恋ってどんなものかしら 後編



「志賀くん、おはよう!」


「志賀くん、お、お昼一緒に食べてもいい!?」


「志賀くん、い、一緒に帰らない!?」


 志賀くん、志賀くん、志賀くん……。

 やばい、毎日のように彼に話しかけていたら、顔を見るだけで動悸がするようになってしまった。

 話しかけるたび、にっこり笑って「おう!」と答えてくれる彼に、わたしは更にのめりこんでいった。

 いや、ほんといい男だな! 毎日毎日うっとりしてしまう。少し色素が薄いその瞳に、吸い込まれてしまいそう。 

 寝る時間になると、タオルケットにくるまりながら志賀くんのことを想う。今日も、志賀くんと挨拶を交わし、お昼を共に食し、二人で下校した。もう夢じゃないよね!? ガンガン枕に頭を打ち付けて、身に余る幸せに浸る。

 胸の大きい女子とは被らないよう、細心の注意を払いながら、わたしはできるだけ志賀くんといるよう努力をした。彼のほうも、わたしを特別だと思ってくれているんじゃないだろうか、とうぬぼれてしまう。

 しかし、彼を追い回していると、好ましくないことに気づく時もあった。志賀くんの交友関係は広いが、見たところそこまで深くはない。そんな広く浅くな彼に特別仲の良い友達がいることは、すぐに分かってしまった。

 築島馨くん。わたし自身は話したことはないけれど、校内ではそこそこ有名な、今でいうジェンダーレス男子ってやつだと思う。でも、外見はそこまで女の子っぽくはない。線が細くて色白だけど、髪は短いし、メイクをしているわけでもない。

 築島くんがジェンダーレス男子だと思われるゆえんは、多くの生徒たちから恋愛相談を受け、それがちょっと流行っているせいだ。

 アドバイスは適格、乙女心をよく理解していて、気持ちに寄り添ってくれると、女子から人気。そして男子からも、好きな子に告白できないだとか、付き合っている彼女のことで悩んでいる、といった相談がくるらしい。

 志賀くんと築島くんは偶然同じ委員会になって、そこからよく喋るようになっていったという。

 わたしが気にしているのは、もちろん築島くんのことじゃない。築島くんの幼なじみである、丹下なずなのことだ。

 丹下なずな。成績優秀、スポーツ万能、快活で優しい、そして可愛らしいと、ちょっとした有名人。

 そんなパーフェクトな女の子が、最近、築島くんの関連で志賀くんと仲がいい。いつも楽しそうに喋っている二人の間には、わたしさえも入ってはいけない。だって志賀くんと丹下さんって似ている。完璧同士が黄金のオーラを放ち、周りの人間たちを近寄れなくしているのだ。

 たぶん、丹下さんは志賀くんのこと、好きなんじゃないだろうか。

 




 今日のミッション。丹下さんの気持ちを確かめること。

 しかし、直接聞きに行けるほど私の精神は強くない。放課後、こっそり志賀くんを備考していると、やはり築島くんと丹下さんが現れて、三人でおしゃべりを始めた。

 物陰に隠れながら、五感を駆使して様子をうかがう。

 志賀くんが丹下さんに笑いかけ、 


「丹下、テストの結果よかったんだって? 先生が話してるの聞いた」


「あー、いつもより少しよかったかな」


 丹下さんが特に嬉しくもなさそうな顔で答えると、いつになく気合が入っていそうな築島くんが二人の間に割り込む。


「なずなちゃん、7位だったんだよ! いつもすごいけど、今回はもっとすごかったんだ! さすがなずなちゃん!」


 実に嬉しそうに満面の笑顔で、築島くんはまくしたてる。

 その様子を見て、あれ? 築島くん、もしかして丹下さんのこと、という考えがよぎる。

 これは重要事項だ。すぐに丹下さんの表情を確かめると、彼女は頬をピンク色に染め、愛しいものを見る目で築島くんを見つめていた。しかも、それ以降黙ってしまった。

 胸いっぱいに広がる幸せを、噛みしめるかのように。

 あ、なーんだ。安心した。築島くんと丹下さんは付き合ってるんだ。そうでなくても、両思いなのだ。

 こんなにもあからさまにラブラブで、志賀くんに気があるわけない。

 わたしは踵を返し、そのまま教室に戻った。いや、正確には戻ろうとした。

 自分のクラスの前の教室に通りかかった時、中から女子たちのかしましい声が聞こえてきた。

 特に聞く気はなかったけれど、


「決めた、明日、告白する!」


 と、ひときわ大きい声がしたので、思わず動きが止まってしまう。

 そのまま扉の前へ移動し、ぴたりと耳をくっつける。

 告白!? 誰に!?


「あれだけ一緒にいたんだもん、志賀くんだって私のこと悪くは思っていないはず!」


 そんな気がしてたけど、やっぱり志賀くんじゃん! もてもてじゃん!  

 教室内からは見えないように、ドアの隙間から目を凝らす。そこには私の前にすでに志賀くんに付きまとっていた、胸の大きい女子と、その友達らしき数人がいた。


「頑張れー。あ、それにさ、志賀くんのクラスの人から聞いたんだけど、彼、告白されたら断れないタチらしいよ。まだ誰とも付き合ってないみたいだし、オッケーしてくれるかも?」


「ああ、わたしもそれ聞いた。志賀くんて優しくていい人なんだけど、来るもの拒まず、去る者追わず、なんだってー」


「大体、告白して付き合うことになった女の子たちは、志賀くんがまた違う子に告白されているのを知って、何よ!って怒って去っていくらしいね。で、志賀くんはまた告白してきた子と付き合う、と」


「元カノさんたち、志賀くんがもてすぎて気が気じゃなかったんだよねー、きっと」


「私は志賀くんが告白されても絶対別れないもん! そんなことで怒るなんて、元カノたち心がせまいよ。そんなのほんとの恋じゃない! 私が志賀くんを幸せにしてあげなきゃ!」


 な、に?

 大好きな彼氏がほかの女に告白されてたら、誰だって愉快な気分になんてならないじゃない。っていうかいやに決まってる。ほんとの恋かどうかなんて、部外者のあなたに分かるの? 元カノさんたちが、あれは本当の恋じゃなかった、なんて言うところを聞いたっていうの? 

 ここら辺で、わたしの何かがブチっと切れた。

 教室のドアを大きな音を立てて全開にする。驚いてびくっと肩を揺らす彼女たちに、大股で近づいていく。


「い、斎宮さん?」


 胸のでかい女子はわたしの名前を知っているのか、と頭のほんの片隅で思う。でも、そんなことどうでもよかった。

 自分がどんな顔をしているかは分からない。けれど、そこにいた名もなき女子たち3人は、みんな恐怖におののいたような顔でわたしを見ていたから、よほど怖い顔をしていたんだろうと思う。


「志賀くんをしあわせにするのは、このわたしよ! わたしの志賀くんに、手ぇ出さないでよ!」


 室内は沈黙に包まれた。わたしはふん、と息をついてまた大股で教室を出る。

 勝手なことばかり言っている彼女らに、ただただ腹が立った。志賀くんとそんなに仲がいいわけでもないのに、彼のことをまるで自分がその場にいて全て見てきたみたいな言い方で語るのも、許せない。

 ほんとの恋ってなに? ほんとの恋とほんとじゃない恋の違いってどこにあるの? もしかして、わたしがしているのも、ほんとの恋じゃないの? そんなこと、誰が決めるの?

 分かってる。女子たちが話していたのは、わたしのことじゃない。でも、志賀くんにかつて恋心を抱いていた子たちがあんなふうに言われるの、我慢できなかった。

 だって同じじゃない。彼に恋をしていたことも、彼がもてるからいつもやきもきしていたことも。わたしや、あのぼいんな女子も、同じじゃないか。

 つまり、あの子は盛大なる自虐をしていたわけだ。

 そこまで頭の中で考えたところで。わたしも胸でか女とほぼ同じように志賀くんをストーキングしていたから、同罪だと気づいた。

 ああ、ほんとに。わたしも、人のことは言えない。

 でも、好きだ。

 志賀くんへの気持ちを付きまとうことで伝えようとしていた、愚かな自分。でも、でもさ。

 本当に、大好きなの。心が彼を求めてるの。

 普通の人の好きってどんなもの? 

 わたしにもできるのかな。

 なぜだか、無性に泣きたくなった。



 教室に戻って、鞄を肩にかける。

 さっさと帰ろうと廊下を早足で歩いていると、偶然通りかかった教室から志賀くんの声がした。

 あーもう、こういうところだよわたし! 志賀センサーだけは優秀だもんね!

 通り過ぎようとした。しかし、わたしの足はそこから動こうとしなかった。

 ダメだ、もうストーキングはやめると決めたのだ。重い一歩を踏みだそうとした。その時だった。


「俺が好きなのは、築島なんだけど!?」


 空中で、足が止まる。

 今のは、聞き間違えるはずもない、志賀くんの声。

 彼らしくもない大きな声で。

 すき?

 つくしま?

 アハハハ……。

 ハハ……。

 いや、何かの間違いだ。そんなはずない。志賀くんの中学時代の話は何度も聞いたことがある。絶えず彼女がいたことも。

 ああ、そっか。好きって友達としてだ。友情だ。そうに違いない。

 そう納得したい一心で、ドアに近づく。ぴたりと耳をくっつけ、完全に盗み聞きモードに入る。


「志賀、くん……」


 築島馨の小さく、かすれた声。


「僕と……付き合ってくれる?」


 驚きのあまり、ぶはっと鳴き声を上げそうになり、必死でこらえる。

 志賀くんはどう答えるのだろう。って、付き合うわけないじゃん! 志賀くんは女の子が好きな人だし! それだけは間違いない、何をうろたえていたんだろう。

 なんとか心に余裕を持とうとその場で深呼吸をしようとした、その時。


「う……うんっ!」


 一瞬で何かが崩れ落ちた。築島くんの告白を、志賀くんは、実に嬉しそうな声で受け入れた。

 その後、どうやって学校を出て帰宅したのか覚えていない。

 家の鍵を開け、玄関に倒れこむ。


「まじ、か」


 放心状態で起き上がり、靴を脱ぐ。

 嘘でしょ? 誰か、嘘だって言って。だって。

 脱いだ靴を力を込めて床に叩きつける。

 ……初恋なんだけど!?

 胸でか女に取られるどころか、男に取られたんだけど!?


「このネタ、一生何かで使えそう」


 あはは、と乾いた笑いを浮かべ、膝立ちのまま台所に行く。冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップを用意し、めいっぱい注いで、一気に飲む。

 おいしい。これ、夢じゃない。

 牛乳のおいしさに絶望して自分の部屋に入ると、敷きっぱなしの布団にもぐりこむ。

 枕に顔を埋めた瞬間、涙があふれだした。

 違った。志賀くんじゃなかった。わたしの愛し愛される人。

 でも、ほんとに、ほんとに。

 好きだったんだけどなあ……。




 目覚まし時計の音で目が覚めた。

 反射的に音を止め、ぼんやりと目を開ける。

 あ、あれ? もしかして、もしかしてだけど。

 今までの、全部夢!?

 志賀くんと築島くんがくっついたのも、牛乳がいつもどおりおいしかったのも、全部夢!?

 飛び起きて、急いでパジャマを脱ごうとしたら、わたしが着ていたのは制服だった。

 あ、違う。昨日、あのまま寝ちゃったんだ。

 夢じゃない……!

 布団の上にうつ伏せに倒れこむ。何度も枕を拳で叩いてから、かかとでタオルケットを蹴り上げる。

 学校行きたくない。

 しばらくそのまま寝っ転がっていたら、仕事に行く前のお母さんが様子を見に来た。

 

「陸が寝坊なんて珍しいじゃない。具合悪いの?」


「ママ上」


 こんなふうに呼ばれたのが初めてだったので、少しぎょっとしながら、お母さんは「なに、どうしたの?」と話を聞いてくれそうな素振りを見せる。


「わたし、恋、したかった」


「恋?」


「お母さんみたいな、ずっとその人だけを想うような、そんな恋、したかった」


 涙が流れる。この気持ちも、全部流れていってしまえばいいのに。


「でも、ダメだった」


 苦しい。わたしがしてたのが、本当の恋でなくてもよかった。だって、好きなのは、大好きなのは本当だったから。

 でも、わたしはそんな立場にもいなかった。志賀くんは、わたしのことなんとも思ってない。彼はずっと、築島くんのことが。

 

「わたしに、恋なんてできるはずないんだ」


 高校生になっても、わたしはチビでゴリラなままで。少しも変わってなくて。心底好きだと思った人も、違う人を見てて。

 可愛げがないのも、乱暴者なところも、大嫌いだ。わたしは、わたしのことなんて、大嫌い。

 枕に顔を埋めて、嗚咽をもらしながら泣いた。

 

「陸、陸の名前、誰が考えてくれたか知ってる?」


 片目でお母さんのほうを見る。


「ううん」


 お母さんは、しあわせそうに笑った。


「お父さんなんだよ」


 え? 驚きのあまり、両目を見開く。


「お父さんはね、名前に海って漢字が入る人で、海に出て働く仕事をしてた人だった。だから、お母さんとあなたに、陸で帰りを待っててほしいから、陸って名前を付けたの」

 

 親戚からお父さんの噂を聞くたびに、どうしようもなく嫌な気持ちになった。みんな適当に話を作って、お父さんを侮辱するようなことばかり教えられて、やめてよって怒ったら、癇癪持ちだとお母さんに言いつけられた。

 そんな話を聞いたって、わたしだってどれが真実かは分かるはずもない。もしかしたら本当に、お母さんとわたしを捨てて、女と逃げたような。そんな父親だったのかもしれないと考えたこともある。


「ある日、いつもどおり仕事に行くお父さんを、お母さんと小さかった陸が見送って、またいつもどおり帰ってくるかと思ってた。でも、お父さんが乗った船が沈没して、見つからないって連絡が来た」


 でも、違った。


「ごめんね、今まで話せなくて。辛かったでしょう。私、信じられなくて、あまりにもショックで、お父さんの話を陸にできなかった」


 慌てて布団を出て、お母さんのほうへ行く。お母さんも、泣いていた。


「お母さんが今でもお父さんのことを想うのは、お父さんが、陸をくれた人だからだよ。愛してたし、大好きだった。陸を産ませてくれた」


 お母さんは、優しくわたしを抱きしめた。お母さんの胸は、温かかった。


「大丈夫、陸ならできるよ。恋をするのが、今じゃないだけ」


 今度こそ、声を抑えられなかった。わたしは、思い切り大きい声を上げて泣いた。





 結局、あの後爆発的に元気になって学校へは普通に登校した。

 昨日、二人の告白を聞いた教室に偶然通りかかると、やっぱり今日も志賀くんと築島くんがいて。わたしは見て見ぬふりをしてその場から逃げた。ああ、やっぱり夢じゃない。知ってたけど。ぽろっと涙が出そうになるのを、ぐっとこらえる。

 その気持ちをなんとかしようと努力した結果、心の平静を保ついい練習にはなった。でも、やっぱり志賀くんの顔を見るのは辛い。彼はいつもどおりだったけど、わたしはそうもいかなくて、不審がられていないかと心配になる。

 練習、練習、いや修行だと思って過ごしていると、あっという間に時間は過ぎて、すぐに放課後になった。

 疲れ果ててふらふら廊下を歩いていると、とある教室の扉の隙間から、覚えがある人物が見えて。わたしはあれこれ考える前に、扉に手を伸ばしていた。

 今の今まで冷静でいようと心の中で思い続けていたのに、その人の顔がはっきり見えた瞬間、緊張の糸が一気に切れた。


「――丹下さん?」







END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それはひみつです 紫(ゆかり) @yukari1202

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ