第29話
力鎧が木々を震わせるような雄叫びをあげたときの各人の行動は、それぞれの立場や状況からいけば妥当であるか、または他に選択肢のないものだった。
ヴァンネーネンは跳躍の魔法で沢の反対岸まで距離を取り、トールは自前の脚力でとりあえず後退した。この二人はそれぞれできる範囲で最善の行動だったといえる。
問題は、俺とバンフレッフだ。
やろうとしたことはいずれも同じだ。俺はとっさに剣帯を引き寄せて、そこに愛用の剣がないことを思い出して愕然とし、たたらを踏んで数歩下がった。
一方、他の皆よりやや離れた位置にいたバンフレッフは腰に帯びた長剣を素早く抜いて油断なく構えた。
「だ、ダメです!抜剣しては……」
そこにヴァンネーネンの慌てた声が響く。
「なんだと?!」
結果的には抜剣できていない俺が怒鳴り返すと、ヴァンネーネンも負けじと声を張り上げる。
「この力鎧がどういう役割を設定されているのかわかりません!でも、剣を抜いた段階で脅威と判断するのは、ごく一般的な設定で……」
彼女が全て言い終わらないうちに、全身を武者震いのように震わせて直立していた力鎧は、脚をすいと開き、やや腰を落として、今度は腕を少し前に出して前傾した。
あっまずい。
これどう考えても獲物に飛びかかるための姿勢だ。
「来るぞ!」
ヴァンネーネンの言う通り抜剣に反応したのか、まず狙われたのはバンフレッフだ。
俺は警告の言葉と同時に、四人全員に均衡の魔法をかけていた。しかしここは深い森の中で、足まわりが安定しても、木や藪に阻まれて、一気に遠くまで逃げるのは難しい。
バンフレッフは体格のわりには機敏な体捌きで、唸りを上げて迫る力鎧の太い腕を危ういところでかわした。
「剣を収めれば、こいつは大人しくなるかね?!」
「里で使われている警備の力鎧と同様なら、対象を捕縛か無力化するまで止まりません!」
捕縛か無力化と言うが、力鎧の勢いはこちらを殺しにきているとしか思えない。
今のところ標的はバンフレッフだ。
この状況への対処としてバンフレッフを残して逃げる案が脳裏をチラついているのだが、さすがに人としてまずい気がして却下する。
俺の身内を人質にとられた結果が今、という点を考慮してもだ。ギンニール姉妹の手前、バンフレッフを無事連れ帰らないとのちのち面倒なことになるのは目に見えているし。
「ヴァンネーネン、エルフから借りている道具で逃げられないのか?」
危惧したほどには素早くない力鎧の攻撃をバンフレッフが器用にかわし続けているのを横目に、俺もヴァンネーネンのそばまで退避する。
「それが……さっきから試しているのですけど、作動しません。多分私たち、もうシバラ様の魔法の範囲に入ってしまっています」
「ええ、ウッソだろ……」
沢の水面を蹴立ててこちらにやってきたトールが絶望の声を上げてへたり込む。
「使い方が違うとか、何か不具合があるとかの可能性は?」
ヴァンネーネンが外套の下から取り出したのは、彼女の手のひらいっぱい程度の大きさの、金属の円盤のようなものだ。びっしりと複雑な紋様が刻まれ、真ん中には青い宝玉がはめ込まれている。ふちに取り付けられた本体と同じ素材の鎖は外套の中に繋がっていた。
「この真ん中の部分に触れて、ごく軽く魔法を練るだけで、転移門が開くはずなんです。それが全く反応しない」
そもそもエルフの道具だ、故障はありえないか。
「こないだギヌーと連絡とってたやつは?」
「そっちもダメです。つまり私たちだけでこの状況を切り抜けないといけません」
まったく難しいことを簡単に言ってくれる。
「逃げると戦うなら、どっちがマシだ?」
「あの力鎧は、さっきまで魔法切れで止まっていたのが、何らかの要因で再起動した。そして今はもう魔法の循環に組み込まれていると思われます。つまり、私たちと違って体力切れはありえません」
「ぜってー逃げらんない、ってことね……」
疲れず眠らず、休息を必要としない追跡者を撒くことは不可能だ。
エルフ関連のものごとの厄介さは、これにつきる。彼らの頑丈さやとてつもない魔法、知識や技術、そういったもの以前の圧倒的な差。
人族たる俺たちは、まともに活動しようと思えば、一日単位での休息が必須だ。無理をしても多少限界が延びる程度でしかない。しかしエルフは数年から数百年おきにしか眠る必要がない。彼らの管理する施設や、この力鎧も同様というわけだ。
「しかし戦って止められるものか、あれは」
「力鎧はどの作業に割り振るかによって、つくりの頑丈さが違います。家事労働や精密な生産作業用のものとかなら、私たちでも十分破壊可能ですけど……」
言葉を濁すヴァンネーネンは、力鎧の突進を引きつけてはかわしているバンフレッフを見やる。
「あれはおそらく、土木工事とか重作業用のものかと」
どっしりとした四肢に太い指、背は高いが脚は短く重心は低め。動作はそんなに早くないが力があり頑丈そうだ。見た目から判断するかぎり、ヴァンネーネンの説は大体合っていると思う。
「戦闘用じゃないだけマシか……仕方ねえ、どうにか考えるか」
「慎重に状況を分析いただいてるようで、ご厚情痛みいりますぞジャスレイどの!」
バンフレッフは草の中を転がって力鎧の拳を避けて、ややキレ気味に叫んだ。さすがに悠長に話しすぎたか。
でもヴァンネーネンがいて情報収集が可能な状況である以上、何も調べずに戦闘に入ろうとは思わない。俺は自分の戦闘能力をそこまで過信していないのだ。
「ヴァンネーネン、あれって材料はなんだ?何からできてる」
「多くは粘土ですけど、最低でも、倒れたり転んだり程度では壊れないくらいには魔法で強化してあるはず」
粘土かあ……
なんとなく見た目でそんな感じはしていたが、そうなると業火の魔法もいまいち効果が期待できない。まあそもそも森の中で業火は山火事になりかねないので使いにくいのだが、俺の使える中で最も威力の高い魔法が役に立たないのは辛いところだ。
剣もないし、どうすべきか。
と、思ったときには、手の中にシバラの合意剣が出現していた。
「うわ。そうかこれがあったな……」
「普通に剣として使える、って話だったよな?」
なぜだか知らないが俺の背後に隠れながら剣を覗き込み、トールが言う。
「正直気が進まんが、やるしかねえな。バンフレッフどの、なんとかそいつの狙いを俺の方に向けられないか、やってみる」
「そいつはありがたいですな!なるべくっ、早く、お頼み申す!」
さすが名の売れた騎士だけあって、バンフレッフの動きはかなりのものだ。魔法抜きの純粋な戦闘能力で俺が敵うとは思えない。
その騎士であり密偵の男が破壊の糸口を見つけられず、ただただ回避にまわっているのだ。俺としては真正面から戦うことなど、はなから考えるべきではない。
「そもそも剣でどうにかなる相手じゃない感じなんだよな……」
バンフレッフが斬りかからないところからもそれはわかる。みっちりと中身の詰まった粘土製、しかもあの質量、斬るだの刺すだのでは剛力の魔法を使ったとしても歯が立たないだろう。鈍器でも人族が扱える程度のものではビクともしないのは想像がつく。
そこで、このエルフの剣はどのくらいのものなのか、だ。
なんだかんだここまで一度も使わずにきたシバラの合意剣。俺は覚悟を決めて、ゆっくりと鞘を払った。
そういえばこの剣、エルフ仕様だと長すぎるんじゃないか?と今更思ったが、つっかえることもなく、鞘はするりと抜けた。
「使用登録が済んだ段階で、人族ジャスレイの使用に支障のない大きさに形態が変更されております」
「っ?!」
擬似人格か!
頭の中にいきなり声が響いた。
「人の頭んなかまで覗けるとはな」
「戦闘にお使いになるならば必要な情報と判断しました」
「そいつはお気遣い、どうも!」
魔法を練りながら駆け、沢を一気に飛び越える。
バンフレッフがちょうど力鎧から距離を取り、俺の方へ後退してきた。両者の間に割り込み、剣を構える。
「ふう、まったく、老骨を酷い目に遭わせてくれたものだ」
俺に注意を向けさせるといっても、どういう規則や理屈で行動しているのかほとんどわからない。抜剣して間に入る程度で反応するのものかも不明だが、やってみるしかない。
とはいえ、力鎧は一旦動きを止めた。すぐに突っ込んでくる様子はなく、例の乾いた風のような微かな音だけが聞こえて来る。
「バンフレッフさん、今のうちにこちらへ」
背後では、ヴァンネーネンとトールが息切れしているバンフレッフと合流したようだ。まともに殴られたりはしていなかったが、拳がかすった程度の軽傷はあるだろう。
力鎧の苔に覆われた顔面の、目らしきあたりに灯った光が、ゆっくりと明滅している。
「擬似人格、あの力鎧についての知識はあるか?」
「いいえ。私が参照できる知識はシバラの合意剣に関する情報に限定されます」
そんなに期待してなかったし、まあ仕方ない。
力鎧の目玉の点滅は、徐々に間隔を狭めて、どんどん早くなる。そしてやがて、点灯状態で止まった。
あ、来るな。
そう思ったのはほとんど勘で、俺は横っ飛びに突進をかわしていた。
うん、はたで見てるよりも速いな。
ここでやっと魔法の練り上げが終わった。素早く屈み込んで下草のなかに手をつく。
「さーて、どこまでやれるかね」
なんだかものすごく久々な気がする戦闘の開始だ。
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