人それぞれの価値
「な~らんだ~、な~らんだ~」
機嫌よく歌いながら、私は小瓶を手に取る。透明なガラスの中に入った宝物達は赤、白、黄色と、綺麗な色を私に見せびらかしてくる。
いつ見ても美しい。私はかんたんの溜め息を漏らし__
「今日もご機嫌っすね。正直、端から見ると気持ち悪いっす」
目の前に集中し過ぎてて、まったく気配に気づけなかった。座ってたソファーから振り向くと、高校生くらいの青年が苦笑いで私の小瓶を覗き込んでいる。
「失礼ね、美しいものに見とれていて何が悪いのよ」
「でも姉御さん、気をつけてくださいよ。それ光に弱いので。あまり外に出しすぎると変色したりしますから」
「分かってるわよ」
そう。本当はこの小瓶を家に持ち帰り、気が済むまでじっくりねっとり眺めていたい。その気持ちをぐっと押し込んで、この暗い部屋のなかで観賞しているのだ。例えそれによって変質者に見間違われたとしても、私にとっては些細な問題である。
ふと、私は自分の胸元に視線を向ける。首から下げられたネックレスがチャリンと揺れた。
「そのネックレス、いつも着けてるっすね。えっと、確か名前は……」
「タイガーアイ。私、この石がとっても好きだったの」
十八年ほど前、中学生だった私はこのタイガーアイに一目惚れした。両親に必死に頼み込んで、借金してまで購入した。それから毎日、このネックレスを見て惚れ惚れしなかった日はない。
「そういえば姉御さん、新聞読んだっすか? なんか話題になってますよ、殺人事件がどうのって」「見せて」
青年から受け取った新聞の見出しには、『アメリカで惨殺死体発見 被疑者いまだ見つからず』という文章。どうやら一ヶ月前の話らしく、すでに被疑者はアメリカから出て他の国にいると予想されているらしい。
にも関わらず、日本では厳戒体制すら敷かれていない。その事実を目の当たりにして、私はゾクリと身を震わせた。
「警察は優秀なんて言われるけど、実際はそうでもないのかしら」
「さぁ……。この調子だと、パスポート偽造とかしてもバレないんじゃないっすかね?」
「だとしたら便利だけどね」
青年へ新聞を投げ返しつつ、私は溜め息を吐く。今頃この事件の犯人は何をしているだろうか。次の殺人計画でも立てていれば、その辺の新聞記者が飛び上がって喜びそうだが。
再び宝物を鑑賞しながら、私はふと昔のことを思い出していた。
タイガーアイの首飾りを手に入れてから、私は石が大好きになった。中学を出て高校に入ったら、私はすぐアルバイトを始めた。そうして手にいれた金をすべてアクセサリーに注ぎ込んだ。
最初はアクアマリンやペリドット、ラピスラズリ。そこからルビー、サファイア、アメジスト等、私の好奇心は宝石へ偏っていった。十万円ほど貯金してダイヤモンドの指輪を買ったのはいい思い出だ。その頃は成績も優秀で、アルバイトで貯めたお金の半分は生活費として親に出していた。
だから、周りの大人は何も言わなかった。きっと私のことを、『綺麗なものが好きな一般女子高生』程度にしか思っていなかっただろう。実際それは正しいし、今でもその宝石達は私の宝物だ。
だが、私の心は満たされなかった。何かが足りなかったのだ。
「……ねえ、君」
紫色の宝物が入った小瓶を取り出しながら、私は青年へ話しかける。
「俺っすか?」
「君以外に誰もいないでしょ。何だっけ、君にもあったよね。これだけは譲れない、って感じの好きなもの」
私自身は大して他人に興味がないため、この青年の趣味も忘れてしまっていた。尤も、彼からそんな話を聞いたかすら覚えてないけれど。
「そうっすねー、昔から刃物が好きっす。包丁とか果物ナイフとか、カッターナイフなんかも」
「……変な人」
青年は一瞬目を見開いたが、その後すぐ笑い始めた。
「別にいいんすよ、変で! 誰かに共感されたい訳じゃない、ただ俺が好きなだけっすから」
「そんなものかしら」
「それに姉御のほうが変っすよ。そんな生活用品にすらならない小物を大事そうに小瓶に入れる、なんて」
「……私はいいのよ」
「ほら、そういうことっす。好きなものに理由なんて無いし、変でもいいじゃないっすか」
……それもそうか。
小瓶の中に入った宝物を眺めながら納得する。私にとってこんなに美しいものが、他人にとっては無価値なのだ。他人が持つ宝物の価値が分からなくとも、それは変なことではないのだろう。
__高校を卒業してから、私は医療系の専門校に通った。
幸いアルバイトを続ける余裕はあったし、親も学費を多少は負担してくれた。これまで通り、宝石や水晶を集めることも続けられた。
そんな学生生活の中、事件は起こった。私たち生徒は研修という名目でイタリアへ旅行に行った。そこで現地の学生と交流を深めたりする中で、私は見つけてしまったのだ。
私と同じ科目の男性を。その男性が着けていた腕時計を。
視界に入った途端、私の視線はそれに釘付けになった。正確に言えば、時計を飾る宝石の装飾に。日本では見たことない色、質、光。私の頭から観光の二文字は消え、如何に彼の腕時計を手に入れるかだけを考えた。私はすぐ男性に接触し、その日すぐ友人関係になった。
他愛のない話をした後、私はそれとなく彼の腕時計について尋ねた。本人の話では、三年前に亡くなった祖母の形見だという。どれだけ金を積まれても他人にはゆずらないだろう、とも。
彼の心意気を褒め称えつつ、内心で私は焦っていた。日本に帰る前にあの腕時計を手にいれなければならない。だが彼は譲る気がない。
そんな時だった。悪魔が私に囁いたのは。
いや。その悪魔こそが私の本心を見抜いていたことに、今の私は気付いている。
「ところで、次はどこに行くの?」
そう口にしながら、今度は空の瓶を取り出す。
「アフリカを予定してるっす。ホントは行きたくないんすけどね、あんな暑いところ……」
「アフリカ、素敵じゃない。砂漠とか見てみたいし、とっても大きな採掘場も見てみたいわ!」
「ビッグホールのことっすか? あそこ確か、もう採掘とか行われてなかった気が……」
「じゃあ勝手に掘っちゃえばいいのよ。それに私、ちょうど青い宝物が欲しいの」
空の瓶を撫でながら青年に笑いかける。これからアフリカまで行き、新しい宝物をこの瓶に納めるんだ……。そう考えるだけで、心の奥底から幸せが滲み出てくる。
「姉御さんが欲しがってる宝は無いかもしれないっすけど。でも仕事だし、行くしかないっすよねー」
「そうそう、どうせなら楽しまなきゃ。あぁ、それより……」
空の瓶を一度棚に戻し、ずっと持っていた小瓶の蓋を開ける。
「この宝物、変色しちゃった。ここで捨てちゃっていいかしら」
「まあ、一年前のものっすからねー。いいんじゃないっすか、不法投棄で怒られるかもしれないっすけど」
「バレなきゃ犯罪じゃないのよ」
その一言を言い終える前に小瓶をひっくり返す。ビチャビチャと音を立てて保存料が流れ落ち、最後に私の宝物がコロンとこぼれ出る。
少し前まで、この宝物は綺麗な青色だった。私は永遠にこの色を残したかったのだが、やはり限度というものがあったようだ。変色を避けるため日光から遠ざけたし、薬品漬けにもした。けれど日に日に、この宝物は色を失っていった。
濁った色の宝物を見るたびに私は落ち込んだのだが、それも今日でおしまい。これから私は青年と共にアフリカへ行く。そこで新しい青色の宝物を手に入れればいい、それだけの話だ。
「いつ出るの?」
「もう行けるっすよ。パスポートも準備完了っす」
私はソファーから立ち上がり、青年は私の宝物を担ぐ。必要最低限のものだけ荷物に入れ、私は暗い部屋を出た。
夜空の月明かりだけが、スキップする私の足元を照らす。
__十年前、大学二年生の頃。私は人を殺めた。
研修の最終日、私は腕時計の彼を裏路地に呼んだ。なるべく人通りの少ない場所を選んだつもりだった。何かを期待していたのか、彼は最期まで楽しげだった。
『目を瞑って後ろを向いて』。私がそう口にすると、彼はすぐその通りにした。その隙に、隠し持っていたナイフで首をバッサリ。それだけだった。
動脈を抉り、深くナイフを入れた。物凄い血が流れ出して、一分足らずで彼は動かなくなった。きっと何が起こったか、彼自身でも分からなかっただろう。
そうして私は時計を回収し、この遺体をどう処理しようか考えた。考え、悩みながら、ふと私は彼の顔を見た。
そこで私は見つけた。見つけてしまった。
宝物を。いくら宝石を集めても心が満たされなかった、その理由を。
ふと気配を感じて、私は後ろへ振り返った。いつの間にか、私の後ろで青年が笑っていた。
『隠ぺいしてあげましょう』。すっきりした表情の私に、彼は笑顔で持ちかけてきた。
『代わりに、僕に協力してほしいっす』。改めて、悪魔の誘いを二つ返事で了承した。
あれから、家族にも友人にも会っていない。大学にも行っていない。ただこうして保管してある宝物を眺め、たまに青年と海外へ出向く。
正直、私にとって悪くない生活だ。宝物も集められるし、世界を巡ることもできる。ただ一つ、悩みを挙げるとすれば__
私たちを追いかける輩が、もっと無能ならよかったのに。
午前七時、某所。
「三、二、一……突入ー!!」
雄々しい声と共に扉が破られ、武装した何人もの警察が地下へ乗り込む。しかし階段を下りた先、そこには誰もいない。
ただ床にはポツンと、茶色に変色した人間の目玉が転がっていた。
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