第30話

「粘性!」

 濃い匂いを漂わせて、地面に触れた手の平のあたりから、俺と力鎧の間の一帯に魔法が流れる。

 背後からは、あれ何やったの?だの、色々隠し球を持ってるというのは本当だったのであるな、だの、ほんと器用貧乏ですねー。だのと、呑気な会話が聞こえてくる。

 さっきまで俺もあっち側にいたが、自分がやられると微妙な気分になるものだ。今後気をつけよう……。

 力鎧は鈍重な見た目どおりにゆっくりと方向転換を終えて、こちらを向いた。

 突進の速度と勢いはかなりのものだが、小回りが効かないために、今のところ致命的な状況に陥らずに済んでいる。確かにこれは、戦闘用ではあり得ない。

 さらに、何度も回避されているのにまっすぐ突っ込んで来る様子から考えても、あまり知恵は働かないようだ。土木作業用、というヴァンネーネンの予想どおりなら、単純な命令を与えて使う類のものなのだろう。

 とはいえ、まともにぶつかったところであの質量と重量のものに打撃を与えられるとは思えなかった。

 俺には、圧倒的な魔法とか腕力にものをいわせるような戦い方はできない。そんなのは百も承知なので、いつも通りの姑息な手段を考えるしかない。エンドレキサに地味呼ばわりされたのは、こういう部分なわけだ。

 力鎧は、今度もすぐに突っ込んではこなかった。そして目の部分の光が再びちかちかと点滅している。バンフレッフが相手をしていた時はこうではなかったので、俺が何らかの魔法を使ったこと自体は感知したのかもしれない。

 何をしたのか判断できるだけの知能があるとなると、厄介なことになるが……


 ふいに点滅がやみ、いきなり力鎧との距離が詰まった。地を蹴る重い音を遅れて認識したが、避ける余裕はない。

 背後の三人が声にならない悲鳴をあげる。

 俺は剣を持った手を自然に垂らしたまま、立ち続けていた。


 ぼすん、と湿った音をたてて、力鎧は一歩目の足から地面に沈んだ。倒れ込むように巨体が傾き、太い指先が目の前ぎりぎり、のけぞった俺の前髪をかすめて勢いよく下がっていった。そしてそのまま腕も埋まる。

「硬化!」

 すぐさま地面に手を触れ、さっき使った魔法を逆転させる。

「おお〜」

 パラパラという熱意のあまりない拍手と、戸惑いの含まれた声援が聞こえるが、それには応えず、念には念を入れて硬化の魔法を重ね掛けした。これで元の地面よりも硬くなったはずだ。

 力鎧は、両脚は前後に開いた状態で足の付け根まで、腕は前に突き出した格好で二の腕まで地面に埋まっていた。ちょうど四つん這いになっているようにも見える。

 魔法を練る時間がもう少しあればもっと深くしたんだが、まあ仕方ない。

「喜ぶのはまだ早い。多分あんまり長くはもたねえぞ、これ。ヴァンネーネン、こいつは体内に魔法循環のための何かしらの器官を持ってるのか」

「里で使われている一般的な力鎧ならそうです。四肢を巡る管が埋め込んであります」

「さっき、魔法循環に組み込まれて動き出したと言ってたな。どういう理屈か説明してくれるか?」

「力鎧は、体内の魔法管を巡る魔法物質で動きます。この菅への補給は、里ならば普通は遠隔で行うんですが……魔法物質を吸い集めて蓄える壺が目的別にあって、力鎧の起動時にどこに接続して補給するのかも設定します。壺から離れすぎると補給が途切れてそのうち止まりますけど」

「こいつがさっきまで止まってたのは、離れすぎてたせいか?」

「そうかなと思ってたんだけど、動き出したところを見ると、はっきりとは言い切れなくなった感じです」

 力鎧は地面から抜け出そうとしているのか、全身を細かく震わせている。

「シバラの家から魔法を補給してるなら、あっちに逃げれば、追っかけてきたとしてもそのうち止まるってこと?」

 俺たちの来た方を指して、トールが尋ねる。

「理屈で言えばそうです。でも一度接続して補給したなら、体内の残存分で数日は動けるかもしれないので……」

「さすがにそれだけの間追いつかれないでいられるかは自信が持てぬ」

 バンフレッフのため息混じりの言葉に皆同意するしかない。

「体内の管が破れればどうなる?」

「循環が絶たれれば、そこから末端までの動きは止まるはずです」

「体内のどこかに、補給のために壺とやらと繋がっている部分があって、そことの接続を断てば、手だの足だのは動かなくなる。そういう理解でいいか?」

「大体合っています」

 となると、破壊は無理でもどうにかして手足を断てば、追っては来られなくなるか。

「やってみるしかねえな。擬似人格、さっき俺に合わせて長さが変わっていると言ったが、例えば今、都合のいい形に変われと言ったらできたりするのか?」

「いいえ。管理魔法の必要な設定です」

 例のミラロー監獄の石碑でないとできないってやつか。

「んじゃ荒っぽく使うことになっちまうな。傷んだらすまん」

「道具に向かって謝る必要はありません。また、実際にお使いになれば、その懸念は不要なものであると理解いただけるでしょう」

「……へえ?」

 無感情な話し方なのにやけに自信たっぷりに聞こえた擬似人格の発言に、若干面白がる気持ちがなかったとは言いがたい。

 俺は剣を振り上げ、もがいている力鎧の肩の関節部分に向けて斬り下ろした。


 ぬるっ。


 言葉にするなら、そんな感触だ。

 粘土製というのだから、質量と弾力に負けて跳ね返されるのを覚悟して振った刃は、なんの抵抗もなく地面近くまで落ちきったのだ。肩を断たれて支えを失った力鎧の丸い頭が、重い音をたてて地面にぶつかる。

「うっわ……なんだこれ」

 起きたことの気持ち悪さに、全身が粟立った。

「以前申し上げたとおり、シバラの合意剣には一般のエルフ製の武器と同程度の性能があります」

 肩の断面を見ても、考えていたのとさほど変わらない中身の詰まり具合だ。激突時の音を思い出しても、あんな風になんの手応えもなく切れてしまうようなものとは思えない。

「確かにこれは、人族の世にあるには過ぎたものだな……」

「ジャス、とりあえずさ、色々引っかかんのはわかるけど、そいつどうにかしちゃわねえ?」

 ヴァンネーネンとバンフレッフが絶句しているらしいのを尻目に、トールが現実的な提案をしてきた。

 衝撃からは全然抜け出せていないが、俺はとりあえずトールの案に従うことにした。


 ヴァンネーネンの言っていた魔法管の位置が分かったので、残る腕と脚のその部分を狙って刃を突き入れた。

 それが済んでしまうと、力鎧は胴体や頭を震わせ続けているものの、地面に埋まった部分はぴくりともしない。これで抜け出す危険は無くなったと判断していいだろう。

「ジャスレイどの、エルフの剣が斯様かように強力なものであること、よもや承知しておったのではあるまいな……」

「そんなわけないだろ……知ってたら絶対抜かなかったよ」

 合意剣は用が済んだ今、再び俺の体内に収納してある。

 ただの人族の俺が無造作に振ってこの威力なのだ。こんな危険なものの存在が世に知れたらどうなるか、想像するのもいやだ。

「ネネちゃんの弓も、こんな感じなの?」

「まさか……確かに私たち『里付き』の装備はエルフ製ですけれど、それは人族向けに作られています。というか、思えばの武器を人族が使うところなんて、見たことなかったんですよね」

 そりゃそうだ。こんなもの、持たされた方も持て余すに違いない。

「そなたら、なにを悠長なことを言っておるのだ。ここまでのもの、所有者は人族最強になったと言っても決して誤りではないぞ!」

 バンフレッフは大興奮で力説するが、俺としては厄介ごとが何倍にもなったという感覚でしかない。

「今は密偵を寄越される程度ですんでいるが、こんなやばいものの存在が世間に知れたら、軍勢差し向けられて怪物よろしく討伐される未来しか思い浮かばねえだろ……」

「だから言っておる!ジャスレイどの、これはもう我輩の手に負える事態ではない。すぐにメドリーニ王に保護を求めるべきだ」

 一言ごとにこちらへ迫ってくるバンフレッフに思わず後ずさった。

「まあそう大騒ぎするでない」

 低く艶のある女の声が耳もとで聴こえる。そして一歩下がった背後に、唐突に何か大きなものの気配が現れた。

「?!」

 合意剣を使ったとき以上の悪寒を覚えて、振り向きながら反対側に下がろうとしたが、今度はバンフレッフの方へ背中から突っ込んでそれも阻まれてしまう。

 結果的に無理な角度で見上げた先には、もはや予想通り、エルフの姿があった。

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