図書室書庫のプチトリップ
丘村ナオ
第1話
高校生の頃、部活と並行してはまっていたのが図書室通いだった。目的は文庫本やハードカバーではなく新聞縮刷版。自分が生まれるちょっと前、昭和30年代のことを知りたくて仕方がなかった。
昔から「高度経済成長期」が大好き。テレビの懐かし番組はたくさん見た。繰り返し見ていると当時の流行り物については知識がたまってくる。でも日常が分からない。とにかく昇り調子、とにかく好景気、いつも新しい製品と広告が出てくる時代にもっと深く触れたい。世の中に新聞縮刷版というものがあり、何十年も前の編集されていない「生」を手軽に読めると知って「いつかは思い切り読んでやろう」と狙っていた。
司書の先生にお願いして図書室の書庫に入れてもらうと古臭い紙の匂いが充満している。良い土曜の昼下がりとなると、ちょうど窓から暖かい陽の光が差し込んで空気がまったりとしている。人はほとんど来ないので先生から許可をもらったら閉まるまで時間を使い放題、読み放題だ。入口そばの古びた木の机にカバンを置くと気合いを入れた。
表の書架には並べられない古い本、希少価値のある大事な本も並んでいる。それらをズンズンと通り過ぎて目当ての『朝日新聞縮刷版』の棚へ直行する。1カ月分の記事が電話帳2冊分くらいの厚みで綴じられていて持ち上げると立派な武器だ。
この棚があると知ってから「絶対ここから読もう」と決めていたのが昭和38年11月だった。この月で必ず取り沙汰されるのが「ケネディ大統領暗殺」。国内ニュースでよく出てくるのが同日に起きた「三井三池炭鉱爆発事故」と「東海道線列車多重衝突事故」。
自分が概要を知っているニュースについて、どんな言葉で、どんな緊迫感で、その時の人々に伝えられたのかを読んでみたかった。元々の紙面も今の新聞よりかなり小さな字でぎっしりと記事が書かれている。それが電話帳サイズまで縮刷されているので集中しないと読めない。
第一報の見出しを見て、少し息をつく。
自分はこの後がどうなったのか歴史上の出来事として知っている。でも当時の朝にこの紙面を開いた人は次の日を知らない。例えば11月26日付の紙面を読んでいる人は27日付に何が書かれるのかを知らない。その気分を味わうためにひと息ついて、自分の中の昭和38年11月27日以降を消してみる。全然知らない時代なのに、ほんの少しだけ溶け込んだような気になる。
読み物としてどんどん読めてしまう記事はその文と事実を味わう。
文章には当時の記者の見方や偏見が混じっている。こう見せたら読者が喜ぶだろうというツボも違う。マナーや気遣いの方法も違う。言葉の流行り、取材対象者の扱い方や突き放し方にも「その時代の常識」が詰まっている。1文で何度も美味しい。
当時の記事下広告の彩りも欠かせない。
こんなカラーテレビが出た! こんなお酒が出た! 今度の懸賞はシールを送るとこんなものがもらえる! 人の興味を惹くために全力で組まれている上に今よりも規定が緩いので、物欲の真ん中に容赦なく刺さってくる。広告の品はもう買えないし、今は何十倍も高品質なものに囲まれているはずなのに「これが欲しい」と思ってしまう。思ってしまってから「よしっ」と心の中でガッツポーズをする。当時の人と同じ気持ちになれた瞬間だからだ。
めくるとページの一辺がくっついていて、パリパリと音を立てて剥がれるときがある。本として裁断された後まだ誰も開いていなかったに違いない。縮刷版が印刷されたのはその当時のはずなので、このページも急に未来の空気を吸ってびっくりしてるだろうなと思う。
調べものが目的ではないので、しみじみしているとすぐ時間が経つ。最初は興味ある記事だけ手繰っていたのがそのうち毎月1日の1ページ目から読み込むようになった。
たぶん昭和30年代のほとんどは一度めくってみたし、40年代や50年代にも手を出した。逆に昭和20年代に遡ると規制が緩い時代のせいか怪しさ満点の薬の広告だらけでクラクラした。でも当時の人はこれらの情報を吟味して薬を選んでいたのだ。
今は名作といわれる映画が「本日封切!」の広告で出ているのもワクワクする。
時代によって考え方や書き方も変わっていく。駅前でたむろしていた人が一斉検挙されると「街のダニ一掃」と書かれていたし、一度警察に捕まれば犯人扱いでおどろおどろしい背景と顔写真が組まれてしまう。名前は当然呼び捨てで「容疑者」の呼称もつかない。
求人広告に載っている「給与」は数千円だったのが数万円になり、20万円近くまで上がっていく。男女の差がかっちり決められているのも当然だった。
新聞縮刷版は一番速くその時代に飛べて一番速く現代に戻ってこられる、便利な乗り物のようだ。今でも図書館に行くと縮刷版の場所が気になって、時間があればぺらぺらめくって帰ってくる。
図書室書庫のプチトリップ 丘村ナオ @naiyang
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