第8話

 ロシアでの最後の時。

 胸が苦しくなるほどに濃いオレンジの夕焼けの中、大地に沈みゆく太陽が白樺の並木の間から真っすぐ私たちを差していた。


 空港へ向かうタクシーの中で私は、終わってしまう旅行と、終わってしまう学生生活と、そしてたぶんこのまま終わってしまう恋を思いながら、必死で涙を堪えていた。


 坂本はゆうべ、私の部屋を出ていく時にこう言ったのだ。

「もし北沢さんが、三十を越えても一人だったら、俺がお嫁にもらってやるよ。俺は三十までは仕事一筋で行くつもりだから」


 その言葉で、私たちが今これから交際する、ということにはならないのだとわかった。


***


 20XX年、私は今、宮城に向かう飛行機の中だ。そして、よりによって『スノースマイル』が流れている。


 着いたらすぐに、結婚式に参列するために、会場のホテルへ向かうことになる。



 坂本から招待状が届いたのは、ほんの二カ月前のことだった。



 卒業してから働き出し、私はなかなか慣れない仕事に何度も音を上げて、誰かの直接的な励ましがなければ挫けてしまいそうだった。わかっている。それだけじゃなくて、坂本と離れてしまったことも辛かったのだ。


 たった二週間で恋に落ちて、帰国後はあまり会う機会もなく、彼がアパートを引き払う手伝いだけして、あとは卒業式で会ったきり。

 右ポケットで感じたあのぬくもりを何度も思い出し、でも、どうすることもできずに時は過ぎていった。


 どうしようもなく挫けそうだった二回だけ、坂本の住む会社の寮に電話をしたことがあった。一回は不在。二回目にやっとつながって、私は遠回しに継続的に彼の励ましがほしいのだと言った。


 そして、怒られた。

 自分だってつらい。朝早くから自主的に研修のような勉強会をやって、遅くまで残業もある。頭の中は、早く仕事を覚えたいという思いしかなく、とてもじゃないけれど人のことを励ましている余裕はない、と。


 私は、同じ人に二回目の失恋をしたというわけだった。


 ほどなくして、私にほかにつき合う人ができて、坂本先輩との恋は完全に幕を閉じた。

 その後もまたほかの人とつき合いながら、私は三十過ぎたら坂本先輩と話す機会が来るんだと、漠然と思っていた。

 そのせいというのでもないだろうけど、つき合っていた相手とは、お互い若かったのもあり、結婚は考えなかった。


***


 坂本から結婚式の招待状が届いた時、私は同期のほかの人に、間違いじゃないかと確認したくらいだった。まだ、卒業して数年しか経っていなかった。

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