第3話
「ん?」と応じると、「北沢さんさぁ」と私の名を口にした。
「好きな人、いるの?」
ドキッとした。なんで今、この状況でそんな話をしてくるのか。
「えぇ? 何? いきなり」と、私はウトウトしていたかのようにわざと眠そうに装いながら答えた。それまで、まんじりともしてなかったくせに。
「だから、好きな人。いないの? いるの?」
「いたけど、たぶん、ふられた」
「へぇ! そうなんだ……」
「なんで?」
「いや、もしよかったら、俺はどう?」
常夜灯だけが灯ったほの暗い部屋の中で、探るような遠慮がちな新田の声が静かに響く。
私にはわけがわからなかった。
なぜ、今、ここで、こんなことが、起きるのか??
混乱した頭で、暗く限られた視野の中をぐるぐると見回す。いや、実際は目ではなくて頭がクラクラしていたのかもしれない。
待って、待って。私は女で、新田は男だ。一つの部屋に布団を敷いて、ふすま一枚だけ隔てたスカスカのスペースでいっしょに寝てるような状況だ。
彼は同期で、少人数の研究室ではそれなりにお互いに仲は良いけれど、そういう仲ではないし、そういう意味で彼を眼中に捉えたことなど一度もなかった。
もしかして、これは危険な状況なの!?
そう思ったら、心臓が口から飛び出しそうなくらいバクバクしてきた。そのころは、私もかわいかったのだ。
新田がなおも話しかけてくる。
「どうかな、俺は」
「ど、どうって、いきなり言われても、ねぇ」と、ごまかすのがやっと、心臓の爆動を悟られたくなかった。
「この旅行で、どうにかなれないかなと思ってる」
「ちょ、ちょっと待って。そんな、いきなり言われても……」
「いや、俺、今、もう布団を飛び越えてそっちに行きたいくらいなんだよ」
私の鼓動は頂点に達して、もはや脈を取れないくらいになっていただろう。
どうしたらいいの!? 坂本さん! 先輩! 早く帰って来て!!
とにかく、冷静に話をした方がいいだろう。ほとんど逃げ出していた私の理性の尻尾をやっとの思いでつかまえて、私は応戦した。
「急に言われても、じゃあ、はいって、すぐ好きになれるわけでもないでしょう? それに、どうして今、突然、そんなふうに思ったわけ?」
そうだ。厨房の修学旅行じゃあるまいし。
「いや、実はけっこう前から思ってたよ」
まったく、そんなことおくびにも出してなかったではないか。
「とにかく、言われてすぐに、どうこうなることじゃないし」
私はこの場をうやむやで乗り切ろうと必死だった。時間を稼ぎながら、ひたすら先輩たちの帰りを待つ。それしかなかった。
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