第3話
俺は、人族成人男性ほどの大きさの腸詰めになっていた。
巨大な皿の真ん中にごろんと転がされ、腸詰めの身では当然の結果として手も足もなく、身をよじってもせいぜい脂で滑って回転するくらいしか動けない。
頭上(腸詰めの分際でどっちが頭なのかというのは置いておいて)は大きな黒い影が覆っていて、そいつは俺をつまみ上げるでもなく、ただ見下ろしている。目があるのかもわからないが、なぜか視線だけは感じられて、焦燥ばかりが募る。
じたばたしていると、やがてのっぺりとした灰色だった黒い影の背後が極彩色の渦になり、うねうねと蠢き出した。
そのうねうねは厚みを増し、押された黒い影がどんどん俺の方へ頭を下げてくる。
このままでは飲み込まれる――
バシン、と顔に衝撃を受け、目が開いた。
「ってえ!なんなんだ!」
声が出た。口がある。俺は腸詰めではなくなっていた。
「おお、目覚めたか。そちらは『凶運』のジャスレイで間違い無いか」
目の前に、俺より少し年嵩の、濃い肌の男の顔があった。麻織のぞろりとした装束で、首には木玉の首飾りが三重に巻かれている。指が長くてばかでかい手の平が視界の端に見えるので、今俺を殴ったのはこいつだろう。
「そうだよ……あんたは?」
「私はギヌー教会のアレドレキだ。仲介屋のビンドの紹介で来た者だ」
「えぇ、ウソだろ……」
こいつか!なんとか教会のアリなんとか!
怒りで頭が冴え、おかげで俺は洞穴の入り口前に寝かされていて、腿の噛み跡に治癒の魔法をかけてもらっているところだと理解できた。俺を挟んだ神官の反対側には少年が座り込み、こちらを覗き込んでいる。
「すまなかったな、騎士様の郎党が怪我を負って、仕事が伸びたのだ。これでも急いで来たのだが、間に合ったようでよかった」
「まったくだ、くそッ、あんたは間に合った。助かったよ」
状況を考えれば、そもそもの合流場所でアレドレキを待っても、間に合っていたということだ。少年を連れて来てしまったのは、完全に俺の勇み足だったのだ。
「こちらの若者にも礼を言うべきだな、彼があなたを洞穴から担ぎ出したところにちょうど行き当たったのだ」
これには心底驚いた。意識がないのだから、ものすごく重かったはずだ。俺は小柄とは言えないし、まして少年は初めて怪物と遭遇して腰を抜かす寸前だったのだ。それが、昏倒した俺をあの状況で担ぎ出すなんて。
「なんてこった。本当なのか?」
「荷揚げが仕事だって言ったろ。重いもん運ぶのは慣れてる」
「そうか……ありがとうよ。お前がいなきゃ俺は今頃、血袋鼠の保存食になっていたところだ」
「いいよべつに。それより、あんたジャスレイって名前なの?」
「ああ。そうか、ちゃんと名乗りあってもいなかったんだな、俺たち」
「そーだよ」
出会ってからというもの、表情に乏しくよそよそしい態度だった少年は、なぜか今は少し打ち解けた様子になっていた。
「今更だが、俺は」
「待て、邪魔をしてすまない、だが後にしてくれ。奴らがそこまで来ている」
名乗ろうとしたのを、アレドレキの鋭い声が止める。
見れば、洞穴の入り口から差し込む陽光にぎりぎり当たらない位置にまで、しもべたちが詰めかけていた。
血袋鼠もしもべも、日光を嫌う。強い陽光の下では奴らの皮膚は乾燥して、動きが鈍り、破れやすくなるのだ。昼間やってきて本当に良かった。
「ビンドからは腐頭狼と聞いていたのだが、血袋鼠だったとは」
「村の連中は血袋鼠を知らなかったんだろう。普段このあたりは『湖』のおかげで野生の動物も怪物も凶暴なヤツはいないし、無理もない」
「本体はどうなっている?もう子鼠が生まれているのか」
「いや、母鼠だけだった。だがいつ生まれてもおかしくない様子だ。見ての通り、しもべも多い」
「ふむ、算段はあるかね、『凶運』どの?」
「そのロクでもないあだ名で呼ぶのはよしてくれ……」
洞穴の入り口をなんらかの方法で爆破して埋める?他の開口部から逃げられるのがオチだ。却下。
村に戻って救援を呼ぶか?ニルレイの街や『湖』から助けが来るより先に子鼠が生まれ、日暮れとともに押し寄せてくる。却下。
しもべを押し返しながら中に引き返して、母鼠に間違いなくとどめを刺せる方法でなければ。
「正直、力押しの雑な案しか思いつかんが、アレドレキ、あんたの魔法があればなんとかなるだろう。あと、お前の力もな」
少年を指してにやりと笑ってやると、彼は頭巾の下の頬を引きつらせた。
「くっぬぬぬぬ……」
「いいぞ!そのまま行け!剛力、剛力!」
今、少年は両手にかけられたアレドレキの盾の魔法でしもべを押し返しながら洞穴を進んでいる。殺到するしもべどもはとんでもない重さだと思うが、俺の均衡の魔法で足まわりを滑らかにし、さらに剛力の魔法を使い続けて、全身の力を高めている。
アレドレキはといえば、俺たちのさらに後方から、もはや小さな太陽と言ってもいい光量と背中が焼けるような熱気の明かりを掲げ、小型のしもべが取り付くのを防いでくれている。
俺ははじめ、村でもらった松明でこれをやろうと考えていた。しかしそれを聞いたアレドレキは、明かりの魔法に熱を付与できる、と、いともあっさり言い出したのだ。
「我らギヌー教会は活動の一環として、開祖ギヌーの名声を高めるための慈善を積極的に行っておる。その中には、路上で暮らす力弱き人々の支援もある。明かりとともに暖が取れれば格段に生きやすくなるということから開発されたのだ」
そんな説明とともに光が焚かれたが、暖を取るなんて範疇を大幅に超えた光量と熱を発するようにも調節できるのを目の当たりにして、もはやただの攻撃魔法では?と思ったが黙っておいた。ギヌー教会とやらは、神官は戒律で他者を害する魔法は習得しないのだそうだ。
「つ、ついた!さっきの広間だ!」
前方が開けて、強力な光で大空間が照らし出される。少年はしもべどもを広間に押し戻しきったのだ。
「おっと、いるな」
俺と少年の頭越しに中を見たらしいアレドレキが、熱量はそのままに光を収束させて、広間のちょうど中程あたりだけを照らすという器用な調節をやってのけた。
アレドレキは、随分上背のある男だった。ずるずるした長衣の下の手足はおそらく驚くほど長く、頭は小さく、遠目には小さめのエルフのように見えるだろう。その彼が、中の様子を観察して教えてくれる。
「まだ生まれていないようだ。そら、ちょうど母鼠が中心に来るように照らしている。やれるかね?」
「三つ数えたらぶっ放すぞ。アレドレキは盾の魔法を。後のことは任せるからな」
二人それぞれから了解の返事を受けて、俺は魔法を練り始めた。
今日ここまでに使った他の魔法とは比にならないほどの集中を要し、何倍もの時間をかけて練り上げる。頭の芯が熱をもって痛みはじめ、あたりの血臭をさらに上回る濃厚な魔法の匂いが鼻をついた。
涙のにじむ目を必死で開いて、少年の肩越し、圧をかけるように立ち塞がる大型のしもべの隙間から、母鼠の位置を見定めた。
「いくぞお……さん、に、」
いち。
血袋鼠を起点にして、爆発的な熱と炎の奔流が吹き上がった。
生半可な火では、水気の多い生き物を燃やすことなどできない。俺の使える中で最大威力の業火の魔法が、母鼠を消炭にする、
はず……
本日二度目、俺の意識はそこで途切れた。
今度は夢は見なかった。
目を覚ますと、こざっぱりした箱寝台に横たわっていた。丁寧に整えられた敷布の下には藁が厚く入っていて心地いい。
「起きたんだな、冒険者どの」
毛織物の掛布を頭の上まで引っ張り上げ、二度寝を決め込むつもりで楽な姿勢を探してごそごそしていたら、村長のメルンドーが箱寝台の扉から覗き込んでいた。
「ああ……どうなった?」
「問題ない、あんたはちゃんと怪物を退治してくれた。やっぱり腐頭狼ではなかったそうだな。悪いことをしてしまった」
「いや、それはわかっていて行ったんだ。ヘマをしたのは俺だよ。何日経った?」
「あんたは二日寝てた。連れの若者と神官様がここへ担ぎ込んだときは、ほとんど死人みたいな顔色だったが。だいぶ良くなったようだな」
「才の足りない魔法を無理やり使っちまったからな。休息が必要だっただけだ」
「神官様からもそう聞いている。今は二人で村を回っているが、そのうち戻るだろう」
寝室の窓から刺すのは午前の光で、寝床の心地よさに離れがたいが体を起こす。
「ここはあんたの寝床だろう、二日も取ってしまって悪かったな」
「なに、この家は家内と二人だけなんだ。隣が弟一家の家だから、夜はそこで寝かせてもらっていたよ」
それはさぞかし、寝台が狭かったに違いない。
「喉を通りそうなら、汁物くらいはある。居間に来るといい」
口の中が渇いてベタついていたし、言われれば腹が減っているのに気付いた。
「いただくよ」
芋と香草の汁物をすすりながら村長に尋ねたところによると、俺が寝ている間、アレドレキが色々ととりなしてくれていたようだ。
血袋鼠を始末し損なっていないか村の若い衆を率いて確認に行ったのも彼だし、俺が回復するまで三人で村に厄介になる算段を取り付け、その間少年の面倒も見て、今日はさらに村を回って治癒の魔法や薬を売ったりしているらしい。頼りになるうえに抜け目ない男だ。
「報酬は神官様が三等分して、二人にはもう渡してある。あんたの分はここだ」
卓の上に出された硬貨を見ると、三等分にしてはずいぶん多い。それを言うと、メルンドーは苦笑いした。
「洞穴にいた怪物、血袋鼠とかいったか?普通なら討伐隊を募るような相手だったんだってな。現場を見た若いのからも、中はひどいありさまだったと聞いている。村人に被害が出ないで済んだのは、あんたのおかげだともな。神官様に相場を聞いて、その分を上乗せさせてもらった」
なんて良心的な発言なんだ。普通は、依頼書に足りないところがあったからといって最初の報酬に色をつけてくれるなんてことはまずない。
「心配することはない、近頃は街や都で香木の需要がますます高まっているようでな、意外と儲けているんだ、この村は」
ありがたく受け取って、薄めた葡萄酒を温めたものをちびちびやりながら、最近の街の様子や王や諸侯の動きの噂なんかを聞かせていると、アレドレキと少年と、案内でついて回っていた村長の奥方が帰ってきた。
「ジャスレイ!起きたんだな」
相変わらず頭巾で顔はよく見えないが、少年は明らかに喜んでいる様子でこちらにやってきた。
「ああ。おかげで無事だ」
しもべに噛まれて昏倒した時同様、業火の魔法を使った反動でぶっ倒れた俺を担いで逃げたのはこの少年だ。
「やっと落ち着いて顔を合わせることができたな、『凶運』どの」
「アレドレキ、あんたもありがとう」
彼は血袋鼠を焼いた炎で俺たち自身が焼肉にならないよう盾の魔法を調整して護ってくれた。
追い詰められた状況で考えた大味な作戦だったが、全てうまくいって本当に良かった。もし失敗していたら、俺は思い込みの勇み足で巻き込んだ何の関係もない少年を死なせるところだったのだ。
『凶運』と呼ばれて久しい俺だが、依頼そのものを完全に失敗したり、自分で始末をつけられないようなヘマをしでかしたことはないというのを、密かに自負していた。
しかし今回は判断を誤ったせいで、これまでの冒険者としての評価まで失う可能性もあった。無事に済んだと言っても、幸運な偶然がいくつかあって、紙一重で切り抜けたにすぎない。
「二人とも、それからメルンドーさんもすまなかった。俺のせいで皆を危険に晒した」
立ち上がって謝罪する俺がさすがにがっくりきているのを察したらしく、アレドレキが、まあまあ、と言って座るよう促してくれる。
「そもそもは私が遅れたことが発端なのだ、そんな風に謝られては立場がない。それにあなたの評判を考えれば、仲間が現れなくて焦るのも無理はないといえる」
アレドレキは神官らしく寛大な言葉を述べて、そうだろう?と少年にも同意を求めた。
「オレのことは気にしなくていいよ。あんたが寝てるこの二日間でアレドから色々聞いて、今自分がどんな状況か大体わかったんだ。最初に落ちてきた時に放置されてもおかしくなかったのに拾って面倒見てくれたじゃん、あんた自分の仕事あったのに」
肩をすくめながら、なんでもないことのような口調で少年が言う。
「結果はそうだが、俺はおまえのことを神官だって思い込んで勝手に連れてきたんだぞ」
何かおかしいと途中で何度か思ったにも関わらず、焦るあまりに疑問に目をつぶったのだ。
「ほんとにそれはもう良いんだって。あんたについて来なかったとしても、危ない目に遭わなかった保証なんかないんだからさ」
「彼の話を聞かせてもらった限り、その通りだと思う。……というかだな、多分あなたがたはお互いに事情を全く確認しないまま行動したのがいかんのだと思うぞ。今からでも少し話すべきだ」
アレドレキの言葉は真っ当すぎて、ぐうの音も出ない。名采配か。
今更、面と向かってお話しましょうなんてどうにもきまり悪いが、そうするべきなのは間違いない。じゃあ、と口を開こうとしたのだが。
「あの、大事なお話を邪魔をしてごめんなさいね。でも長くなりそうなら、みんな先にごはんにしないかしら」
村長の奥方がやや強引に話に割り込んだ。言われてみれば俺たちは村長宅の居間を占拠しているのだった。
結局、俺は直前に食べさせてもらっていたので、他の皆が芋と香草の汁物に干し魚を追加して炊き直したもので食事を済ませるのを隣で見ていることになった。
食後に軽く話し合って、俺たちは全員明日の朝まで滞在することにした。
予定が決まると、アレドレキは村人と商取引があると言って出かけて行った。魔法や薬と、この村で切り出している香木の物々交換に応じることにしたのだとか。
俺と少年は、泊めてもらっている礼として村長の飼っている荷馬の世話を買って出た。
「あのさ」
馬小屋で馬糞を集める作業に没頭している俺を、隣で汚れた藁を掻き集めていた少年が呼んだ。
「うん?」
「アレドの言ってたように、ちょっと話そうと思って」
「お、おお。そうだったよな」
「とりあえず、まだ名乗ってなかった気がするから、そっからな」
話しながらも少年は仕事の手を止めない。偉いなこいつ。勤勉だ。
「オレの名前は、アリマトオル」
「そう言ってたのか、あの時……」
「そう。アレドレキとはそんなに似てないからな。今度から人の名前はちゃんと覚えようぜ」
そこはビンドから聞いた名前があやふやだった俺が全面的に悪い。
「悪かったよ、アリマトール」
「あ、あー、確かに名前はそれでほぼあってるんだけど、呼ぶときはそうじゃなくて、トオルって呼んでくれ」
「トール。これでいいか?頭を略すなんて珍しいな、故郷の習慣か?」
「まあそんなとこ。じゃ次は、あんたのことを教えて」
会話の主導権を完全に握られている。
「名前はもう知ってるよな。俺はジャスレイ。おかしなあだ名がついてるが、そいつは忘れてくれ」
「『凶運』ってやつだろ。由来はアレドから教えてもらった。あの人があんたをそう呼ぶのは、そんなの信じてないかららしいよ。ところで、ジャスって呼んで良いの?」
「いいよ。俺の仕事は、見ての通り冒険者……まあ馬糞集めながらじゃ説得力ねえか」
「腕はいいって聞いたけど?」
「どうだかな。今回みたいなヘマすると、さすがに自信無くすわ」
「しっかりしろよな。あんたがそんなんだと、オレが困るし」
「困る?」
「まあいいや、次な。あんたが最初の時に言ってた転移の魔法の事故?が原因かはわからないけど、オレは多分、帰る方法もわからないくらい遠くから飛ばされてきたっぽい」
疑問を軽くかわされたと思ったら、もっと聞き捨てならない話になってきた。
「なんでかっていうと、まずオレがいたところでは、エルフは想像上の存在だった。オレが田舎から出てきたからとかじゃないからな、そもそも別に田舎の生まれじゃねえし」
さすがに手を止めてトールの方を見ると、相手は聞いてる?と言うように首をかしげた。
「続けろ」
「あと、もっと確実なとこで言えば、魔法も想像上のものだった。大昔は多分信じられてた時代もあったんだろうけど、現代……オレが生きてた時代には、実在しないってみんな理解してたと思う」
話の要旨が読めてきたのはいいが、トールの淡々とした話ぶりに反して、とんでもない重要な内容が語られているのにも気付いてしまった。
「それが事実なら、おまえ相当厄介な状況なんじゃないか……?」
少なくとも、馬小屋の掃除をしながらする話じゃない。
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