番外編

恋ってどんなものかしら 前編



 斎宮陸はチビだとか、ゴリ女だとか、そんなくだらないことでわたしを傷つけようとしてくる奴らには、もう慣れた。

 なんせ、わたしは生まれつき背が小さく、言いたいことなんてはっきり口に出してしまうし、時にからかってくる男子を腕力でねじ伏せたりしてきたのだから、あながち間違いでもない。

 でも、そんなふうに言えば相手が傷つくことくらい分かってもらいたいものだ。

 背に関してはわたし自身にはどうしようもないことだ。小さく生まれたかったわけでもないし、気にしていないわけでもない。

 見た目に反して凶暴なのは、わたしを侮って散々言いたいことを言ってくる輩が多数いることも問題だと思う。身体測定の日なんてまさに地獄だ。中3の時、男子に測定表を盗み見られ、お前こんなちっさいの!? もう小学生並みじゃね!? とか大声で言われたうえにその身長を公然と暴露され、男子たちに囲まれて、チービ! チービ! と何十回言われたか。

 こみあげてくる怒りを我慢できず、騒ぎの発端となった奴をグーで殴ったら、そいつが教室の端まで吹っ飛んだ。それから、わたしはクラス内でメスゴリラに加えて、剛腕のけんか師と呼ばれるようになった。

 人を殴るのは確かによくない。けれど、それだけの理由があったにも関わらず、相手の親はわたしの家にまで現れて謝罪を求めてきた。

 お母さんが頭を下げて謝るのを見て、わたしは苛立たしい気持ちになった。どうして謝るの。どうして、わたしの話をもっときちんと聞いてくれないの。

 不満ばかりがあふれだす。でも、相手の親が帰って行った後、お母さんはわたしに、


「お母さんは、殴ったことを謝ったんだよ。陸が一方的に殴ったなんて少しも思ってない。理由もなしにそんなことする子じゃないって分かってるから。でもね、人に手を上げたら負けなの。どんな理由があったって、悪者になってしまう」


 お母さんの目を見る。わたしは痛みを感じるくらい強く下唇を噛んだ。ごめんなさい、迷惑かけたうえに疑って。お母さんに謝らせるの、もうやめたい。

 ぽん、とお母さんがわたしの頭を撫でる。


「悔しかったね。でも超未熟児で生まれたのに、こんなに大きく育ってくれて、お母さんは嬉しいよ」


 泣かずにはいられなかった。何度も何度も、わたしのことで学校に呼び出されたり、謝らせられたり、本当にこんな自分が大嫌いだ。もう、わたしのことでお母さんにこんな顔させない。そう誓った。

 幸いにも、あと数か月で卒業だ。高校ではケンカなんてしないで、しとやかにしていよう。そうしていれば、もしかしたらかっこいい彼氏とかできちゃうかも!? そう妄想するだけで、よだれが出そうになる。

 未来は意外と明るい。布団の上で足をじたばたさせながら、わたしは自分の色素が薄くて天然パーマの長い髪を見つめる。

 この髪にも文句をつけてくる奴は結構いた。クラスメイトどころか先生まで疑ってきて、本当に嘘偽りなく地毛なのだけど、わたしは一時期自分の髪が嫌いだった。でも、お母さんだけはきれいな髪だと、お父さんに似てると褒めてくれた。

 お父さんのことはよく知らない。お母さんもお父さんのことはあまり話さない。親戚たちから得た情報は、病気で亡くなったとか、女と逃げたとか、言うことがばらばらで、あてにはならない。

 でもひとつ確かなことは、お母さんがまだお父さんのことを想っていること。

 今、ここにいない人。それでも、お母さんは愛してる。わたしも、そんな一途な恋がしてみたい。 

 高校に入学したら、大人しく可愛い女の子を演じていたら、わたしにもできるだろうか。

 その日は、なんだかよく眠れなかった。ドキドキして、高校生活に期待して興奮していたからだと思う。

 好きな人ができるって、どういう気持ちなんだろう。今まで出会ってきた男子が悪すぎて、恋なんてしたことない。

 その人のことが浮かんで消えないとか聞いたことあるけど、本当にそんなことあるのだろうか。

 恋って、なんなのだろう。





 意外と足早に高校の入学式の日はやってきた。

 高校については、入試を受ける前に念を入れてそれぞれの特徴を調べ上げた。そこそこのレベルの進学校で、でも自由な校風。この高校がぴったりだった。

 きょろきょろしながら中に入っていく。中学は人数が少なくて1クラスしかなかったけれど、この高校はすごい。広いし、人がいっぱいいる。

 なんだか周りを歩いている人みんなが頭のいい人に見える。不思議な現象に、自分がひどく田舎者のように思えてきた。

 心に喝を入れて歩き出すと、手と足が同時に出ていることに気づく。いかんいかん、緊張しすぎか。心臓の音が半端ない。

 階段に差し掛かるところで、なんだかくらくらして気持ちが悪くて。一瞬、目の前が真っ暗になる。

 その時、階段を踏み外したことに気づいた。落ちる! と受け身を取ろうとした瞬間。

 後ろから、脇に腕を通して抱きあげられる。とっさに後方を振り返ると、そこにはかなり背の高い男子生徒がいて、しかも。

 しかも、男前! なだけじゃなくて、もろタイプ!

 わたしが見とれていると、彼は、


「はあ、よかった、受け止められた」


 と、息をついて優しく笑った。

 かっこいい……。

 不意に、はっとする。わたしは慌てて階段に足をつき、「あ、ありがとうございます!」とお礼を言う。


「無事でよかった」


 爽やかで軽やかな声。わたしは、確信した。彼こそが、わたしの恋する相手だと。

 

「わ、わたし、斎宮陸です」


 唐突に名乗っても、彼は笑みを浮かべたまま、


「俺、志賀匠海。よろしくな」


 しが、くん。彼の名を、心に刻む。

 お母さん、わたし、絶対しあわせになります! ぐっと拳を握る。

 そのあと、またねと言い合って一旦別れたけど、私の心の中の桜は咲き乱れたままだった。

 



 クラス分け表で自分が行く教室を確認してそこへ向かうと、随分にぎやかな声が聞こえてくる。わたしが中へ入ると、


「あれ、同じクラスだったんだ。斎宮さん」


 そう一番に話しかけてきたのは、なんと志賀くんで。まぼろしかもしれないから2、3度見直したけど、やっぱり志賀くんで。

 

「志賀、あの子と知り合い?」


 横から違う男子が彼に声をかける。志賀くんは何も躊躇することなく、うん、と頷く。

 

「可愛いだろう」


 彼は得意げに笑う。わたしは思わず、黙ったまま大きく首を傾げてしまう。そして、志賀くんの言葉の意味を理解した瞬間、顔が熱くなるのを感じた。

 そんなこと男子から言われたことない。嬉しい。やっぱり、やっぱり彼こそが、わたしの恋の相手なのだ。

 ぽーっとしていると、突然、男子がクーッと頭を抱えた。


「なんだよ、もう志賀のかよ! 校門のところで見かけて、いいなって思ってたのにさ」


 その発言に、まず疑念が生まれる。いいなって思ってた? チビでゴリゴリ言われていた、このわたしのことを?

 なんとなく信じられないでいると、近くの席に座っていた女の子が笑いかけてきた。  


「斎宮さんの髪すごくきれいな茶色だよね。染めてるの?」


「ううん、地毛なの」


 こればかりは誤解されてはいけないと、しっかり断言する。すると、別の女の子たちが、


「え! すごーい!」


「斎宮さんてハーフ?」


 答える間もなく、彼女らの話はどんどん膨らんでいく。


「なんか、斎宮さんて深窓のご令嬢って感じだよね」


「あれだ、例えるならふわふわしたケーキ」


 言われ慣れていない言葉ばかりが飛び交う。

 環境の違いは感じるけれど、だがこのクラスのみんなは、わたしが大人しく清楚に暮らしさえすれば味方でいてくれるかもしれない。

 わたしがやってはいけないことは、殴らないことだ。それだけなのだ。

 なってやるよ! 深窓のご令嬢にだってふわふわケーキにだって!

 その日から、わたしの清楚系お嬢様化計画は実行されていった。

 のだが、不思議と、周りの反応は中学時代と大分違った。

 背が低いイコール小さくて可愛い、髪の色は羨ましがられ、わたしを辱めるようなことをする奴らはいない。

 初めは鉄壁の仮面を被ろうと覚悟していたのだが、実際にはそんなもので自分を隠さなくとも、みんな私を受け入れてくれた。

 今までが極度におかしかったのかと感じてしまうほど、高校は快適だった。

 何より、志賀くんがいる。彼は思ったとおりの人で、顔がいいこと、成績が優秀なこと、1年生で唯一、サッカー部のレギュラーに選ばれたこと。どれも素晴らしく名誉なことなのに、少しも偉ぶらない。むしろ謙虚で、誠実な人柄とうかがえた。完璧に彼に夢中になっている自分がいる。

 そばにいるだけで楽しかったのに、わたしはある日知ることとなる。当たり前だが、志賀くんがものすごく女の子にもてることを。

 放課後、忘れ物を取りに教室まで戻り、中に入ろうとした時、教室内から数人の女子たちの声が聞こえてきた。


「あの子絶対に志賀狙いでしょ。べったりくっついてるし」


 ……わたしのことか!?

 いやな予感がして、ドアに耳をくっつける。


「ああ、あの胸の大きい子ね」


 やった! 違った! 安心した! でもちょっと悔しい!


「そりゃみんな志賀のこと好きだって。私らだって付き合えるもんなら付き合いたいじゃん」


「脈ないけどねえ」


「でも、志賀って告白されたら断れない人っぽいよ。中学ではいつも違う彼女連れてたみたいだけど、自分から告ったことないらしいし」


「それじゃあ、先に告った人が勝ちってことか。先手必勝だね」


 ざわっと、何かが胸を駆け巡る。

 走って教室を離れて、階段を下りる。下駄箱で素早く靴を履き替え、全速力で校門を出た。

 忘れ物なんてどうでもよくなるくらい、わたしは動揺していた。

 先手必勝? 誰かが彼に告白すれば、拒まないで受け入れてしまう? 胸の大きいべったり女子を筆頭に、誰がいつ志賀くんに想いを伝えてもおかしくない? みんな好き!?

  

「おぅ、まじ冗談じゃないぜ」


 呟いてから、わたしはゆっくりと歩き始めた。 

 恋のノウハウなんて知らない。これからゆっくり学んでいこうと思っていたものだから、何をしたらいいのか全く分からない。

 ええい、どうしたらええんじゃ! わたしはその辺にあった電柱を真っ二つに折る勢いで蹴りつけた。

 一応、誰かに見られていやしないかと辺りを見回してから、家の鍵を開ける。自分しかいない家の中、ただいま、と小さい声で言ってから乱雑に靴を脱ぎ捨て、息をゆっくりと吐く。

 こんなことで悩むのは生まれて初めてのことで、免疫がないせいか頭がまともに働かない。

 わたしはどうしてしまったんだろう。斎宮さん、彼の口が紡いだわたしの名前が、頭の中で甘ったるいフィルターをかけて連続再生される。

 ああ! もうわたし志賀くんのこと大好きなんだ! 誰にも取られたくないんだ!

 決めた。明日から彼に精一杯のモーションをかける。それしかない。コップに牛乳を注ぎながら、わたしはぐっと拳を握り締めた。






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