第3話 光路の先へ……

「失せろろおおぉぉぉぉおおおおおお!!」


 研究室に俺の声が反響した。

 爪の食い込んだ拳がわなわなと震えている。


「ちょっと落ち着いてよ、廉にぃ。どうしたの?」


 凛はそう言って俺の前に歩み出て、俺の袖を掴んだ。


「どうしたもねぇよ、凛。お前はそうやっていつも出しゃばるよなぁあ? この研究にしてもそうだ。もともと俺と春乃の親がしていた所にノコノコ現れやがって。ずっと目障りだったんだよ」


 やめたい……こんなこと言いたくない……


「大丈夫だから。ね、何でも話してよ?」


 バカだろ……これだけ言われて俺の心配なんかするなよ……

 これ以上はもうやめてくれ……

 

「失せろっつってんだろぉぉお!」


 俺は凛の手を振り払った。

 その拍子に突き放された凛の華奢な体が宙を舞って床に叩きつけられた。

 凛は上体だけ起こすと、怯えきった猫のような目で俺を見ていた。

 そして、立ち上がって涙を床にこぼしながら、研究室から走り去った。


 そして、今度は未だにその場を動こうとしない春乃を見た。

 春乃は眉ひとつ動かさず、ただじっと俺の目を見つめていた。


「何をしている?」


「不器用ね」


 全てを見透かしたような透き通った瞳と声に俺は焦りを覚えた。

 

「何を言っている?」

 

「こういうことよ」


 そう言って春乃は俺のすぐそばまで歩み寄った。

 と思ったのもつかの間、吐息がかかり、まつ毛までもが触れそうになる距離まで近づいてきた。


「なっ……!」


 俺は一歩後ずさった。

 すると春乃はさらに一歩詰めてきた。

 俺が三歩後ずさると春乃は三歩分詰める。

 そんないたちごっこのようなやりとりを繰り返すうちに俺の背が壁についた。

 追い詰めた春乃はじっと俺の目を見つめて言った。


「ねぇ、廉。私を殴ってみなさいよ」


「ッ……!!」


「私をこの研究所から追い出すんでしょ?殴れば、私が出て行くかもしれないよ?」


 何を言っている……そんなこと……


 だが。俺は拳を握りしめた。

 やらなくちゃいけない。

 この絶望は俺1人で抱えると決めたから。

 拳を体に引き付けた。


「頼むよ……もう俺に構わないでくれ……辛いんだよ……」


 力を溜めた拳はだらりと宙に落ちた。

 そして、何とか保っていた鬼のような形相までもが崩れ去っていった。

 ……だめだな。俺。


「辛いなら私をもっと頼ってよ!! 私はずっとそばにいる!! 何があっても一緒!!」


 春乃は全てを見透かすような透き通った目をかなぐり捨てて、叫んだ。


「春乃と一緒にいるだけで幸せを感じれる……でも同時に、それ以上に、心が張り裂けそうになる……耐えられないんだよ、もう……許してくれ」

 

 春乃は驚いたように目を丸くした。

 

 これはエゴだ。

 大切なものを失う恐怖から逃げたいだけのおれのエゴだ。


 「……」


 春乃は唇を噛んで、怒りに身を震わせて、俺を睨みつけた。

 そして、ドアの向こうへと消えていった。



 閉まる自動ドアを見届けた途端、俺の膝は眠ってしまったように脱力した。

 冷たい真っ白な床にヘタリ込むと、俺の体は震えが止まらなくなった。

 俺はほんの数分で俺は俺の大切なもの全てを失った。


 幼い頃からともに育った、家族も同然の存在にして希望そのものである春乃。

 俺と春乃がどれだけの凶星のもとに生まれてきたかを知ってもなお、慕い付いてきてくれた凛。


 2人とはもう目も合わせられない。

 この星の全てを知ってしまったから。

 もう誰かを愛するのは怖い。この気持ちを一度自覚してしまうと、もう止められなかった。


 涙の雨が白い床を叩き始めた。

 

「死にたい……」

 

 どうして、こんな世界に、こんな時代に、こんな運命で、生まれてきたんだ。

 別の世界に生まれていれば、もっと前に生まれていれば……

 そして、愛なんてしらなきゃよかった……

 どうにもならない可能性ばかりが脳裏をよぎる。


「うあああぁぁぁぁぁぁああぁあぁぁぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああぁぁあぁあああああああああああああああああああぁぁぁぁあぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


「あああああぁあああぁぁぁぁあああああぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁあああああああああああぁああああぁあああぁぁぁぁあああああぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁあああああああああああぁ!!!! 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい……………」


 未来を見たくないから。何も考えたくないから。




 と、その時。俺の後ろからささやくような声が聞こえた。


「春乃ッ……!!?」


 しまった……全部聞かれた……

 いつも聞いていた、でも決してここにあるはずのない透き通る声に驚いて、後ろを振り返ろうとした時、背中に暖かくて柔らかい感触が走った。そして、春乃の白い腕が俺の体の前に回り込んできた。


「夢がひとつ叶っちゃった。私ずっとこうしてたかったのよ」


 ハグだった。俺から一瞬にして現実を奪うハグだった。

 そして、気付いた時には俺を支配していた恐怖を吹き飛ばしてしまっていた。


「どうしてまだここにいるんだよ?」


「逆にどうしてもういないと思ったの? ずっと一緒にいるに決まってるじゃん」


「だって、さっき部屋から出てったじゃん」


「監視してたの」


「え?」


 そういえば、監視カメラってあったっけ?

 まあ春乃がこの部屋を見てたんならどこかにあるのかな?


「勝手に死なれないように」


「そっか。ありがとう」


 きっと全部お見通しだったんだろうな。


 正直もうどうでもよかった。世界の命運だなんて。

 全て忘れてなかったことにして明日からも変わらない毎日を過ごす事もできそうだと思った。

 ただもう少しだけ甘えていたかった。

 背中に感じる人の温もりがやけに嬉しかった。

 

「ふふふっ」


 すると、春乃は俺のそんな心を見透かしたかのように笑った。

 焦った俺は問いかける。


「何がおかしぃ……いっって」


 泣き疲れた顔の筋肉がうまく働いてくれずに、舌を噛んだ。

 それがまずかった。


「だって、廉が私に甘えようとして黙りこくっちゃってるから」


「そんなわけないだろ? 少しは真面目に考えろよ? 馬鹿か?」


「私……この前、心を読む魔法習得したんだよ?」


「まじで? このことは誰にも言うなよ? 分かってんだろ、ああ?」


「あ、ごまかした」


「すいません。ほんとにもう勘弁してください」


「しょうがないから今日のところはこれぐらいにしといてやろう」


「ふぅ……」


 俺はため息をひとつついた。


「まあ、心を読む魔法なんて使えないんだけどね?」


「へっ?」


「やっといつもの廉だね」


 ついさっきまで恐怖にかられて消え入りたくなっていた俺が、今度は羞恥にかられて消え入りたくなっていた。

 女って怖ぇー。春乃怖ぇー。

 もうボロを出さないようにしばらくはだんまりを決め込もうかと思った時だった。

 閉まっていた研究室の自動ドアが再び開いた。

 そこには頬を伝う涙で顔がぐちゃぐちゃになった凛が立っていた。

 凛は俺と春乃の体勢を見ると、


「ごめんなさい。お邪魔しました」


 凛は一瞬で顔色を変えた。そして再び閉まる扉の向こうに消えていった。

 なるほど……春乃に背中から抱きつかれた今の状況を勘違いしたんだな。


「ちょっと凛っ! 多分なにか誤解してるよ?!」


 慌てて俺から離れて立ち上がった春乃は、走って凛を追っていった。

 そして、しばらくして春乃は凛を連れて戻ってきた。

 凛は俺の目の前に立って俯いていた。

 俺は凛に突き飛ばして危険な目に合わせた。どんな事情があっても許されたことではない。

 たとえ許されなくてもそのことを謝ろうとした時だった。


「ごめんなさい。廉にぃ」

 

 謝ったのは凛だった。


「なんで凛が謝るんだよ? 悪いのは全部俺だ!」


「私は逃げようとした。廉にぃがそうやって自分だけ悪役になろうとしてるんだって知ってたのに…… だから私が一番悪いんだよ!! ごめん、廉にぃ……」


「違うよ。俺が凛にも春乃にも何も相談しなかったんだ。だから俺がわる……」


 凛は『俺が悪い』と言おうとする俺を心配そうに見つめていた。


「それ廉の悪い癖だね」


 春乃はそう言って笑った。


「ほんとにね」

 

「分かってると思うけど、私たちは運命共同体だよ。 そうだよね、凛?」


「そ! 運命共同体……」


 凛は言葉の響きを愛でるように優しく言った。


「私も凛も廉を信じてる、これから先何があっても…… だから、廉からも私たちに何か言うことがあるんじゃないの?」


 俺は何をどう言えばいいのか、答えなんて皆目見当もつかなかった。

 だから俺は信じることにした。自分がこれから進む道を。


「今から地獄行きの列車に乗るが、一緒に来るか?」


 答えなんて聞くまでもない。

 だって俺たちは運命共同体だから。


 春乃と凛は声を揃えていった。

 

「「え、やだ……」」


 


 あ、あれぇぇぇぇええ??



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