第2話 叫び



 頭がぼーっとする。あれからどれくらい経っただろう。一時間くらいだろうか。ただ薄暗い教室の中で瞬きを繰り返すだけ。まさに時間のむだ使いだ。

 馨は昔から自分が人と違うことに苦労しているように見えた。でも、こんな意味じゃなくて、気質が女の子っぽいだけかと思っていたのに。

 今考えれば十分に予想の範囲内のことだったのだと、実感してしまう。 

 本当はもっと分かってあげたかった。きちんと理解していれば、悩みを聞いてあげられたはずなのに。

 馨に打ち明けられてから、何度ため息をついただろう。そんなことを考えていた時、急に教室のドアが開いた。


「丹下さん?」


 驚いてそちらを見る。今にも死にそうなか細い声で私を呼んだのは、志賀くんと同じクラスの斎宮いつきさんという子だった。

 喋ったことはないけれど、小さくて可愛いと男子から人気があるため、顔は知っている。どうしたのだろう。いつもは優しげな表情が明らかに沈んでいる。動きはどこか弱弱しく、なぜかふらふらしているようだ。


「どうし」


「あんた、ちゃんと手綱握っておきなさいよ!」


 どうしたの、と聞こうとした途端、斎宮さんは声を荒らげた。

 怒り狂っている斎宮さんを前に、わけも分からず座っていた椅子を引く。斎宮さんは「く-っ」と拳を握りしめた後で、


「築島くんと丹下さんは両想いだとばっかり思ってたのに、どうして私の志賀くんと!」


 その一言で、全部理解した。そうか、斎宮さんは志賀くんのことが。

 合点がいったような気がしたが、すぐに別の疑問が浮かび上がる。


「二人のこと、どこで」


「昨日の放課後! 志賀くんのこと追いかけてたら、二人が告白し合ってるところ見ちゃったの! あああ、もう、世界なんて終わってよ!」


 彼女は入学式で志賀くんに一目ぼれし、それからずっと彼を追いかけまわしていたのだという。告白を見てしまった後、彼女はこれは夢だと思おうとした。しかし、翌日学校に行ってみると二人は影で会っていて、現実を突き付けられた。それからは何も考えられなくなってしまい、二人に直接何か言う勇気もなく、偶然教室で一人だった私に文句を言いに来たのだという。

 彼女は今にも泣き出しそうな声で、「こんなの、八つ当たりだって分かってるよ」と眉間にしわを寄せた。苛立たしそうに口元を歪ませ、


「でも、男に男をとられたのよ。信じられない。私が志賀くんにしてきたことが間違いだってことも分かってる。でも」


 志賀くんをストーキングしてきたことは反省しているようだ。それに少し安心しながら、


「私もさっき知ったばかりなの。すごく驚いた」


「ほんとに知らなかったの?」


 疑惑の視線を送られた。うん、とうなづくと、斎宮さんはしばらく無言で私を見つめ、戸惑うように、


「丹下さんは築島くんと付き合ってるかと思ってた」


「全然そんなのじゃないよ、ただの幼なじみ。両思いでもないし」


 思ったより冷たい言い方になってしまった。何か言われるかなと思ったが、斎宮さんは悟ったように「ふーん、そう」と返事をする。そして机に沈んでいた身体を起こした。


「丹下さん、ちょっと付き合ってくれない?」


 今までより少しは機嫌よさそうにそう言うと、斎宮さんは立ち上がる。私が「何に?」と聞くと、


「私の失恋パーティー。カラオケ行こ、カラオケ。歌って全部忘れるからさ」


 腕をつかまれ、強制的に立たされる。私よりも数センチ背が低いはずの彼女にこんな力があるなんて。とびっくりしてから、ああ、斎宮さんって見た目からは想像できないほど行動的な人なんだな、なんて思う。だから好きだという気持ちを抑えきれず、追いかけまわしたりしてしまったのだろう。

 ある時、教室で女子の噂をする男子たちの話を偶然聞いたことがある。男子が噂する斎宮さんは、可愛くて、ふんわりしていて、優しげだというイメージが多かった気がしたが、実際の彼女はそんな枠にはおさまらない。

 私は斎宮さんを好ましい人だと思う。すごく。

 その後、私は本当にカラオケに連れていかれ、二時間きっちり斎宮さんと歌い続けた。もうやけくそだ、叫べ! と言われて本当に叫んだのは初めてだった。

 すっかり暗くなった空を見上げ、斎宮さんが大きく伸びをする。


「ああーー、すっきりした! こんなに本気で歌いまくったの初めて。丹下さん、ありがと! 楽しかったー」


「いっぱい叫んだもんね。もう喉がらがら」


 ほんとほんと、と斎宮さんは楽しそうに笑う。


「よし、これで全て忘れた。明日から気持ちよく学校通えそう」


 寂しそうに言う斎宮さんは、まだ完全に志賀くんのことをふっきれたようには見えない。でも、彼女は受け入れるだろう。時間がかかっても、着実に。

 

「丹下さんは? 発散できた?」


 いきなりふられた言葉に、すぐには反応できなかった。私? 私は。


「私は、別に」


 押し出されるように口からもれたのは、いかにもあいまいな一言で。私は自分の発言に、自分で戸惑ってしまっていた。馨に彼氏が、好きな人ができて、私はこれからも今までどおりでいられるのだろうか。少しも傷つかなかったのか。そんなことは、自問自答すれば簡単に分かってしまうことだった。


「丹下さんって意外と素直じゃないのね」


 斎宮さんが苦笑する。そうだ、私は素直なんかじゃない。昔から。何もかも、言葉になんかできずに過ごしてきた。自分が思っていることを呑み込んで、周りとの関係が上手くいくような方法をずっと選んできたのだ。

 それが悪いことだとは思っていない。でも、私は伝えるべきだったことまで、心の奥にとどめたままだった。


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