第51話
命じたその瞬間から、自分の中の何かが恐ろしい勢いで失われていく感覚を味わう。……いや、違うな、まだ剣を通してそれらに接触はできる。ただ、切り離され、隔離され、他の何かに変容していくのが実感できるのだ。
「設定された機能として……魂に含まれる情報は重要度の低いものから失われるよ。それはとりあえず合意剣に保管される。本来なら持ち主にあとから返還される予定のものだからね」
アスリの声は優しい。
「でも、今回はその機能に意味はない。エルフを殺すために必要な魔法の原資、通常は合意を得て対象者から削り取る分を含めた全てを君が負担するからだ」
そうやって聞くと、反則もいいところだな。
「これは賭けだよ、ジャスレイ。君の魂を全部使い切っても、まだ足りるかわからない。そして使い切ってしまったら、心臓が鼓動し呼吸していても、意識は保てない。人族としての生は終わったも同然の状態になる」
わかっている。それでも、やらないわけにはいかないだろ。
俺よりもずっと若い二人、トールとヴァンネーネン。少なくとも彼らは無事に脱出させなければ。……バンフレッフはまあいいや、どっちでも。
そんなことを思う間にも魔法の創造は進む。今や俺にも、合意剣の内部に巨大な力のうねりを感じ取ることができる。
代わりに外界についてはぼんやりと曖昧になってゆき、それでも力の抜ける俺をトールが隣から支えたのがわかった。
動揺が触れている場所を通してさざなみのように伝わってくる。小声で一度だけ呼びかけられた名前の必死さ。
出会ってからまだいくらも経たないのに……いや、はじめからトールはどうしてそこまで、と思うほどに俺を信頼してくれていた。
俺たち二人がどんなふうに死のうと、どっちが悪いとか考えないでいい、と話した。それでもこれからやることは、こいつを悲しませるだろうか?
だが試せる手段があるなら、やらねばならない。そうだ、困ったことがあったときに何もしないでいるって態度はもうとらないとも言っていたな、トール。
きっと俺もこいつと出会って変わったのだ。かつては、誰かといるのが怖かった。でも今は違う。
だから、俺はこれまでトールを苛んだものと違う、信頼に値するものだと、そういう相手を相棒にしたのだと思って欲しかった。
……だから俺はトールを生かしたいんだな。
アスリ。
現実にはほんの少しの時間しか経っていないはずだが、脳内会話の影響か、それとも剣の魔法の方に引きずられているのか、俺の体感時間はひどくゆっくりになっている。
なあ、足りるかわからないと言ったが、いいところまではいける見込みなのか?
「そうだね。人族は驚くべき種族さ。エルフよりもずっと小さくて、寿命は短く、知性も劣る。だけど魂の質量は、その脆弱さから比較してとても大きい。もし今の君と同じことをすれば、エルフだって無事ではすまないよ」
へえ。捨てたもんじゃないね、人族も。
「ひとりのエルフを殺すためにはエルフひとりぶんの魂が必要だ。剣の魔法はそれを執行者と対象者で分け合う仕組み……つまるところ、合意剣の理論の要諦はたったそれだけのことなんだよ」
そんな単純なことをこんな大がかりにするなんて、本当にエルフってやつは。
「……まずいな。ムニンが僕らが何かしているのに感づいた」
アスリに言われ、また心地よい泥濘に沈みそうになっていた意識を浮上させた。
シバラの引き伸ばしもここまでか。まだ防衛魔法は持ってるよな?
「今は大丈夫。作業はこのまま進めるよ」
頼む。
俺はずいぶん遠くなったように感じる外界に再び接続を試みる。
「シバラ様!」
ヴァンネーネンの悲鳴。
その視線の先では、ムニンがシバラの首に片手をかけ、宙に吊り上げている。二人の体格差は大きく、ムニンはさして力も入れていない様子なのに、シバラの足は簡単に地面から離れた。
「シバラ。あの人族に何をさせている?」
「さあ……なんだろうな」
はぐらかすように言って微笑んだシバラの首を、ムニンが容赦なく締め上げる。めき、という寒気のするような音がその指の間から聞こえて、俺の肩を支えていたトールの手に痛いほどの力が入った。
「人族、何をしているのか白状するがよい。強情を張るとこやつが苦痛を味わうことになるぞ。死なぬ体で延々と痛みに耐えるのは辛いものだ、のう、シバラ?」
だめだよ、とアスリが脳内で囁く。
「シバラはまだ抵抗できる。でも僕らのやっていることがバレたら、ムニンはなりふり構わずシバラを殺すよ。本来エルフはそう簡単に死にはしないけど、その気になればやれるのがムニンなんだ」
早口で俺を諌めるアスリの声には焦りが見えるが、今はそれを信じるしかない。
「取るに足りない人族が、あんたを脅かすようなことができると?ずいぶん買われたものだな」
なんでもいい、アスリが魔法を完成させるだけの時間を稼げれば。だが剣に様々なものを削り取られつつあるせいか、頭の働きは鈍く、ろくな言葉が出てこない。
「なあ!シバラがあんたの望みを叶えても叶えなくても、オレたちはどっちにしろ始末されちゃうんだよな?」
トールが叫んだ。震える体を、崩れそうになる膝を叱咤するように、俺の脇腹に回されたトールの腕がぎゅっと締まる。
「……そなたらの厄介なところはそれよ、塵芥のごとき小さな弱きものであるのに、目を持ち耳があり言葉を話す。シバラはこれまで通り隠棲を続け、ムニンは『山』の中心であらねばならぬ。人族はヴーレなる不詳のエルフによって殺され合意剣は奪われた、それが此度の出来事ぞ」
「ややこしー言い回ししてるけど、目撃者のオレたち殺せば他のエルフには本性がバレない、それがあんたの筋書きってことだよね」
こんな状況なのに、トールの言いぶりがあまりにいつも通りで、笑いそうになってしまった。
「ならあんたが黒幕だってことは絶対に黙ってる、って言えばどう?それか、ほら、エルフってオレたちの記憶を消したりなんだりできるんだろ?そういうのでパパッとなんとかしたらいいんじゃねえの?!」
シバラ痛めつけるのはやめてさあ!と続くのがトールらしいところだが、ムニンに響く様子はない。
「記憶の書き換えは、それを復旧する技術がある以上、完全なものではありえぬ。我らの存在は今はまだ明らかになる時ではないのだ」
つまりそれは、伴侶の、家族の、あるいはそれ以外の大切な存在の蘇生を願う集団が、エルフの中に秘密裏に存在しているという意味だ。
「さあシバラ。そろそろ人族を守る魔法も切れる頃だ。大気の魔法はあれらには耐えられぬ、このままだとひどく苦しんで死ぬことになるぞ。そなたがあれだけ目をかけてやった者たちだ、楽に死なせてやるのが温情というもの」
苦しんで死ぬか楽に死ぬかの選択肢しかないとは、まったくひどい話だ。
……なあアスリ。
「待たせたね、ほら見て。君の剣だよ」
意識する必要すらない。俺の中身をほとんど全部注ぎ込んだ魔法が、体の中の深い場所に存在していた。
鋭い刃の形をした眩い光。
さあ、君の魂は人族としての形を保てる限界まで使い切った。あとは最後の一押しだよ。
合意を得る必要はない。ただ宣言すればいい、人族ジャスレイ。
「やれやれ……ようやくだ。シバラ、痛い思いをさせてすまない。もう少しだから我慢してくれ」
言って、トールの腕にすがりつつ体勢を立て直す。こうやって体を動かす機能はまだかろうじて働いている。しかしこれは、あの白い刃を使うために最低限残されたものでしかない。
「……何を言っている?」
急に落ち着いた様子を見せた俺に、ムニンは警戒した声音で尋ねる。
「ムニン、俺には最近、新しい二つ名がついてね。バーラの件のあと、人族の間でこう呼ばれるようになった……『エルフ殺し』と」
「ジャス……?」
地面に突き立っていた合意剣を引き抜き、前に構えた。
「訳もわからないうちに合意剣を持たされて、バーラは自殺しちまった。それでこんな厄介な事態になっているが、振り回されるだけなのは性に合わない。だからこの大層な二つ名を事実にする」
「
爆発的な光と膨大な魔法の奔流が、俺の全身から噴き上がった。
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