第41話
「よし、よーし……やるぞ……」
すうはあと幾度も深呼吸して、トールは目を閉じた。
「えぃや!」
気合いのかけ声をあげたが、俺には何か起こったようには見えない。
「ヴァンネーネン、どうだ?見てやってくれ」
声をかけると、母屋の向こうからヴァンネーネンがとことこ駆けてくる。
俺たちはシバラの庵の庭にいた。薬草や香草が整然と植わっている畑を横に、目を閉じたまま精神集中しているらしいトールには視線を向けないよう気をつける。
「ん、んー。結構できていますよ。ここまで来て今やっと、トールさんの姿が認識できました」
声を張らなくても聞こえる程度の位置まで来て立ち止まったヴァンネーネンが言う。
「え、ほんと?!」
「あ。解除された。そうですね、一生懸命集中していなくても維持できるように練習は必要ですけど……それはもう回数重ねていくだけですから」
やーったあ、と喜びの声を上げて跳ね回っているトールは、この数日、隠蔽の魔法の練習に取り組んでいたのだ。
今は、どのくらいの効果を発揮できているのか確認するためにこうして庭に出ている。隠蔽の魔法は術者を注視している者にはほとんど効かないので、ヴァンネーネンには見えない場所に行ってもらってから発動したわけだ。
これまでの旅の間何度も、ヴァンネーネンが息をするように隠蔽の魔法を使うところを見た。しかしトールが使い方を習い、いざ習得するとなるとこれがかなり難航した。練習をはじめて四日目になる昨夜遅くになって、何か掴んだかも、と言い出したのだった。
トールは明かりと治癒と、この隠蔽で三つ目の魔法を覚えたことになる。魔法は数を覚えるほど新しい魔法を覚えにくくなるのだが、それは別にしても、隠蔽の魔法はかなり難易度の高い部類に入るらしい。
「あるものを見えなくする、感じなくするわけですから、簡単にいくわけないです。でも使えるようになってしまえば、応用も色々効きますから。もう少し慣れたらそっちもやってみましょうね」
ヴァンネーネンにはトールに魔法を教える義務も利益もないし、今はエルフの命令で一緒に行動しているだけだが、快く教師役を引き受けてくれている。これはバンフレッフも同様で、この庵での滞在中は皆時間を持て余していること以外にも、トールが教えがいのある生徒だというのも大きい。
ものごとを素直に受け取るから飲み込みが早いし、努力を惜しまない。
これは地味なようでいて、実は得難い長所だ。血袋鼠騒ぎの村でトールを有望と評したアレドレキの目に狂いはなかったわけだ。
「ありがとなー、ネネちゃん。これほんと使い勝手やべーし、いつもすごい助かってたから、覚えられて良かった」
「うん。私も、これだけはトールさんに教えておきたいと思ってたです。私の使える魔法でも、走力とか跳躍は教書にも載っているし、後からでも機会はあると思う。でも隠蔽の魔法は、使える人族はそんなに多くないはずなので」
この辺の話を聞く限り、以前ヴァンネーネンが言っていた、俺自身が隠蔽の魔法を覚える線は無いだろう。
残念ながら俺は場当たり的に色々な魔法を習得してきた経緯があるので、新しい魔法はかなり覚えにくいし、そもそもさほど魔法に適性のある方でもない。
その点トールは、何を覚えるのか今のところ慎重に吟味している。しかもアレドレキ曰く「大魔法使いとはいかないが、冒険者として十分やっていけるくらいには使えるようになる」そうなので、この見立てが正しければ、俺よりもよほど冒険者としてはまともな使い手になれる可能性がある。
本来、魔法は一度覚えたものを忘れることは不可能だ。
だからはじめの段階から最終的にどういう方向を目指して修行するか考えておくのが望ましい。そのためには余裕のある環境が求められるわけで、それが例えば一団であり、教会や騎士団なんかの組織だ。
トールについては、俺という行き当たりばったりでやってきてしまった悪しき見本が側にいる。反面教師には十分だろう。しかも本人はかなり真剣に今後の方針を考えているようだから、俺としてはできる限り協力していくほかない。
と思いつつも、俺のやれることを補うような、という方向性そのものの是非については、正直今でも多少もったいないと感じるところではある……。
「ネネちゃんはさ、今回のことが終わったら『湖』に戻るの?」
母屋に向かって歩きながら、トールが尋ねる。
「そうですね……というか、そもそも今回のことが終わるって、一体どの段階を指すのかな?」
「ん、どういう意味?」
「シバラ様が管理魔法を復旧し終えたあとのことですけど、ジャスレイさんは一部の記憶と引き換えに、すぐに剣を手放すんですか?それとも、しばらくはそのままで、魂の回復を待ってみるの?」
振り返って俺を見上げたヴァンネーネンに、すぐには答えられなくて立ち止まる。
「それなあ……」
実のところ、俺はまだそのことについて決めかねていた……というより、とるべき手段はわかっているのに、単に決断を先送りにしていると言う方が正しい。
バーラの件で削られたとかいう情報は、中身がわかれば大したことのないものだった。本当なら忘れ去ったりできないはずの、習得途中で放り出した魔法がすっきりする点に至っては、むしろ得なのではとすら思う。
「現実的な話をすればだ、結局はとっとと手放しちまう方を選ぶとは思うんだが……ただ、勝手に頭の中身を引っ掻き回されたのに、すんなり諦めるのは面白くない。くだらねえ見栄だな、言葉にすると」
かといって、いつまでかかるかわからない魂の回復とやらが終わるまで合意剣を持ち続けるだけの覚悟があるわけではないのだ。
嫌になっちまうなぁ、まったく。
「……そうですか。私はどちらにしても、一度は『湖』に戻ると思います。もしジャスレイさんが剣をすぐに手放さない場合、シバラ様からのちの方針について、何か提案があるんじゃないかな。そうしたら、それに合わせて『湖』で判断するはずです」
合意剣を持ち続けるのは、監視を含めたエルフとの関わりがずっと続くことを意味する。正直そんな状態は、一介の冒険者には重たすぎる。
もうずいぶん、いわゆる街や村で受けるような普通の依頼、怪物退治だの、調査だの探索だのをやっていない。
そもそもトールが俺についてくると言い出したときには、いつもと変わらず、そういう依頼をこなしながら日々を暮らすつもりでいた。変化といえば、一人が二人になり、出費が増える代わりにそれまでより身入りのいい依頼も受けられるようになる、そんな程度の。
危険を伴う商売なのは元からだが、それが俺にとっての平穏な日常だったからだ。
「ぐずっていても仕方ねえか。よし、消えるもんは諦める。合意剣は可能になったらすぐにシバラに返して、俺が個人としてエルフと関わるような状態はすっきり終わらせるよ」
腹を決めて言い切った。
「わかりました。では私はそこまで見届けて、報告に戻ることになりますね」
「じゃあ、オレたちはニルレイの街に戻る?」
再び足を進める俺の前に出て、トールは母屋の扉を開きながら尋ねた。
「そうだな。なんだかんだあそこは拠点としちゃ悪くないし、今度こそ、おまえをいっぱしの冒険者にするのに色々経験も積まなけりゃ」
なにしろトールはせっかく買った武器をまだ数回しか実戦で使えていないのだ。
「それそれ。ヴーレと会ってからずっと、エルフ関係のことばっかだったじゃん。途中で穴大蛇退治したりはあったけど。あれだってマイアとかに頼ってばっかで、オレは仕事した感薄いしさあ」
結局オレ自身はまだ全然役に立てるとこまでいってないし、と悔しげな顔をする。
居間に戻り、すでに定位置となってしまった円卓に向かう。ヴァンネーネンはシバラに借りている書物の続きを読むと言って客室に戻っていった。
台所で何やら作業していた力鎧が、こちらを感知した様子で手を止め、戸棚に向かった。これはすっかり見慣れた光景で、こうして俺たちが円卓に座ると茶を入れてくれるのだ。
「さっき言ってたことだが、おまえが役に立たないなんて、俺は思ったことないぞ。というかむしろ、ほとんど助かった覚えしかない」
「えー?ウソだあ。なんか結構やらかしてる気がしてんだけど」
言われて考えるが、強いて言えば、ミラロー監獄のミゴーが軟禁されていた部屋に(文字通り)首を突っ込んだ件くらいじゃないか。
「そもそも駆け出しのやつに最初から大活躍なんて期待しねえから、気にすることはないんだがな。俺だって一人前になるまでにゃ、それなりの時間がかかってるんだから」
「そうかもしんないけど。でもオレはさ、あんたと行動すんの楽しいから、ずっと組めたらいいと思ってるんだ。だから、早く役に立つようになりたい」
トールが何気なく言った言葉に、心臓を掴まれるような衝撃を受ける。
「は……お、大袈裟、なんだよ、おまえは。俺は、そんなたいそうな奴じゃ」
「ジャス……?」
怪訝そうな顔でトールが俺をのぞき込む。
「オレなんか変なこと言った?」
「いや、なんでもねえ。悪い、ちょっと」
立ち上がり、さっき入ってきたばかりの扉からまた外に出る。
飛び出したところで、このシバラの庵を囲む柵の外に出られるわけではない。しかしとにかく俺は、あれ以上トールの顔を見ていられなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます