第48話

 俺が勝手にトールに感じていたわだかまりが解消してからは、ごく平穏に日々が過ぎた。

 馴れ合いをいとい、お互い不要な交流を避けていたはずのバンフレッフとすら、若者が寝静まったあとで酒を酌み交わす程度には親しくなった。

 トールは毎日の訓練の疲れで早々と就寝するし、ヴァンネーネンは中年男の酒盛りに参加する趣味はないということで、力鎧が仕入れてきた酒はほとんど俺とバンフレッフが消費している状態だ。

 そんなわけで二人、今日も夕食後の食堂に陣取っていた。最近では力鎧がちょっとしたつまみのようなものまで出してくれる。この生活に慣れてしまうのが本当に恐ろしい。

「まっこと、ジャスレイどのとは仕事以外のところで知り合いたかったものであるなあ」

「俺としちゃ今からでも、あんたの仕事のことはすっぱり忘れて欲しいところだがね……」

 バンフレッフは、俺が完全に剣を手放すつもりでいることを理解しながらも、事が済んだあとも監視を続ける予定らしい。率直に言って迷惑だ。

「そうはいかん。今のところ『里付き』を除けば、そなたほどエルフに近いところにおる人族を、吾輩は他に知らんからな。合意剣については諦めるが、エルフの技術についての調査としてはまだやれる事があるはず」

 エルフの怒りを買うのは、あくまでも彼らに危害を加えることを企んだ場合で、人族同士の争いのためにエルフについて調べるのは問題ない、というのが、バンフレッフの解釈であるらしい。

 実際それは当たらずとも遠からずではないかと俺も思う。

 ただしこれは何でも自由にして構わないという意味ではない。エルフたち自身による情報の管理が行き届いている以上、彼らが漏らしたくないと考える範囲まで、人族の身で踏み込むのはまず不可能である、という話だ。

 現にバンフレッフやヴァンネーネンが入り浸っているシバラの書庫も、一冊一冊に魔法がかけられていて、開く事ができない書物すなわち読むのが許されないもの、と判断できる。

「そのようなことよりだ、もう期限が近いのであろう?」

 つまみの魚の塩漬けを齧りながらバンフレッフが尋ねる。

 何の期限かは考えるまでもない。シバラによる合意剣の管理魔法の修復が終わると予告されていた日付がもう迫っている。

 シバラは研究室にこもっていて、数日は顔を見ていない。俺たちの方も用事がないかぎり作業を邪魔するべきではないと心得ているから、おとなしく連絡を待つだけだ。

「そうだな……まあエルフのやることにそうそうしくじりがあるとも思えない。多少の前後はあるだろうが、そろそろだろうよ」

「よくわかっているではないか」

「?!」

 突然背後に現れた気配と、頭の上から響いた声に驚いて、丸椅子から飛び退きそうになった。が、さすがにこの登場の仕方は二度目なので、すぐに落ち着きを取り戻す。

「シバラ……悪趣味な声の掛け方するのはやめてくれ」

「はは、すまぬ。数千年も一人でおると、色々なことを横着に済ませてしまうのじゃ」

「それで、終わったのですかな?」

 尋ねるバンフレッフに、自分も丸椅子に腰を下ろしたシバラが鷹揚に微笑む。

「そうじゃな。管理魔法を使うための端末はこれまでミラロー監獄に置いた石碑に組み込まれたもののみだった。それを今回、剣の半分を破壊した時に失われた分も含めて、本体内部に新たに構築し直した形になる。その作業が完了したので、剣だけであらゆる設定を行うことができるようになった」

 俺がシバラの言う理屈を正しく理解できているか怪しい部分がなくもないが、大事なことは一つだけだ。

「では、俺はもう剣を手放すことができる?」

「そのとおり。待たせてすまなかったの」

「いや、いや……とんでもねえ、本当に助かる」

『里』のエルフたちが数人がかりで数百年かかる見込みだった作業を、たった二十日ほどで終えたのだから、ありがたいなんてものではない。

「他の者たちは就寝したようだし、そなたの使用登録の解除には明日の朝から取り掛かろうと思うが、それでよいか?」

「構わない、ありがとう」

「それでは今宵はもうお開きとしますかな?」

 もとよりそれほど酔っていたわけでもないが、明日状況が動くとわかれば、飲み続ける気も削がれるというものだ。俺はバンフレッフの言葉に従い、酒盛りをしていた卓を片付け始めた。


 翌朝、朝食を終えた人族四人は、再びあの長い階段を降りてシバラの研究室に来ていた。

 シバラは俺たちを広場に待たせて、先日トールのことを話した建物に入っていった。隣に立つトールがそれを見つつ俺の方へ頭を寄せて囁く。

「これでようやく、エルフがらみのアレコレから解放されるのかあ……ジャスの剣はバンフレッフさんから貰えるし、意外と赤字でもない?」

「どうだろうな……まあ手元に金は全然残ってないが、ここに来てからのお大尽みてえな生活思えば、黒字ってことになるのか」

 なにしろシバラの庵に滞在したこの二十日ほどの間は、遊んで暮らしていたと言っていい。本当に小さなガキの頃を除けば、こんなことは人生でもはじめてだ。

「また気楽なこと話してる。そんなに重要じゃないといっても、記憶や経験が消えちゃうの、ジャスレイさんは怖くないんですか?」

 俺とトールの会話を聞いていたらしいヴァンネーネンは膨れっ面で言う。なんだか色々心配していたのが馬鹿みたいです。と続けられると、さすがに決まり悪くなる。

「まあ気分がいいものではねえよ、なかなか覚悟が決まらなくてグズグズしてたくらいだし。でも考えてみれば、俺くらいの歳になると、何もなくても色んなこと忘れて日々暮らしてるわけで」

「何を言うか。まだ若いであろう、ジャスレイどのは。そんなことを言われると、吾輩こそ立つ瀬がないぞ」

 バンフレッフまでもが呆れた口調で会話に参加してきた。

「そうは言っても飲み込むしかないからな。今回のことは、人族がエルフと関わるとどうなるのかっていう教訓だと思ってるよ俺は。命があっただけ儲けものだ……俺が体を張って得た知見をメドリーニ王にも尊重してもらいたいんだがね、切実に」

「そーそー。そんでオレたちのことは放っておいて欲しい!」

 俺は遠回しに言ったのだが、トールは直截に要求を口にした。それを受けてもバンフレッフは悪びれる様子もなく、にやりとする。

「そう嫌うこともなかろう。長い付き合いになるのだからな」

 こっちは全然そんなこと望んじゃいないんだが、そこは汲んでくれないのか?

「ご歓談のところすまぬが、準備が整った。はじめさせてもらうぞ」

 気付けばシバラが剣を手に戻っていた。


 魔法の匂いがあたりに漂ったかと思うと、鞘を払った合意剣がシバラの手を離れて宙に浮いた。

「まずは、完全な状態で剣を起動してみよう。合意剣よ、起きるのじゃ」

 光沢のない漆黒の刀身も、飾り気のない柄も、見た目には何一つ変化はない。しかしシバラの声に応えるかのように魔法の匂いがいっそう強まり、同時に剣そのものから、視線を向けるのも労力を必要とするかのような、目に見えない圧力が放射される。

 立っている位置から退かずにいるのにも、かなりの努力が要った。そうしてこらえていると、魔法の匂いも圧力も少しずつひいていき、やがて完全におさまった。

 合意剣は変わらず宙にあり、シバラは顎に指を当ててそれを見上げている。

「ふむ、良いだろう。問題なく起動したようじゃ」

 そんなつぶやきに、一同がほっとした空気になったその時だ。

「ご苦労だったな、シバラ」

 唐突に聞こえた声に、シバラでさえも驚愕した様子で振り返った。その視線の先に、奇妙なものが見える。

 もの、と言っていいのか。広場の奥、木立の隙間が、陽炎のように揺らめいている。それも一瞬ごとにその範囲が広がり、あっという間にエルフの背丈ほども大きくなった。そして、その中心からずるりと何かが染み出すように現れる。

「そなた……」

 ゆるゆると出てきたものは立ち上がり、末端からはっきりとした質感を持ち始め、やがて揺らめきが全て寄り集まり……

「久しいな、同胞よ」

 低い声がそう言ったときには、見上げるばかりの長身に均整のとれた見事な体躯、灼熱の炎を思わせる赤い髪に浅黒い肌をもったエルフの姿があった。

「ムニン……」

 シバラの囁くような声を聞くまでもない。俺もトールもかつて『湖』で会ったことのある、『山』のムニンがそこに立っていた。


「姿を隠すのもなかなか苦労させられたぞ、シバラ。腕は鈍っていないようだな」

「そなた、どうやって……いや、あの転移の道具、やけに無駄の多い作りだった、あれか」

 シバラの言う転移の道具が何かは、ヴァンネーネンがハッとした様子で外套の上から胸元を押さえたのでわかった。

 彼女がエルフから貸し与えられた三つの道具の内ひとつがムニンの作だというのは、この庵に招かれた時にシバラが看破している。

「そうでもせねば、そなたの住処には入れまい。バーラは偶然にも糸口を見つけたようだが、私にはそれを教えようとしなかったのでな」

 ムニンはごく平静に、穏やかな様子で歩み寄って来た。だが、その精悍な顔には何の表情もない。数千年にもわたって接触を絶っていたシバラと、変則的な手段を用いてまで再会したのだから、何かしらの感慨はあってもよさそうなのにだ。

 違和感が胸中に湧き起こる。その正体をとらえるよりも早く、俺はさりげなく一歩横にずれて、ヴァンネーネンの方へ手を伸ばした。間に合え、間に合え!

「勘のよいやつ……!」

 ムニンがそう口にするのとほぼ同時、俺は魔法を練り上げた指先で、ヴァンネーネンの耳飾りに触れた。

 いっぺんに様々なことが起こった。

 まず耳飾りは直視をためらうような、まばゆい光と濃密な魔法の匂いを発して、それらは膨らんで俺たち人族四名を包んだ。光はすぐさま細かい網目のような形になって、きらきらと周囲を覆っている。これがシバラが防衛魔法索と言った、ミゴーの作った道具の効果。

 そしてその魔法索の発動のほんの一瞬あと、目に見えないが、怖気を震うような、あるいは殺気、悪意のようなものがムニンから照射されたのを認識する。

 だがそれは、ミゴーの魔法索と、ムニンとの間に割り込んだシバラによっておそらく防がれたのだ。

「この者どもを殺す気か、ムニン。どういうつもりなのじゃ」

「まだわからぬか、それともわからぬふりをしているのか、シバラ?」

 首をかしげたムニンは、質の良い布地と凝った仕立ての長衣の懐から何か取り出し、こちらに投げつけた。

 じゃらりと重い金属音を響かせて落ちたのは、見覚えのある麻布の小袋だった。

「人族ジャスレイよ、ミゴーの捜索ご苦労であった。約束の半金をとらせようぞ」

 ヴーレ。

 ニルレイの街で出会った正体不明のエルフ、ヴーレはムニンだったのだ。

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