第76話 なんか挟まってる

 木下君は昔からおっちょこちょいの類だった。

 中学一年生の野外合宿2日目、彼は焚火の消火用に置いてあったバケツにつまずき、しこたま水をひっかぶった。

 びしょびしょになった木下君に、担任の先生は「さっさと着替えてこい」とクールに言い渡した。彼は大人しく従った。

 木下君は急いで宿泊施設の部屋に向かった。時刻はまだ午前中で、教師も生徒も皆外に出ている。畳敷きの部屋は、昨夜同室の友人たちと枕投げをして騒いだ部屋と、同じ場所だと思えないほど静かだった。

 部屋の片隅に皆のバッグが寄せてある。彼はその中から自分のバッグをとると、昨日着て汗臭くなってしまった体育着にしぶしぶ着替えた。

 濡れてしまった服をハンガーにかけていると、ガタッという音がした。部屋にいるのは木下君だけだ。辺りを見回すと、またガタガタと音がする。

 部屋にある押し入れの襖が微かに動いていた。ガタガタという音は、確かにここからするらしい。気になって、木下君は押し入れを開けてみた。

 中には布団が詰まっていた。押し入れの上段には、今朝自分たちで片付けたばかりの分厚い掛布団が積まれている。

 そこから人間の手が出ていた。

「うわー!」

 誰かが布団に埋まっている! シュールとも言える光景に、木下君は驚いて大声を上げた。早く出さないと、窒息してしまうかもしれない。慌てた彼は、とにもかくにもその手をつかんで引っ張った。

 ぐっと力を入れた次の瞬間、木下君は畳の上に尻もちをついていた。両手にはぐったりとした手を握っている。

 布団の間から、2メートルほどのぐんにゃりした細長い腕が伸びていた。紛れもなく今自分が握っている手に、その腕がつながっていることを知った木下君は、再び叫んだ。

 その時、持っていた手が突然ぐねぐねと動いて、彼の左手首をぎゅっと掴んだ。


 気が付くと、木下君は部屋の前の廊下で体育座りをしていた。あまりに遅いのを心配した同じ班の友達が、けげんな顔で彼の肩を何度も叩いていた。

「木下ぁー? どうした? 顔色やべーぞ」

「お、おし、おし、押し入れから手が伸びた!」

 泡を食って説明する木下君を、友達は首を傾げながら見ていたが、ともかく一緒に部屋に入って、中を確認してくれることになった。

 部屋の中は、入ってきたときと同じように静まり返っていた。木下君のバッグだけが、隅から少し離れたところに置かれている。

 押し入れの襖は閉まっていた。

「この中だよな?」

 友達が深呼吸をひとつして、ばっと襖を開け放った。

 中には布団が重ねられているだけだった。手など出ていない。

「な? 誰もいないよ」

「ほんとだ……」

「とにかくもう行こうぜ! 松田先生そろそろキレるぞ」

 友達はそう言いながら、急いで押し入れを閉めた。あまりに勢いがよかったので、押し入れの襖は柱にぶつかって、人差し指の長さくらいの隙間ができた。

 急かされながら木下君は部屋を出たが、どうしても気になってしまう。最後にちらっと振り返ると、少しだけ開いていた押し入れの襖が、静かに閉まるところだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る