第50話

 そのたった一つの事実から、謎のいくつかは解ける。

「そなたが合意剣を半分だけ残存させたのは、そうしておけばアスリの魂が完全には失われずにすむからであろう?肉体はすでに剣へと変じているが、彼女はまだここにいる」

 アスリはシバラの娘だとムニンは言った。しかも、合意剣で命を絶った最初のエルフだと。

「バーラは優秀だの……機能制限されたままの合意剣からそこまで読み取りおったか」

「ふん、確かに出来は良い。だが脆弱だ、あれほどの叡智を、ただ己が楽になるために使いおった。そなたは違うだろう、シバラ。『里』を離れて一体何を研究していた?アスリを残したのは、感傷のためだけではあるまい」

 低い問いかけに、長い沈黙が落ちた。アスリも今度は何も言おうとしない。

「言えぬか。では当ててやろうぞ。そなたはこの数千年、エルフの……いや、アスリの蘇生の方法を研究していたのであろう?」


 蘇生、だと?

 そもそもエルフは普通には死なない。寿命はなく、病気にもかからない。ここまでは人族でも知っている。そして、さっきムニンが言ったように、困難と苦痛を伴うが、お互いを殺すことや自死は可能らしい。

 しかし蘇生について聞いたのはこれが初めてだ。バーラの死のあと、『湖』で経緯を説明したが、その時も蘇生の可能性について取り沙汰されることはなかった。

 死者は蘇らない。

 これは、エルフも人族も、怪物ですら普遍の事実だと思っていた。

「蘇生に関する研究は、全ての『里』で禁止されているはずでは」

 ヴァンネーネンの声は僅かに震えている。

「だからこそ『里』を離れたのであろう。こやつは、もとより己の研究成果を他の者に明かそうとはせぬ。ましてや禁じられた蘇生の魔法を創り出そうというのだからな」

 確かにムニンの言うことは辻褄が合ってしまう。だが、死者を蘇らせるという行為そのものが、人族の感性では禁忌に思える。ヴァンネーネンの言い方からすると、おそらくエルフも同様だろう。

 俺たちを快く迎え入れ、何の報酬もないのに手を尽くしてくれたシバラが、本当にそんなことを試みているのか?

「儂が『里』から離れた理由は、確かにそれじゃ」

 呼吸の落ち着いたシバラは、それでも深くため息をついて言った。

「アスリは……気づいておったのだ。種族全体での計画が休止したのちに儂が一人で進めていた研究は、完成のためにエルフの犠牲が必要なのだと」

 シバラの考案した理論は、アスリの言葉が真実なら、エルフを殺す武器をエルフ自身を材料に作るということになる。

「あの当時、アスリもまた、永き生に苦痛を感じていた。儂の構想した合意剣の創造に必要な莫大な対価……それは魔法物質を何千年吸い集めたところで追いつかぬものだった。だが、エルフの命、肉体、その全てを使えば、時間をかけずとも、たった一人で賄えてしまうのだ」

 では、アスリは。

「あのは、自らを剣の材料とすることを申し出た……己と、他の数多のエルフのためにと。儂は迷い、悩んだが、結局は彼女の望みを受け入れた」

 彼らに比べれば、人族の生きる時間はあまりに短い。バーラやアスリが、そうまでして死を欲する……俺にはきっと永遠に理解できまい。

 それにエルフがどれほど永く生きようと、近しい者を失う悲しみは人族と何ら変わりないはずだ。俺は『湖』でバーラの死を報告した時に、それを目の当たりにしている。

「ことを成し遂げ、合意剣を手にして……儂は後悔した。アスリは肉体こそ剣に変じて失ったが、記憶は合意剣の一振り『慈悲』として、力は『処刑』として、魂がまだ存在している。だがその状態では、人格と記憶は連動せずにバラバラになるのだ」

 確かに、体を失っても生前と同じ意識を保てるのならば、死を願うアスリが己を差し出す意味がない。

「想定していたとはいえ、起きてみればそれは耐えがたいことだった。アスリを剣に変えることで肉体を、剣を二つに分けたことで人格を……つまり儂は我が子を二度殺したも同然なのじゃ」

 そう言ったシバラは俯き、表情は見えない。

「だが、アスリを構成していた要素自体は何も失われていない。ならば肉体の代わりになるものを用意すれば、蘇生が叶うのではないか……儂はその考えに取り憑かれた」

 理屈としては、可能なようにも思える。だがそうして蘇ったとして、それはアスリ本人なのだろうか?

「そう、それだ……そなたは合意剣がミラロー監獄で使われていた時から研究を続けていたはずだ。合意剣の破棄を命じられた時も、諦めてはいなかった」

「少なくとも、半分でも破壊するところを見せぬわけにはいかなかったさ。我が娘を蘇生するために種族の決定を覆すなど、できるはずもない。儂はどちらを残すか、決断せねばならなかった……」

 そうして、記憶から作られた『慈悲』の方を破壊したのか。

「アスリをアスリたらしめていたのは記憶か、魂の力か。結果は今の合意剣を見ればわかる。擬似人格として剣の付属機能となってもなお、アスリの面影は残っている。だがやはり、よく似た別の存在でしかないのだ」

 そんなのは、俺が考えたってわかる。合意剣を手放すために、どうでもいい記憶が失われることにすら、あれほどの抵抗感を覚えたのだ。まして長いエルフの生の記憶を全て失ったのでは、とうてい以前と同じ存在だとは言えないだろう。

「……完全に同一の存在でなくても構わない、そう言ったとしたら?」

 ムニンはひどく乾いた調子で尋ねた。

「そなた、やはり……」

「私の目的など、とうにわかっているのだろう、シバラ。かつて『処刑』の刃にかかって死した我が伴侶……ヘリスの魂も、その合意剣に刻まれて残っているはずだ」


 処刑されたエルフの魂が剣に残っている、だと?

「ムニンよ、存在全てを剣に変えたアスリと

、合意剣で死したエルフでは条件が違う。確かに合意剣は魂を削り取って発動する。使用登録者の記憶が保管される過程で、ヘリスについても、少なからず剣に蓄積したものはあるだろう。だがそれだけではとても蘇生は叶わぬ、

 そうか。

 使用登録者から削り取られた魂のうち、力は魔法の原資として使われる。そして記憶は持ち主に返還されるまで合意剣の中に保管されるのだ。

 処刑の対象者にも同じ過程があるのならば、彼らの記憶が剣に残っていてもおかしくはない。

「ヘリスの肉体は保存してある。それで足りるはずだ」

「まさか……そこまでしておるというのか」

「シバラよ、今更『里』に戻れとは言わぬ。だがそなたの蓄積した、蘇生に関する研究成果は……に必要なものだ」

 私とともに来い。

 そう告げるムニンの声は、今度は場違いに明るかった。

「ムニン、そんなことはできぬ。第一、儂はもうアスリを蘇生するつもりはないのだ」

「なんだと?……なぜだ」

「確かにはじめのうちは本気で蘇生を成し遂げるつもりでおった。だがそれは頓挫したのだ。研究は思うように進まず、月日は飛ぶように流れ……儂はいつしか、アスリを失った悲しみから立ち直っていた。もう、あの子の眠りを妨げることはしたくないのじゃ」

 悲しみはいつかは癒える。長い時間を必要とするかもしれないが、それは人族もエルフも変わらない。

「我らは愛する者の死から立ち直ることができるのだ、ムニン」

 シバラはエルフにしては小柄な背をピンと伸ばし、はるか高いところにあるムニンの顔を見上げていた。

 俺はその様子を神妙な顔で見守っている……のは見た目だけだ。

 アスリ、どうせ俺の頭の中を覗いているんだろう?

「まあね。黙ってるから諦めちゃったかと思ったよ」

 俺にしか聞こえない声が脳裏に響いた。

 さて、内緒話をしようか。


 ミゴーの防衛魔法があとどのくらいもつか、君はわかるか?

「起動してからの減少率から割り出すことはできるよ。四半刻はもたない、って君の予測はかなりいいところを突いていた。あんまり長話してると死んじゃうね」

 ムニンもそう考えて待っている、ってとこが、今の状況のキモだ。

 アスリ、君は現在、機能制限が解除されていると言ったな。もしかして製作者であるシバラとも、こんな風に脳内会話できるんじゃないか?

「ご明察。君とシバラを会話させることはできないけど、シバラに伝言するのは可能だよ」

 よし。伝えてくれ、アスリ。

 ムニンの説得、なるべく欲しい。

「あれ、そうなの?防衛魔法、切れちゃうよ?」

 その前にケリをつけるさ。君が今の状態ならできる方法があるんじゃないかと踏んでるんだがね、俺は。

「……あるよ、確かにね。でも君はそれで良いのかい?」

 良いも悪いもない、そうしないと全員共倒れだからな。

「なるほど、覚悟はあるわけだ……いいよ、協力する」

 ありがとう。

「引き伸ばしの件、シバラは了解だってさ。次はどうする?」

 シバラは心情や情景を盛り込み、本格的に昔語りを始めた。その内容が気にならないでもないが、俺は別のことをやらねばならない。

 庵を守っている魔法を解除すれば、『湖』と連絡が取れる。なのにシバラがそうしないのは、に伏兵がいるからだな?

「ああ。ムニンには仲間がいるみたいだね。彼だけでも手に余るのに、一対多数に持ち込まれたら勝ち目は全くない。逆に、ムニンさえどうにかできれば、外の連中はシバラの相手ではないよ」

 シバラがムニンにいきなり攻撃したのは、望みが薄くても可能性がある方に賭けたというわけだ。

 状況は把握した。つまりムニンを倒せばあとはどうとでもなる。

「簡単に言うねえ!君はただの人族で、しかもその枠の中でもすごく強いってわけでもないのに!」

 アスリは高揚感を隠しきれないといった調子で笑う。

 ……そう思われてるからこそ、やりようがあるのさ。


 脳内でのアスリとの会話に一段落つけ、再び周囲の様子に意識を戻す。幸い、彼女との脳内会話は口に出して話すよりもずっと短い時間で済む。しかも、その間はおそらく少しぼんやりしているようにしか見えない。

「悪い、トール、ちょっとこうしてていいか」

「え、大丈夫?」

 ごく小さな声で囁いて、隣のトールの肩に寄りかかる。いかにも、今のこの状況に衝撃を受け、耐えかねたかのようにだ。

 ヴァンネーネンとバンフレッフも心配そうな視線を向けてくるので、軽く手を振って、本当は辛いが問題ないふうに装っている、的な空気を出す。ムニンも視線を向けもしないが、こちらの様子は把握しているはずだ。

 演技派だねえ!と脳内でアスリの声。

 ……冒険者ってのは、わりと芝居っ気を求められる稼業なんだよ。

 とりあえずこれで、俺が少々よろけようが気が遠くなったように見えようが、言い訳の立つ状態が整った。


「……しつこいようだけど、本当に良いのかい?」

 再び、アスリとの脳内会話。

 この状態になると、俺から見て周囲の様子はやや曖昧になる。

 いいよ。それより早く始めないと、防衛魔法が切れちまうんだろ?

「ああ、そうだね」

 よし、やってくれ。

 アスリ……合意剣よ。

『山』のムニンを殺す魔法を創造してくれ。


 対象者の合意はない……俺が全て賄おう。

 対価は俺の魂だ。

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