第31話
背を屈めてこちらを見下ろしていたのは、エルフとしてはやや小柄な女性だった。
濃くも明るくもない中間くらいの肌の色に、髪は黒に近いが光の当たっているところは緑がかって見える。瞳は翡翠色だ。
エルフは皆そうであるように彼女も美しい容姿をしているが、俺がこれまで遭遇したエルフたちと明らかに違う点が目についた。
ミゴーも含め他のエルフは、人族なら王や貴族、大商人でもなければ手の届かない色鮮やかで手の込んだ仕立ての衣服を着ている。それに比べて、今目の前にいるエルフが身につけている装束は無染色の質素な長衣だった。太い革の帯で胴を締めている以外には装飾品らしいものは見当たらず、足元も簡素な革の草履だ。
「まさかと思うたが……バーラめ本当にやりおったか」
唐突に現れたエルフにどう反応していいかわからない俺たち人族を見回して、ため息混じりにそんなことを言う。
「あ……し、シバラ様でいらっしゃいますか?」
ヴァンネーネンが真っ先に我に返って、つっかえながらもそう尋ねた。
そうだ、この状況でバーラのことを持ち出す以上、このエルフはシバラに他ならない。
「いかにも。そなたは『里付き』か?」
「はい。私は『湖付き』のヴァンネーネン。『湖』のギヌー様及び『山』のムニン様より、こちらの人族がシバラ様をお探しする旅の供を仰せつかっております」
鷹揚な返事に気を取り直したらしいヴァンネーネンが俺の隣に進み出て、丁重に述べた。
「合意剣がここにある以上、大体の事情は察しておる。いずれにせよこんな場所でする話でもないゆえ、
こんないきさつで、俺たちはシバラの住処に連れて行かれることになった。ここへきて、あまりにあっさりと話が進んでしまうのに面食らいつつも、シバラが開いた転移門に足を踏み入れたのだった。
なんだかんだ期待しつつ転移門を抜けた先は、相変わらずの鬱蒼とした森だった。
ただ、前方に向かって人族が二人並んで歩ける程度の小道が曲がりくねって延びていた。見下ろせば足元も藪ではなく、粒の揃った白い砂利が敷かれている。
その道をしばらく進むと、やがて樹々の切れ目に、茅葺き屋根と漆喰の壁の家が見えて来た。
家の周りには薬草や花が植わっていて、その花壇と畑を兼ねた敷地の隣に納屋のような建物と井戸、それらを木製の柵が囲んでいる。
印象を一言で表すなら、裕福な農家。そんな佇まいの家だ。
どこもかしこも完璧に整っていて、巨大で豪華で壮麗だった『湖』が、人族の想像するエルフの建築物そのものだったとすれば、ここはずいぶん庶民的だ。
この家の主が人族でないことを示すのは、入口の扉が明らかに大きいことと、窓の位置が高いこと、農村風の家にも関わらず全ての窓に硝子が嵌っていることくらいだった。窓に硝子を入れられるのは、人族ではかなり裕福な者だけだ。
「さて、入る前に少しやることがある」
ここまで無言で先導してきたシバラが柵の手前で立ち止まり、こちらを振り向いた。
「『湖付き』のヴァンネーネンよ、そなたの持たされている道具を寄越すのじゃ」
言われたヴァンネーネンは一瞬戸惑ったものの、すぐに外套の中を探り、まずさっき俺に見せた円盤と、それによく似た一回り小さい円盤の二つを取り出した。
「どちらも転移門を発現させるものか。こっちの行き先は『湖』。使い捨ての普及品じゃな。もう一枚は少し手をかけて作ってあるの。そこな人族の近くに出るための術式が組み込まれておるようだが……やけに無駄の、いや空隙の多い作りをしておる。製作者はムニン?奴め衰えおったか、あるいは他の目的に作ったものを転用したのか」
受け取ったシバラが首を傾げながら感想を述べる。触っただけで道具の役割や製作者どころか、もっと詳しいことまでわかるものらしい。それがエルフ皆にできることなのか、魔法に長けているというシバラだから可能なのか。
「まあよい。これらは察しのとおり、そなたらが力鎧と出会ったあの辺りから、使えないようになっておる。ほかには?」
円盤を返してもらう代わりにヴァンネーネンが出したのは、美しい金縁のついた四角い手鏡だ。
「通話鏡じゃな。製作者はギヌー。よく出来ておる。細かいものだが色々と便利そうな魔法が組み込んであるようだの。あの娘は昔から繊細な細工をしたものだ」
シバラは懐かしむような口調で言いながら、鏡面を長い指でこつこつ叩いた。そしてこれも我が領域では使えぬ、と続ける。
最後に手渡したのは、ヴァンネーネンがこの旅の間ずっと身につけていた耳飾りだった。青い石のはめ込まれた小ぶりなもので、さして目立った特徴はないように見えたのだが、ただの装飾品ではなかったわけだ。
「防衛魔法索か。おお、儂の知らぬ若いエルフの作なんじゃな。荒っぽいが、強力に作られておる」
若い、というところから推測すると、ミゴーが作ったのだろうか。
「儂の庵で防衛魔法が必要になる目になぞ遭わせはせぬが、これの類は作動する。そなたらの魔法も同様だ。治癒だの明かりだのは好きに使うがよい。だが外部との行き来や連絡に関わる魔法、破壊や攻撃の魔法は使えぬから、そのつもりでおるように」
耳飾りを返したシバラは優雅に身を翻すと、そのままゆったりと両手を振った。途端、息詰まるような濃密な魔法の匂いが押し寄せてきた。
「さあ、お入り。ここへ人族を入れるのは、この数千年で初めてじゃ。せいぜいもてなしてやろうぞ」
案内された母屋らしき家は、中も外観から想像した雰囲気とさほど違いはなかった。
ただし、人族よりも体の大きいエルフに合わせてひとつひとつの部屋がかなり広いし、用途ごとに別室があるのは、裕福さを表している。
入ってすぐの部屋は、機織機などの俺にも用途のわかるものと、見ても何だか見当もつかない道具類に、乾燥途中の薬草やら、薬の材料の詰まった瓶が並ぶ棚でやや雑然としていた。いわゆる作業室にあたる場所だろう。
作業室を抜けて次の部屋が居間だった。木製の、造りはしっかりしているが素朴な家具に、壁の綴織や床の敷物は植物染の毛織物だ。石積みの暖炉は今は火の気がないが、室内は窓からの日差しで明るく、心地よい。
かなり広い空間は、奥の方で低い棚で仕切られていて、その向こうが台所になるらしかった。
「なんかすげえ現代風のつくりの部屋だねここ……」
シバラは仕切りの棚の前に置かれた円卓を指して「座って待っておれ」と告げて、居間から廊下に通じるらしい扉から出て行ってしまった。
「現代風ってどういう意味だよ?」
円卓を囲むように置かれている丸椅子に腰掛け、トールのつぶやきの意味を尋ねた。
「え、あー。村の家とかとちょっと違うじゃん、ここ。なんかさ、この居間と台所が同じ部屋なんだけど、こうやってちょっとした棚で仕切ってあって、テーブル……食事とかするとこがあって、てやつ」
トールの言いたいことはなんとなくわかった。
貴族や裕福な商人の屋敷は、家人の食堂は使用人が使う厨房と完全に隔てられているのが当たり前だ。その他に応接室だの遊戯室だの、寝室以外に色々と部屋が分かれている。一方で民衆の家はいいところで寝室と、他全ての用途を兼ねる居間が分かれている程度で、貧しければ一間の小屋だ。
「確かに変わった様式の屋敷であるな」
「この様式、里では結構ありますよ。『里付き』の家もですけど、エルフの皆様も、お一人とかお二人でお住まいで、使用人を置かないような家に多いです」
とヴァンネーネン。
「エルフの……まあそういうことか。長生きするんだもんね、あの人ら。オレの故郷でも新しめの家はこんなだったからさ。よく仕事で見たし……」
興味深げにあちこち見回しているトールに食いついたのは、バンフレッフだった。
「故郷とな。そういえば、トールどのは遠方の出自だとの報告を受けておったが、どこの生まれなのだ?」
「どこって、その」
「あー、バンフレッフどの、それはだな……」
答えに窮したトールに代わって、当たり障りのないいつもの説明を述べようとしたところで、居間の扉が開いた。
「待たせたな。客などバーラが来て以来じゃ。力鎧を起こさねば茶のひとつも入れられぬ」
シバラの言葉どおり、彼女の後ろには茶器をのせた盆を持った力鎧が付き従っていた。
家事をさせるためのものなのか、森で遭遇した力鎧とは全く違う、ほっそりと華奢なつくりで、背丈も俺よりもやや大きい程度だ。
飴色の金属光沢に輝く体表は、やはりびっしりと細かい紋様が刻まれている。男とも女とも言えない中性的な体格で、頭部は顔らしき凹凸がなだらかにあるのが見て取れるが、目にあたる部分が淡く点灯している以外は鼻も口も存在していない。
力鎧は茶器を持ったまま、俺たちの横を素通りして台所に向かった。それを見送ったシバラが円卓の空いている椅子に腰を下ろす。
「さて……聞かせてもらおうかの。バーラが人族を合意剣の使用者に登録して、その後何があってここへ来ることになったかだ」
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