第8話 クラスメイトは想い人
◇
(白雪のやつ、今日はかなり無理してたみたいだな……)
依然として帰りのバスでも会話は一切なかったが、俺は以前と比べ白雪の考えていることが少しだけわかった気がしていた。
放心状態の白雪が小さく呟いた『お姉ちゃんごめんね』の一言。お姉さんの姿をしたミタマも、同様に同じ台詞を繰り返していた。あれは、白雪が“ああなったこと”に対してのお姉さんの懺悔なのだろうか。それとも、一緒にいられないことへの後悔、目覚めないことへの焦り。
様々な想いが駆け巡る中で確かに言えることは――この日、俺には『魔法少女の力になりたい』理由がひとつ増えた、ということだった。
帰りの道中でも白雪と会話がゼロだったことに肩を落としつつ家に帰ると、リビングに入った瞬間にいい匂いに包まれた。
「お兄ぃ! おそーーい!!」
ふと見ると、三つ年の離れた妹が取り皿を両手にダイニングテーブルの周りをうろうろとしている。部活から帰った後にシャワーでも浴びたんだろう。
まだ少し濡れた赤茶の髪をポニーテールで結び、Tシャツと短パン姿でこちらを振り返った。ほんのり日焼けした小麦色の脚で、じたじたと床を踏み鳴らす。
「お腹空いたぁ!」
「テニス部終わるの遅かったのか? 俺、遅くなるって連絡したよな? 先に食っててよかったのに」
「今日はお兄ぃの好きなから揚げだから、待っててあげたんだよー?」
「ああ……捨てる
「何言ってんの? お兄ぃキモい」
(いくらでも言え、兄の帰りを待っててくれた可愛い妹よ。お前に『キモい』と言われたところで言われ慣れてる俺はなんにもこわくないぞ?)
母さんがパートの日はふたりで食卓を囲むのがうちではお決まりになっていた。手を洗い、そろって掌を合わせる。
「「いただきます」」
笑顔で食卓を囲むなんてことない日常の風景に幸せを噛みしめつつ、明日からの活動の為に気合を入れる。
俺が白雪に罵倒されつつ恥ずかしい日課をこなす生活とお別れし、白雪の『願い』を叶える為には、とにかく魔法少女の活動をするしかなかった。それもほとんど白雪頼み。悔しいが、マスコットである俺に出来ることは少ない。今はただ白雪についていくしかないのだ。
まるで昔話の『うさぎとかめ』みたいに、追いつけもしない白雪の後ろを追いかける毎日。だが、俺のゴールは『寝ているうさぎを追い越すこと』ではない。魔法少女のノルマを達成し、マスコットの使命から解放される。つまり、『ふたり同時にゴールすること』だ。
(いつか白雪の口から『願い』を教えてくれる日が、頼ってもらえる日が来るのかな? それにあの『死神』。もしあいつが俺達と同じ魔法少女なら、その『願い』がわかれば協力し合うことだって……)
「うしっ! ごちそうさまっ!」
お腹が満たされ脳が活発になったところで、自分の目的も再確認できた。明日に備えるため、俺はシャワーを浴びて早めに部屋に戻って布団をかぶる。マスコット稼業は身体が資本だ。男子高校生としての生活も然り。
(あ、そういえば宿題……)
「……まぁいいか。明日の朝、白雪に教えてもらおう」
苦しく思えるマスコット生活にも、いいところはあった。明日は発声練習の後、自分からカフェに誘って、課題を教えてもらう。俺は生意気可愛い妹とから揚げに貰った元気で、少しだけ前向きな気持ちを抱いて眠りについた。
◇
第二章 病院の『死神』
「はぁー……」
放課後、掃除当番を終えた俺はいつものように重い足取りで校門に向かう。今日も今日とて魔法少女活動(というのは名ばかりで、足手まといの俺がただ白雪に罵倒され、パシらされるだけのイベント)だ。
(いやいや、だめだ。ため息ばかりついてると幸せが逃げていくって誰かが言ってた)
「昨日だって少しは大物探しに進展があったんだ。今朝も宿題教えて貰えたし。きっとこの後だって……」
自分自身に言い聞かせるように独り言を呟き、両頬をパシンッと軽く叩く。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すと、校門の桜に芽吹く新緑のいい香りが身体中を駆け抜けた。
(うん。やっぱポジティブにいかねーとな!)
そう思うといつもより少しだけ足取りが軽くなる。
それに、今日は足取りが軽くなる理由がもうひとつあった。大物と思しき情報が遂に手に入ったからだ。
先日会った『死神』が魔法少女なのか人型のミタマなのかは未だ不明だが、あれだけの戦力を有する奴があそこを縄張りにしている理由……きっとあの病院には大物がいるに違いない。
大物を退治できればノルマが一気に溜まって早くこの生活からも解放される。俺は惨めな思いをしなくて済むし、白雪だって『願い』を叶えられる。お姉さんに、きっとまた会えるはずだ。
「大物、本当にいればいいんだけどなぁ……」
(おっ? あれは……)
まだ見ぬ大物への期待に胸を膨らませつつ校門前で待っていると、同じく校門の反対側にクラスメイトの
(いいこと、さっそくあった……)
透き通るような艶のある夜色の髪を胸元まで伸ばし、毛先はゆるく巻いている。猫背気味でも結構『ある』ことがわかるくらい、胸はふっくらとして大きい。前をしめたブレザーのボタンがどこか苦しそうにすら見えるくらいだ。
そんな菫野はスマホを片手に、長い睫毛をしぱしぱとさせてどこか眠たげにしている。菫野は大人しいというか寡黙というか、ぼーっとしていることが多かった。でも、そんなアンニュイな感じがどことなく庇護欲をくすぐるらしく、派手で明るい女子が苦手な男子達から人気のある女子だ。俺もご多分に漏れず、そんな菫野に惹かれる男子のひとりだった。
(やっぱ可愛いよな。菫野……)
ちらちらと見つめていたら、目が合ってしまった。
「……?」
不思議そうにこちらを見る菫野。これが白雪だったら『何見てるのよ』と言われて脛にキックでも見舞われそうなもんだ。
(話しかけて、みる……?)
朝の発声練習で培った度胸は、俺に勇気を与えてくれた。
「よ、よぉ……菫野も、誰か待ってるのか?」
思い切って声を掛ける。白雪におしおきされて一週間『水』を与えてもらえなかったときくらい心臓がバクバク言っているし、動悸、息切れ、眩暈、エトセトラもヤバイ。
「…………」
菫野はしばしこちらを見つめていたが、何かを思い出したように口を開いた。
「……万生橋君、も? 私はね、
(さっきの間は何だったんだ? もしかして、俺の名前忘れてた? 一応クラスメイトなんだけどな……)
思わず涙を堪える。
(泣くな俺。思い出してもらえたんだ、今は素直に喜ぼう。それにしても、菫野が待ってる式部って……『あの』?)
まさかとは思うが、念のため確認してみる。
「式部って、隣のクラスの泉のことか?」
「そう」
動悸が激しくなる。嫌な予感は的中した。
(そうだよな、式部なんて珍しい名前そうそういるもんじゃない。わかっちゃいたけど……)
正直、信じたくない。
(なんで菫野が泉のこと待ってんだ? しかも名前呼びだし。どういう関係? まさかふたりは付き合ってるなんて……)
息切れもしてきた。
(いやいやいや。大人しそうな菫野が、よりにもよって『あの』泉と?)
「――紫」
――噂をすれば。泉がポケットに手を突っ込みながら、ダラダラとやってきた。
(呼び捨て……それに、仮にも菫野と待ち合わせしてんだからもっと急ぐ素振りとかあってもいいんじゃないか?)
きちんと手入れしているであろうふわっとした銀髪にすらりと長い手足。程よく開いたシャツの胸元からは男のものとは思えない陶器のような白い肌が覗いている。
(モデルかよっ……はぁ。ハイスペックなうえに美形とか……)
ため息しか出ない。対抗できるものが俺には何一つない。いや、魔法少女のマスコットをしている点では勝っているか? 魔法少女である白雪の下僕みたいな仕事ができる不思議な存在という点では……
(勝っている……のか?)
――勝負になってない。
俺に出来ることは、妬ましい視線を送るくらいだ。
「式部、来た……」
「言いつけどおり僕より先に待ってるなんて、いい子だね、紫は」
泉はにこにこしながら菫野の頭を撫でる。
(ああ、やっぱりこいつらは……)
もはや眩暈までする。
(嘘だろ? 嘘だと言ってくれよ、菫野……)
頭痛もしてきた。菫野は動じることなく、目を細めて大人しく撫でられていた。
(泉のやつ、俺の存在には絶対に気付いているはずなのに。見せつけやがって……)
「――ん? 万生橋じゃないか」
(今更かよっ! いけ好かねー!)
「万生橋と、何話してたの?」
「えっと、誰を待ってるの? って……」
「ふーーーーん?」
睫毛の長い切れ長な目を細め、俺を見流す。
「泉、今帰りか? 俺もさっきここに来たばっかで――」
「万生橋には聞いてない。行くよ、紫」
俺の言葉を最後まで聞かずに、泉は足早に去っていった。
「待って……」
その後ろをちょこちょこと追いかける菫野。
(可愛い……)
動きがトロくさいところがまた、良い。
去っていくふたりの背にいつまでも恨みがましい視線を送っていると、不意に声をかけられる。
「どうしたの? 人でも殺しそうな目をして」
「白雪。遅いぞ」
おかげでイヤなものを見ちまったじゃねーか。いや、菫野と話せたのは嬉しかったけど。
「なにをそんなに苛ついてるのよ? まぁ、万生橋みたいな馬鹿の考えることがわからないのはいつものことね。さっさと行きましょ?」
(一言多いんだよなぁ……)
俺は苛立ちを隠すことなく白雪の後に続く。いくら虚勢を張っているのがお姉さんの為だったとはいえ、この歯に衣着せぬ物言いには改善の余地ありと一言申したい。
「で? 今日はどうすんだ?」
「いいからついてきて」
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