第33話
力鎧の作った朝食は、予想はしていたが素晴らしかった。
蜂蜜と干し葡萄を入れて炊いた穀物粥に、数種類の腸詰めと燻製肉、焼いた卵(この家で鶏を飼っている様子はない)には乾酪が添えてある。豆と根菜を炊いたものなどは、高価な香辛料と油で味付けしてあって、たいそう贅沢な風味がした。そして昨日も出てきた茶は茶瓶で出されてお代わりも自由ときた。
俺は貧乏な冒険者だが、それこそこれまでの仕事で貴族と知り合う機会もあったし、護衛だなんだで生活を共にしたこともある。ここの食事は、貴族の作らせるような山海の珍味だのと贅を凝らした料理ではないが、それでも俺の普段の生活と比べれば、朝から秋の収穫祭かと思うような充実ぶりだ。
トールはシバラが見ているせいもあって静かに食べているが、顔を見れば俺と同じ感動を味わっているのはわかる。他の二人に関してはまあ、そもそも普段から俺よりもいい生活をしているのだろう。
「口に合うたかの?」
「超、すげえ、めちゃめちゃウマイです!」
語彙がひどいことになってるぞトール。
「そうか。なにしろ、誰かをもてなすなど数千年ぶりでの。加減がわからぬ。希望があるならあとで力鎧に申し付けておくがよい」
そう言うシバラ自身は、小さな椀に粥を少し食べ、あとは茶を飲むばかりだ。俺たちよりも体がかなり大きいのに、こんな量で足りるのだろうか。
「それで足りるのか、と思っておるのだろう?」
またしても考えていたことを言い当てられ、居心地の悪さを味わう。
「その……まあ、はい。睡眠と同じように、歳と共にあまり必要としなくなるのか?」
エルフは人族と違い、一昼夜の周期で生活しているわけではない。年齢にもよるらしいが、眠期でないときは数年から数百年も眠らず活動するはずだ。
「大体そのように考えて構わない。儂が今こうして椀をつついておるのは、こうしたほうがそなたらが遠慮せずに済むかと思ってのことよ」
「ま、まあ。それはお気遣いありがとうございます」
ヴァンネーネンが恥じ入ったような顔で礼を言った。
「なんか、森の外で聞いてた話とは違うんだね。てっきり、シバラさんは人族のことが好きじゃないのかと思ってた」
昨日まではそれなりにエルフを恐れていたのに、もてなしで懐柔されたか、トールは屈託なく言って腸詰めにかぶりついた。無邪気か。
「好きだとか嫌いだとかは特にないぞ。ただ儂のように里から離れた者が人族と関わりすぎることは、いい結果をもたらさぬ。これでも近隣の村人を遠ざけるのにはそれなりに腐心してきておるのだがな」
そういえば、シバラは昨日なぜ突然俺たちの前に現れたのだろう。
「この家は、人族はもちろん、エルフも見つけられないようになっているんだよな?ここへ来る前にも、森の奥に入り込んだ人族は帰って来れなくなるという話を聞いていたんだ。俺たちがあなたに用があるのがわかって、来てくれたのか」
「森に人族が入り込んだことは認識しておった。ただ、この庵には、近づこうとする者は方向がわからなくなる魔法が仕掛けてあるのじゃ。そなたが迷わずに済んだのは、合意剣の使用登録者になっておるからよ」
「そうなのか?!」
森の奥に踏み込むときに使い始めた追跡の魔法は、シバラの転移門で飛ぶまでは、なんの違和感もなく作用していた。
「使用登録者になるというのは、剣に魂を紐付けることじゃ。儂の魔法にもある程度耐性ができるし、森の力鎧が再起動したのも、そなたが触れたからなのだぞ。まあ、そのおかげで合意剣があることがわかって、事情を察したわけだが」
状況が明らかになってきたのはいいが、シバラがなにげなく口にした『剣に魂を紐付ける』というのが気になるところだ。
「じゃあ、森に入ったら子供以外は戻れないっていう話は、シバラさんの魔法で迷った人族が遭難しちゃってたってのがホントのところなの?」
卓の上は、あいた皿から力鎧の手によってさりげなく下げられていき、今は茶器と食後に出された棗椰子の盛られた椀だけが残っている。
「そのようじゃな。子供に関してはのう……森で迷うという話が広まると、今度は口減らしに子供や年寄りを森に置いてゆく者が出始めての。さすがに気分の良いものではないから、脅かして森の外に返してやることにしたのだ。そのうち、森の奥は禁足地という扱いになったようじゃの」
ブレオンツ爺さんの話とも一致する。帰ってきた爺さんが『森の賢者』を恐れたのは、まさにシバラの狙い通りだったわけだ。
「脅かして?」
トールが首を傾げる。
その一瞬のち、彼はハッとした様子で俺の方を見た。
「もしかしてさ……他のエルフはなんともないのに、ヴーレがやたらおっかなく感じたのって、このこと?」
あっ。
「シバラ、あなたがたは俺たち人族に、ただ立っているだけでも直視できないほどの恐怖を与えるような……魔法か何かが使えるのか」
「ああ。魔法というのでもないが、こういうのじゃろ?」
その瞬間、それまで単に大きく美しいだけで穏やかな様子に思えていたシバラが突然、どんな強くおぞましい怪物よりも近寄り難く、目を合わせることも逸らすことも恐ろしくてできないような、異質な恐怖を感じさせる存在になった。
「あ……ああ、これだ、この状態だ」
声を出すのすら大変な気力が必要だった。俺以外の人族三人も似たり寄ったりで、椅子に張り付いたように身を竦ませている。
「なるほどの。ヴーレなる者はエルフ社会に背を向けた知られざる存在などではない。そなたらに顔を覚えられてはまずい状況になる可能性のある者、ということなのだろうな」
軽いため息をついて、恐ろしい気配のようなものを引っ込めたシバラが言う。
「まあ顔は頭巾で隠してたから仕方ないにしても、オレたち確かに、あいつの声も、背の高さも全然覚えてないんだよな。言い切れるのは、多分男かなってことくらい」
トールの言葉に俺もうなずくしかない。
「このままそなたらを放っておいてくれるとは思えぬな。遅かれ早かれ何か仕掛けてくるじゃろう」
やや重たくなった空気のまま朝食を終えると、シバラは俺たちを自らの研究室に案内すると言って立ち上がった。
「昨夜の間に色々と調べてみた結果から話すとしようかの」
前夜に泊まった客用寝室に上がる階段よりも奥に向かう廊下の先にある扉の一つを開きながら告げられる。
中は地下へと続く螺旋の階段で、湿り気を帯びたひんやりした空気が立ち上ってきた。ただ、白っぽい石材のように見える壁と天井そのものがうっすらと発光していて、空間自体は明るい。ミラロー監獄の処刑場と同じようなものなのだろう。
体感ではずいぶん長く降りた頃、平坦な短い廊下に出た。その突き当たりに再び扉が現れる。
「さ、入るがよい。ただし、勝手にあちこち触ってくれるなよ」
精緻な彫刻で彩られた両開きの扉を押し開くと、中は屋外かと思うほどに明るかった。
「え、なにここ、外……?」
トールが漏らしたのは俺が抱いた感想とほとんど同じだった。
確かに地下に向かう階段を、それも長い距離降りたと思ったのに、目の前に広がったのは木立に囲まれた広い空間だった。そこに、いくつか建物が点在している。
正面の空間は、村どころかちょっとした街の広場くらいの広さで、真ん中には岩と低木に囲まれた小さな泉がある。
見えているものに混乱して背後を振り返れば、俺たちの入ってきた扉は、この場所を囲む背の高い樹木の中に、戸板だけが立っているのだった。
「常設型の転移門のようなもの……ですかな?」
扉に恐る恐る触れながら、バンフレッフが尋ねる。
「そう思って差し支えない。まあここが実際にどこなのかはどうでも良いことじゃ。儂の魔法で作り出した空間とだけ理解しておけばよい。なんなら少し歩き回って散策するか?さっきも言ったが、小屋の中のものに不用意に触れさえしなければ、この場所自体に危険はないぞ」
見上げれば、樹木はどこまでも高く伸び、その天辺は見えない。空は白っぽい霞に覆われて、光はどこからか差しているものの、太陽や青空が見えるわけではなかった。確かにここは、作られた空間なのだろう。
「とりあえず、本題を聞いてしまいたい。お願いできるだろうか」
この不思議な場所への興味がないわけではないが、エルフの魔法にいちいち驚いたり感動したりしていてはキリがないのも事実である。
「そうじゃな。ついてまいれ」
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