第75話 春の手

 よく晴れた日曜日の午後、迫田さんは1歳半の息子を連れて近所の公園に行った。

 公園の桜は満開で、花見客で賑わっている。迫田さんはよちよち歩きの息子と散歩を楽しんだ。

 そこかしこに散った桜の花びらが落ちていたが、中でも縁石に添って花びらが溜まり、こんもりと山になっているところがあった。高さは10センチはあるだろう。

 迫田さんがそこから花びらを摘まんで、息子に投げてやると、息子は喜んで両手を挙げ、「もっと」とせがむ。その度に彼は花びらを放ってあげた。

 あんまり楽しそうなので、迫田さんはめいいっぱい掴んで投げてやろうと、花びらの山に手を突っ込んだ。その時、その手を何者かにぎゅっと握られた。

 薄桃色の花弁の合間に人間の手が見えた。自分の手を掴む指の爪に赤いマニキュアが塗られているのが、彼の目にはっきりと映った。

「うわっ!」

 驚いて手を引っ張ると、溜まっていた花びらがばさっと舞い上がって、迫田さんの上に降り注いだ。露わになった地面はコンクリートで舗装されており、手と間違えるようなものは何もなかった。

 はっと我に返ると、息子が火のついたように泣き叫んでいる。

 迫田さんは急いで息子を抱き上げ、逃げるように公園を後にした。


 桜の花びらの中で迫田さんの手を握ったのは、厚みのある小振りな手で、しっとりと暖かかった。

 彼によれば、1年前に離婚してから音信不通になっている元妻の手に、異様なほど似ていたらしい。

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