最終話 僕の好きな人
なずなちゃんのことが好きだった。ずっとずっと前から。
なずなちゃんはおかしな子だった。周りの人たちは僕から距離を置くのに、なぜか彼女だけはそばにいてくれる。
なんで、僕なんかに優しくしてくれるの。そう聞くと、なずなちゃんはまるで当然のことのように、
「馨のことが大好きだからだよ」
そう言って、笑った。彼女の笑う顔が好きだ。心の底から、いつか笑い疲れるくらい笑わせてあげたいと願った。
小学校の高学年になってクラス中から無視された時も、なずなちゃんは味方でいてくれた。
僕のせいで自分まで無視されるようになっても、何もなかったみたいに話しかけてくれる。でも、僕はずっと、それはやせ我慢だと気づいていた。昨日までとても仲の良かった子が、突然自分と話してくれなくなる。クラスのガキ大将が怖いから、という理由で。納得できるわけがない。
ある日、なずなちゃんのお母さんが僕にそっと話しかけてきた。あの子、最近ずっと部屋にこもって泣いてるみたいなんだけど、何かあったの?
血の気が引く。あんなに強いなずなちゃんが泣くなんて。いや、僕が泣かせたんだ。僕が近くにいると、彼女は不幸になる。
さりげなく、彼女から距離を置くことにした。仲がいいのは相変わらずだったけれど、常に一緒にいるという状況を脱すため、なんでも一人でできるよう努力した。
更に、中学に上がってから、僕は一念発起して周りとより深く交わることを誓う。女子相手に、恋愛相談を受け始めたのだ。
少し女子っぽい男の子が恋愛についてのアドバイスをするという一風変わった、教室を借りての相談室は意外と受けて、大人気になった。
いじめを受けることがなくなって、なずなちゃんの他にも友人ができて、僕の学校生活は順風満帆だった。
恋愛相談が学校内で有名になってからしばらくたった頃。僕はなずなちゃんと偶然廊下で会い、雑談した後で、
「なずなちゃんも、好きな人ができたら僕にいつでも相談してね」
言った瞬間、なずなちゃんの表情が歪んだ。ひどく衝撃を受けたような顔をして、僕から視線を逸らす。
どうしたの、と聞く前に、彼女は「……うん、分かった」と言って去って行ってしまった。
僕は、ああ、そうか。なずなちゃん、好きな人いるんだ、と納得する。でも、あの様子を見ると、きっと片思いなのだ。
……なんだ、それ。なずなちゃんが片思い? あんなに、かっこよくて可愛くて、僕のヒーローのなずなちゃんが?
もしかしてなずなちゃんの思い人は、彼女が自分のことを好きだということにも気づいていないのかもしれない。
なぜかものすごく、気にくわなかった。そんなやつ、なずなちゃんにふさわしくない。僕のほうがずっとずっと、なずなちゃんのこと。
はっとする。僕は、なずなちゃんのことが好きなんだ。
そう実感してからは、彼女の思い人を批判するような言葉ばかりが浮かんだ。
そんなやつより、僕のほうがよっぽど彼女を幸せにできる。そうだ、僕が彼女の恋人になればいい。そうすれば、全て上手くいく。
心の中でまくし立てていた時、何かに気づく。ああ、僕じゃだめだ。なずなちゃんを幸せにしてあげられない。僕は、普通の人とは違うんだ。
理解して、泣きそうになる。僕がこんな人間じゃなかったら、なずなちゃんと幸せになれていたのかな。
放課後、志賀くんと教室に残っていた時に、彼が突然、
「築島って、丹下のこと好きだったんじゃないか」
ほとんど確信しているような声だった。彼がはっと息をのみ、「あ、ごめん、こんな」と言い切る前に、
「うん、なずなちゃんのことずっと好きだった」
本当のことだから、隠す必要もない。それで彼が傷ついても、いくらでも修復できる。とりあえず、嘘だけはつきたくない。
「でも、とっくに諦めたよ。僕じゃ幸せにしてあげられないから」
嫌いになったわけじゃない。なずなちゃんのことは今でも好きだ。でも、僕は。
僕がそれ以上何も言わなくても、底抜けに優しい志賀くんは、「そっか」といって笑うだけだった。
申し訳ないな、と思う。彼のことが好きなのも本当だ。でも、その好きは、なずなちゃんに対しての好きとは全く違うものだった。その違いに、戸惑っている自分がいる。
志賀くんを不安にさせているのがすごく辛い。安心させてあげることができたなら、今すぐそうするのに。
大分空の色も暗くなってきた頃、志賀くんと下駄箱で別れて、僕は校庭へ向かった。
なずなちゃんは斎宮さんと仲良くなってから、夕方の遅い時間に校庭の隅にある、形だけのバスケットゴールで遊んでいることが増えていた。かなり暗くなっても外にいるため、危ないよ、と何度も言ったのだけれど。
行ってみると、やはりなずなちゃんはそこにいた。バスケットボールを抱え、斎宮さんと何か話しながら笑っている。
様子を見ていると、僕がいるのに気づいたなずなちゃんが、手を振ってこちらに向かってくる。
「馨! どうしたの」
「なずなちゃんがいるんじゃないかと思って」
のんきに、「うん、いるよー」と間延びした声で言う。
「もう暗くなってきてるのに、危ないよ。変なやつがいるかもしれないでしょ」
「え? 大丈夫大丈夫。だって私だよ?」
あはは、と笑う。
なずなちゃんだから危ないんだよ。なずなちゃんは可愛いから。
そう言いたいのをこらえる。
「さらわれちゃうよ」
僕みたいなやつに。
彼女は珍しいものでも見るような目で僕を見て、
「変な馨」
と言って、また小さく笑った。
僕は今が特別変なわけじゃない。昔からずっと変だったんだ、と思い、なぜか悲しくなる。
彼女の笑顔が好きだった。とても、とても。この笑顔を見るためなら、何を失ってもよかった。だから、僕は。
「なずなちゃん」
彼女が首を傾げ、「うん?」と小さく呟く。
僕、なずなちゃんのこと、ずっと好きだったよ。
そう迷いもなく言おうとした自分に、焦った。
「僕は帰るけど、気をつけてね」
何事もなかったかのように、彼女に背を向ける。
「馨、また明日ね」
なずなちゃんの顔は見えないけれど、いつもどおり笑っているんだろうなあ、なんて思う。
なずなちゃんは、僕なんか眼中になくていいのだ。それが彼女らしい。
最後まで、好きだとは言えなかった。でも、それでいい。
だって、彼女が笑いかけてくれる。それだけで。
「……また明日」
それだけで、僕はじゅうぶん幸せだから。
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