第3話 彼女の選択



 築島馨が好きか、と問われたら、私は迷わず好きだと答えるだろう。

 それがどんな「好き」かなんて、分からない。分かりたくもない。ただ、ずっと、私は馨のことが好きだった。それだけだった。

 


 まだ小学生だった頃、馨はみんなからオカマ呼ばわりされていた。

 そのせいで、馨は教室を抜け出して誰もいない裏庭へ行くことが当然になってしまっていた。その日も、私は教室から出ていく馨の姿を確認して、彼を追いかけた。

 木の下で膝を抱いている馨の表情は暗い。本当は、あんな顔してほしくない。

 どうして人って、自分たちとは違うものを持っている人をいじめるんだろう。まるで異物扱いだ。その人だって人間だから傷つくのに。

 拳をぐっと握りしめる。悔しい。私は馨に何もしてあげられない。でも、友達だから。彼の心が明るくなるかは分からないけど、ひとりにはしたくない。

 できるだけ笑顔で、「馨」と彼の名を呼ぶ。馨はこちらを向いて、力ない笑みを浮かべる。


「ごめん、僕、なずなちゃんにも迷惑かけてるね」


 さりげなく雑談した後、馨はそんなことを言ってうつむいた。私は悲しくて、馨を元気づけたくて、彼の顔を覗き込む。


「迷惑なんて思ったこと、一度もない。馨は悪くない」


「でも、僕といるとなずなちゃんまで、みんなから嫌われちゃうよ」


 馨の言うみんなって、彼のことを孤独にするあいつらのことだろうか。だったら、みんなとなんて私は仲良くできなくていい。馨と、二人きりでいたい。

 真っ先にそう思ったけれど、口に出すのは難しい。私は隣にいる馨の手に、自分の手を重ねた。彼の体温が伝わってきて、暖かい。


「いいよ。それでもいいから、私は馨といたい」


 絶対に、馨をひとりにはしない。誰もが彼を認めないなら、私がずっと一緒にいてあげる。

 馨は泣き出しそうに引きつった表情で、私の手を握り返してくる。「なずなちゃん」そして繰り返し、私の名を呼んだ。

 彼のことが好きだ、と思った。彼は、私を必要としてくれる。それはいくら大きくなってもきっと、ずっと変わらない。

 私はそう信じて、今まで生きてきたのだ。



 斎宮さんとカラオケに行った翌日、喉のコンディションは最悪だった。けれど、昨日彼女と打ち解けられたことで、何よりも嬉しさが勝っていた。

 学校の門を通っていた時、前を歩く小さな背中を見つけて声をかける。


「斎宮さーん」


 振り向いた彼女はいきいきとした顔をしていて、ものすごく安心する。「丹下さん、おはよー」なんだかずっと前から友達だったみたいに、斎宮さんが笑う。

 そのまま話しながら一緒に下駄箱に行くと、偶然志賀くんと会ってしまった。「おう」と何もなかったみたいに話しかけてくる志賀くんに、斎宮さんの肩が震えだす。

 

「志賀くん、おはよー」


 一変してしまった斎宮さんの状態を見て、私はとりあえず慌てて返事をする。頑張れ、斎宮さん。志賀くんは下駄箱どころか、これから長時間あなたと同じ教室にいるんだから。

 それにしても、志賀くんは自分を追い回していた斎宮さんのことを怖がってはいないようだ。もしかすると、あまり細かいことにこだわらない志賀くんは、斎宮さんのストーキング行為に気づいていなかったのだろうか。いつも偶然同じところにいるなあ、ぐらいにしか思ってなかったのかもしれない。

 よかった、修羅場にならなくて。と思いつつ、全然相手にされてなかったのかな、となんだか斎宮さんがかわいそうになってくる。

 斎宮さんは突然早足になり、廊下のほうへと歩いていく。とりあえず、すぐにその場から離れることを選んだようだ。私もついていこうとしたところで、今一番遭遇してはいけない人に会ってしまった。


「おはよう、志賀くん。あれ? なずなちゃんも一緒?」


 馨だ。いつもと変わらぬ様子に、今度は私の心臓が跳ね上がる。「今、偶然会ったんだ」とけろっと言う志賀くんを、廊下から斎宮さんがすごい顔で凝視していた。目が血走っている。

 状況を全く理解していない馨が、「あの子友達?」と斎宮さんを見て無邪気に笑う。


「ああ、俺のクラスメイト。丹下と仲良いとは知らなかったけど」


 そりゃそうだ。斎宮さんと私は、昨日、初めて喋ったのだから。

 つくろうような笑みを浮かべ、私は斎宮さんの近くへ移動した。


「最近、急激に仲良くなったの。ね、斎宮さん」


「そうなんだ。僕、なずなちゃんの幼なじみの築島です、よろしく」


 愛想よく言う馨の顔を、斎宮さんがじいっと見つめている。そして一度、深く息を吸った後、緊張を解いたような表情で力強く「よろしく」と返事をした。

 

「頑張んなさいよ」


 応援してるから、とでも言うように、斎宮さんは手を振りながらその場を離れていく。

 よかった。斎宮さん、動揺していたけれど、なんとか自分自身に打ち勝ったみたいだ。


「何を頑張ればいいんだろう……」


 馨の呟きが、生徒たちの喧騒に消えていく。

 やっぱり私、斎宮さんともっと仲良くなりたいな、と深く思った。

 二人に「じゃ、またね」と短く言って、私は斎宮さんを追いかける。早足で廊下を歩いていくと、廊下の向こうでうずくまっている斎宮さんを見つけた。


「大丈夫?」


 話しかけると、斎宮さんは顔をあげて「だいじょうぶ」と答えた。


「いやぁ、修羅場だったわ。でもよかったぁ。また切れて、私の志賀くんに手を出さないでよー! とか言っちゃうかと思ったわ」


「そんなこと言ったことあるんだ」


「一回だけね」


 顔を見合わせて笑う。斎宮さんはすっきりとした表情で立ち上がった。


「ありがとう、丹下さんのおかげだよ」


 何もしてないけど、と思っていると、斎宮さんはまるで私の心を読んだみたいに、


「丹下さんといっぱい歌っていっぱい叫んだから、向き合えたの。自分の気持ちと」


 斎宮さんは少しだけ苦い笑いを浮かべて、「丹下さんも、向き合えるといいね」と付け加える。

 私はきょとんとしたまま、「うん」とうなづく。彼女の言ったことの意味が、よく分からなかった。


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