第7話 魔法少女、変身

「こんな冷たくて寂しい気配……! 早くなんとかしないと!」


 俺は立ち上がった。ミタマの居場所を察知しようと全神経を研ぎ澄ます。


「……万生橋? ひょっとして……『死神』なの?」


「わからない! ちょっと待ってくれ! 今探してるから!」


(……どこだ? こんな気配、さっきまでは無かった。たった今発生したんだ。場所は近いはず……)


「――っ!?」


 身体がびくりと跳ねる。だって、そのほの暗い気配は、俺達のいるすぐ近くから漂ってきていたからだ。俺は白雪の手を取って走り出す。


「こっちだ! 近いぞ!」


「あ、待って! あんた、こんな日中の病院でやるつもりなの!? せめてひと気の無い夜を待ってから――」


「んなこと言ってる場合か! 変身なら、どっかの病室に隠れてすればいいだろ!」


 変身するのが恥ずかしいのかどこか躊躇う白雪の提案を一蹴し、俺はミタマのいる病室の扉を開けた。

 その部屋は――『白雪悠香』の病室だ。


「ここはっ……!?」


「うそ……お姉ちゃん!?」


 驚きに固まる白雪を横目に、扉を開けてすぐに施錠する。そこには、白雪のお姉さんのベッドの下でもやもやと蠢く黒いミタマが発生していた。生まれたばかりでまだ形がはっきりとはしていないが、この重たい質量の気配。おそらく人から生まれたミタマで間違いない。だが、駆けつけたのが早かったおかげで幸いにもお姉さんは無傷だった。


「はぁ、よかった……無事ね……」


「けど、そうも言ってらんねーだろ? 白雪! 今のうちに変身を!」


「う……」


 なんでここにミタマがいるかはわからないが、外に逃げられる前にここで仕留めないとマズイ。いくら変身すると霧が発生して俺達とミタマの姿が見えづらくなるとはいえ流れ弾の関係もある。人のいる病院で戦闘をするわけにはいかなかった。そう思って白雪を急かしたのだが、白雪は一向に変身する気配がない。


「どうした、白雪?」


「だって、お姉ちゃんの前で『あんな恰好』になるなんて……!」


「恥ずかしがってる場合かよ! お姉さんなら寝てるだろ!?」


「でも……!」


「あーもー! わかったよ! 俺が先にすればいいんだろ!?」


 うんざりした表情のまま、周囲に人がいないか確認する。


(お姉さん以外に人はいない。扉の施錠もオッケー……よし!)


 変身した後なら妙な霧が発生して俺達の姿もミタマの姿も見えなくなるのだが、変身するときだけは注意しなちゃならない。だって、変身の呪文を唱えている間は俺達は只の高校生だから。そんな姿、できれば誰にも見られたくないだろ?


 ポケットから取り出した青いサイリウムを握りしめる。これを握らなければ、いくら叫んでも変身することはできない、魔法のアイテムってやつだ。

 仕組みはわからないが、ちいさなおっさんはこれを国宝級の代物と言っていた。俺には只のサイリウムにしか見えないが。俺は息を吸い込み、朝の発声練習の成果を遺憾なく発揮した。


「まじかる! みらくる! めるくるりん!」


 俺の身体はどこからか現れた『水』に包まれ、みるみるうちに『亀』になった。『ウミガメ』だ。サイズ的には、水族館で売ってるちょっと小ぶりなぬいぐるみ。我ながらなんとも心許ない。ただ、呪文の詠唱については発声練習のおかげか恥ずかしさとかは失せていた。変身完了と同時に、辺りが濃い霧に包まれる。


「お前も早くしろって」


『亀』の姿で宙にぷかぷかと浮いたまま、白雪を急かす。


「わ、わかったわよ…………………………りん」


「あ? なんか言ったか?」


 声の方に目を向けると、これまたどこからか現れた『水』に包まれ、白雪がみるみるうちに『スノードロップ』へと変身していくところだった。


(おおお……! いつ見ても――)


 ――キワドイ!


 『水』は白雪の身体を薄くベールのように覆うと、謎の光で制服の上からそのボディラインを透過し、魔法少女の衣装を纏わせていく。

 爪先からキラキラと、白くて滑らかそうな太腿を露わにし、尻から肩までを撫でるように『波』が覆っていく。その『波』が引いていくと同時に大きく開いた背中が露出して、肌触りの良さそうな肩甲骨が姿をあらわした。

 ちなみに腹から胸元にかけても同様なんだが、そっちは正直目も当てられないような深夜枠な光景だ。白雪がお姉さんの前で躊躇するのも無理はない。

 だって、制服のスカートもブラウスも『波』に攫われるようにサァっと何処かへいなくなり、リボンの代わりに装着されるのは白くてふさっとした毛のついた華奢なチョーカー。

 そんな魔法少女『スノードロップ』の衣装コスチュームは――


「……相変わらずスゴイな。その恰好」


「あんまり見ないでよっ! 恥ずかしいんだから……!」


 顔を真っ赤にしてうつむく白雪。それもそのはず。変身した白雪、もとい『水の魔法少女・スノードロップ』の姿は、一言でいうと『うさぎさん』だった。

 ぴっちりとした白のレオタード……というかバニースーツに、ウサギ耳のカチューシャ。髪色も雪のような真っ白へと変貌し、衣装が食い込み気味な尻には、ご丁寧にちょこんとした尻尾まで生えている。


(あの尻尾、どういう仕組みでくっついてんだ……?)


 目のやり場に困るから、あまり凝視はできない。ほんと、網タイツじゃなくて白のブーツなことだけがせめてもの救いだ。それでも太腿が丸見えなことに変わりはないんだが。


「ちょ……! 今、お尻見たでしょ!?」


 白雪が涙目になりながら、こそこそと食い込みを直している。


「見てねーよ!」


(……見たけど。ついでに太腿も見た)


「っつーか何回目かだから流石に慣れるって。慣れてくると結構可愛いもんだと思えてくるぞ?」


「かわっ!? ~~~~っ!!」


 また顔を真っ赤にする白雪。それ以上赤くなんのかよ。火が出るぞ?

 手に持った身の丈ほどある青い杖を身体の前で抱え込み、もじもじとしている。本人的には大きく開いた胸元とかを隠しているつもりなんだろうが、杖と腕の隙間からは、程よい膨らみのある滑らかな胸の谷間が覗いており、残念ながらまったく効果はない。効果はない――が、俺は優しいので一応フォローする。


「別に『亀』に見られたところでそんな恥ずかしがることないだろ?」


「でもっ……! あんたの中身は万生橋でしょ!?」


(まぁ、そうだけど)


 ばっちり思春期真っただ中で、クラスメイトのあられもないピチピチレオタ魔法少女姿に毎度釘付けな、男子高校生の万生橋幸一郎だ。


(やっぱ、脱ぐとけっこー『ある』んだな。白雪……)


 これ以上は目の毒なので、ミタマの発生している現場に視線を戻す。俺達がうだうだとしている間にベッドの下に収まりきらなくなったミタマが姿をあらわしていた。


『ゴメンネ……ゴメンネ……ユウト……ゴメンネ……』


 少女の姿を形どったソレは、まるで影法師。掠れてくぐもった声で白雪の名を呼んでいる。


「その声……! まさか、お姉ちゃんなの!?」


「おいおい! 嘘だろ!?」


 ミタマの発生源が白雪のお姉さんであることに動揺を隠しきれない。固まったまま動かない白雪からは完全に戦意が失せている。


「そんな! どうしよう……!」


「しっかりしろ白雪! アレはお姉さんの分身でもなんでもない! ただの『負の感情』の塊だ! いつもみたいにカチコチの魔法で凍らせればいいだろ!?」


「けど……! アレがお姉ちゃんから出てくるってことは、お姉ちゃんが『絶望』に苦しんで……!」


「それでもアイツ本体は、ただのもやついた塊だ!」


「うっ……! でも……」


「頭ではわかってても、できねーか……」


 しかし、『できない』と口にした瞬間。白雪の目がカッ!と見開く。


「できなく、ない……! 私に、できないことなんて……!」


 意を決したように白雪が杖を振るうと、周囲の空気が急速に冷え込み、動き出そうとするミタマの身体を包むように氷の粒が纏わりつく。


「――ない!」


「おい、あんま無茶すんな――」


「うるさい! あんたは『亀』でしょ!? 下がってて! いくら声がお姉ちゃんでもこいつはミタマ! それくらい、わかってる!」


 決死の表情で俺を睨み、杖を握る力が強くなる。すると、ミタマを包んでいた氷の粒が一気に凝縮し、あっという間に氷の檻が完成した。これでひとまず安心だ。


「あ、あいかわらずの凄い魔法だな? さすがカチコチの魔法……」


 驚く俺をよそに、氷漬けになったミタマを回収しようと近づいていく白雪。


「はぁ……ミタマ如きにびっくりした私がどうかしてたわ。それに、この魔法はそんな名前じゃない」


「名前あんのか!? 必殺技か!?」


 それは是非とも聞いてみたい!


「違う。けど、なんか頭の中にふわふわ浮かぶのよ、名前が」


「やっぱ必殺技じゃねーか! なんで今まで教えてくれなかったんだ!」


「それは……恥ずかしいからよ……」


 もじもじと髪の毛先を弄る白雪。

 まさかの技名の存在に、俺は興奮を抑えきれない。


「頼む! 叫んでみてくれ! 技名を!」


「 イ ヤ よ 」


「一回でいいから! ほんとちょっと! ちょこっとだけでいいから!」


「う、うるさいわね……」


「どんなウィスパーでもいい! 耳かっぽじって聞くからぁ!」


 『亀』の耳、どこにあるのか知らないけどな。


「あーもう、わかったわよ! 言えばいいんでしょ!? 邪魔! いいから後ろに下がってなさい。一緒に凍らせるわよ!?」


 俺のしつこさに折れたのか、白雪はミタマの前で足を止めると短く息を吸い込んだ。


「ミタマ! よくもお姉ちゃんから出てきてくれたわね!? これでお終いよ!」


 そのあまり聞かない大きな声に、白雪が半ばヤケクソなのが伺える。


「――【氷牢の檻グラース・プリズン】……」


「おおお!」


 杖をバットのように構えたかと思うと大きく振りかぶる!


「――【破壊ブレイク】!!」


 一撃粉砕。相変わらず、繊細な氷の使い手バニーちゃんとは思えない必殺技だ。

 これを食らえばどんなミタマも一発回収……と思いきや。


 ――パリーンッ!!


 白雪が砕いたのは、ミタマを捕えていた檻だった。


「どうした白雪! 空振りなんてらしくな――っ!?」


 ふと見ると、白雪は杖を握りしめたまま僅かに震えていた。けど、震えるのも空振りするのも無理はない。俺達の目に映っているのは、黒い色をした『白雪悠香さん』だったのだから。

 さっきまでゆらめいていた影法師は、形を虚ろな人型から実在する人間そっくりに姿を変えていた。明らかに『異物』だとはわかっていても、こんな肉親に姿を変えられたら攻撃なんてできる訳がない!


『ゴメンネ……ユウト……ユルシテ……ゴメンネ……』


「おい、どうすん――」


 絶句したまま視線を向けるが、今度こそ、完全に白雪の戦意は失せていた。その場にへたり込み、呆然とベッドに眠るお姉さんとミタマが姿を変えたお姉さんを交互に見やる。

 頭で、目で、理解しようとしているのに追いつかない。追いつくわけがない。

 だって、白雪はお姉さんの声を聞く日を、ずっと待っていたんだから。


「あ――お姉ちゃん……」


『ゴメンネ……ユウト……ユルシテ……』


 残酷にも悠香さんの形をしたソレは、許しを乞いながら白雪を手に掛けようと黒い爪を光らせる。やっぱりこいつはただのミタマ。『負の感情の塊』だ。

 ミタマというのは生き物の絶望から生まれる。その絶望は他者を恨み、危害を加え、発生させた本人を『病み』に染めていく。

 魔法のおっさん曰く、その『病み』が解消されないままこの地を彷徨うと、生き物の心は妬みや憎しみでミタマの存在と共に膨れ上がって壊れてしまうらしいのだ。

 だから、俺達はそうなる前にその負の感情の根源であるミタマを退治して、白雪のお姉さんを『病み』から解放しないといけない。


(けど……!)


 今の白雪には、そんなの関係ない。


「わ、私……こんな、イヤ……無理……」


「白雪! 避けろ!!」


『ゴメンネ……?』


 ミタマの魔手が白雪に触れようとした瞬間――


 ――ザシュッ……


 その手が床にぼたり、と落ちた。


「「――っ!?」」


『ギャアアアアア……!』


 スッパリと切断された腕から紫色の血が噴き出す。そして、耳を覆いたくなるようなその悲鳴を小さな呟きが一閃した。


「――バイバイ?」


「えっ?」


 白雪とミタマの間に割って入るように現れたのは――黒いローブの『死神』だったのだ。

 『死神』が手にした銀の大鎌を振りかぶると白雪には見えない角度でミタマの首が落ち、一瞬にして闇に溶けるように霧散する。


(助かった、のか……?)


 呆然と動けないままでいる俺達の横で『死神』はポケットから紫色の宝石の細工が施された鍵のようなものを取り出す。先程斬られたミタマの粒は、その『死神』の鍵に吸い込まれて消えていった。ミタマの消失を確認したのか辺りの霧が晴れていく。


「お前は――病院の、『死神』なのか……?」


「ふふっ……♪」


 俺の問いに応えることなく『死神』は病室の窓を開けるとそこから姿を消した。

 力の抜けた白雪が立ち上がれるようになった頃には、『死神』の気配は完全に察知できない範囲に移動していた。


「あいつ、助けてくれたのか……?」


「何者なの? ローブに隠れて顔は見えなかったけど、あの鍵……」


「「まさか、魔法少女……?」」


 初めて見る俺達以外の魔法少女。その凄まじい斬撃。凄惨なミタマ退治の光景。お姉さんの『ミタマ化』に――初めての退治失敗。

 俺と白雪はその事実に呆然と顔を見合わせる。話すべきことがありすぎて、どこから口にすればいいのかわからない。


「とりあえず助かったみたいでよかった。そういえば、さっき言ってたお願いってなんだったんだ?」


「それは、えっと……本館五階ここにはミタマを絶対に近づけないでって言おうとしたんだけど……」


「お姉さんがいるから、か」


「うん。ちょっと手遅れだったみたい……」


「「…………」」


 普段からは想像もできないような自信のない表情でちょこんと座りこむ白雪に、励ますように声をかける。


「一旦帰ろう。『死神』のことは気になるけど、お姉さんは無事みたいだし。お前、流石にもう限界だろ?」


 変身を解いて手を差し伸べると、白雪は手を伸ばしかけて引っ込めた。そして、むすっとした表情で立ち上がる。


「あんたに心配されなくても、私は平気」


「うわっ。ほんと可愛くねーな、お前……」


「うるさい……」


 結局疲労の為にその日はお開きとなり、俺達は揃ってバスに乗って帰宅した。

 果たして『誰が』お姉さんを『ミタマ化させた』のかなんて、思いもせずに。

 未熟なマスコットの俺はそのとき、病室の一角に潜んだ『絶望』の気配には、気づくことが出来なかったから。



 『絶望』は、人知れずこう呟いた。


 ――『ええ、こちらハーメルン。水の魔法少女の戦闘データを確認。聞くところ、病気の姉を想って魔法少女になったとか……ふふふっ。実に絶望させがいのある、見所のある子ですねぇ? 我々の傘下に加える候補に挙げておきましょうか? え? 言うことを聞きそうなのかって?』


ふふふっ……! あははは……!


 ――『だぁって、いかにも【病ミ堕チやみおち】しそうでしょう? まぁ、彼女がダメでも今はリーチな子がいます。少々、そちらを優先してみましょうか……?』


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