第54話

 目が、開いた。


 心地よく整えられた寝台に横たわっている。開け放たれた鎧戸からは午前の明るい日差しが差していた。


 目線だけで周囲の様子を伺うと、そこは知っている場所だとわかる……が、どこだったっけ?


 ぼんやり考えていると、廊下からどたばたと忙しない足音が響くのに続いて、扉が勢いよく開いた。

「あっ!もう起きてるじゃん!」

 いつもの灰色の貫頭衣にごわついた脚衣だけの楽な服装で、出会った頃よりも……いや俺の知っているよりも髪の伸びたトールが顔を出した。

「気分どうだよ?どっか変なとことか、痛いとかはねーの?なあ、ジャス、おいって」

 寝台の横にあった丸椅子を慣れた様子でがたごとと引き寄せて座りながら、畳みかけるように言う。

「いや、あの……」

 掛布に手をついて、ぐいぐい迫ってくるトール。

「ここどこかわかる?オレのことは?どこまで覚えてる?なあって、ちゃんと聞こえてる?見えてる?」

「うるせえええ!喋るスキも無えだろうがっ!」

 反動をつけて腹に力を込め、頭を起こす。

 すると当然、前のめりになっていたトールの頭がちょうどそこにあり……

 がつん!と星が飛ぶような衝撃を額に受け、俺は寝台に逆戻りした。


「騒がしいのう……目覚めて早々それだけ元気ならば、わざわざ見にくる必要はなかったか?」

 俺とトールがそれぞれ頭を押さえて痛みに耐えていると、低いが艶のある女性の声が聞こえた。

「シバラ……」

 大きな体を屈めて入ってきたのは、シバラだった。そして、部屋の天井が彼女の頭がつかえる高さしかないと気付くに至って、俺はここがどこなのか理解する。

 見覚えがあって当たり前だ。

 ここはフィンルーイの宿屋だった。しかも家族の住まいの方、寝室だ。

「ふむ、良さそうではないか。どれ、もう少し詳しく診てやろうぞ」

 トールが譲った丸椅子に、いかにも窮屈そうな様子で腰を下ろしたシバラは、俺の方へ大きな手を伸ばした。

「どう?大丈夫そう?」

 寝台の足元に移動したトールが身を乗り出して尋ねる。

「想定通り、といったところじゃな。どうだ?記憶も意識も、違和感はあるまい?」

「違和感って……記憶なんて、もしなくなってたら、それに気付くこともできないんじゃねえのか?」

 思わず言う。

「屁理屈を言えるくらいじゃ。心配なさそうだの」

 呆れたようなため息とともに、長い指で額を小突かれる。結構痛い。

「……あれから何がどうなったんだ。俺は合意剣に全部使い尽くされたんじゃないのか」

 俺の口にした疑問に、シバラはうなずいた。

「実際ほとんどそうなった。こやつが最後の一押し分を提供せねば、人族としての意識も自我も残らず使い切る必要があったであろう」

「おまえ、やっぱり……」

 トールは少しバツの悪そうな顔をして、肩をすくめる。

「ちょっとだよ、ほんのちょっと。削れた記憶も、調べてもらったら前いたとこの地理とか、電車の乗り方とか、カップ麺の作り方とか、こっちで役に立たないようなのだけだったし」

 俺にはこの発言が事実なのか確かめる手立てはない。トールに以前と変わってしまったところがないか。じっと見つめてみたところで、わかるのはさっき気付いたとおり髪が少し伸びたくらいだ。

「疑り深いのう。それより自分のことを気にした方が良いぞ。そなたには、かろうじて死には至らない程度の魂しか残らなかった。肉体を生かすだけの分じゃ」

「……そうだ。息をし心臓が動いても、ただそれだけ、そうなると聞かされていた」

 だが今、俺は俺としての自我を保ってここにいる。

「……アスリじゃよ」

 シバラから返ってきたのは、予想していたとおりの言葉だった。

「本来であれば、そなたは人族としては死んだも同然の状態になるはずだった。しかしアスリが、あのが……己の魂たる合意剣としての機能、ほとんど全てを削り取ってそなたに与え、

 そうか。あの暗闇で、最後にアスリが言っていたのは、このことだったのだ。

「アスリ……」


「ん、呼んだ?」


 んんんん?


 俺のつぶやきに応じたのは、えらく気楽な調子のアスリの声だった。

「あ、あれ?!君は俺を助けて消滅した的な、今そういう話の流れじゃなかった?!」

「いや、誰もそんなこと言ってないし……ジャスレイ、君こそ話ちゃんと聞いてないだろう。シバラは合意剣としてのを全て、と言ったんだよ」

 思い返せば確かにそうだが……

「あのねー、超簡単に言うと、アスリはお喋りするだけのただの剣になったんだよ」

 とトール。

「あの大修復作業をそんな風にまとめられるのはいささか心外じゃのう」

「ただの剣、ってのも地味に傷つくなあ……一応、剣を体内に収納する機能だけは残ってるよ。遠隔回収機能は消えたから、手に持ってないとできないけどね」

 ……来い、合意剣。

 念じると、手のひらに重みのある金属の感触が乗った。ほんとに普通に出てきやがるし。

、結構苦労したんだよ、僕ら。どうにかして君を人族として作動できる程度に修復しなきゃってね。それだけでも戯曲の一作も作れるくらいの物語があったんだから」

「そりゃどーも……って、今、二か月って言った?」

 なんと、俺がシバラの庵でムニンを倒し意識を失ってから、二か月が経過していたのだ。


 その後、こちらの騒ぎを静観していた宿屋の家族も現れて、いよいよ寝室が狭くなったので、一同は食堂に場所を移した。

「あんた、ほんとこの二か月、みんな凄く心配したんだからね。シバラ様とアスリ様、それからトール君にちゃんとお礼言ったの?」

 卓に着くなり、目を吊り上げたフィンルーイから説教される。

「そ、そんなこと言われなくても……」

「言ったの?」

「い、言うって、言うよこれから!」

 俺たちの関係はガキの頃の延長なので、俺はいまだにフィンルーイには逆らえない。

 さんざんせっつかれた末なのでひどくきまり悪いが、その場に集った皆を改めて見回した。

 卓を挟んで向かい側に座るシバラとフィンルーイ、隣にはトール、膝の上にはルルネ。卓上には合意剣が寝かされていて、テルミエルは茶器をのせた盆を手に台所から出てきたところだ。

「その……皆、色々ありがとう。とあと、トールには謝る。悪かった」

「それって何についての『悪かった』?」

 尋ねるトールは至極真面目な顔だ。

「あれだ、まあ、おまえに黙って勝手なことした件だ」

「よし。そのことなら謝罪を受け入れるぜ。今後、死ぬかもしんねーことするときは、ちゃんとオレに相談してからにしろよな」

 なんかそうやって言葉にすると変な話に聞こえるが。

「……善処するよ」

「こやつの言い分もわからぬでもない。件の魔法、はじめから二人で対価を分け合っていれば、ややこしいことにならずに済んだのも事実じゃ」

 シバラはそう言うが、それだとトールの記憶は今よりももっと大切なものまで食われていたはずだ。結局は俺が大部分をもつのが最善だったように思う。まあ当のトールから賛同を得られない気がするので口には出さないが。

「さてじゃあ話の続きをしようか」

 テルミエルが皆に香草茶を配り終えたのを見計らい、アスリが言った。

「君が意識を失った、それからあとのことだ……」


 合意剣はトールの手助けによってムニンにとどめを刺した。

 シバラはすぐに庵の外を探りムニンの仲間を確認しようとしたが、結局そいつらは逃げおおせて、誰だったのかも不明のままだ。

 ともあれ、シバラは庵の防衛魔法を一部緩めて、ヴァンネーネンがギヌーに連絡するのを許した。彼女は数千年ぶりに同族と接触を持つことになったわけだ。

 一方ギヌーの方も、ヴァンネーネンの定期連絡が途絶えていたため、俺たちがシバラに出会えたこと自体は察していたらしい。

 ほどなくやってきたのはギヌーとミゴーで、彼らによってムニンの死が『里』に伝えられた。

 シバラとヴァンネーネンがムニンの行動について証言し、またそれをアスリが例の映像とやらで裏付けした。おかげで俺たち人族一同はムニンの件は自分の命を守るためとしてお咎めなし、無罪放免となったわけだが、シバラはそうはいかなかった。

 合意剣を破壊する命に背いていた事実と、今はやめたとはいえ、禁じられた蘇生についての研究に手を染めていたことが問題になったのだ。

 それらについては現在も審議中で、シバラは決着がつくまでは『里』からの監視がつき、所在も明らかにしていなければならないのだそうだ。だがエルフのこと、この審議とやらは早くて数百年、下手すると一千年近くかかるかもしれないのだとか……


「まあ蘇生に関しては、現在まで研究を続けているわけではなかったからの。普段の行動にはさほど制約はない。だから、そなたの修復作業にかかることができたのじゃ」

 修復修復って。俺は橋や鐘楼じゃねえんだがな。

「倒れてすぐ、アスリの望み通りにそなたの生命活動を一旦凍結させた。生きているだけで自発的に何もできぬとあっては、肉体は劣化するばかりだからの」

 魔法の原資として使ってしまった分の魂は、その欠落が人族として正常に活動できる範囲に収まっていれば、年月とともに回復してゆく。

 これまでは、それがどのくらいの速度なのか人族では実例がなかったので、推測する材料が足りなかった。しかし、バーラの件の俺と、今回のトールの二件で、ある程度の目安はつかめたらしい。

 そこからの計算によれば、普通に生きていれば、数年程度で回復する。しかし、俺のように意識を保てない状態になった場合は話が違った。

「寝たきりで目覚めない者では、魂はほとんど回復しないのじゃ。生き、行動し、経験し……記憶を蓄積することこそが、魂をも回復させる。端的に、そなたの状況は絶望といってよかった」

 まったく予想通りのことだった。

 そもそも俺は、それを覚悟して合意剣を使ったのだから。

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