第10話 病院の死神


      ◇


 夜を待ち集合場所に着くと、すでに白雪が待っていた。


「悪い……待ったか?」


「まだ時間前。私が早く来ただけよ」


 白雪はそっけなくそう言うと、別館の裏口に向かって歩き出す。


「待てって……鍵も無いのにどうやって入るんだよ?」


(てっきり地下駐車場から行くのかと……)


 不思議に思いながらついていくと、白雪は俺の問いに答えることなく扉の前で立ち止まり右手から水の塊を発生させた。


(変身しなくてもちょっとした魔法は使えるんだったな。現に俺はいつもこうやって水を恵んでもらってるわけだし……)


「水なんてどうすんだよ?」


「黙って見てて」


 白雪は水の塊を鍵穴に滑り込ませると小言で何かを呟く。すると、水が瞬く間に凍り付いた。氷の鍵の完成だ。


「――行きましょ?」


 何事もなかったかのように扉を開く白雪。


「……お前それ、絶対に悪いことに使うなよ?」


「あんたと一緒にしないでよ」


「俺は覗きなんてしねぇ!」


「……その発想は無かったわ。泥棒なんて姑息な真似、私はしないわよ。犯罪じゃない」


(あっ……)


「サイテー」


 侮蔑の眼差し。さすが『孤高ツンドラの雪兎』だ。全てを凍らせるその眼差しは他者を寄せ付けないオーラがある。いや、今のは俺が悪かった。

 反省しながらすたすたと行ってしまう白雪の後を追うと、不意に白雪が立ち止まりジトっとした視線を向けてきた。ああ、これは『道案内しなさいよ』の視線だ。ここ数か月で、俺も白雪のことをそれなりに理解できるようになっていた。


「霊安室は地下二階だ。ただ、地下に入ると窓が無くて逃げ場がないからな。人がいなければ一階で変身してから行った方がいい」


「……わかった」


 裏口から廊下を抜け、吹き抜けの広場に到達する。受付があるメインロビーだ。都立病院は主な機能が本館に集約されているうえに夜遅いせいか明かりはついておらず、人もいない。念のために耳を澄ましてみても、俺達以外の足音は聞こえてこなかった。


「よし、ここならいいだろ」


 俺はポケットから青く光るサイリウムを取り出し、念のため小声で詠唱した。大きな声を出して警備員さんに見つかるわけにはいかないからだ。


「まじかる・みらくる・めるくるりん……」


「……る……る…………りん……」


 白雪も俯いてぼそぼそと呪文を唱える。


「俺しかいないんだし、たかが呪文でそんな恥ずかしがらなくたっていいんじゃね?」


「こういうのは気持ちの問題なの! あんたがいるとか、いないとかじゃないの!」


「はいはい、そーですか」


 俺には毎朝発声練習させておいてこの言い草。なんて理不尽なんだ。変身した『亀』の姿でため息を吐くと、口からぷかっと泡が出た。白雪はそんな俺の憂鬱も知らず、相変わらず恥ずかしそうに胸元で杖を握りしめている。


「白雪? 言っておくけどそれ、全然隠れてないぞ?」


「へっ……?」


「前隠すつもりなら、もっと身体ぎゅーってしないと隠れなくね?」


 俺はヒレを身体の前でクロスさせて、自分で自分を包み込む仕草をする。


「う……」


 白雪はよほど恥ずかしいのか、大人しく俺の真似をして自分の身体を両腕で包み込んだ。身体をぎゅっとしたことで、胸の谷間が強調される。


(あ、やべ。逆効果だった)


 あいかわらず触りたくなるような滑らかさの双丘ですこと。


(『亀』の姿でぎゅってされたら、気持ちよさそう。きっと全身を包まれるような夢見心地が俺を天国に――)


 ぷか、ぷか……


 ――ハッ……!


(いかん、いかん! 吸い寄せられるところだった!!)


 そんな自殺行為をしようものなら、『何してんのよ!』と言われて蹴られるビジョンしか浮かばない。『亀』の姿のときに蹴られれば最後。起き上がれなくて死ぬ目を見るのは俺だ。罪深き気の迷いを悟られる前に、早く動き出した方がいい。

 俺は何事も無かったかのように霊安室のほうへぷかぷかと泳ぎだす。


「ほっ、ほら行くぞ?倒すんだろ? 『死神』。あいつ倒してノルマ達成できれば、もうその恰好しなくて済むんだからよ」


「……それもそうね」


 白雪は小声で呟くと、俺の後ろからしぶしぶついて来た。


 ――カツーン……カツーン……


 暗闇に包まれた病院に白雪のヒールの音がこだまする。

 病院の別館は本館が新設されて以降は一部の機能を残してあまり使われていないようで、入院患者や夜勤の看護師さん達はこの時間、本館にしかいない。この別館に人がいるとすれば見回りの警備員さんくらいだった。


「ねぇ、霊安室まであとどれくらい……?」


 普段よりも少し覇気のない白雪の声。やはり『死神』相手に緊張しているんだろう。


「霊安室なら地下二階だから、非常階段から降りていくぞ。ミタマの気配も、この先だ」


 俺達は非常口の誘導灯を頼りにゆっくりと足を進める。


 ――カツーン……カツーン……


 霊安室のある地下二階に繋がる階段に差し掛かろうとしたとき、不意に、叫び声にも笑い声にも聞こえる甲高い声が、別館中に響き渡った。


 ――きゃはははははははははは!


「な、なんだっ……!?」


「まさかっ――」


 その声に、俺達はふたりして身構える。


 キィ、カラカラ……キィ、カラカラ…………


 息を殺して周囲を伺う俺達の耳に入ってくる、不快な音。まるで金属製の何かが引き摺られているような、イヤな音だ。

 ふとヒレ(今は俺の手だ)に何かが当たり、視線を向けると、白雪が俺のヒレを遠慮がちに摘まんでいた。もう片方の手で杖を握りしめ、下を向いて心なしかぷるぷるとうさぎのように震えている。


「白雪、お前ひょっとして……」


「…………」


「ホラー苦手なのか?」


「――っ!」


 白雪のウサ耳がびくり!と揺れた。


「まさか、下見を俺にやらせたのも――」


「――っ……」


「はぁ……」


 俺は大きくため息を吐く。


「素直にそう言やぁいいのに」


 ぷかぷかと口から出る泡のため息を、くすぐったそうに振り払う白雪。


「だって……おばけが怖いなんて。そんな、か弱い子みたいなこと……」


「あのなぁ……?」


(ほんと、素直じゃねーやつ)


 さっきの頬をくすりと緩ませた様子を見る限り、今の俺のような小さな『亀』、もとい可愛いマスコット的存在とかも本当は好きなんだろうが、そんな素振り一度だって見せたことはない。


(そういうとこまで強がってんのかよ? どんだけプライド高いんだか)


 俺は再び泡をぷくぷく吹きかけた。今度はくすぐったくて思わず笑ってしまいそうになるほどに。ちなみにコレは人間に例えると決して唾を吐きかけるようなものではなく、ふぅふぅと息を吹きかけるようなイタズラ的行為。


「きゃっ……! ちょっと何するの! やめて、ふわふわくすぐった――ふふふっ……!」


(お。ようやく笑ったな)


「誰にでも得手不得手くらいあるっての。待ってろ、ちょっと様子見てくるから」


「うん……」


 さっきの泡攻撃が効いたのか、白雪はウサ耳をしょんぼりと垂らし、しおらしくしている。コンビを組んで数か月にはなるが、こんな姿を見たのは初めてだ。


(いつもこれくらい素直なら可愛げがあるんだけどな。勿体ないやつ)


 俺は励ますように白雪の頭をぺしぺしとヒレで叩くと、白雪を階段の陰に残して霊安室に面する廊下に出た。


「――っ!?」


 そこに広がっていたのは、ホラーなんかじゃなくサイコでスプラッターな光景だった。狭い廊下に点々と転がる、ミタマの頭、腕、足。いくらミタマの姿がもやっとした黒い人型だとしても、それがどこの部位なのかくらいはわかる。わかるが――今回ばかりはわかりたくなかった。そのいずれもが、まだ新鮮な活け造りの魚のようにビチビチと蠢いている。


「うっ……!」


 俺は思わずヒレで口元を覆う。鋭利な刃物で切断されたような鮮やかな切り口からは紫色の血が穴をあけたスプレー缶みたいに噴き出していた。


(なんだよこれ……なんなんだよ……!)


 いままで見たことのない凄惨な光景。見たくないはずなのに、まるで何かに囚われたかのように、目を逸らすことができない。


(白雪がスノードロップとしてミタマを倒すときは、こんなにならないぞ……!?)


 白雪は『水の魔法少女』だ。杖を振れば、『水』を自在に操り、凍らせることができる。だからミタマを退治するときもトドメには凍らせてしまうのが定石だ。ミタマと戦闘中に接近されたとしても杖で殴って応戦するのが常だったため、ミタマの血を見るのは俺も初めてだった。


「うっ……おえ……」


 思わず口から水を吐き出す。幸か不幸か『亀』に変身しているため、吐しゃ物は出てこなかったが、胸につかえる嘔吐感は拭いきれない。すると――


「だれ……?」


 不意に廊下の奥から闇に消え入るような女の子の声が聞こえた。


(まさか、一般人が巻き込まれ――!?)


 俺の予想に反して、その声はイヤな音と共に近づいて来る。


 キィ、カラカラ……キィ、カラカラ…………


「だれ……? だれかいるの……?」


「…………」


 ――息を殺す。

 『亀』だから口呼吸か鼻呼吸かエラ呼吸かは不明だが、とにかく必死に殺した。


 キィ、カラカラ……キィ、カラカラ…………


 次第に音が近くなる。すると、血に塗れた廊下の向こうにぼんやりと人影が浮かびあがってきた。真っ黒なフードのついた外套。その下から覗く、黒いミニ丈のワンピース。


「だれ……?だれが……」


 キィ、カラカラ…………


 リボンのついたヒールのパンプスをカツカツと響かせ、こちらに近づいて来る。暗闇の中発光しているかのように白く浮かび上がる細腕には、およそ似つかわしくない大鎌が握られ、引き摺られてカラカラとイヤな音を立てていた。


「だれ……? だれが、まだ……」


「…………」


「――生きてるの?」



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