恋愛小説(もしくは)を書く際のモチベーションと壁
恋愛小説(もしくはラブコメ)を書くにあたって、自分には二つのモチベーションがあります。
一つは「こういう恋愛がしたい」。
もう一つは「こういう恋愛がしたかった」です。
似ていますが前者と後者では大きな差があります。
「こういう恋愛がしたい」は分かりやすく、いまの自分が望んでいる恋愛の体験です。
例えば、メガネをかけた太ももがムチムチの女の子(強がってクールな振りをしているけど内心は人との交流を求めていて、寂しがりなんだけどそういう弱い自分を認められず今日も孤独に過ごしている)とドロッドロに共感しあって溶け合うような恋愛をしてみたいという、現在の欲望をありったけブチ込んだ糖尿病の末期患者みたいな体験を疑似的にやったろうじゃないか! というモチベーションが前者。……例えばの話ですよ。
対して後者は、「過去の自分にこんな恋愛体験があったらなぁ」という空想百パーセントの産物です。
例えば、学校という閉鎖的な空間でどうしても自分を適合できなかった自分と、同様に独りぼっちでいつも「ここじゃない」と思い続けている女の子が、奇跡的に出会ったにもかかわらず、劇的に改善されず、かといってそういう距離感をお互いに心地よく思っていたという、取り返しのつかない思い出を脚色したいというモチベーションが後者です。過去という「もうどうしようもない」思い出にどうしようもない夢を描いて疑似的な余韻に浸ろうという試みなのです。……だから例えばの話だって。
ただ、いずれにしろ「自分の性癖が自分に刃を向けてくる」という弊害があり、それこそが恋愛小説(もしくはラブコメ)を書くモチベーションに大きな壁として立ち塞がります。
なんというか、録音した自分の声を聞くようなもので、漠然と抱いている理想の体験、願望、異性像を「小説」という一つの具体的な形に落とし込むことで、自分自身の醜悪さ、弱さを直視せざるを得なくなってしまう。
恋愛小説を書くということは、そういうことだと思うのです。超噛み砕いて言うと「俺、いつまでこんな理想を追っているんだ……?」という思考に到達したくない。
でも、向き合わなければ本物の答えに辿り着けないのも分かっている。ありきたりな主人公、展開、物語、テーマ――それでは誰にもなれないし、誰にも届かない。フェイク野郎になってしまう。
せっかく生まれてきた登場人物をフェイク野郎に祭り上げたくはない。
恋愛小説の執筆は、自分との闘いなのです。「ふたりぼっち」あるいは「二人きり」の物語をいかに本物に近づけられるか、いかに自分の醜悪と向かい合えるか。まずはそこを認めてあげることが、完成への第一歩なのだと思います。思うだけで自分ができている気はしませんがな!! ガハハ!!(創作論なんてそんなもんでいいんですよ。明日には変わっていてもそれでいい)
次の章では、以上を踏まえたうえで坂佐井咲傘ちゃんを振り返ります。
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