第47話

 程なく駆けつけた村の男たちと、イアストレを宿屋に運んだ。

 村に医者はいない。治癒の魔法を使える者など、もちろんいない。そして、それらが期待できる街は、一番近いところでも、馬で三日はかかる距離だった。

 普段村で怪我人が出た場合は、多少の手当の心得を持つ者として床屋か、薬草を扱える産婆が呼ばれる。そのいずれも、イアストレの傷の状態を見てやれるだけの処置を行ったが、結局は家族と最後を過ごせるように計らうべきだと言って、帰っていった。


 宿屋の食堂には、村長をはじめとした村の中でも発言力のある幾人かの者が集まっている。

 人質になっていた少年は、盗賊の男たちとイアストレと森に入ってからのことを語った。

 イアストレはまず、魔法で客だった三人を硬直させて、少年を救出した。それから、なぜ商人一家を狙ったのか、盗賊たちはどこから来たのか、聞き出そうとしたのだそうだ。

 そこへ背後から四人目、イアストレが伏兵として森にいたと言った男が現れ、少年を庇ったイアストレを刺した。

 そのあとは少年にも何が何だかわからぬうちに、全てが終わった。耳をつんざく雷の音と光、肌がびりびりと泡立つような恐ろしい衝撃が走り、気づくと男たちは倒れ伏していた……十になったかならないかの少年は、泣きながらそれらのことを話してくれた。


「おい、坊主、ちょっといいか」

 商人一家の下男が客室の火鉢の用意を引き受けてくれたので、木炭や道具のありかを教えて一階に降りてきたところ、村長が俺を呼んだ。

 イアストレとフィンルーイ、そして赤ん坊とテルミエルは寝室にいる。村の重鎮たちは、森で死んだ四人の始末やなんかを話し合うため、まだ食堂に残っていた。

「ここのことだがな、まだ客もいるし、飯の支度やら家事なんかは、しばらく村で人手を募って手伝おうって話になった」

「それは……ありがたいです。商人さんの一家も客だと思わないでいいと言ってくれましたが、それでもさすがに」

「ああ。あとな、盗賊の死体は村はずれの空き家に運んだ。で、それが大問題でよ……やっぱり奴ら、隣村の者だった」

 隣村と行き来の頻繁な村人に確認させたのだという。

「正直これは、ちいとまずい……あっちとは持ちつ持たれつ、うまくやってきたからな。それに坊主が街道で相手してた奴、まだ生きてるとは思うが、ほっとけば動物にやられっちまうだろうから、拾いに行かせてる。怪物使って強盗働いてたのを、証言させる必要もあるだろ」

 村長は、朝になったら自ら数人の人手を率いて、隣村にことの次第を知らせに行くと言った。

「どうか頼みます。本当なら、俺が行かないとならんことなんでしょうが……」

「いや、おめえはここにいなけりゃ。隣との話し合いは、馬車を出しても数日はかかる。その……フィンちゃんの旦那は、相棒だったんだろが?」


「よォ……すまねえな、色々」

 ルルネを寝かしつけるために台所に行ったフィンルーイや叔母と入れ替わりに寝室に入っていくと、イアストレは目を開けて俺を見上げた。

 イアストレの顔色は蒼白で、もはや起き上がる力もないのは明らかだった。

 床屋は体の表面を縫い合わせたが、内臓に達した傷を塞ぐ手立てはなく、今は産婆の処方していった薬草で痛みを麻痺させているだけだ。

「なにも謝ることなんかねえよ」

 それ以上何を言っていいかわからず、寝台の横にあった丸椅子に腰掛ける。

「な……怪物は結局、いたのか?どうなった」

「ああ、倒した。もう何の心配もねえ」

 イアストレは安心したように微笑んだ。

「そうか、そりゃあ、よかった。あんたと、おれと、手分けして……村も宿も、守れたんだな」

「そうだよ。おまえがフィンたちを守った」

 上掛けから出ているイアストレの手を握る。その手は冷たく、いつものような力強さはない。

「ジャスよ。楽しかったよなァ、あんたと組んで、この数年……ひどい目にもいっぱい遭ったけど、おれはほんとに、楽しかったんだ」

「俺もだ、イアス。俺もだよ……」


 イアストレは家族に見守られながら、その日の深夜に息を引き取った。


 四日後、イアストレの埋葬が済んだ翌日に、隣村から戻った村長が訪ねてきた。

「坊主、いたか。ちょっと話せるか?」

 宿屋は朝食を終えたところで、俺は手伝いに来てくれている村の婦人と商人の下男に後を任せて、村長を裏庭に案内した。

「隣村のことだがな、例の生き残った奴が全部吐いた。そいつと森に隠れていた奴の二人は、あっちの村出身の冒険者くずれだったらしい。食いつめて、他の三人を誘っては、たびたび街道で旅人を襲っていたんだそうだ」

 隣村では、村人を四人殺されたことについて、もとは彼らが盗賊を働いていたのが原因とはいえ、意見が割れたのだという。

 それでも、向こうの村長はじめ長老たちが村人を諌め、この件を手打ちにする話し合いが持たれた。

 怪物を使った悪事を繰り返していた四人の死と、罪のない宿屋の亭主の死について、村長は同等ではないと主張して、相手から家畜と農作物による補償を引き出しさえした。

「そんなことでフィンちゃんや赤ん坊への償いにはならねえとは思うが、今後の生活を考えりゃあ、多少はな」

「いえ、助かります」

「礼なんか言うな、俺ぁよ、坊主、おめえには申し訳ないことを言わなけりゃならねえ」

 隣村全体を相手としては、おおむね村長の要求が通った。しかし死んだ盗賊四人にも当然、身内の者がいる。

「そいつらがな……中にどうも、タチの悪そうなのが何人かあって。奴らを殺したのは誰なのか、としつこく聞かれてな」

 村長は、怪物退治を依頼した旅の冒険者が殺したのだ、と説明するほかなかった。

 生き残った男を含め、盗賊たちはイアストレが元冒険者だと知らなかった。宿屋の亭主がやった、と言ってしまえば、フィンルーイたち家族に累が及ぶ可能性がある。

「つまり俺がやったという話になってる、そういうことですね」

「そうだ。勝手なことをして、本当にすまねえ。だが今ならまだ、この村でもおめえがテルミちゃんの甥だってことは、さほど知れてない。口止めもほんの数人で済む」


 俺はその数日後、村を後にした。

 遺されたフィンルーイたちのことも宿屋のことも、心残りはたっぷりあった。人手は村人が、物質的な面からは商人一家からの援助の申し出があったとしてもだ。

 だがそれでも、旅の冒険者が盗賊を討伐してまた旅立った、事情を知らない大多数の村人にそう思わせるために必要なことだと、飲み込むしかなかった。


◇◇◇


「出会った頃、俺がおまえを同行させるのを渋ったのは、こういうわけだよ」

 イアストレは少なくとも、俺と関わらなければ、今も生きていたかも知れない。だがそれだとルルネは生まれていないし、宿屋だってどうなっていたかわからない。いずれにしても俺はとうに死んでいただろう。

 人生は無数の選択の結果であり、その一つ一つを後悔したり選ばなかった方を惜しむのは馬鹿馬鹿しい。エルフにだって、時間を戻すことだけは多分できない。だからこそ、何かを決断する行為が、俺は時折怖くなる。

「オレはさ、ジャス」

 俺の長い話をおとなしく聞いていたトールが、空を見上げたままぽつりと言った。

「死なないって約束はできない。何も悪いことも危険なこともしなくたって、人って急に死ぬもんだからさ」

 どうしたって避けられない、ただの運でしかないことなんかいっぱいある、と乾いた口調で続ける。

 そう、トールもまた身近な者の死を目の当たりにしてきたのだった。

「オレなんか、治癒もまだ未熟で、そもそも自分が真っ先に死ぬかもしれないし、ジャスを助けられないかもしれない」

 そんなのは俺だって同じだ。

「でも、たとえそうなったとしても、オレとあんたのどっちが悪いとか考えなくていいんだ。オレも考えない。……後悔はさ、するときはするよ、多分。でも、出来ること全部やったのと、そうでないのとじゃ、同じ後悔でもきっと全然違うんだ」

「トール……」

 トールは上半身を起こし、そのまま前を、眼下に広がる広大な森にまっすぐ目を向けた。

「約束するとしたら、一個だけ。オレはもう死のうとしない。絶対に、やれるだけ悪あがきする」

 静かだが、重みのある言葉だった。

「ジャスはきっと、イアスさんのことで後悔があるんだよね?」

 後からもっといい方法があった、ああすれば良かったと、どれだけ考えたろう。だがそんなのは所詮、その時に気づかなかった時点でどうにもならないのだ。

「だから今更オレが何か言う必要なんかないくらい、あんたは多分、色々考えてきたんだろ?次のため、これからのためって。それくらいは、見てたらわかる」

 本当に、それが俺にできているのか。俺は今、誰かと組むだけの価値のある男でいられているだろうか。

「オレはジャスについてくよ。この先何があっても、あんたに出会って相棒になったこと、オレは絶対に後悔しない……それ以外に必要なこと、何かある?」

 こちらを振り向いたトールの黒い眼は、俺の表情ひとつ見逃すまいとするかのように、瞬きもせず、ただただ真剣でひたむきだった。

「……ねえな。充分だ」

 俺はそれだけ言って、立ち上がったトールから差し出された手を取る。その手は、固くて熱く、そして力強く、俺を引っ張り上げた。

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