第32話
「なるほどの……合意剣を部分的にでも使えるように修復したいと聞かされたのじゃ、バーラが自死を選ぶところまでは、儂も予想はしておった」
シバラはため息混じりに言いながら茶碗を口元へ運び、中身がないことに気づいたように卓に戻した。
午後もやや遅い時間になり、見れば俺の茶碗もすっかり空になっている。
「あ、ありがと」
トールが背後に現れた力鎧に礼を言った。
陶製の茶瓶を持った力鎧が、それぞれの茶碗に新しい茶を注いでまわる。もう少し飲みたいと思ったところなので、俺もありがたくいただいた。これがまた、すこぶる美味いのだ。
普段、俺たち庶民の口に入るのはせいぜい雑多な香草から煮出した香草茶や麦酒、水で薄めた葡萄酒なんかだ。ところが人里離れた森の奥で隠棲しているのに、シバラの力鎧が淹れたのは、本物の茶だった。
南方で栽培されている茶葉で淹れた茶を飲むのは、別にこれが初めてではない。ただ明らかに、これまでの人生で飲んだ中で最高級のものだというのはわかった。香りが全く違う。
「たとえ若いエルフでも、半分しか修復しないのであれば、使用者登録には大きすぎる。それは儂もわかっておった。どのように対処するかまでは、示唆しなかったがの」
「人族を使う以外の方法もあったのですか?」
ヴァンネーネンが尋ねる。
「ないとは言わぬ。だがバーラが単独でやり遂げようとしたならば、数倍の時がかかるだろうがな。それでも人族を巻き込むのは感心せぬよ。我らの尺度ならば些事かもしれぬが、巻き込まれた人族にしてみれば一生の問題となってしまうであろう。まして儂が里と距離を置いているのだから尚更じゃ」
まあ、後を託した他のエルフがなんとかすると踏んだのかもしれぬが……そう続けるシバラはやはり浮かない顔だ。
「それで……本題なんだが、擬似人格は、あなたなら早ければ数日程度で管理魔法を復旧させて、俺のこの状態を解除できると言ったんだ。実際のところ、どうなんだ」
『湖』では、人族慣れしたギヌーやミゴーのおかげでやたら話が早かったが、シバラはどうかわからない。とりあえずここへ来た最大の目的を早目にぶつけてみる。
「そうじゃの……詳しく調べてみねば明言はできぬが、少なくとも年をまたぐような時間はかかるまいよ」
「本当か!」
今は夏の終わりだ。つまり、長くても数ヶ月程度で済むということだ。エルフ会議では、里のエルフたちが複数人で取り組んでも、俺が寿命で死ぬまでに復旧できるかどうか、という話だったのを思えば、断然マシだ。
「どうか、管理魔法の復旧をお願いできないか。あなたに何かお礼ができるわけではないし、ただ働きになってしまうのは、こちらもわかっている。だが、合意剣は一介の冒険者が持つにはあまりにも過ぎた代物だ。このまま人族の社会にあることすら、良い影響は及ぼさないと思う」
他のエルフの干渉のない状況でシバラに会えたのだから、本来数千年前に為されるべきであった、剣の完全な破壊を願うべきなのだろう。力鎧の頑丈そうな体をいともたやすく切り裂いたのを思えば、なおさらだ。
しかしフィンルーイの宿屋で、その場を切り抜けるために使用登録者をバンフレッフに変更する案を持ちかけた経緯があるので、とりあえずは管理魔法の復旧を頼むしかない。バンフレッフの思惑についてはそのあとの話だ。
「それこそ、儂にとっては些事であるゆえ安心せよ。管理魔法については、自分で一度作ったものの復元にすぎぬ。時間はかかっても、たいした手間ではない」
肩をすくめてそんなことを言う。
「儂が迷うておるのはな、ヴーレと名乗ったエルフが、どんな目論見で剣を持ったそなたらがここへ来るのを看過したかわからぬからよ。剣そのものが欲しいなら、儂と出会う前に奪う方が容易い。そうせぬのは何か目的が別にあるからであろう」
やはり、『湖』で話し合われた時と同じ問題がひっかかってくるわけだ。
「オレがこんなこと言うのは、どうかと思うとこあるけどさ……とりあえず剣を壊しちゃうってわけにはいかねえの?」
最初にバンフレッフに取引を持ちかけようと思いついたのはトールだ。さすがに反応が気になって視線だけ向けてみれば、バンフレッフはすました顔で茶碗を傾けている。
「剣の破壊は……そもそも、ミラロー監獄の放棄の時にそうしなかったのは、ごく個人的な理由からでな。それについて語るつもりはないが、儂は今でも、剣を完全に破壊するのは避けたいと思っておる」
そういえば、そもそもシバラは数千年前、合意剣を破棄する役目を与えられたはずだった。それを完全には実行せずに半分だけ残し、秘密裏にミラロー監獄の石碑に封じておいたのだ。
ここまでその事実について、あまり深く考えてこなかったのだが、シバラほどのエルフが同族と接触を断ち隠棲するだけの事情があったことになる。
「詳しいことを聞き出そうなどと考えるでないぞ。今以上の厄介ごとに巻き込まれたくなければな」
俺の考えを読んだわけでもないだろうが、ぴしゃりと釘を刺された。
「……まあ、よかろう。ひとまずは、バーラの修復の痕跡を確認してやろうぞ。今夜一晩もらえれば、明日には、管理魔法の復旧に必要な時間も含めて、色々と結論を出すだけの情報も揃うだろうて」
そして俺はシバラに促され合意剣を預けた。
依然俺が管理者なので、手元に剣が欲しいと考えただけで戻ってきてしまう状態は変わらない。しかし素性が明らかで話の通じるエルフに託すことができたので、一気に気が楽になった。
ヴーレの襲来の懸念や、密偵を寄越されたこと、宿屋の家族が人質になったことなど、剣を手にしてからは災い続きだ。自分で思っていた以上に、俺はここ最近の一連の状況に疲れていたらしい。
シバラが話の間に力鎧に大急ぎで用意させた寝室にそれぞれ案内されたのだが、俺はといえば、寝台に倒れ込んでそのまま眠り込んでしまったらしく、気づけば朝になっていた。
「一応、晩メシのときに声はかけたんだけどさー、ジャスまじで全然起きなくて」
翌朝、シバラの庵の客人となった俺たち四人は、朝食のために居間に集まっていた。台所では、昨日茶を出してくれた力鎧が忙しく立ち働いている。
どうやら俺以外の皆は、昨夜俺が寝てしまったあとに軽い夕飯をご馳走になったらしい。
「悪かったな。なんていうか……妙に気が抜けちまって。はじめての場所なのに、どうなってるんだか。情けねえ」
これでも冒険者稼業を長くやっているので、そうそう見知らぬ場所で気を抜いて熟睡するなんてことはないのだ。『湖』に滞在したときも、少なくとも最初の晩くらいは警戒心があったはずだ。
「ジャスレイどのもであったか?実は吾輩もなのだ。夕飯のあと、部屋に戻っていくらもしないうちに、ひどい眠気に襲われてな」
「オレも。なんか部屋に魔法でもかかってるのかな?」
俺たちの案内された寝室は、居間から奥に繋がる廊下を抜けた先の階段から二階に上がった場所にあった。二室ずつ向かい合って並んでいて、中には簡素だが質の良い寝具が整えられた寝台が置かれていた。見た目だけなら、なんの変哲もない普通の部屋だ。
「その可能性は高いと思います。というかね。おそらくですけど……シバラ様は私たちのために大急ぎで寝室を用意したとおっしゃっていたでしょう?」
確かにゆうべそう聞いた。
「あれは、単に寝具を出すとかの意味じゃないです。あのお部屋自体を、私たちがここへ来てから作ったんじゃないかと思いますよ」
「部屋自体?」
確かに、同族にすら居処を掴ませずに隠棲しているのに、家に客用の寝室を四つも用意してあるのは妙かも知れない。
「寝室だけでなくて、このおうち自体が、魔法で作られていると思います。部分的には力鎧に作業させたり、細かい装飾品とかは買っているかも知れませんけど、構造っていうのかな?建物そのもの、壁とか床とか柱とか、あと大きな家具は魔法で作っているんじゃないかな」
ヴァンネーネンがこともなげに言った内容は、俺を含めた男三人にはかなり衝撃だった。
「なんと……エルフの魔法とはそこまでのものであるのか」
「だって、このおうち、そもそも外観で見たよりも中が広いでしょう?」
言われてハッとする。確かにその通りだ。この家の外観は、裕福な農家程度に見えた。しかし実際には、一階の廊下は客用寝室に向かう階段よりも奥にも長く延びていた。
「これ、『湖付き』の娘よ。あまりエルフの秘儀を漏らすものではないぞ」
苦笑混じりで言いながらシバラが居間に現れた。
「あっ……申し訳ございません」
「まあよい。そなたらをゆうべ強めに眠らせたのは事実だしな。さて、朝食が出来上がったようじゃな。話は食べてしまってからにするとしよう」
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