第40話

 シバラが指先で軽く触れると、力鎧はぶる、と全身を震わせ、次の瞬間にはもうどこにでもいるような、これといって特徴のない人族の中年男の姿になっていた。

 無表情でどこを見ているのかわからない印象を受ける目つき以外は、いたって普通だ。

「すーっげえ!」

 トールが感嘆の声を上げ、力鎧を上から下まで眺める。

「こうしておけば、人族との取引ができるわけじゃ。一応、簡単な受け答えもできるようにしてあるのだぞ」

 シバラの庵に滞在をはじめて、今日で五日目。力鎧を食材の買い出しに行かせるというので、どうやるのか興味が沸いた。

 出発前に台所で待っていた俺たちにシバラが見せてくれたのは、おそろしく高度な目くらましの魔法だ。まあ高度すぎて人族には実用の参考にならないのだが。

「もうよいか?力鎧に買い物をさせるのは時間がかかる。出立させねばそなたらの夕餉が遅くなるぞ」

「あ、ごめん。行っていいです」

 夕飯が遅れると聞いてトールはすぐに一歩引いた。素直な奴だな。

「これには合意剣よりはだいぶ簡単なものだが、擬似人格が仕込まれておる。さすがに同じ相手と何度も接触すれば不自然に思われる可能性もあるから、力鎧の見た目も行き先も毎回適当に変えるがな」

 では行ってこい、と言って再び額に触れると、力鎧は背負子を揺らして外に向かった。

「なんだかすまないな、俺たちのために色々手間をかけさせて」

 エルフがあまり食事を必要としない事実を知ってしまったので、人族四名の滞在による食費の増大については、気にはなっていたのだ。

「ま……大したことではない。元はと言えば、儂の勝手で合意剣を残したことから起きてしまった事態だしな。それに、たまには変化も良いものだ。我らとて何千年も一人でおれば退屈くらいは感じるのじゃ。前回バーラが来たのは、楽しい訪問というわけでもなかったしのう」

「そういえば、バーラはどうやってここ見つけたの?」

 バーラがシバラの居所を突き止めたのが合意剣に関する一連の事件の発端だ。隠棲してから数千年、その間に彼女を探す努力がどの程度あったのかは知らないが、エルフでも指折りの魔法の使い手だというシバラの庵を、バーラはどうやって発見したのか。

「それがのう……まさしくさっきのように、ちょっとした用事に力鎧を送り出したのだが、人族の街でそれを見つけたようなのじゃ」

「ええ……」

「ってか、今日は買い物行かせちゃって大丈夫なの?」

 確かに、人族ではあれが魔法で擬装された力鎧だと見破ることはできないかもしれないが、エルフならば話は違うのだろう。

「今はさすがに対策しておるよ。追跡をまく魔法も仕込んである。バーラが遭遇したのは偶然のようだったしな」

 エルフが人族の街に姿を表す機会は、実はそれなりにある。友好的な関係を築いている都市や勢力では、相談役として親交をもっていたり長期滞在するエルフがいる場合もある。とはいえ俺自身は、ミゴーに使い走りに呼び出される場合を除けば、多くて年に一度見かけるかどうか、というくらいだ。

 普段はそう頻度の高いわけではなさそうな力鎧の外出にバーラが行き合ったのは、彼女が試みていたことを思えば、不運と言うほかない。数千年変化のなかった状況が動いたのが、たまたま今で、よりによって自分が巻き込まれるとは。

「さて……儂はまた下に戻るが、他の二人も問題はなさそうかの?」

「ああ。今日はヴァンネーネンもバンフレッフも、あなたの書庫からあれこれ借りて自分の客室に篭っている」

 結局、バンフレッフは今回の件を最後まで見届けることにしたらしい。各々休養に充てた二日間が終わった後にそう言って、以降はシバラの許可を得た書物を読み耽ったり、トールに稽古をつけてくれたりして過ごしている。

 俺たちとヴァンネーネンも大体同じような状況で、ヴァンネーネンは魔法を、俺は読み書きをそれぞれトールに教えている。さながらシバラの居間は、トールのための臨時の学校のようになっていた。

「退屈しないで過ごせているようじゃな。あまり相手をしてやらなくてすまないが……儂の方の作業も、今のところ順調に進んでおる」

「それはありがたい。それで、相談なんだが、作業は多少目を離しても大丈夫な時間があるのか?」

 この数日のシバラの様子から、常時張り付いていなくても良いように見えた。

「そうじゃな、少しならば。何かあったか?」

「今回のこととは関係ないんだが、エルフと話す機会があれば、考えを聞きたいと思っていた件があるんだ」

 込み入った話かと尋ねられて肯定すると、シバラは俺たちを例の研究室のある空間に案内した。


 導かれたのは、広場を囲む中でも、やや小さな建物だ。

 入ると、部屋の真ん中に大きな石造りの円卓があり、その中央には合意剣が置かれている。剣を取り巻くように、ぼんやりと輝く紋様が宙空を蠢いていた。

「今はこの状態であと一昼夜ほど置いておかねばならぬ。次の作業まででよければ、話を聞こう」

 エルフの感覚だと一昼夜など、人族の一刻にも満たないのかもしれないが、俺たちには十分すぎるくらいだ。そう告げると、奥に設えられた長椅子に掛けるよう言われた。

「して、意見を聞きたい件とは?」

「トール……こいつのことだ」

「え、オレ?」

 勢いよく振り返って俺を見るトール。まあここに来るまで何も言っていなかったし、今朝はただ俺についてきただけだからな、こいつ。

「そうだよ。気がかりがあるんだ、ちょっとおとなしく聞いてろ」

 不安そうな顔を見れば、俺がまだトールを故郷に帰すつもりかと思っているのだと想像がつく。

「ええと……話の順序はおかしいが、まずあなたに意見を聞きたいのは、こいつがこのままにいて、体やなんかに害はないのか、ってことだ。事情を説明するとだ……」

 そうして俺は、トールが転移魔法の事故らしきもので『湖』のほとりに落ちてきたこと、故郷にはエルフはいなくて魔法も存在しなかったことなどを説明しはじめた。


「なるほどのう……別の世界」

「エルフがいなくて魔法もない、ってだけなら、辺境の村にもそういうところはある。だが、文明の発展というのか?人族の持つよりも明らかに高い技術があって、何やら便利な生活をしている場所が、エルフと無関係にこの世に存在しているとは考えにくい」

 字は読めずとも言葉は通じ、魔法も習えば使える。体のつくりが俺たちと違うようにも見えない。しかしトールの世界では、人族はエルフの手助けなく猿から進化したという。

 海の向こうには別の大陸があるが、そちらにもエルフはいて、人族の国も存在すると聞く。少なくともこの既知の世界において、エルフの手が届かぬ場所などないのではないか。

「確信はないが、いくつか仮説は立つ。どれ、もう少しこちらへ来るのじゃ」

 手招かれてトールは恐る恐るシバラの前に進み出た。

 トールの額に指先を当てたシバラが目を閉じると、ふわりと淡く魔法の匂いが漂う。

 シバラの庵は、初めて入った時から濃密に魔法の匂いに包まれていて、すでに感覚は麻痺したものと思っている。時折こうして感じる時があるのは、よほど強い魔法が使われているのだと解釈していた。

 しばらくののち、シバラは目を見開いて、驚きの表情を見せた。

「これは興味深いな。結論だけ言えば、危惧していたような心身への障りはないから安心せよ。何をしても何を食しても、人族と変わらぬ。しかし……非常に稀有な状況であるのは間違いない。詳しく調査すれば、そなたがここへやって来た仕組みを解き明かせるかも知れぬぞ」

「えっ」

「そなたが飛ばされたのは偶然であろうが、此方と彼方がのは、何らかの実験や試みの結果やもしれぬ。他のエルフの成果に相乗りするのを気にしなければ、詳しく研究してみるのも面白そうじゃが……」

「一応聞くが、その研究ってのは、どのくらいの時間がかかるんだ?」

「そうじゃの、ざっと千年も貰えれば、儂一人でも結果は出せよう」

「いや、普通にオレ寿命で死ぬからね?!」

「生命活動を休止させれば、いくらでももつ。これは世界の根源に関わる研究となる可能性すらあるぞ。そなたら、この件他のエルフには?」

 話の規模がでかすぎるだろう。本当にトールにそんな秘密が隠されているってのか?

「多分詳しいことを話したのはあなたがはじめてだ。だよな?」

 トールに問いかける。

「うん。てか、今まで知り合ったエルフは、基本あの剣がらみじゃん。だからオレにはそんな関心もたれてねーと思うよ」

「これ単独で持ち込まなくて正解じゃ。いや、我らにとっては損失じゃが……先の話と、そなたの体を調べた結果を合わせると、まあ間違いなく、どこかの里に留め置かれて研究に協力させられるであろうな」

 ウェッ、と悲鳴をあげるトール。

 留め置かれるなんて控えめな表現をするが、つまり監禁して研究材料にしようという意味じゃないか。

「……あなたもそうしたいと?」

「……儂か?」

 俺の問いにシバラは少し思案するふうに首を傾げた。

「思わぬでもない。が……儂らが研究に時を費やすのはな、実態を言えば、大半はただの好奇心、知りたいという欲求を満たす、ただそれだけのためなのじゃ」

 エルフはそれぞれ自ら設定した研究目標があり、どのくらいそれに没頭するか個人差はあれど、皆何らかの研究活動を行っているのは知られた話だ。

「考えてもみろ、儂らは既にただ生きる、生活するという分には、必要充分以上に満たされておる。長すぎる歴史の中で、種族として起こり得る問題も、あらかた対策が取られた」

 彼らは緩やかな人口の増減はあっても完全に代替わりすることはない。人族なら過去の教訓も、実際に目にした者はいなくなり記録や言い伝えが残るのみだが、エルフはそうではない。減りはしても、問題を目の当たりにし解決した者がずっと存在し続けている。

「世界の根源などといっても、実際には分からずとも全く困りはせぬ。儂らエルフがどこから来た何であるのかなど、解き明かさねばならぬ理由は一切ないのじゃ」

 だがそれでも、と言葉を区切り、彼女はため息をついた。

「なかなかこの欲求を捨て去ることはできぬであろうな。だから気をつけることじゃ、儂はこの者を捕らえてまで調べようとは思わぬが、他のエルフはわからぬ。不要な干渉を受けたくなければ、この話はこの場だけの秘密にしておくがよい」

「肝に命じるよ」

「ならばよい。だが……言わぬのだな?元の場所に帰りたいと」

 後半の言葉はトールに向けられた。

「だって、もしできても千年後とかだろ?そんな後のために今から死んだみたいになるなんてやだよ」

 ごくあっさりと言い切った。

「仮に、に再び戻れたとしてもか?」

「うん。そうしたいとは思わない。こっちで知り合った人たちとなんやかんやして、普通に歳とって、普通に死ぬのがいいよオレは」

 当たり前のことのようにトールは言う。故郷への未練のなさは生い立ちに関係していると先日聞いたばかりだ。

 それでも、この若者がここまで潔く思い切ることに、俺はなぜか切なさのようなものを感じたのだった。

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