第28話

 森に入って三日目、沢を見つけて水を補給した。

 食事をして小休止、ついでに交代で体を拭いたりなんかの身支度を整える時間も設けて、まだもう少し進めるだろうという話になった。

「意外と怪物にも会わないものですね」

「思った。もっとなんか、色々出てくるのかって覚悟してたんだけど」

 トールはそう言うが、怪物なんぞ出ないに越したことはない。

「まあ……それも実はシバラの影響なんじゃねえかって気がしてきたわ。ほら、エルフの拠点の周囲は怪物あまり出ないだろ?」

 この顔ぶれの中で最もエルフに詳しいはずのヴァンネーネンに水を向ける。

「確かに、シバラ様は同族の皆様を寄せ付けないために、なんらかの魔法で住まいを隠していると言われています。それが怪物の発生を抑制している可能性はあるでしょうね」

「逆に言うと、何か出たとすれば、それは侵入者を排除するために仕掛けられたものとも考えられるか」

 当たって欲しくない予想を述べたのはバンフレッフだ。

「エルフの配置した怪物と戦うなんて、正直ごめんだが……そもそも隠棲しているのを探してる時点で、文句は言えないからなあ。で、この後向かう方向だが」

 懐に入れてあった紙束を取り出す。ここまで位置把握の釘を打ちながら歩いてきた道のりや、特徴のある地形などを書き込んだ手製の地図だ。

 皆が集まって覗き込んだところで、紙の中ほど、俺から見てやや手前側を指で示した。

「今俺たちのいるのが、この辺だな」

 村人の行動範囲の最奥にあった大木から始まり、ゆるく蛇行するように点々と目印を記入してある。その先に、今いる場所を示す点を木炭筆で書き込む。

「で、沢がこんな感じで流れていると」

 通ってきた経路に合流するように流れている沢を追加。

「向かう先は、今見えている範囲だと……」

 指で予想される方向をなぞって見せる。

「なるほど、我々の目指す方向におおむね一致するわけであるな」

 バンフレッフが俺の示した先を、指先でさらに続ける。

「ああ。そんなわけで、とりあえず沢沿いに歩いてみようと思う。あんまり方向がそれたら軌道修正するつもりだが」

 俺たち自身が飲み水に困らないのも大きいが、シバラだって水場くらいは必要とするだろう。……たぶん。


 それを最初に見つけたのは、トールだった。

 沢に沿って歩き始めた翌日のことだ。いいかげん話題もなくなって、一同無言で黙々と足を進めていると、鉈を持たせて先頭を任せていたトールの背中が突然こわばった。

「なんかいる」

 ささやくように言って静かにしゃがみ込み、高く伸びた下草に身を隠したので、後続の俺たちもそれに倣う。

 冒険者や猟師の経験はないはずだが、トールは慌ててさえいなければ、こういう時に望ましい行動がわりと自然に取れる男だった。

 血袋鼠の件の時に、昏倒した俺を洞穴から担ぎ出したのもその一例で、ある意味こいつも肝が座っている。アレドレキが素質ありと判断したのも、こういうところから来ているのかもしれない。

「何が見えますか?」

 俺のすぐ後ろにいるヴァンネーネンが小さな声で尋ねた。同時にごく薄い魔法の匂いが漂ったので、おそらく隠蔽の魔法を使ったとわかる。

「まだ結構離れてるけど……あっち、沢の向こう岸」

 言われてトールの肩越しに目を凝らすと、沢に張り出した枝葉の隙間から、緑色の大きな人型のものがいるのが俺にも見えた。

「何だ、あれ?」

 周囲の草木との対比から大きさを見積もると、エルフよりもさらに背が高い。軽く膝を曲げ、流れを覗き込むような姿勢で水辺にいる。

 大きな丸い頭も、横幅のある身体も、表面は短い苔か何かでびっしり覆われているようで、のっぺりとした緑色だ。ところどころ、束になった草が飛び出している。

 少なくとも俺がこれまでに見聞きした怪物の中には、似たものはいない。

「あのような怪物は初めて見るな」

 バンフレッフも顔を出して苔男(仮称)を確認したようだ。

 まあ怪物ってのは、人族にとって未知の種類なんか毎年のように発見報告されるし、新しい種類も普通の動物なんかとは比較にならない頻度で発生すると言われている。

 一方で滅びて消えていくものもいるしで、そのは、エルフでさえ、全て把握する試みをかなり昔にやめてしまったほどなのだ。

 個人差はあるが俺たち冒険者は、危険度の高いもの、凶暴なもの、対処にコツのいるものなどのうち、人族の活動範囲に出没する種類を中心に、ある程度の情報を把握している、というのが実態だ。

 それらの伝播は、吟遊詩人による唄や、酒場での冒険者同士の情報交換、仲介屋や情報屋との売買などによる。こういった知識の蓄積が怪物退治を生業とする冒険者としては非常に重要で、当然依頼の成否や生存率に直結するわけだ。

「誰も知らない怪物って可能性もあるんですけど、あれ、ちょっと気になる形をしているんですよね……」

 ヴァンネーネンがそう思うということはエルフがらみか。

「どうする、近づいてみる?それとも大回りして避けてく?」

 避けて行ったとして、背後から追われるのも嫌なものである。

「まだ気づかれてないよな?」

 苔男(仮称)は、ぴくりともしないで沢岸に佇んでいる。

「たぶんね。全然動かねーもん……ああしてるとなんか像?とか彫刻?みたいに見える」

「うーん、危険なのは間違いないんですけど、手掛かりでもあると思います。最悪戦闘になりますが、近付いて調べることを提案します」

 ヴァンネーネンの案に、他の三人の腹はすぐに決まった。


「やっぱり。これ、力鎧です」

 足を濡らさないように沢を飛び越え、近くまで寄っても、苔男(仮称)は動く様子はなかった。

 ヴァンネーネンが表面をあちこち調べて出した結論は、彼女の予想した通りのものだったらしい。

「なにそれ?」

「エルフが単純な労働をさせるために使う、魔法動力で動く人形……だったか?」

 俺も話に聞いたことがあるだけで、実物を目にした経験があるわけではない。

「大体それであっています。単純労働といっても、生産から警備に家事労働、色々なことに使いますけど。種類も行動設定も目的に合わせて都度調整します。でもこれ……」

 ヴァンネーネンは、力鎧の胸のあたりに生えている苔を、背伸びをして短刀で削り落とした。

 現れた力鎧の本来の表面は、岩にも古びた金属のようにも見える。青みがかった黒い素材には、びっしりと複雑な紋様が刻み込まれていた。

「力鎧なのは間違いないと思うんですが、里で使われているものとは、かなり違います。『湖』のものでないのは確かだけど、他の里の様式にも見えない……」

「あれでも、オレたちが『湖』にいたとき、こんなの全然見かけなかったけど」

 トールは手で触れることこそしなかったが、ヴァンネーネンの隣に並び、半端な姿勢で固まっている力鎧をしげしげと眺めた。

 こいつのこの、謎の好奇心旺盛さはどういうもんなんだろうな……

「お客さまに見えるようなところで使うものではないですから、基本。強いて言うなら……あの時は転移魔法で移動しましたけど、正規の手順を踏んで招かれた場合には、『湖』の大門を警備する力鎧が見られますよ」

「ヴァンネーネンどのの見立てでは、こいつはその力鎧で、魔法が切れて止まっている状態ということであるか?」

「そのように見えます。これがいつ造られたものかは、私には判断できません。なぜ放置されているのかも。でももしシバラ様のお造りになったものなら、今使われている様式と違っていても不思議ではないのかな……」

 バンフレッフの問いに答えながらも、ヴァンネーネンはあちこちを押したり触れたりして調べ続けていた。

「シバラが引きこもってる間に、この……力鎧の作り方とか流行が変わったってこと?」

「流行……身もふたもない表現ですけどそういうことですね。シバラ様が交流を絶ってから数千年経つそうですから」

 俺たちには想像もつかない年月だが、エルフにしてみれば物事の流行りが移り変わる程度の時間でしかないのかもしれない。

「ま、とりあえず今考えなきゃならんことはだ。こいつに、シバラの居所を探す手がかりがあるかどうかだ」

 俺はそう言って、何気なく力鎧に近付いた。

 何かの意図も、深い考えもない。ヴァンネーネンが触っても動く様子がなかったので、完全に魔法切れの、彫像のようなものだと、思い込みがあった……後から考えてもその程度の行動だ。

 はじめて間近で見る力鎧は、人族やエルフの形を模しているが、頭がやや大きくずんぐりむっくり、苔に覆われて、おかしな話だが、少々さえ見えたのだ。

 ここまで長々と、全部言い訳でしかないが、俺は軽率にも手を伸ばし、力鎧の太い二の腕を撫でるように触った。


 ぶるるん。


 そう表現するしかない。

 触れた瞬間、力鎧は全身を震わせ、屈んでいた上体を真っ直ぐに起こし、頭部の人族で言えば目があるあたりが苔を透かして眩く輝いた。

「え、うそ」

 声を漏らしたのはヴァンネーネン。


 こおおおおおん。


 今まで出会ったどの動物とも怪物とも似ていない、あえて表現するなら洞穴を吹き抜ける風の音のような雄叫びを上げ、力鎧は息を吹き返した。

「なるほど、これがいわゆる『凶運』であるか」

「ちょっ、ジャス?何したの?!」


 な、何もしてねえよ?!


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