充電切れのテレポーター
深夜十二時半、真夜中の地下鉄。
迫り来る電車のライトに照らされる人影が、一本道を疾走していました。
「ふっざけんなよおおぉぉぉ!」
「はっはっは、頑張りたまえ助手くん」
女性を抱えながら走る男。狂気的な光景です。
その異常な足の速さは、しかし、電車との距離を引き離すことはできません。
「不死身だからってこき使いやがって! 後で覚えてろよ!」
「後に生きていれば、の話だがね」
「あぁぁぁぁムカつくうぅぅ!!」
薄茶色の髪をたなびかせながら、白いネグリジェ姿の彼女が笑います。
そんな彼女に憤りを感じながら、赤黒い髪の男は線路を駆けるのでした。
遡ること十分前。
「助手くん助手くん」
クリっとした黄土色の瞳、その下にクマを浮かべた女性が、一人の男を起こします。
「……ぁあー?」
「助手くん、起きたまえ。新たな魔法が完成したよ」
「今何時だと思ってるんだよ、ふわぁ」
文句は言いつつも、床から起き上がる男……もとい助手。
前開きの青いパーカーに黒いシャツ、下は紺色のジーパンを茶色いベルトで留めています。とても就寝用の服装とは思えません。
「魔女は不眠不休なのだよ」
「隈できてるぞ」
「後で二日分まとめて寝るからいいのさ」
「それ、ダメ人間の発言だぞ」
「君は文句が多いねぇ」
「で?」
「ああそうだ、完成したよ。私の、一年間の成果がね」
魔女は机から分厚い本を取ると、慣れた手つきでパラパラと頁をめくります。
「ほら、これを見たまえ」
「ミミズ文字を見せられてもな」
「テレポートさ。これがあれば、電車に乗り遅れても安心! 電車の中に直接行けるよ」
「いや目的地に飛べよ」
「そんなに長距離移動したら、私の魔力が枯渇するじゃないか。もっと考えて発言したまえ?」
「煽りやがるな……」
白いネグリジェに身を包んだ彼女……魔女が、楽しそうに笑います。しかし目だけは、まるで固まっているかのように開いたままです。
「で、折角だからテストしたいと?」
「その通り! ついでに、複数人でもこの魔法が使えるか確かめてみたいのさ」
「そこで俺か」
「この実験が上手くいけば、君の願いが叶う……だけでなく、私の生活はもっと豊かに」
「で、何すればいいんだ」
「私に触れてくれたまえ」
差し出された白く細い腕を、助手はノータイムでしっかり掴みます。
「……君、風情がないねぇ。普通の男なら、私みたいな美少女の手を掴むなんて」
「長話は年寄りの証だぞ」
「全くつまらないな君は。せめてこう、お姫様抱っこするくらいのサービス精神を」
「おら、これで満足か?」
助手は魔女の手を引くと、ヒョイと抱き上げます。無を映す魔女の瞳が、ほんの少しだけ、一ミリに満たないくらい、大きく開きました。
「……ま、いいさ。君にその気が無いことは知っている」
「何の話だ」
「今からテストを開始するって話さ」
助手が顔を向けた時、既に魔女の表情は戻っていました。気づくことができないくらい、小さな変化でしたが。
「それじゃあ始めるよ。場所は……ここから近い駅のホームでいいか」
「さっさとしてくれ。眠い」
「では要望に応えて、一、二の……さ」
魔女が言いきる前に、二人の姿がふっと消えます。
そして部屋には、さっきまでいた人間の気配だけが取り残されました。
さて、地下某所。
「んっ!」
「うわ暗」
二人は見覚えの無い、真っ暗な通路にいました。
「ここ何処だ? 駅のホームではないだろ」
「ふむ、二人同時にテレポートを使ったせいで座標がズレてしまったらしい」
「あー、スマホ取ってくれ。俺の右ポケット」
助手に言われ、魔女が抱かれながらポケットを探ります。
「それに、帰れる程度には魔力を温存したはずだが……負荷が大きいな。もう身体がヘトヘト」
「二人でテレポートしたからだろ」
「なるほど、色々と大きな誤算……君のスマホはこれかい?」
「ああ、それで地図を開いて」
アプリを開くと、白い光が二人を照らします。目を反らす魔女に構わず、助手が画面を覗き込みました。
「うわ、どこだよ」
「どうやら地下の線路上に出てしまったようだね。ほら、近くに駅がある」
魔女がトントンと画面を打ちます。地図によると、二キロほど先に駅があるようです。
「なんか足場が悪いと思ったら、なるほど線路か」
「悪いけど、徒歩で帰ることになりそうだ。ところで助手君」
助手の身体をよじ登るように、魔女が後ろを覗き込みました。
その方向から、微かな光が迫ってきます。
「どうした?」
「確か助手君は、運動が得意だったね」
「お前を持ち上げれるくらいにはな」
__ガタン、ガタン、と。反響音が迫ってきます。
今いる線路は、今どき珍しい一方通行。左右に隙間はありません。
「……おい、この音ってまさか」
「さあ助手君、マラソンの時間だ!」
「冗談じゃねえぞおいぃ!」
轟音を上げ、鉄の塊が姿を現します。スマホの光なんて比にならない光を浴びて、助手は走り出しました。
「電車から逃げれるわけないだろぉ!」
「はっはっは、何とかしてくれたまえ!」
そして現在に至ります。
「ふむ、数十秒経っても追い付かれてない。流石は元__」
「だああ! 話は後にしろ! ってか何で止まらねえんだよ電車は!」
助手との距離が一メートルまで縮まっても、電車が止まる気配はありません。
「最近は自動運転が主流だからね」
「安全装置くらい付けろぉ!」
付けたところで、いきなり通路に出現する人には対応できないでしょう。
そんな無駄話をしているうちに、前からも光が差し込んできました。
「ホームだ! 助手くん!」
「うおおぉ間に合ええぇぇ!」
どうやら助手がいた通路は、トンネル状になっていたようです。
そこを抜けると共に、二人の視界は一気に広がりました。
「うおらああぁぁぁ!」
右側の線路に向かって、大きくジャンプする助手。そして、しばらくの浮遊感を得た後__
「ギャッ」
魔女が悲鳴と共に放り出され、ゴロゴロと線路上を転がります。
頭から流れる血も気にせず、魔女は起き上がりました。
「助手く」
バチン、ガガ、ギャリギャリギャリ。形容しがたい、何かを轢き潰すような音がホームに響きます。
返り血で真っ赤に染まった魔女。電車の進行方向へ顔を向けると、一つの『モノ』が目に留まりました。
「……助手くん」
それは、下半身と泣き別れした助手でした。
助手は自分が間に合わないことを知って、魔女を反対へ投げたのです。
『__○○線、終電。終電です。本日は○○駅をご利用いただき__』
「ふむ。終電と共に命を散らすとは、粋だねぇ」
無残な姿になった助手の前で、魔女は物憂げな笑みを浮かべるのでした。
「いや死んでねえよ!」
突如、ツッコミが響きます。
「おや、死んでなかったか」
「俺だって死にたかったんだけどな」
上半身だけになった助手が、ムクリと腕で起き上がります。ゾンビ映画のような光景に、しかし、魔女は少しも驚きません。
「そもそもな、粋って何だ。何も風流じゃねえぞ」
「ほら、"終"電と命の"終わり"が掛かっていて」
「だから死ねねえんだって」
ズグズグと不気味な音を立て、助手の断面から肉が沸き上がります。
「とにかく勘弁してくれよ。実際死ぬほど痛えんだから」
「私がそうなっても良かったんだけどね」
「それだと俺が困る」
あっという間に、助手の身体は元通りになりました。電車の血も吹き飛んだ下半身も、まるで初めから無関係な肉体だったように。
不死身の助手と有限の魔女。
死ねないことに悩む彼と、研究熱心な彼女。
彼は不死身殺しの魔法を研究してもらい、彼女は体の良い被検体を得る。
変なところで、二人の利害は一致したのです。
二人の時間はこれからも続きます。
「で、今の魔法が何に使えるんだよ」
「*いしのなかにいる* とかどうだろう?」
「ただ窒息するだけで死ねねえ気がするな……」
まるでこれが日常のよう。
いえ、きっと日常なのです。
「轢いても燃やしても埋めても死ねないなら、次は、うーむ」
「冷やしたりとか」
「コールドスリープってことかい?」
「ほら、固まったところを砕いてだな__」
複雑化ながらも単純な二人の関係は、これからも続くのでした。
「というか俺ら、改札を通れなくないか? 乗車データ無いぞ」
「おや確かに」
平凡すぎるアクシデントと共に。
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