れなかったりとか、修学旅行が楽しみ過ぎて、熱出して休んじゃう子とかいたでしょ? 私、それ。心因性発熱とも言うらしいよ、精神的なストレスが起因してるみたい」


そ、ソースはネットだけど。そう小さく補足し、ゆらゆら定まらないままの視線。


あ、あるのか? そういうことも。


まぁ、たしかに大型イベントに度々参加できないとなると、その後の話題や学校生活にも支障がでそうなものだ。しかも、同じ失敗が続けば、その体験が心に根付いて、より解消しづらくなる。知恵熱という言葉だけで簡単に済ませてしまうのは、軽率じゃないだろうか。一見、気軽に打ち明けているように見えていても、


「なんつーか――」


当事者からすれば人に打ち明けること自体勇気がいる……かもしれない。

そんな背景があれば、彼女に友達が少ないのも納得できる……かもしれない。


「……大変、なんだな」


「え!? ま、まぁ、そんな頻繁にあることじゃないから――」


気まずそうに顔をそむけたままの夏川に引っ張られ、俺達を包む空気は湿度を増す。

見かねた彼女は、湿った雰囲気をかき消すように笑い、


「じゃあ気を取り直して、作戦発表」


自ら拍手し盛り上げる努力を見せつつ、同じように拍手を強要してくる。


……さっきからタイミングを逃してばかりだ。


仕方なく流れに乗って手を叩くと、満足したようにドラムロールの口真似。


「ゲームでもクラスでも友達になろう作戦!」


自信満々にタイトルコールを決め、概要を語りだす。


「まず、最近の高校生はみんなソーシャルゲームを嗜んでいます。そして、その実力が高ければ高いほど、クラスでちやほやされます。って知恵袋に書いてありました」


なんだその信憑性の低い出どころは。

というか本当に使うやついたのか、あれ。


「そして昨晩。その情報を基に有名そうなゲームをDLし、お試しプレイすること数時間――」


「お試しの時間じゃないぞ」


堪らず割り込むも彼女は止まらない。


「気づけば朝に」


「作戦忘れて楽しんでたろ?」


「そして学校を休む羽目に」


「ただの寝不足じゃねえか」


真の欠席理由が発覚し、僅かながら心配した時間を悔いる。完全に乗せられていた。


「それが思ってたより全然面白かったの。お話も良いしキャラもカッコよかったし」


夏川は苦笑いを浮かべたまま、そのゲームを起動したスマホを二人の間に置き、テーブルに身を乗り出す。


「……俺はこういう女向けの――」ゲームはやらないんだ。


紡ぎかけた言葉の途中で、あることに気づく。


「……フレンド?」


「ご明察」


彼女は不敵に口角を上げ、再び作戦概要を語り始める。


「この手のゲームはフレンドを増やすことで、イケメンたちを育てる経験値や、ゲーム内通貨を獲得しやすくなる仕組みになっていてね、そのフレンドは多いに越したことはない、らしいです。だから教室で周りから見えるようにプレイしていれば、あれ? 夏川さんもそのゲームやってるの、よかったらフレンドにならない? と向こうから声をかけてくること間違いなし! ただし、担当が被ると争いになるので気を付けてください。by知恵袋」


ふふん、どうかしら? と、言わんばかりの眼差しにはため息が零れる。


どう知恵袋に書き込めばこんな返答がくるかはさて置き、一つ気になることがある。


「おんな――いや、女子高生って、ソシャゲとかやるのか?」


女性向けにリリースされている以上、需要はあるのだろうが、問題は年齢層。女子高生といえば色恋、ファッション、SNSで忙しそうなのが勝手なイメージ。ソーシャルゲームはおろか、コンシューマーゲームで遊んでる子すら、どれだけいるだろう。先ほどの言い回しからして、彼女自身もソシャゲは初めてに等しいはず。クラスで周りに見えるようプレイするのは、少々リスクが高いのでは――


思考の合間に下がっていた視線を上げると、余程自信があった反動なのか、不敵な笑みは、不安そうな笑みへ変わっていた。


「い、イケメンでてくるし……」


「ゲームのイケメンより、リアルのイケメンだろうな」


「わ、私が布教して先駆者になれば……」


「ゲームの布教ができるなら友達作りに苦労してないんじゃ――」


「だ、だよね……」


肩を落とし椅子に正しく座り直した夏川は、スマホを引き寄せ難しい顔で考え込む。


「……他には、何かないのか?」


企画倒れの作戦に構っていても仕方がないので次に移ろうとするも、返ってきたのは気まずそうな空笑い。


「こうなったら、まるたんに占わせるしか!」


どこかで聞いたことのあるフレーズに、記憶が舞い戻る。


「前も言ってたけど、そのまるたんってなんだよ?」


「少々お待ちを」


そう言い残して彼女は席を立ち、廊下へ続く扉を開けた先で、また別の扉が開く音。

それからしばらくすると、筒状の模造紙のような何かを小脇に挟み、長めの被毛に覆われた物体を抱きかかえて戻ってきた。


「ぬいぐるみじゃあないよな?」


「生きてます」


「まるたん眠いんだよねえ」


子供をあやす様な声音で抱いている生物に話しかけながら、ダイニングチェアに腰掛ける。


こいつが、まるたん、か。


瞳があるであろう箇所は黒い模様に囲まれており、一見しただけでは目があいてるかの認識が難しい。


そんな――


「猫みたいな狸だな?」


「狸みたいな猫なの!」


言下げんかで否定した夏川は、まるたんの頭から首回りの毛を揉むように触ると、狸みたいな猫も、どこか不服そうに欠伸をした。


「アライグマにも――」


「ねーこ! ラグドールっていう種類に特徴がよく似てます」


「別にどっちでも――」


「ねーこ!」


猫であることに拘りがあるのだろう、躍起になった否定が飛んでくる。


特徴が似てるってことは、詳しい品種はわかっていないのか。

だったらまだニャーと鳴くまで狸の線も消えてない――いや、まて。


逆に狸ってなんて鳴くんだ?


こちらが心底どうでもいい戯れを切り出す前に、夏川が口を開く。


「捨て猫だったんだー。そんな面影なくふてぶてしくしてるけど」


何かを憂うように、まるたんの背を撫で続ける。するとまるたんは、膝の上で横になっていた状態から、テーブルの上へ軽やかに移動した。


「い、いいのか? 机乗ってるぞ」


「しっ。これはチャンスなんだよ」


俺と対面する夏川を遮るようにテーブルに居座り、全身を伸ばすまるたん。

すかさずその隣へ彼女が広げた模造紙に、どこかを指すように前足が乗っかった。


「はい、これがまるたん占いです」


模造紙に手書きでざっくり書かれていたのは、学校の周辺地図。それには彼女の裁量でピックアップされたであろう飲食店やカラオケ、ショッピングモール等々の遊び場が、可愛らしいイラストで記されている。


「明日は……カフェで何かあるみたい!」


知恵袋の信憑性もなかなかのものだが、まさかあれを即座に下回ろうとは。


「……ち、違うの。お母さんがやり始めたことだから、そんな奇人変人を見る目はやめて?」


しかも、なんとも言えない空気に耐えかねたのか、家族に罪を擦り付けた。


「一日なにしてたんだよ」


「めんぼくない」


呆れてこぼした言葉に返ってくる、手詰まりを示す声。

互いにため息を零し、すっと息を吸い込んだ途端、光明が差した。


「……さっきのやつ、男相手ならいけるかもしれない」


男子高校生であれば、ゲームは常に話題の中心。テレビのアイドルや女優、校内の格付け話に興じることはあれど、根強く人気を博すコンテンツであること間違いない。

しかも、女子はあまりゲームをしないもの、と思い込んでいる節が自分にもあった。

そのことを鑑みれば、夏川の特異性は間違いなく武器になる。フレンド機能ならだいたいどのゲームにもあるし、始めたばかりとなればなおさら。へえ……夏川もゲームとかするんだな、的な感じで、クラスの男達も優しく教えてくれるのでは――


女の子がいいなぁ」


頬をテーブルに着けたまま、力なく放たれた言葉の妙な棘。

歯車に何かが挟まったような、そんな異物感に襲われる。



それは無意識に抱いていた、親近感の正体。


彼女も友達がいない。勝手にそう思い込んでいたことを刹那的に理解した。


――そりゃそうだ。こんな明かるいヤツが、独りなわけねぇだろうが。


「……やっぱ帰るわ。お前ならなんとかなるよ」


待ったをかけんばかりに慌てた様子で身を起こす彼女の、数歩先を行く。


「続きは友達とやってくれ」


引き留める声を無視し、俺は夏川の家を後にした。

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