第9話 HARUNOブレイカー……

 私は考えた。

 廉が何日も眠っていない。

 目の下の隈が、日に日に大きくなっていき、苦しそうになっていく。

 このままでは、廉が壊れてしまう。その前に私がなんとかしなきゃ。

 そうだ! 凛にも相談しよう!



「ねぇ凛ちょっといい?」


「どうしたの?」


「廉がここ1週間ほど眠っていないの。最近はいつもふらついてるしこれ以上は見ていられないの。なんとかして眠ってもらいたいんだけど、どうすればいいかな?」


 凛はうーんと唸って一考して言った。


「睡眠系の魔法をかけるなんてどう?」


「ダメよ。廉は『絶対解析』を使うほどよ。発動前の兆候を感じ取られて防がれるわ」


「それもそうか……じゃあ飲み物に睡眠薬を混ぜるのも無理かな?」


「……それ良いじゃない。でもやっぱり廉怒っちゃうよね?」


「それは……でも廉にぃだってこのまま続けてもだめだって分かってると思うよ。きっと分かってくれるよ」


「そうかな。そうだよね。凛の言う通りだと思う。私やってみるよ」


「うん。私も手伝う!このボトルのお茶に睡眠薬を混ぜよ」


「そうだね……ところで凛、睡眠薬持ってる?」


「私持ってないよ」


「私も」


 買いに行こうにも深夜に空いてる薬屋なんてないだろうし……


「どうしよう。春乃ねぇ」


 ここは私が……決めるしかないよね?


「大丈夫よ。最後の手段があるから」




 私は暗がりの中、研究室からトイレへと続く廊下の陰に潜んでいた。

 と廊下の奥に光が差した。

 研究室のドアが開いたようだ。

 もうすぐ廉が来る。

 私は覚悟した。

 すたすたと一歩ずつつこちらへ近づいてくる。

 その足取りは私が最近見ていた廉のそれよりもさらに覚束ないものだった。


 その時、廉が私のすぐそばを通過した。

 私はなるべく音を立てないように物陰から飛び出して廉に近づいた。

 そして、拳を体に引きつけて、力を溜めた。

 そして、引きつけた拳を廉の横っ腹に叩きつけた。


 グッヘェエ……

 

 鈍い音が廊下に響いて、そのまま廉は倒れた。


 やった!成功だ!


 私は喜んで廉を背負って寝室に連れて行った。

 真っ暗な廊下を歩いていても、足取りが軽い。

 これで廉を苦しみから解き放ってあげられる。


 寝室は明かりがついていた。

 凛が廉が眠るための布団を敷いて待っていた。


「春乃ねぇ、早く早く」


 私は廉を布団に寝かせた。


「廉にぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」


 凛が絶叫した。

 何事かと思って廉の様子を見ると。

 廉は吐血していた。


「どどどどどどうしよおおおおおお!!!!」


「春乃ねぇ強く殴りすぎだよ。軽く気絶させるだけって言ってたじゃん」


「軽く殴っただけだよ!!本気で殴るわけないじゃん!!」


「うるさい怪力ゴリラ女!!」


「治癒魔法よ凛!一緒にかけましょう!」


「もう春乃ねぇは引っ込んでてよ!このポンコツ!肋骨が折れてんのよ!そっちが先!」


「……はい」


 やってしまった。

 廉を見ると、どういうわけか無性に殴りたくなってしまう。

 だって、廉はずるい。

 私がどれだけ廉を思っても、廉は……

 無理ばっかりして体を壊して……

 そばで見てる私のことなんか気にしちゃいないんだもん。



 凛に追い出されて、30分ほどして寝室の扉が開いた。

 

「春乃ねぇ。廉にぃは無事だよ」


「よかった……」

 

 私は、廉のそばにしゃがみこんだ。

 廉の顔を覗き見ると、さっきまで、血を吐いていたのが嘘のように、心地好さそうに眠っていた。


 


 厄災が初めてその姿を私たちに見せたのは、午前4時13分のことだった。

 廉が眠ってから、2時間ほど経った頃。

 私が魔法災害に関する文献を漁っていた時だった。

 

 ドゴゴォオォォオォン!!!!

 

 地面から腹の底まで響いてくるような重たい振動が響いてきた。

 そして、次の瞬間、耳をつんざくような爆発音が聞こえた。

 

 私は咄嗟に耳を抑えて、周囲を見渡すと。

 同じような行動を取っていた凛と目があった。

 私は、鼓膜を破られないように、凛に近づいて、振動遮断しんどうしゃだん魔法を発動した。

 

「春乃ねぇ、ありがとう」


「うん。何が起こってるんだろう?」


「私、見てくる」


「待って! 1人じゃ危険よ。私も行くわ」


 私と凛は、シャッターを研究室のシャッターを開けた。

 窓ガラスの向こう側が真っ赤に染まっていた。


「何これ……?」


 凛が言葉を失ってただそう言った。

 無理もない。

 山の中腹に位置する研究所から町を見下ろすと、七色だった街に紅蓮の炎が駆け巡って、緋色一色に染まっていた。

 世界で最も美しいこの魔法の街が今抱えているのは、絶望。

 

「春乃ねぇ、廉にぃは?!」


 凛がそう言って、我に返った。

 私は慌てて寝室に走った。

 凛も私を追ってきた。


 寝室では廉が依然として心地好さそうに眠っていた。

 

「嘘でしょ……」

 

 私は、関心とも呆れともつかない呟きをしていた。

 この爆発音の中眠っていられるなんて正気じゃないわ。

 凛が、廉をゆすり起こそうとする。


「待って!凛!起こさなくて良い!」


「え?」


 凛は訳がわからないといった風な顔をした。


「寝かせてあげたいの。ここで起こせば、次に眠ってくれるのがいつになるかわからないから」


「でも、今は廉にぃの力があれば」


 確かに廉の魔力感知能力があれば、もしこの研究所で魔力爆発が起こるとしても、事前に対策できる。そして、絶対解析で魔力爆発の秘密もわかるかもしれない。世界だって救われるかもしれない。

 分かっている。起こしたほうがいいことくらい。

 でも、今廉を起こせば、廉は絶対に無理をする。

 ただでさえ弱った体を私たちのために酷使する。


「だめ!今は廉に眠っててほしいの!」


 あぁ。これはワガママだ。


「春乃ねぇ……」

 

 凛は困ったように笑った。


「春乃ねぇらしくない。感情に流されて判断を誤るなんて」


「凛……」

 

 完全に的を射た指摘に私は俯いた。


「まあでも。私も一緒に間違えたげるよ! 一緒に後で廉にぃに怒られよう!」


 ほんとにこの後輩は。

 なんて頼りになるんだろう。

 

「ありがと!」


 

 

 私たちは、研究所から外に出て、眼下に見える真紅の街を見た。

 魔力爆発が未だに絶え間なく起こり続けていた。

 

「春乃ねぇ……街のみんなは……」


 不安げに凛が言った。


「今は考えちゃだめよ。私たちが助かる方法だけ考えなさい」


 街のみんなは……

 凛の言葉が私の脳裏にこびりつく。

 私は必死に振り払って、深呼吸した。

 吸い込んだ空気が焼けるように熱い。

 

 と、その時、すぐ麓で爆発が起こった。

 一際、大きな音と熱風がやってくる。

 私は前面に、魔法壁を展開してそれを防ごうとする。

 膨大な魔力を持つ私の魔法壁を、それでも壊そうとする威力に顔をしかめる。

 私はさらに、魔法壁に魔力を注いで、場を凌ぐ。


 凛は隣で、この研究室が爆心になった時に備えて、防御魔法の準備をしていた。

 ここが爆心になれば、もう全方位に魔法壁を展開しても無駄だ。

 エネルギーそのものを打ち消す必要がある。

 凛の防御魔法だけが頼りになる。

 凛が防御魔法を展開して、それに私が魔力をそそぐ。


 だがこの作戦には、ふたつの難点があった。

 ひとつ目は、防御魔法を発動するタイミング。

 維持の難しいこの魔法の発動が早すぎると、無駄に魔力を消費してしまう。

 遅すぎると、この辺り一帯が吹き飛んでしまう。

 ふたつ目は、私の魔力が魔法爆発に対抗できるか否かという点だ。


「春乃ねぇ準備できたよ」


「私もいつでもいいよ」


 その時だった。

 真っ赤に染まっていた空が一瞬にして黒天へと変わる。

 どんな夜よりも暗い闇が辺りを飲み込んだ。


「来るよ!」

 

 周囲の魔力濃度が高まる。

 そして一気に、その魔力が暴発し始めた。

 闇が真紅に変わる寸前。


「凛!」


「防御術式イージス発動!!!!」


 全ての闇を打ち払わんとする光の玉が出現した。

 凛のタイミングは完璧だった。

 ここから先は私の仕事だ。


 紅蓮の焔が研究所を飲み込もうとする。

 私は、イージスにありったけの魔力を注ぎ込む。

 イージスの光球が広がって研究室を飲み込んだ。


「勝負だ!!!!私は魔力爆発なんかに負けない!!!!」


 全身の魔力を空にする勢いで魔力を注ぎ込む。

 全身が熱い。 

 紅蓮の炎よりも自身の魔力のオーバーヒートで焼け死にそうだった。


「廉も、凛も、みんなを守るんだああああぁぁあああああ!!!!」

 

 

 

 どれくらいの時間が経ったのか?

 一瞬のようにも永遠のようにも思えた。

 私はそこに立っていた。

 紅蓮の嵐が過ぎ去った後の焼け野原に。

 瓦礫の山と化した研究所の前に私はいた。

 今はもう、あの轟音は聞こえない。

 夜明けとともに鳴り止んだようだ。

 私は凛に声をかけた。


「私たちの家……無くなっちゃったね」


「うん……」


 凛は静かに言った。


 私は瓦礫の山の中でそこだけ、綺麗に守られた痕跡のある場所へ歩いた。

 廉がいた。

 爆発の中、凛は魔法を発動後、廉を守っていた。

 そのおかげで廉は無事だったのだ。

 

 廉の体をそっと抱き上げた。


「凛……私たち、全部守ったのね」


「そうだよ……春乃ねぇ」



 廉は閉じた瞳をゆっくりと開いた。

 



 

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