絶対に想いが届く幼馴染百合

 早朝、目を覚ました私は、外にランニングへと出かける。

 元々運動なんてしなかったけれど、幼馴染兼片想い中の人に最近太った? なんて言われてしまったから仕方なく早朝ランニングを始めることにした。

 して今日はその四日目、なんとか三日坊主にはならないですみそうな気がしてきた。

 向かいから走ってくる犬ではなく、猫を散歩させている変なお婆さんに挨拶をする。

 お婆さんが連れていた猫は、黒猫だった。私、黒猫は結構好きだ。あんまり縁起がいい色の猫ではないけれど、そういう忌み嫌われる生き物ってなんとなくではあるけれど、昔から好きだった。

 ふと空を見上げるとカラスが一匹気持ちよさそうに、誰にも邪魔をされずに自由に飛んでいる。

 今日の天気は、快晴だった。

 ランニングを終え、玄関のポストからお父さんが読む新聞を手に取る。

 いつもならそれで終わるのだけれど、今日は違った。

 新聞ともう一つ、封筒が入っていた。

 送り主の名前はおろか宛名も書いておらず、不審がりながらも興味本位で封筒を開けようとしたその時、家の中からお父さんの声が聞こえてきた。

「新聞はー?」

 お父さんが、お母さんに尋ねる声だった。

 その声を聴いて私は、開けようとしていた封筒をとりあえず服のポケットにしまって家の中に入る。

 入りながらお父さんに声をかけ、新聞を手渡した。

「はい」

「ありがとう、ランニングは続いてるのか?」

 お父さんは、新聞をパラパラと捲りながら、私に問いかけてくる。

 別段お父さんが嫌いとかそういうわけではないけれど、私もそういう年頃なので、少し反発してしまう。

「普通」

 会話が成り立っているのかはなはだ疑問な返答ではあったけれど、お父さんは「そうか」と言うだけだった。

 朝ごはんを素早く食べ終えた私は、制服などの学校へ行く準備を諸々するために自室へと向かう。

 リビングから数歩の階段を登り、二つある部屋の向かいの方の部屋に入る。

 とドアを開けると同時に、ポケットから先ほどポストで見つけた封筒が、木の葉が舞い落ちるように、ひらーっと中空を舞った。

 廊下に落ちた封筒を手に取り、もう一度宛名がないかを確認するが、やはり宛名も送り主の名前をなかった。

「どうしよ」

 ひとりでに呟いてからまぁいっかと、封筒の封を開く。

 もしこれが父か母宛の物だったとしても、怒られはしないだろう。

 自室のドアを閉め、ベッドに腰を下ろしながら封を開ける。

 中からは、数枚の便箋と何やら短く文字が書かれた物が入っていた。

 便箋をパラパラと見てみても何も一文字も書かれてはおらず、新品のようだった。

 首を傾げながら私は、もう一つの紙に目を向ける。

 その紙には短く、こう書かれていた。

『絶対に想いが届く手紙』

 その文字を見て、さらに首を傾げてしまう。

 一応もう一度他の紙にも目を通すが、やはりその一文以外には何も書かれていない。

「なにこれ?」

 近所の子供の悪戯か何かだろうか、にしても意味のわからない悪戯ではあるけれど。

 そもそも今の現代社会で、手紙というのも古臭い、例え手紙を使ってのやりとりだったとしても、届かないなんてことはそうそうというか、全くないという気がしてしまう。

 その時点で、絶対に想いが届く手紙は存在している。

 本当になんなのだろうか、この便箋は──。

 と考えを巡らせているといつのまにか、時間が経っていたようで、階下からお母さんの声が聞こえてきた。

夕子ゆうこー、そろそろ行かないと彩海あやみちゃん待たしちゃうんじゃないのー?」

 お母さんに言われて時計に目を向けると、用意を始めなければいけない時間になっていた。

「分かってるー」

 お母さんには今気づいたことはナイショにして、ハンガーに掛けてある制服に手を伸ばす。

 便箋は──とりあえず仕舞っておこう。

 特に理由はない。

 なんとなくだ。

 便箋が入っていた封筒ごと汚い机の中に仕舞い、用意を始めた。

 

 用意を終えた私は「行ってきます」と母親に言ってから家を出た。

 家から出て数十分歩いた場所にある、分かれ道のその前にある電柱が私と彩海の小学生の頃から変わらない待ち合わせ場所だった。

 彩海とは小学生の時にたまたま席が隣になったことで出会った。

 まぁ幼馴染みたいなものだ。

 最初の頃から何故か意気投合してしまった私たちは、出会ったその日にお泊まりをしたりもした。

 それからクラスが互いに変わることはなく、中学生になり、今は高校生になった。

 高校生になった今も昔と何も変わることはなく、とても仲良しだ。

 客観視すると多少行き過ぎている部分もあるかもしれないけれど、まぁそこは気にしないことにする。

 私と彩海が良ければそれでいいのだ。

「あ、おはようー」

 橋を渡り電柱の前に到着した私に、眠そうに欠伸をしながら彩海が挨拶をしてくる。

 彩海は、ブレザーの制服をこれでもかと綺麗に着こなしていて、二つ結びにした黒色の髪を前側に持ってきている。

 そんな彩海に私は、挨拶をすると同時に、ムギューっとハグをする。

「おはようー彩海〜、会いたかったよぉー、この土日彩海にハグできなかったから、私死にそうで、本当大変だった!」

「うぐっ。ああもう。たった二日だしもっと言えば、わたしが旅行に行くまでのギリギリまで一緒にいたんだから、そこまでなる必要はないと思うけど?」

 彩海は、私の頭を撫でながら頬を赤らめ照れ隠しをする。

 そんな乙女みたいに可愛い彩海に、私は掛けている眼鏡から目が少しだけはみ出すように上目遣いをする。

 彩海の方が少しだけ背が大きいので、自然と上目遣いにはなる。

「彩海は、私に会えなくて寂しくなかったの?」

 この問いに彩海はさらに頬を紅潮させる。

 して頬をポリポリと掻きながら小さな声でボソッと言う。

「寂しかった」

 今すぐにでも、ウワー! っとなってしまう思いをなんとか抑えて、少し意地悪をする。

「え? 聞こえなかった」

 嘘だ。もちろん聞こえている。けれど私がこの反応をしたら彩海がどういう反応をするのかが、気になってしまったのだ。

 気になったのなら仕方がない。

「もう、絶対聞こえてるでしょ」

 少しむすっとしてから彩海は、私の目を見て言った。

「わたしも夕子に会えなくて寂しかった⋯⋯そう言ったの」

 可愛すぎて言葉が出なかった。

 世界中で一番可愛いこの生き物の言葉に私は、声を出すことができなかった。

「ああもう、何その何も考えてないような空虚な目は──ほらそろそろ歩き出さないと遅刻しちゃうよ」

 言って私の手を引っ張る彩海に私は、微笑んだ。

「ねぇ⋯⋯彩海はしてくれないの? ⋯⋯ハグ」

 言うと彩海は、前に向けていた目を後ろの私へと向けて、一度小さなため息のようなものを吐いた。

「しょうがないなぁ。夕子はホントに甘えん坊だね」

 彩海が、私をそっと優しく抱きしめる。

 その温もりは、私にはなくてはならないもので、もしお姉ちゃんがいたらこんな感じなのかもなと思わせる温もりだった。

 その時間は数十秒にも満たないけれど、私にとっては大切な、なくしてはならない時間。

 そしてそれと同時に、毎回彩海に抱きしめられるその度に再確認をするのだ。

 私は、彩海が好きなのだなと。

「彩海私ね──」

 私がその後に続く言葉を彩海に伝えることは、ないだろう。

 言ってしまえば楽になるのかもしれない。

 言ってしまえば幸せになれるのかもしれない。

 言ってしまえば──私の気持ちに彩海は、答えてくれるのだろうか。

 もしも答えてくれたその時、私がどんな表情をしているのか想像もできないけれど、一つ確かなことは、例え彩海の答えがどんなものであろうと、その答えを訊かなければ、この関係は壊れないということだ。

 私は今の関係を壊したくない。

 毎朝、まるで姉妹のように過ごすこの時間を壊したくない。

 だから私は、笑顔で言うのだ。

「行こっか」

 今度は、私が彩海の手を引っ張っていく。

 優しく手招きするように、彩海のペースに合わせて足を進める。

 これでいいのだ。

 これで、私はとっても幸せだ。

 

 

 中学生の頃、私は自分が他人とは違うということに気がつき始めた。

 それに気づいたのは彩海と下校している時だった。

 冬になったのもあってか寒風が私の頬を伝い、太陽が隠れるのが早くなっているそんな時期。

 いつもどおり私は、彩海の手を握って下校していると何故だか突然、胸が鼓動を早めていく。

 それは本当に何も前触れもなく、突然の出来事だった。

 ドクドクドク、と段々早くなる鼓動の正体に気づいたのはその数秒後、彩海を見てだった。

 その頃の彩海は、髪を今とは違いストレートにおろしていた。

 その彩海が、こちらに何も言うではなくただただ顔を向ける。

 そしてその顔を見てさらに鼓動が早くなる。

「どうしたの?」

 彩海が首を傾げた。

 そんなに私は、変な表情をしているのだろうか。彩海が何か思うぐらいにはおかしな表情なのだろうか。

 して彩海は、ふふと笑った。

「なんか今の夕子、漫画とかにある好きな人を前にしたヒロインみたいな顔だね」

 その瞬間──私の鼓動を早めるものの正体が何なのか、分かってしまった。

 私は、彩海に恋をしたのだ。

 今まで姉妹同然に育ってきた相手に、私は恋愛感情を抱いたのだ。

 よくフィクションの中では、好きって気持ちがわからないというのは度々登場するけれど、意外と分かってしまった。

 だって好きって感情は他に似た感情が存在しないたった一つの、孤高の感情だったから。

 おのれフィクション、恨むフィクション。

 だけど、フィクション通りの部分もあった。

 好きって気持ちが伝えられないのだ。

 なんと言ったらいいかわからない。

 なんと言ったら気持ちが伝わるのかがわからない。

 なんと言ったら──。

 そんな考えを巡らせているうちに、その日は別れることになった。

 好きという気持ちがわかってもそれを伝えらないのならば、意味がない。

 どうすればいいのか分からず、私は相談をすることにした。

 幸い私には、彩海以外にも友達はいる。

 その子たちに訊いてみれば多少なりとも、ヒントが貰えるかもしれない。

 そんな考えを持ちながら私は、学校で相談をした。

 ただその相談は上手くいくことはなく、逆に私が普通とは違う、異常な人なのだというのを自覚することになってしまった。

 友人たちに訊いた。

 好きってどう伝えればいいのかな?

 友人たちは、大層楽しそうに私を囃し立てる。

 なになに夕子好きな人できたの? マジ? 誰々? もしかして──。

 そこで名前を出されたのは、男子生徒のみだった。

 女子の名前は、彩海を含めて一人として出ることはなかった。

 その時私は気づいた。

 同性を好きになるっていう考えは、そもそも出てこない。出てくるのは、普通じゃない。おかしなことなのだ。

 私は、普通じゃない。

 その日から私は、学校に行けなくなった。

 おかしな私に居場所なんてあるわけがない──そう思い込んでいた。

 クラスの誰一人気になんてしていなかったのに。

 そもそも私の気持ちに気づいていた人なんて、いなかっただろう。

 なのに私は、自分を痛めつけた。

 おかしな自分を──普通じゃない私──。

 そんなある日、私は彩海に相談をした。

 耐えきれなくなっていた。

 誰かに相談しなければ、このまま壊れてしまう──そんな時に彩海は笑顔で相談に乗ってくれた。

「私⋯⋯女の子が好きなんだ」

「そっか、それは友達としてとかじゃなく、恋人にしたいとかそういう好き?」

「うん⋯⋯私の好きはそういう好き」

「そう、それを気に病んで学校に来なくなったのか⋯⋯別に気にすることじゃなくない? 誰が誰を好きだろうとそれは自由だよ。例え同性を好きになろうとそれはその人の自由で、その人が気に病んだりしたりする必要はない。だって好きになった気持ちは誰にも止められない──仕方のないことだしね」

 言って彩海は、私を抱きしめてくれた。

 私はその場で言ったやろうかとも迷いはした。

 私が好きなのは──。

 けれど言うのはやめた。

 今はただ、この時間を大切にしよう。

 そう心に決めて、私は彩海の胸の中で涙を垂らしたのだった。

 

 

 そんなことがあった数年後の下校の道。

 隣では彩海がコンビニで買った抹茶のアイスを美味しそうに、食べている。

 私が彩海を見ていると彩海は何か勘違いをしたのか、今朝と同じようなため息を一度吐いてから、抹茶のアイスを木のスプーンで掬うと言った。

「しょうがないなー、はい、あーん」

 してアイスが乗ったスプーンを私の口元に近づけてくる。

 別に私はアイスを見ていたわけではないのだけれど、アイスじゃなくて彩海を見てたの! なんて言えるわけもなく、少し照れながら口を開けた。

 少しして口の中に抹茶の苦味が入ってきた。

「うん、美味しい」

 照れ隠しの意味も込めて、即座に味の感想を伝える。

「うんうん、美味いだろう」

 何故か得意気な彩海を見ていると、彩海はアイスを私から遠ざけるような仕草をとった。

「もうあげないよ、食べたいなら自分で買ってね」

 その可愛らしい言動に私の頬は思わず緩んだ。

「ふふ、なんか何にも変わらないね私たち」

「そう? だいぶ変わったと思うけど、主にスタイルは差が出てるね」

 彩海は自分の胸を高らかに自慢する。

 その胸を見てから、自分の物に目線を落として気分まで落ちるのがワンセット。

 これも最近できたお決まりだ。

 アイスのなんかは出会った頃からのお決まり。

 こうやって、二人だけのルールというかなんかお決まりなことを増やしていければ、それだけで楽しいだろうな。

 別に気持ちなんて言えなくたってそれで──。

 

「夕子!」

 

 その時、彩海が声を荒げると同時に私の手を引いた。優しくはなく、勢い任せに引っ張られた私は、地面に倒れてしまう。

 倒れた私を待っていたのは、目前を通り過ぎる一台の車──それとその車に轢かれてしまう彩海の姿だった。

 信号は青、私たちは何も悪くない。

 車は、どこかに走り去っていった。

 私は倒れている彩海に近づいていく。

「彩海? ねぇ彩海?」

 いくら呼びかけても彩海からの返事はなく、その場は静寂に包まれていく。

 しばらくするとサイレンが鳴り始めた。

 そして今まで私が触れていた彩海を誰かが、連れて行く。

 知らない誰かが私と彩海を引き剥がす。

「⋯⋯ねぇやめてよ、彩海を私から持っていかないでよ。お願いだから、彩海を返してよ!」

 暴れる私を誰かが止める。

 どれだけ私が騒いでも、どれだけ私が暴れても、彩海が帰ってくることはなく、誰にも私の声は──気持ちは伝わらない。

 彩海を好きという私の気持ちは一生──届かないものになった。

 

 

 それから数ヶ月後──私は、学校に行かなくなった。

 正しくは、行けなくなった。

 彩海の命がなくなり、帰らぬ人となった。

 その一つの事実だけで、私は壊れてしまった。

 

 そんなある日、部屋を掃除していたお母さんが、尋ねてくる。

「この便箋はどうする?」

 どうやら今はぐちゃぐちゃに仕舞ってある、机の中を掃除しているようだ。

 便箋? 

 そんな物貰った覚えがなかったので、一応確認のためにお母さんから受け取る。

 何も書いていない便箋。

 それを見た瞬間──あの一文を思い出した。

『絶対に想いが届く手紙』

 思い出したその瞬間──私は、便箋へと文字を綴っていた。

 なんでもいい、これがどんな物でもいい。数パーセントでも可能性があるのなら──彩海に気持ちを伝えられる可能性があるのなら、私はなんだってする。

 これはエゴかもしれない。

 ただ気持ちを伝えられていなくて気持ちが悪いからという、自分勝手な行動かもしれない。

 けれど、伝えたいんだ。

 好きって。

 彩海のことを好きだって──私は伝えたい。

 だから私は、便箋に文字を綴る。

 手紙の礼儀作法なんて知ったこっちゃない。

 私の気持ちを正直に、書き綴った。

 黒歴史になるかもしれないほどに、甘い文章も交えながら私は、最後に──。

『ずっと、これからもずっとずっと大好きです』

 そう締めくくった便箋を、元入っていた封筒に入れ、私は眠りについた。

 気持ちを伝えるのがこんなに体力を使うものなんて、想像もしていなかった。

 手紙は明日、朝一番に出しに行こう。

 すぐにでも彩海の元に届くように──。

 

 

 翌朝、目を覚ますと、私の机の上には、昨夜まであった封筒とは別の封筒が置かれていた。

 すぐさま起き上がり、急いで封筒の封を開ける。

 中には私が書いた便箋とは別の便箋が入っていて──その便箋にはびっしりと彩海の字が詰まっていた。

 彩海の手紙も礼儀作法なんてものは、無視してある自由な手紙だった。

 私は目が滲むのをなんとか堪えながら、手紙の文字を一言一句逃すことなく読んでいく。

 これが本当に彩海の最後の言葉なのだろう──そう理解しながら、読み進め最後の一枚には、私の気持ちに対する答えが書かれていた。

『もう最後の一枚だ。本当はもっと書きたいこといっぱいあるんだけど、我慢して、ラブレターの返事を書きます。言っちゃうとね、わたし気づいてたよ? あの日夕子が相談してくれたあの時にね。気づかないわけがないよ、気づかないのなんてフィクションの中の人たちぐらいなんじゃないかな? そう思っちゃうほどにはわかりやすかったけどね。いつ言ってくれるのかなぁって夕子と一緒にいる度ドキドキしてたんだよ? なのに夕子全然言ってくれないし、ホント度胸なし! まぁでも今この手紙で言ってくれたから、特別に優しいわたしが許してあげる。感謝してね。感謝した? そっかじゃあ、許すと同時に言うね。わたしも夕子のこと大好きだったよ。もちろん、恋人にしたいとかの好きだから。あーもう書くスペースがないや、じゃあ最後に一つ。

 学校にはちゃんと行きなよ? これを機会に休んじゃえなんてわたし絶対許さないからね。

 じゃあね。夕子』

 

 うん──バイバイ彩海。

 

 目に否応なく浮かんでくる涙を拭い取り、私は部屋を出た。

 今日の天気は快晴だった。

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