第49話

「なるほど……ヴーレとやら、そなたであったか」

 シバラは静かに言った。

 いつか彼女は推察を聞かせてくれた。ヴーレはエルフ社会に背を向けた知られざる存在ではなく、俺たちに顔を覚えられてはまずい状況になる可能性のある者だろうと。

 それはまさに正鵠を射る指摘だったわけだ。ムニンは、バーラの死が発覚した場合に呼び出される立場であることを自覚していただろうし、その場にシバラの合意剣の使用登録者となった俺が居合わせるのは十分予測の範疇だ。

「ジャス……多分これヤベーよな?」

 小声で問うトールが何を懸念しているかは、考えるまでもない。ムニンがこうして、ヴーレとしてバーラの件に関わっていたことを明かすのは、すなわち俺たち人族を生かして返すつもりが全くないことを示す。

「防衛魔法索の勝手な発動、正直言って助かりました。いい判断です。でも……」

 俺はさっき、ほとんど反射的にヴァンネーネンが借り受けているエルフの道具を発動させて、とりあえず身を守った。シバラが間に入ってくれたものの、ミゴーの道具の効果がなければ、全員無事だったか確証はない。

「実はこの魔法索、効果時間がすごく短いらしいんです」

「そ、そうなの?!」

 ヴァンネーネンが苦渋の様子で明かした事実によって、状況が思った以上に切迫していることを理解する。

「短いとはどの程度なのだ、ヴァンネーネンどの」

「ミゴー様はあまり詳細にはおっしゃらなかったんですが、効果はと」

「え、てことは、もうダメ?」

「いえ、この輝きが続いているうちは効果があるのだと思います」

 エルフの時間の感覚は人族とは全く違う。ミゴーにとっては一瞬という意味であれば、まだ使える状態なのだろうが……

「多分これだ、見てみろ」

 網目状の輝きは、よく目を凝らすと、ごく小さな蠢く紋様が集まってできている。それが球形になって俺たちを包んでいるのだが、寄り集まった光は少しずつ解けていっているのだ。

「だんだん薄くなってる……」

 恐る恐る顔を近づけたトールが言うまでもなく、全員自分の目でそれを確かめ、声にならないうめきがあがる。

 解ける速さから類推するに、今すぐ効果を失うわけではないが四半刻まではもたない、多分その程度だ。

「ムニンよ。そなたであればわざわざ合意剣を用いずとも、どんなエルフもその腕ひとつで討つことが出来ようぞ。なぜ今更、合意剣を欲するのじゃ」

 シバラは淡々と尋ねるが、その内容は今の状況ではかなり恐ろしい。つまりムニンはシバラどころか、あらゆるエルフを単独で殺せるほどの圧倒的な強さを持っているという意味にとれるのだ。

「事実ですね……ムニン様はエルフの皆様の中でも際立った武人でいらっしゃるので」

 ヴァンネーネンが小声で補足する。

 トールが以前言ったように、人族から見るとエルフは次元が違いすぎて、武力という意味での強さの違いはさして意味をもたない。誰が相手であっても、人族は虫けらのように捻り潰されるだけだ。

 しかし、エルフ同士では当然、戦いに長けた者、魔法に長けた者など個人差がある。もしムニンがシバラを容易に下すほどの力を持っているとすれば、俺たちの命もここまでということになる。

「シバラよ、たしかに合意剣はエルフを殺すための道具であるが、それだけではない……そなたは誰よりもよく知っておろう?」

 ムニンが薄く微笑むと、あたりにたちこめる魔法の匂いはさらに攻撃的になり、突き刺すような寒さまで感じるようになる。ミゴーの道具による防御の外は一体どうなっているのか、考えたくもない。

「そなたまさか……」

 シバラの大きな背中が動揺したように強ばった。

!起きるのじゃ!」

 続いて大音声で叫んだのは、何か、いやへの呼びかけだった。

 その声に応えるように、それまでただ宙に浮いて静止していた合意剣が、再び輝いた。

「使用登録者のもとへ!」

 続いて叫ばれた命令で合意剣は消え、次の瞬間、俺の手の中に現れた。

「シバラ?!これをどうしろって……」

 取り落としそうになるのを慌てて握りしめ、シバラに尋ねた時には、彼女の姿は搔き消えている。わずかの間をおいて、地を揺るがすような衝撃音とともに、ムニンが後退した……いや吹き飛ばされた。

 シバラは徒手格闘のような構えをとり、先ほどムニンが立っていた位置にいる。そこでようやく、動きなど全く見えなかったが、彼女がムニンに攻撃を加えたのを理解する。

「アスリよ、使用登録者と人族を守るのじゃ」

 その言葉を最後に、ムニンもシバラも、人族には全く見えない速度での戦闘に入った。木々を揺らす音や、何かがぶつかり合う激しい衝撃音、吐き気を催すような殺意の含まれる魔法の匂いだけが、戦いが行われていることを示す。

「どういうこと……?アスリって何?」

 呆然とトールがつぶやく。

「アスリは僕のこと。シバラは君たちを守れって、僕に命令したのさ」

 人族全員がぎょっとして俺の方を見る。

 その声は、正確には俺の手に握られた、合意剣から聞こえていた。


「誰……というか、その声、擬似人格か?!」

 口調は全く違うが、その涼しげな女声は幾度か聞いた、合意剣の擬似人格のものだ。

「そう、機能制限を受けている間の僕はそう呼ばれているよ。だからはじめましてなのは、そっちの密偵の人族だけだね」

 これまで全くの無感情で、口調も平板だった擬似人格は、声は同じだが、今はまるで少年のような自然な話し方をしている。

「……状況の分析完了。うん、すごくまずい。シバラの本分は膨大な時間をかけて構築する巨大で繊細な魔法なんだ。つまり短時間で敵を制圧する技に長けるムニン相手にそんなに長くはもたないし、防衛魔法索の外は、人族じゃ呼吸もできない成分と、凍死する気温になってる。えげつないねえ、ムニン」

 のんきな口ぶりで語られたのは、思っていたよりも数段悪い現状だった。

「アスリ、と呼べばいいのか?俺たちを守ると言っても君は、合意剣は、合意がなければエルフを殺せないのだろう?」

「……そういう風に設計されているのは事実だよ」

 妙に含みのある言い方をする。

 これまで聞いていた話では、剣はエルフを殺す魔法の原資を、使用登録者たる俺と、殺す相手の魂から調達する。しかも、それには合意を得た上で、相手を刃にかける必要があるはずだ。

 ムニンが自らの死を望むなら、あのミラロー監獄でバーラと一緒に命を絶つこともできた。先刻の本人の言葉からも、ムニンの目的が他にあるのは明らかだ。

「ムニンが何を望んでいるのか、推測はできる。まあそれは、君たち人族を守るのとはあまり関係ないかもね。とはいえ合意剣ぼくとしては、完全な状態で起動している今、できることも増えてはいる……」

 緊迫した状況にそぐわない快活な様子で話していたアスリは、最後だけやや口調を暗くした。

「あのさ、ムニンが現れたのは、シバラがこの家を守ってた魔法をぶっちぎってきたってことだろ?なら、ネネちゃんの持ってる道具で『湖』まで転移できないの?それかギヌーさんに連絡取ったりさ」

 トールがヴァンネーネンに尋ねる

「もう試しましたが、だめですね。庵を守る魔法そのものは維持されています。ムニン様はもしかすると、私たちがここへ招かれた時に一緒に入っていたのかも……」

 シバラが俺たちを入れた時に密かに入り込み、合意剣の管理魔法の修復が終わるまで潜伏していたということか。

「アスリ、今の君はシバラの防衛魔法に干渉できたりは?」

「まさか、できるわけがない。さすがに僕の権限は合意剣に関することに限定されているよ」

 体があれば肩をすくめていただろうと思わせる口調のアスリ。

「ほう、これがアスリのか」

 からかうような言葉は、ぞっとするほど近くから聞こえた。ミゴーの防衛魔法索のすぐ外から、ムニンが見下ろしている。

 そこへすかさず、死角となる位置からシバラが突っ込んでくるが、ムニンは余裕のある様子で片腕を上げ、攻撃を受け止めた。

「そなた、この者らに話していないのであろ?合意剣が本当はどんなものか」

「……なぜ、いや一体何を知っておる」

 肩で息をしているシバラの顔色は悪い。

「『森』のシバラが合意剣破棄の決定に反いて剣を残存させた理由、その後姿を消した理由、合意剣ができているか」

 つまり都合の悪いことも全て。と締めくくるムニン。

「ミゴーの防衛魔法は堅く、私でも破るのは骨が折れる。なれば、その魔法索の効果が切れるのを待つ間に、事の真相くらいは話して聞かせてやろうぞ」


 エルフは、その歴史が始まって以来、ただの一人も寿命での死を迎えていない。彼ら自身にも、どのくらいの時を生きるのかわかってはおらず、過去には生に飽き自ら命を断つ者が多く出た時代もある……このあたりはミゴーからも聞いた話だ。

「処刑にせよ自死にせよ、我らが命を絶つのがあまりに困難で苦痛を伴うことから、そのための魔法の創造が計画された……開発段階では武器の形を取ることは決まっていなかった。しかし当時最高峰の技術を持つエルフが集まっても、開発は難航を極めた」

 様々な方法が検討されては破棄された。数千年も成果が上がらず、計画から離脱するエルフも現れた。

「計画そのものが瓦解しそうになった時、シバラが単独で研究を続けると申し出た。他の顔ぶれは柱となる理論や方法すら固まらない計画に疲弊していたし、シバラは成功の可能性の低い研究に他の者を付き合わせたくないと主張した」

 シバラの申し出は受け入れられ、種族を挙げた計画は一旦凍結となった。

「そこからまた数千年が過ぎ、シバラが再び姿を現した時、その手には合意剣が携えられていた。本当にその剣でエルフを殺すのが容易になるのか?問われてシバラは告げた。彼女の娘、アスリがすでに合意剣を用いて命を絶ったと」

 アスリ。合意剣の擬似人格と同じ名前、そして、ムニンのという言葉。

「どういう理論で合意剣が作られたのか、シバラは決して明かそうとしなかったが、ともかく剣は目的を果たすことのできるものだった。そこからしばらく剣は使用登録者を代替わりしながら運用された。やがて種族の人口が減りすぎるに至って、死以外の問題解決方が検討されて、合意剣は役目を終えた」

 そしてシバラは合意剣の破壊を命じられた。彼女がその命に背いた結果が、今のこの状況につながっている。

「シバラは姿を消した。その理由も、合意剣がどういうものであったかも、そこから長い間、謎のまま……バーラが偶然シバラと出会い、合意剣の存在を確認し、実際にそれを見つけ出して分析するまで」

 ムニンが淡々と語る間、シバラは一言も発しなかった。断罪を待つように、ただ無表情でそこにいる。

「バーラは合意剣に関する研究結果をミゴーに渡したかったようだが、私はそれを差し止めている。なぜか?そこに残されていた内容は、エルフ社会全体に明かしてしまうには衝撃の大きすぎるものだったからだ。何かわかるかね?」

 誰も、何も口にしない。ただ一人、もはやそう呼ぶのが相応しいことに俺は気づいてしまった、彼女を除いて。


合意剣ぼくは、アスリ。彼女の肉体と魂、記憶……それら全てを用いて作られたからだよ」


 答えたのは合意剣、アスリ自身だった。

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