第90話 黒い丸

 静さんは以前、中古分譲マンションの2LDKで一人暮らしをしていた。

 この部屋は元々、独身貴族だった彼女の伯母の物だった。その伯母が旅先の事故で急逝し、売るのも何かと手間だし空き家にしておくにはもったいないし、ということになって、たまたまその近くで仕事をしていた静さんが住むことになったのだ。


 ある時、静さんは行きつけのバーで、「霊能力がある」という女性を紹介された。

「さっちゃんは本物だよ! 家の間取りなんかパパッと当てちゃうんだから」

 マスターがそう言って示した「さっちゃん」は40代くらいの女性で、一見ごく普通の、お洒落でかわいらしい人だった。

「えーっ、ほんとですかぁ? じゃ、私んちも当てられます?」

 静さんが興味本位で持ちかけてみると、さっちゃんは「ええよぉ」とのんびりした関西弁で答えた。それからカウンターに置いてあった何かのイベントのフライヤーを1枚取り、マスターにペンを借りると、チラチラと静さんの顔を見ながら、フライヤーの裏に間取り図を描き始めた。

「へぇー、広いとこ住んではるんやね。ここ、靴いっぱい置いてるなぁ。お嬢さん、靴集めてはるんやね」

 そんなことを一人で言いながら、彼女はどんどん筆を進めていく。

 静さんが驚いたことに、その間取り図はかなり正確だった。部屋の構造だけでなく、大きな家具の配置まで合っている。さっちゃんは一体いつ自分の部屋に入ったのだろう、と思ってしまうほどだ。

「そんでこっちの部屋に寝てはる……あっ」

 さっちゃんはそう言うと、突然寝室の端っこに、ぐりぐりと黒い丸をひとつ描いた。

「えーと、こんな感じやろ。失礼やけど私、そろそろ帰らなあかんねん。お嬢さん、ごめんなぁ」

 彼女はそう言いながらカウンターにお金を置くと、さっさと店を出ていってしまった。

 静さんは残された間取り図を眺めた。最後に荒っぽく付け足された丸が、やけに禍々しいものに思えてきた。

「マスター、私も帰る」

 急に気持ちが沈んでしまった彼女は、早々に切り上げると自宅に帰った。

 間取り図は一応バッグに入れて持ち帰ったが、途中で気が変わり、駅前のコンビニのゴミ箱に放り込んだ。


 それから静さんは、寝室がなんとなく苦手になった。

 あの黒い丸のことが、どうにも気になってしまうのだ。馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、なにか不気味なものがそこに潜んでいるような気がしてしまう。

 モヤモヤとした気分で過ごしていた頃、上司に隣県への転勤を持ちかけられた。彼女は二つ返事で承諾した。

 時期を同じくして、静さんの妹が一人暮らしをしたいと言い出した。

「お姉ちゃん、伯母さんのマンション出ちゃうんでしょ。あたしが住んでもいいよね」

 静さんはすぐに、いいよと答えた。さっちゃんや間取り図の黒い丸の話は、なんとなくしそびれてしまった。

 妹はフリーターをしながら、その部屋に1年半ほど住んだ。

 そしてある時、寝室の壁の丈夫なフックに梱包用の紐をかけて首を吊った。

 夏だったため、遺体の損傷は激しかった。妹と連絡がつかないことを心配した母親に頼まれて、静さんがひさしぶりに部屋を訪れた時には、首が千切れて体と一緒に床の上に転がっていた。

 それがちょうど、あの黒い丸が描かれていた辺りだったという。

「でもそんな一致が怖いんじゃないの。私が怖がってるのは、私がその……そういう運命みたいなのを、妹に押し付けちゃったんじゃないかってことなの」

 せめて黒い丸のこと、話しておけばよかったなと呟いて、静さんはこの話を終えた。

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